仏法では 「非(あら)ず」 は、脱落して妄想の病の
取れた所を 「非」 という字を使い、表わします。
「青黄赤白黒(しょうおう しょくびゃくこく)に非ず」
ということは、世界は青黄赤白黒でないものはないが、
如来は青黄赤白黒ではなく、如来は
「非来非去(ひらいひこ)」 であり、
只非来非去で、来るが如く、去るが如くなり、なのです。
「非如来」 〈 来るが如くにあらざるなり 〉 とは、
「只、来るが如く、去るが如くなり」 なのです。
「如来」 は、「来るが如し」 であり、
「如去(にょこ)」 は、「去るが如し」 で
〈 煩悩を断じて仏果に往き去る 〉 ということです。
ですから、「如来」 は、「非如来でなければならない」 のです。
繰り返して申し上げますが、「如来」 は、
私たち衆生の思う様なものではないのです。