活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

人身得ること難し

2016年08月26日 | 経典

「人身(にんしん) 得(う)ること 難(かた)し、仏法 値(お)うこと 希(ま)れなり」

というお示しが、道元禅師の正法眼蔵にあります。

 

人間(にんげん) に生まれてこないと、同じことを同じように行っても

それが何のことか分からないから救われないのです。

 

ところが人間はそういうことを知(識)ることが出来るのです。

知識があるし思う力があるからです。

 

すべてのものを観察することが出来るから、正誤の方向を

見分けることが出来るし、自分で行うことが出来るのです。

 

そして自分で 「自覚」 することが出来るのです。

そこに人間として生まれて来た由縁があります。

 

「仏法」 というものは、創り手はいないし、創られた者も

いないのです。

知らず識らずに出来たのです。

 

その知らず識らずに出来た(生じた)ということ自体が

創り手も創られ手もない 「因縁の関係、不知不識生」 において

「法」 が 「法」 として作用したのです。

 

ですから 「此の物(自分自身)は作用体」 なのです。

 

「此の物(自分自身)」 は 「法」 として 「人間(にんげん)」 といわれる

構造としての「因果関係においての産物」なのです。