9月5日 戦争と平和

2008年09月05日 | 風の旅人日乗
9月2日、
沖縄・那覇の首里にある割烹・次郎長で
来年の帆装サバニでの活動に向けて、
帆装サバニ保存会の重鎮も交えて話し合いをした。
忌憚のない意見をお互い提案することができて、
とても有意義な会合だった。

翌日朝、沖縄・那覇の泊港から、高速船クイーン座間味に乗って、
慶良間諸島の座間味島に行った。

村の艇庫で、3時間ほどかけて、鮫の肝臓から煮出した油をサバニに塗った。

サバニにしばらく乗らないときには、必ずやっておかなければならないメンテナンスだ。

作業が終わり、那覇に帰るクイーン座間味の出港までの時間、
美しい座間味のビーチに出て、子どもへのお土産に貝殻を拾った。
那覇のカヤックガイド店経営者であり、我々のサバニチームのキャプテンであるOも手伝ってくれ、
炎天下、2人で、2時間近く貝殻拾いに没頭した。

白く美しい無人のビーチに、
上半身裸になって、
並んで前かがみになってしゃがみ込んでいるおじさん2人は、
ダイビングボートに乗っている観光客たちから見たら
相当怪しくいかがわしい存在だったことだろう。

Oが、見慣れない、茶色をした小さな筒状のものをたくさん拾ってきて、
これ、なんだか分かる?
と聞いた。

瀬戸内海の浜などで見かける、牡蠣の養殖ロープに使われるパーツのようにも思えたが、違った。

63年前の戦争で使われた不発弾の火薬なのだという。
この火薬がびっしりと詰め込まれていた焼夷弾は不発だったが、もし予定通り爆発していたら、
この火薬は63年前の沖縄の人たちの身体を焼いていたのだ。

戦争が終わって63年も経つのに、
その悲惨な歴史を忘れさせまいとするかのように、
沖縄の海にはまだ、その戦争に使われた爆弾の火薬が漂っている。

浜を引き上げ、クイーン座間味の出港ギリギリまで、
座間味でいつもお世話になっている民宿中村屋さんの庭で
美しい花々に囲まれて、おいしいオリオンビールを飲みながら、
平和な時代の平和な国で子を育てられる幸せを思った。



座間味島から泊港に着き、
そのままゆいれーるに乗って那覇空港に行き、
滑り込みセーフで羽田行きに乗り込み、
終電間近の新逗子行きに乗った。

逗子市内から座間味島の貝殻が入ったバッグを担いで葉山の海岸を歩き、
家に戻って時計を見たら、
ちょうど午前零時だった。