「如是の法」を、どのようにして自分のものにしたらよいのか、そこに問題が至らなければなりません。
「大火聚 (だいかじゅ) のごとし」という御言葉があります。
「火聚」とは、火の玉という事です。
ですから、【火の玉になって坐りなさい】という事です。
私達衆生は、【どうにかしようという癖】がついています。
癖は習慣性です。
「意根 (意識の根源) を坐断する」という御言葉がありますが、坐る一方で焼き尽くしてしまわなければならないという事です。
よく指導者が「成り切って下さい」というのは、そういう事です。
本当に成り切って、成り切るものも、成り切られるものも、なくなってしまわなければいけないのです。
ですから、最初としては「成り切る」というスタートラインにつくことが必要なのです。
「大火聚 (だいかじゅ) のごとし」という御言葉があります。
「火聚」とは、火の玉という事です。
ですから、【火の玉になって坐りなさい】という事です。
私達衆生は、【どうにかしようという癖】がついています。
癖は習慣性です。
「意根 (意識の根源) を坐断する」という御言葉がありますが、坐る一方で焼き尽くしてしまわなければならないという事です。
よく指導者が「成り切って下さい」というのは、そういう事です。
本当に成り切って、成り切るものも、成り切られるものも、なくなってしまわなければいけないのです。
ですから、最初としては「成り切る」というスタートラインにつくことが必要なのです。