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electric

思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

対還元論(全体と部分)

2007-10-31 21:00:40 | 思索
専門化、細分化については、まったくAIさんの言うとおりでしょうね。ある一つのものが理解されるということは、それが分解され切り分けられて行くという過程を通るのは、至極当然のことでもあるわけですが、ある一つのものを二つに分けた時、それ一つで全体であったことにより有していた特性が、もはや失われてしまうという事実が必ずありますね。

よく言われることですが、部分の総和は全体ではないわけです。精神を脳組織に分解できたとしても、脳組織を全て集めたからといって精神にはならないわけですね。そのことを忘れてしまった専門化、細分化の進行方向は、非常に危ういものになるでしょうね。ケストラーがネオ・ダーウィニアンや還元論者を攻撃したのも、正にこの部分でした。

この全体と部分を一括して扱い得るものとして、ケストラーは「ホロン」という概念を用いて理論を展開しているのですが、この話はまた裏庭ででも、こっそり話しましょうね。(^^)

「会社でうとうとしているときに、なにか「大儲け」につながるような、発明のアイデアとか、思いつかないですかぁ?(^^;」

そうそう。僕もそれを期待して毎日会社で、うとうとしてるんだけどねえ。
あはは。
いやしかし、一回でいいから大金持ちになってみたいよなあ。

ホロン
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澪ちゃん元気?

2007-10-29 20:52:35 | 思索
またちょっとご無沙汰しちゃいました。ホロンです。元気に学校行って、元気にバイトしてるかい?しかし、10月も末というのにこの暖かさは何なんだろうね。今日も晴天のポカポカ陽気、眠くてしゃ~ないわ。(笑)

改めて「澪にっき」をゆっくりと見せてもらったけど、澪ちゃんの言葉は胸にビンビン来るね。そこに確かな真実が見えるような気がするよ。

 いい加減にしろの加減…。
 どのくらいですか?
 何度目から
 そう言われるのですか?

とても素朴で、誰もがその答えを知りたいと求めながら、分からなくて切ない思いをしてるんだよね。「いい加減の加減」なんて無い。そんなことを言う方がおかしい。澪ちゃんは、自分がこれくらいだと思うとおりにやったらいいよ。それが最適だ。

 遊べない人生は
 人生じゃない
 なら勉強をやめて
 その時間を遊びにまわそぅか

そう、遊べない人生は、人生じゃない。澪ちゃんの言うとおり。実は、知らないことを知ることが、一番楽しい遊びだったりもするんだけどね。

 なんだか嫌な予感がするの…
 大きな何かが来そぅ…
 ぁたしは生き残れるかな…
 不気味なくらい模様が変わらない
 空が教えてくれたの
 気をつけなさいって。。
 鳥が急にいなくなったのは
 そのせいなんかじゃないよね…?

うん。僕もね、とってもそんな予感がしてるんだよ。
僕も空に教わったんだよ。
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かもめのジョナサン

2007-10-28 21:51:47 | 思索
リチャード・バック 著 新潮文庫

先に紹介した「Good Luck」同様、極めて短い時間で読んでしまえる短編であるが、グレードが全然違う。同じく、人生や世を語る本として、この「かもめのジョナサン」は、他方とは全く比較にならない一級品である。象徴的表現によってのみ語り得る真実とは正にこのことであろう。ここにあるのは時を超越した人の世の真理であり、このようにして人は時間に歴史を刻み続けながら今に至り、その先端部分に現在の我々がある。この物語が原始の人々の間に語られたとしても、現代の我々が受けるものと全く同一の感銘を得るであろう。訳者の五木寛之は、この作品が生まれた当時のアメリカの時代背景との関連において、必ずしも好ましいものとは捉えず、ジョナサンがキリストと重ね合わされて読み取り得ることにおいて特に、意識の偏向傾向を危惧しているが、それもまあ頷けることではある。一部、超常的表現が含まれることに違和感を覚える読者も少なくはないだろう。しかしそれもまた、意識の壁に閉ざされ勝ちな人の傾向の表れであり、僅かに精神を開放させれば、さほど抵抗無く自然に体内に入り込んでくる話であると思える。たった一つのことであっても、できるだけ多くの視点から物事を見つめる目が事実に限りなく近づけてくれるものだと思う。その意味で、この本が明らかな一つの視点を我々に与えてくれるのは、間違いないだろう。サンテクジュペリの「星の王子様」の現代版と言われることもあるが、「星の王子様」よりも遥かに平易であり、また何よりも読んでいておもしろい娯楽性に富んでいる。
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冬の味わい

2007-10-27 23:08:40 | 思索
冬の味わいはね、身の周り、ほんのすぐ近くの至る所にあると感じるようになったのが、これは歳を重ねた効果なのかも知れないね。例えば、電線にじっと身を寄せて羽を膨らませている三羽のスズメとか、太陽光線を薄明るく拡散している乳白色の雲とか、コートの襟を立てて歩いている自分と身を切る寒さとかね。

どんなものでも、人によって見え方が違うのは当たり前だけど、一人の人でも時間の流れの何処に立つかで、同じものが別物にもなってしまうね。これはとても面白い。

「ほんとうに大切なものは・・自分の外にはない・・そんな感じですね・・」

そう、まったく。これを、敢えて大胆に一言で言い切ってしまうと、ほんとうに大切なものは、「心」。ということになるんだろうなあ。世の全ての存在は、それが有形無形に係わらず、その価値は、つまり大切であるかそうでないかは、心で計られるものね。そして心は基本的に一人の中に一つあって、人それぞれで全て異なっていて、決して単一の評価は下さないということだね。それをお互いが認め合えば戦争は起こらない。ありゃ?話が変な風に拡大してしまったな。(笑)

”ほんとうに大切なものは、自分の外にはない”これも名言だね。

「現実の中で自分と対峙するものとの関わりの中に『生』を感じていたものが、『死』を目前にするとき、『魂』の視点に変わり、自他を意識しない魂の視点で見ている自分を感じる。」

うん、これもよく分かる。素直に納得できてしまうね。自己の内部と外部に一見分かれている世界は、何処かの一点で繋がっているのかも知れないね。そこが一つの究極かも知れない。死は正に一つの究極でもあるものね。

「これはとても自由で心地よい世界だと思いますねぇ~・・」

たぶんそうだろうね。そこは人を超越した世界であることは間違いないだろうからね。だから一般に「人」をやりながら生きている人には到底知りえない感覚なんだろうね。しかし、そこが目指すべき世界かどうかは、とても難しいね。「死」を回避してもそこに接近する道はたぶんあるんだろうと僕は思うんだけどね。

「・・『死』とは呪縛からの解放といった感じですね・・」

そうだね、これもよく言われることで、労無く納得できるね。「新世紀エヴァンゲリオン」では、「死」は同時に「誕生」であるなんて言ってるね。もしかしたらそうなのかも知れない。でも、この「誕生」から先の記録が何処にも無いから、これは僕達には知る由も無い。でも、生体として生きていても、同時に「死んでいる」ということも次元をシフトすれば言えることで、君が「自分は死んでいるとも言える」と言うのも、これと近い次元で、それ故の呪縛からの解放を、今実現してるのかも知れないね。

「子供のように無垢で汚れ無き魂・・これが原型なんだろうと思います。」

そう。また僕を代弁してくれたね。僕は迷うと、いつも子供の魂を基準として見据えることにしてるんだよ。

さて、次が今回の圧巻の部分。『個体の意識』『液体の意識』『気体の意識』。この意識の3要素への分割は、僕に新しい視点をくれました。実に面白くて興味深い。
ありがとう。(^^)

ホロン
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DCキャンセラ回路

2007-10-26 20:45:16 | 電子回路
直流をカットして信号成分(交流)のみ通したい場合、一般的にはCRのようなハイパスフィルタを用いますが、特にオーディオの世界において、信号がコンデンサを通ると音質が劣化すると言われています。音質などというと多分に主観の世界であり、真偽のほどは定かではありませんが、メーカー製のアンプ回路では、信号ラインに一切コンデンサが使われていない(DCアンプ)こと等、あながち嘘でもないようです。

そこで音質はともかく、コンデンサを通らずにDCキャンセルする回路を紹介します。なかなか面白い回路構成をしているので、考えるヒントの題材としても良いでしょう。

理屈は簡単です。まず上段の図を見てください。回路はおなじみの差動増幅回路ですね。これのIN1に左の図のような5Vの直流成分の乗った交流信号を入力し、出力(OUT)からは交流成分のみ取出したい場合、さてどうすればいいでしょう?はい、そうですね。IN2に直流-5Vを入力してやればよいのです。こうすれば信号をコンデンサに通すことなく直流をキャンセルできます。しかし信号に乗っている直流成分が一定値でなくじわじわと変動するとしたらどうでしょう。それに合わせてIN2に入力する直流電圧をその都度調整しなければなりません。これを手動でやるのは大変です。そこで考え出されたのが下段の回路です。

CRで構成されているオペアンプ回路は完全積分回路です。IN1-OUTの周波数特性は右の図のようになり、f0=1/(2πCR)です。つまりCRのハイパスフィルタとまったく同じ特性ということです。抵抗1個とコンデンサ1個でできるものを、わざわざここまでやるとはオーディオファンの方々には頭が下がりますね。それはともかく、この回路がなぜ緩やかに変動する直流成分をキャンセルするのか(ハイパスフィルタとして動作するのか)は、IN1に直流を入れて積分回路の動きを追ってみてください。IN2に相当する積分回路の出力がOUTのDC成分をキャンセルする様子が浮かんでくると思います。

関連記事:「オペアンプとは何か?」2007-09-02
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開く眼拡がる世界

2007-10-24 23:02:10 | 思索
「何にも考えず、アホになり切ったとたんに、別のスイッチがオンになるんです・・これこそが本物やと思うんですよね・・」

そうですね。
人は無智で無能である。それを全てさらけ出せばアホの自分、つまり素の自分になれるということですね。偽りの無い言葉を発すること、偽りの無い想いのままに行動すること、これは”私はアホです”と言ってるのと同じことですね。ここまで来れれば、もう何にも怖れるものはありません。最強の自分がそこにいるわけです。

さて、僕の創造の喜びですが、これはね、色んな所にありますよ。そこに貫かれている精神はたぶん一つなんでしょうが、人の日常の営みは多くが創造的なものでもありますね。

「そうです。霊感は100%イメージの世界ですわ。」

ふむふむ、おもしろそうだな。(^^)

多くの人が透明な眼を持てない理由は、個人の心理は集団の心理の拘束を受けやすいということじゃないでしょうか。何者からも解放された自由な精神というものは稀有でしょうね。これは個人だけを見ても、例えば僕の精神も男という性の拘束を受けているはずですね。

ではでは。
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PIANO QUINTET SUITE

2007-10-23 23:04:53 | 音楽・映画
「大西順子」

概ね音楽はどんなものでも好きなのだが、ジャズだけが元来苦手で、そのことがずっと残念に思えてならなかった。これまでも、クラシックベースのジム・ホールの「アランフェス」や、ジャック・ルーシェの「バッハ」、それとややジャズの香りがするジョージ・ウィンストンなど、数えるほどしか聴いていない。それとて、さほど聴き入るほどのことも無かった。

しかし、この「PIANO QUINTET SUITE」は、こんな私をかなりジャズに近づけてくれた。大西順子の粒立ちのいいピアノ、洗練された現代タッチの楽想は聴いていてとても心地いい。ジャズが他の音楽と異なるのは、ブルーノートという独特の和音以外に、メロディーであれ、ハーモニーであれ、音の出ているその「瞬間」を聴くということにあると思う。どんなに魅惑的な響きも、それが現れた直後に消滅し後に何も残さない。また、その先を期待したり予想したりすることも無意味である。その点、他の音楽は開始から終了までの全体が大きな意味を持つ。取っつきにくいクラシックも、何度も聴いているうちに断片的な曲の記憶が次第に繋がり、いつの間にか最も好きな曲の一つになっているということも、曲全体の持つ意味が大きいからなのだと思う。クラシックのジャンルにも、ジャズ的な音の聴き方をする曲がある。ブルックナーがその最も典型的な例だろう。ブルックナーも全体として捉えることに、あまり意味は無く、それ故、まったく初めて聴く場合でも、瞬間の音を味わい深く聴くことができる。
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生命体としての地球

2007-10-22 19:44:02 | 思索
わお、そんな番組やってたんですね。NHKスペシャルは大好きなので、わりとマメにチェックしているんですが、見逃してしまいましたねえ。残念なことしたな。再放送しないかなぁ。

さて、番組を見なかったので少しピントが外れてしまうかも知れませんが、「地球生命全体」の「伝記」「自伝」、はとても面白いですね。その「伝記」には、地球上の生命進化の変転以外に、大陸の移動、気候の変動も含まれていますので、「地球生命全体」は「生命体としての地球」と言い換えても、さほど大きくは違わないのではないでしょうか。ややニュアンスが違うかな?

「地球生命全体の意思」或いは「生命体としての地球の意思」という着想と視点が、非科学的であるとして認められないなんてこと全然無いと思いますよ。今まさに真面目に熱く論じられている最中ではないでしょうか。

一天体であり、無機物であるはずの地球に、種々の矛盾と奇妙な違和感を多くの科学者がかなり以前から感じていながら、それが何であるかについては、実はあまりにも明々白々に過ぎたため見えていなかった。-----「まったくものを見る能力は空気が澄んでいるかどうかより、心が澄んでいるかどうかにかかっていると思い知らされる。」という、ガイア理論のラブロックの言葉は、スカッと的を射抜いたものだと思います。

生命体としての地球が自らの命を継続するために、地上に生物という生命を養い、その個々の生物の個別の活動によって、地球の生命が安定している(例えばこの数十億年の間に太陽の温度はかなり上昇しているにも関わらず、地表の温度はほぼ一定に保っている、生物活動によるメカニズムの事実)、と考えるのは、一つの考え方としてとてもエレガントですね。これはガイア理論そのものですが、NHKから少し論点がずれたかな?

「”地球生命全体”の生涯も、その「意思」と、まったく偶然の所産である天変地異との相互作用として、解釈できるのではないか?」

ポイントはここですよね。人の生命活動と同様に「意思」と「偶然」の相互作用が地球の生命活動ではないかという仮説。僕は、かなりラブロックにオーバーラップするものを感じます。

しかし地球の(或いは宇宙の)「意思」について問うのは、やはり慎重にならざるを得ないでしょうね。結論によっては、永遠にも思えた人間の普遍的問題の多くに対して、あまりにも簡単に答えが出てしまいますからね。

地球の「伝記」を真面目に詳細に記述仕上げ、その中のチャートを眺めていけば、また新たな何かが見えてくるのかも知れませんね。
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できる社員は「やり過ごす」

2007-10-21 19:05:30 | その他レビュー
高橋伸夫 著 日経ビジネス人文庫

著者は叙情性に富んだ理性的な人だ。これは本書が、理路整然とした冷徹と思えるほどの論理を「情熱的」に語っているからだけではない。このこと自体は読んでいてとても気持ちのいいことではあるが、それよりもむしろ、真実に至る事実分析のために、「叙情」に強く着目しているということである。客観的な科学的分析のために、これほど「叙情」にスタンスを置いた研究者は少ないのではないだろうか。しかし、理性と感情、この相反するものが一つの器に収まった「人」、人で構成される「組織」や「社会」を見るときに、この感情、つまり叙情のファクタを見落としてしまうと、真実が見えてこないのは当然と言えば当然である。人類が活動を始めて2万年この方、賢くなったはずの人間が、原始の頃と何ら変わりなく今なお戦争をし続けているという理由は、合理性などとは程遠く、大半を人の叙情に求めなければ見えてこない。

本書のタイトルになっている「やり過ごし」とは、「尻ぬぐい」「泥かぶり」を含めたもので、「やり過ごし」の意味は、上司に指示された業務が”重要ではない”と判断され、他にもっと重要な業務をかかえている場合は、上司もそのうち忘れるだろうと、あえてその命じられた業務を実行しないことを言う。「やり過ごし」は組織が活力を維持するためには不可欠なものであり、そのように行為できる社員が「できる社員」だと言うのだから、一瞬ギョッとしてしまう。しかしこれは「人の叙情(不確かさ)」を、つい忘れがちになっているからであり、真実は正にこの本が指摘している通りであり見事というほかはない。「上司は思いつきでものを言う」という格言(本)があったが、これにも相互にリンクする話であろう。
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自己誘導起電力

2007-10-20 09:54:41 | 電子回路
「自己誘導起電力」

コイルの電流変化を妨げようとする性質についてもう少し考えてみましょう。LR直列回路のVL-I L特性を再度確認します。スイッチをオンすると、VLとI Lは図のような過渡特性を示しましたね。

実は、コイルに流れる電流(0Aも含む)が変化しようとすると、コイルには、その変化を妨げる方向に起電力が発生します。この起電力を自己誘導起電力といいます。自己誘導起電力の一般式は、e = -L di/dt で表されます。またこの時のコイルの端子電圧は、VL = L di/dt と自己誘導起電力の逆極性となります。

では図を参照しながらVLとI Lの関係を見てみましょう。d I L/dtが最大の大きさとなるのはスイッチをオンした瞬間です。この時の VLも最大値であり電源電圧 Vと同じ大きさとなります。コイルがもし抵抗 R であれば、VLに相当する電圧(VR)は同じ値の抵抗に分圧されてV/2 になるだけですね。コイルの場合 VL = V となるということは、自己誘導起電力 e によって電流(増加)が妨げられているということです。

スイッチオンの微小時間後においては I L は極めて小さく、抵抗R の電圧降下が無視できるとすれば、I L = ∫V/L dt であり、両辺を微分するとd I L/dt = V/L これを VL = L d I L/dt に代入すると、VL = L V/L よってL が消え、VL = V となります。

図を見ると、時間の経過と共に d I L/dt は小さくなり、これによって自己誘導起電力 e すなわち VL も小さくなり、やがて d I L/dt および VLともにゼロとなり定常状態に至ります。VL = L d I L/dtであることは図からも明らかですね。

さて、d I L/dt が小さくなるのは抵抗R による電圧降下によりコイルの端子間電圧が小さくなるからです。コイルの端子間電圧は VL ですから、コイルに電流を流そうとする端子間電圧と、電流を妨げようとする自己誘導起電力は常に一致しているということになりますね。

【2012/11/30 改訂】

関連記事:
コイルとは何か② 自己誘導起電力 2012-10-21
起電力と電圧 2009-10-16
LとCの過渡特性 2007-08-29
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対策不可能(再発防止)

2007-10-19 21:40:09 | 安全・品質
すべての事故に再発防止対策が可能かと問えば、答えはノーです。むしろ確実な対策を立て得ることの方が少ないかも知れません。このことは品質問題よりも、安全において多く言えることです。事故は常に想定外の出来事として発生します。明らかに危険がともなう行為や場所では事故は起こりにくく、一見、危険であると思えない時や場所で事故が起こるのは世の通念であり、実は極めて危険な要因があるにも関わらず、そうと思わず何気ない行動をとったときが最も危険です。

一例が、かの花火大会での歩道橋です。歩道橋が人で過密になり過ぎた。そのこと自体は将棋倒しが起きる直前まで多くは危険と感じなかったが、危ないと思い始めた頃、誰かがバランスを崩し事は起こりました。工事現場でも、10mを超える高所からの転落事故は少なく、最も多いのが2m以下の高さからの転落です。これらは、事故は想定外の所で発生することを明示していますが、この危険想定が個々人で異なることが問題を難しくしています。

というのも、ある場所で危険意識が働くのも危険を想定できるのも、過去にその場所で事故に遭遇した経験のある者に限られるからです。危険意識は事故に遭遇することによってのみインプットされ、時間と共に薄れていくということは、あまり知られていない事実です。よって、意識喚起をしているからとか、危険予知訓練をしているからといって安心してはいられません。それらは事故予防としての大きな効果を期待することはできないといえます。(むしろ、まったく効果がないと捉えていた方が安全でしょう)

だからこそ、不幸にも事故が発生した場合には、確実な再発防止対策を行わなければならないのです。事故の当事者でさえ、危険意識は時とともに薄らいでいくのですから。危険意識がほとんど無くても事故を発生させない対策は、フールプルーフとフェイルセーフ以外にありません。フールプルーフとは例えば階段や高所作業場における手すりや進入防止柵、フェイルセーフとは安全帯や墜落防止ネットです。

とはいえ、文頭に記したように、どうにも再発防止対策を講じることができない事例も多数あります。例えば、普段多くの人が何気なく通行している通路や階段で、けつまづいて転び怪我をした場合、そしてその頻度が極めて小さい場合は、これに対する再発防止を講じることは非常に困難です。このような事例報告については、対策欄に「検討中」と書いて放置し続けるよりも、「現時点では対策不可能」と明確に記すべきです。前者は何らかの対策が可能?と思わせる雰囲気が漂いますが(何もしないと言っているのに等しいにもかかわらず)、後者は対策できないものはできないと明確に言い切っています。

社用文書においては時として曖昧表現が有効であることもあるのでしょうが、こと再発防止対策においては、意味は限りなく明確でなければなりません。実際には対策不可能であるにもかかわらず、対策ができているように錯覚することが最も危険だからです。
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二元論③(戦略的退避)

2007-10-18 21:41:28 | 思索
風景も地図も共に現実で、人は時として地図から風景へ、また風景から地図へと双方向に現実逃避するんだろうね。過労死までには至らずとも、仕事にかまけて家庭を顧みないというのもたぶん現実から地図への逃避だろうね。

世の中に、菜食主義者という人達がいるけれど、あれも分かる気がするんだよ。美味しい松坂牛のサーロインステーキ。これが好きではないと言う人はあまりいないと思うけど、いったいこのステーキは何処からやってきたんだろう、という真実を順を追って考えていったら、とても美味しくは食べられないことを思い知ってしまうね。

本来なら、自分で子牛を育てて、大きくなったら「ドナドナ」の歌を歌いながらして、肉や内臓をさばいて、スーパーに並んでいるサイズに切り分けた人のみにサーロインステーキを食べる権利がある、ということなんだろうけど、そこまで人は真実に対して誠実でなければならないんだろうか?とも思う。

風景から地図へ 、また地図から風景へと、逃避することも、時には人には必要なんじゃないかとも思えてくるんだよね。それこそ、アンの夢想は地図から風景への逃避にも見れるね。でもそれによって心にエネルギーを満たすわけだからこれは戦略的退避と言うべきなんだろうね。

風景も地図も、その時代を反映して存在する。いまを生きる限り、時として一方に固着し他方を半無意識に遮断するのも人の在り方じゃないかな?でなければ、葉っぱを食べて生きるしかないものね。
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生きることの本来的目的

2007-10-17 23:01:00 | 思索
人が生きることに本来的な目的はあるか?
人であるが故に成さねばならない本来的義務があるか?

この問いには、人それぞれに多くの異なる回答を持っているだろう。例えば宗教者であれば、それぞれの教義に基づく成すべきことや在り方が定められているはずだ。彼らには明確な生きる本来的目的があり、本来的生き方が他律的に決められている。これらは絶対であり、故に彼らの行為に対し彼ら自身は一切の責任を持たない。すべては「主」の意志なのである。

これに対し、多くの神無き時代の人々は自律的に思うがままに生き、思考や行動に対しては自ら自由と責任を有している。人生の本来的目的については意見の分かれる所だろう。非宗教者であっても、運命や宿命、義務を直感しても不思議ではない。

で、僕自身はと言えば、生きることに本来的目的も義務も無いと常々思っている。というより確信している。簡潔に言えば、何かの目的のために生きるのではなく、生きることが目的そのものということである。
しかし生きるうえでの目的はこれと異なり、一人の人生を見ても多数様々なものがあり、それが人の数だけ無数にある。それは求めや欲望を実現したいという本能的衝動に起因するが、誰だって、こんな風になりたいとか暮らしたいとか思うものだ。事業に成功して金持ちになりたい、医者になって病人を助けたい、画家や音楽家になりたいなど、それらが生きるうえでの目的である。

しかし何よりもまず生きるためには飯を食わねばならない。原始時代であれば、槍や弓を持って草原を走り、逃げ惑うイボイノシシに見事槍を命中させることが、とりあえずの目的である。では現代社会ではどうやって飯を食うか。これは大いに悩むところであり、多種多様な目的の源でもある。しかしこれらは「人として生きる本来的目的」とは別次元の話である。

さて、人生には本来的目的も義務もないが、人を含め地球上のすべての生物に仕組まれている定めは幾つかある。まず、生物の固体としての寿命は有限であり、種として生存し続けるように仕組まれている。個人は僅かな時を生きるに過ぎないが、人類は長い時を延々と生き続ける。だから男と女はほぼ均等に存在し、男は女を求め女は男を求めるわけだが、これは非常に意味深である。これについては、また追々考えてみたい。
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SRAM(メモリ)の原理

2007-10-16 20:56:10 | 電子回路
(データ記憶デバイス)

Dフリップフロップの74HC74を図のように並べたこの回路は、いったいどのような動作をし、どのような意味を持つのでしょうか。

アドレススイッチ0をオンにするとクロックの立下りで、一番上の一行目(4個横並び)のHC74にデータ0~3の論理値が読み込まれますね。次にアドレス0をオフにしアドレス1をオンにすると2行目の4個のHC74にデータが読み込まれます。そしてアドレス0のHC74は先に読み込んだデータを保持し続けています。引き続き、アドレスを2、3と切替えていっても同様に、各アドレスのHC74はデータを読み込み記憶していきます。つまり図のように並ぶDフリップフロプの横の並びがアドレス行、縦の並びが4bit(4桁)のデータ列であり、このようなメカニズムでデータを記憶する回路をメモリといいます。この回路は、4つの番地(アドレス)を持つ4bitのメモリといえます。

実際のデバイスとしてのメモリはワンチップのICですが、中には無数のフリップフロップを内蔵しています。8個で8bitつまり1バイトのメモリになりますから、例えば64Mバイトのメモリは512,000,000個のフリップフロップを持っていることになります。
因みに、各アドレスのデータを自由に読み込んだり書き込んだりして使用できるメモリをRAM(Random Access Memory ):ラムといい、一度書き込むとデータを書き換えることができず、読み出し専用として使用されるメモリをROM(Read Only Memory):ロムといいます。一般にRAMは電源を落とすとデータが消滅し、ROMは電源を落としてもデータを保持し続けます。

では実際のメモリデバイスはどのようなものか見てみましょう。下の図はサイプレス社のCY7C185というRAMです。データbitはD0~D7の8ビット長、アドレスbitはA0~A12の13bit長であり、2進数でアドレス指定します。アドレスが13bitですから、このメモリは8192バイトのメモリ容量を持つことがわかります。

CE1とCE2はチップイネーブルといい、CE1=LかつCE2=Hの時にこのメモリは動作します。WE-はライトイネーブルといい、WE-=Lの時に書き込み(入力)モードになります。OE-はアウトプットイネーブルといい、OE-=Lの時に読み込み(出力)モードになります。よってWE-とOE-を同時にLにしてはいけません。設計においては、互いにL、Hが入れ替わるように周辺回路を構成します。

関連記事:74HC74の応用(カウンタ) 2010-04-07
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ソラリス

2007-10-15 21:47:02 | 音楽・映画
監督 スティーブン・ソダーバーグ

惑星ソラリスの軌道を周回する宇宙ステーション「プロメテウス」が通信を絶った。最後の通信には、精神科医クリス・ケルヴィン博士に助けを求めるSOSのメッセージが送られていた。なぜ心理学者であるクリスに?ソラリスに赴いたクリスが発見したものは科学者2名を除く船員達の死体であった。
(解説より)

画像の切り取り、アングル、配色、画面の息遣い、これはもう明らかにソダーバグの映像。スタニスラウ・レムの原作を読んで、タルコフスキーの「惑星ソラリス」を観た時にはがっかりさせられたが、この「ソラリス」は筋金が入っている。見かけ上のジャンルを越えているので視点は全く異なるのであるが。しかしソダーバーグにラブストーリーをやらせると、どうしてここまで天才的なのか?レムの原作を骨格として借り、あの「セックスと嘘とビデオテープ」の切り口をドラスティックに変えて見せられているような気もする。とにかく片時も目が離せず、あっという間に時間が過ぎるが、観る側の緊張感の継続によっては途中で息切れするかも知れない。しかし見終えた後の充足感にやや欠ける。十分説明しきれていないのである。もう一押しが欲しかった。これをSFのジャンルに入れようとすると、とんでもない駄作にもなりかねない。
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