たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

墓参

2014年05月27日 | お寺参り

昨日は終日雨だったので墓参の日だったが今日に延期した。妻の月命日のお参りである。
4日前の土曜日にも外出の帰途立ち寄り蜘蛛の巣とか、砂利敷の小さな雑草の芽を抜いて墓掃除しておいた。今日は、少し蒸し暑いくらいの天気になり、午後は曇った。

「それ一切衆生、三悪道(さんまくどう)をのがれて、人間と生まるゝこと大いなるよろこびなり。身はいやしくとも、畜生におとらんや。家まずしくとも餓鬼にはまさるべし。
心におもふことかなはずとも、地獄の苦しみにはくらぶべからず。世のすみうき(住み憂き)はいとふたよりなり。・・・」

浄土往生の教えを日本ではじめて仮名で書いた。これを「横川(よかわ)法語」という。
書いた人は「聖衆来迎図(しょうじゅうらいごうず)」や「山越阿弥陀図(やまごえのあみだず)」を描き遺した、比叡山横川の恵心僧都(えしんそうず)という人だ。

尾張最古の古刹寂光院にお参りすると、山主が「どうぞおいとい下さい」と挨拶される。
公園墓地は大きな墓地なので誰かがかならずお参りに見えている、火葬場は友引らしくひっそりと休業していた。

 

「・・・妄念より申しいだしたる念仏は、濁り(にごり)に染(し)まぬ蓮(はちす)のごとくにして、決定(けつじょう)往生うたがひあるべからず。妄念をいとはずして、信心のあさきをなげき、こころざしを深くして、常に名号(みょうごう)を唱なふべし。」

わが墓石は買い物下手にしては、これは良かった。墓地は妻が生前中にひやかし気味に市の募集に応じ当選、亡くなる前に手に入れていた永代借地。まさか数年後に自分が真っ先に入るとは思わなかっただろう。
亡くなって周囲の墓石を見て回り、白過ぎず、黒過ぎず、大き過ぎず、突飛過ぎず、気に入った墓石を見て、墓石屋を決めた。碑文はこれも気に入った筆の墓から、墓石屋に頼んで岡崎の石工団地の墓石専門家の書家の手になる。堂々とした名号で気に入っている。
浄土真宗は名号を墓石の碑文にする習わしだ。