活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

忍進 2

2016年08月05日 | 仏教

「何ぞ無生慈忍の力を表せん」

というお言葉があります。

 

謗るということが無かったならば何ぞ

「無生慈忍の力」 を表することが出来る

のだろうかという意味です。

 

「慈忍の力」 とは、「慈悲忍辱力(じひにんにくりき)」

ということで皆菩薩の願力(がんりき)です。

 

世の中に謗ることがなかったならば

菩薩方は、「慈悲忍辱」 の願心を起こさせる

必要が無いのです。

 

謗ることがあるから、菩薩方は此の願いを

表わして世の中を救われるのです。

 

「無生」 とは、「無生無我」 で変わらないということです。

いまいましいと思えば 「無生」 とはいえず、

「有生(うしょう)」ということになります。

 

「無正無我」 は 「不生不滅」 といって

「空」 のことです。

 

「法の根本」 は 「空・無相」 ですから、菩薩は

謗りがあったからといっても常に

「常空」 に住して、少しも「怨親」を

起こさないのです。

 

それが、「忍辱力」 です。

却って謗るものを憐れむ、

そこが 「慈悲」 なのです。

 

そこで、「菩薩」 も 「人」 が謗らなければ

此の力を表わすことが出来ないのです。

 

謗りがあるから、菩薩に此の力が願われて

菩薩の菩薩たる處が顕れるというものです。