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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

西本智実のドヴォルザーク「新世界」

2010-03-09 22:10:48 | 音楽・映画
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 作品95 「新世界より」
演奏:ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:西本智実

この曲を耳にしたのは、いったいどれくらい前のことだったろう。思い出せないくらい前のことに違いないが、当時は何度も何度も繰り返し聴き込んでいたことを覚えている。もっぱらカラヤン指揮ベルリンフィルの演奏だった。だからカラヤンの解釈によるこの曲の楽想を長年概念として持ち続けて来たのだが、この西本智実による演奏を聴いて目から鱗が落ちた。

新鮮。まずはこの一言。そして、洗練。それだけではない、曲に対する西本智実の確信がハッキリと分かる。曖昧を排除し、潔く“こうだ!”という指揮ぶりは大いに頷ける。これはショスタコーヴィチやチャイコフスキーなどの演奏にも通じるものであり、西本智実が本物であることを、こんどはこちらが確信するに至った。よくもまあ、あのか細い腕からこれほど力強い音を引き出すものだ。指揮台の上の彼女を鬼神と称する所以であろう。このドヴォルザークの「新世界交響曲」は種々多様な魅力的フレーズで全体が構成されている名曲だが、それら各々に絶妙の表情を与え、曲全体を完成させている西本智実に賞賛の拍手を送りたい。疑いなく現代の名演奏のひとつに数えられるだろう。弦による短く穏やかな開始から一瞬の間をおいて強く叩きつけられるティンパニ、それですべてが決まった。
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西本智実の「革命」

2010-01-26 00:50:56 | 音楽・映画
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ニ短調「革命」

指揮:西本智実
演奏:ロシア・ボリショイ交響楽団 ”ミレニウム”

何はともあれ驚いた。まずはこの一言。指揮者の仕事は延べ100人の野郎ども、百戦錬磨の猛者たちに指示を与え思うように操ること。さて弱冠33才の女性にこの仕事がどこまでできるのか?

まあお手並み拝見と高を括っていたが、西本智実、恐るべし!曲が始まるやいなやガチンと強烈なパンチを食らった。さぞかし線も細かろうという予測も見事に外れ、実に無骨な音が出現した。足取りもしっかりしており盤石の構え。特に管楽器がよく鳴るのだが、ただうるさいだけではない。管弦共にでかい音は限りなくでかく、小さい音は消え入るように小さくともしっかりと存在している。さすがにロストロポーヴィチなどと比べると底が浅く思えるが、西本智実はこの曲をずいぶん勉強しただろうことが覗えるし、バーンスタインやロストロポーヴィチなども研究したのだろう、西本智実はこの曲の心を掴んでいる。やや荒削りではあるが、全体に実にバランスのいい聴き応え十分な名演奏だと思う。

さらに、カップリングされているチャイコフスキーの「序曲1812年」がまた良い演奏に仕上がっている。ショスタコーヴィチ同様、オーソドックスだか堂々として味わい深い。好きな曲なので、スヴェトラーノフ、カラヤン、ドラティ、デュトワ、オーマンディ等々、色々な指揮者の演奏を聴いたが、個人的には一番好きなスヴェトラーノフと双璧。「革命」も「1812年」も何度も聴きたくなる、多からぬコレクションの一つに加わった。
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五嶋みどり、のチャイコフスキー

2010-01-22 01:50:15 | 音楽・映画
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35
演奏:五嶋みどり(ヴァイオリン) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:クラウディオ・アバド

名曲、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。こいつは驚いた。五嶋みどりのこれほどの横綱相撲にはムターも諏訪内もヴェンゲーロフもぶっ飛ぶだろう。まるで足に根が生えたかのような安定感はどうだ。と言っても、「どうだ!」というような力みなどまったく無く、いたって素直に楽想のままに演奏している。音の贅肉を極限まで削ぎ落としてシェイプアップしているので、グラマスなムターの演奏などに慣れていると、線が細いようにも感じるが決してそうではない。ゆったりと開始し、十分に間を持たせた運び方は実に堂々としている。むしろ図太い。正統的かつ完成度の高いヴェンゲーロフの演奏に近いようにも思えるが、五嶋みどりの確信が穏やかに、ハッキリと語られているのがよく分かる。決定版といえば、この協奏曲の決定版ともいえそうだが、そもそも音楽とはそう決めつけるものでもないだろう。演奏グレードが要求レベルに達していれば、時には諏訪内で、時にはツィンマーマンで、時にはムターで聴きたい場合もある。音楽を聴く時の心持ちはその時々で違うのだから。とはいえ、五嶋みどりのこの演奏はこの先聴く機会が増えそうだ。Amazonの商品説明に「カーネギーホール100周年記念コンサートでの歴史的演奏の記録」とある。良質な録音によるライブ版だ。
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悪魔のトリル

2010-01-05 20:21:11 | 音楽・映画
演奏: アンネ・ゾフィー・ムター
ジェイムズ・レヴァイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

このチャーミングな名を持つヴァイオリンソナタが、今まで聴いたすべての曲の中で一番好きかも知れない。作曲者タルティーニの夢枕で悪魔が弾いた曲という逸話も、あながち作り話ではないようにも思えてくる。それほどまでに、この世のものと思えぬ怪しい美しさを持つ曲だ。霊感という言葉は、あまり日常的に使われないが、この曲にこそふさわしい。深淵な短調の旋律には神的、霊的なものを感じずにはいられない。

ジュゼッペ・タルティーニ(Giuseppe Tartini)
出生:1692年4月8日 死没:1770年2月26日(満77歳没)

ジュゼッペ・タルティーニは、イタリアのバロック音楽の作曲家・ヴァイオリニスト。
おそらく、タルティーニの最も有名な作品は《悪魔のトリルDevil's Trill sonata》であろう。このソロ・ヴァイオリンソナタは、数多くの高度な技術を要求されるダブルストップのトリルが必要とされ、近代の規範をもってしても難易度の高い曲である。今日の研究では作風の考察から1740年代後半以降の作との説が有力である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

さて「悪魔のトリル」、誰の演奏で聴こう。ここはやはり、グルミョーかムターだろうな。ムターの演奏は非常にアクが強いものだが、それがこの曲には絶妙にフィットする。まるで彼女のために書かれたのではと思わせるほどだ。
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ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集「四季」

2009-12-10 22:31:28 | 音楽・映画
演奏:アンネ=ゾフィー・ムター、トロンヘイム・ソロイスツ

とあるコラムに、ムターのこの四季は好き嫌いが別れるだろうと書かれてあったが、初めて聴いたときにはなるほどと納得した。

「四季」はイ・ムジチ合奏団の模範的演奏をリファレンスとして、もっぱら他の演奏を聴いているが、その観点からのムター盤は、強烈なパンチと癖の強さにまず驚かされた。これは最初の印象として決して心地よいものではなかった。しかし人の驚くべき順応性はどのような場合にも働くようで、苦手なものもやがて好物に変わっていくのは不思議としか言い様がない。もう二度と口にしたくないと思ったミョウガが、今では冷奴には欠かせないと思ったり。

ともかく、多少の我慢をこらえて何回か聴いているうちに、うまうまとムターの思うつぼにハマった。これが世に言うところのムター節なのであろう。こうなってしまうと、イ・ムジチの模範演奏ではまったくもって、もの足りない。

ムターの四季は非常に人間臭い、つまり音楽の中にムターの主張がふんだんに投入されているのだ。これはおのずと、共感する人と拒絶する人に別れるだろう。これはソロ部において最も顕著であるから、春の二楽章、夏の二楽章、冬の二楽章は、現時点ではムター以外のものは聴きたいとは思わない。玄人好みの「秋」。イ・ムジチの演奏ではつまらないので、よく「秋」だけを飛ばして聴いていたが、ムターなら聴ける。そして、実は「秋」がソリストが最も頑張る曲であったことに初めて気づいた。「秋」は、これくらいのインパクトが必要なのだ。(余談だがカルミニョーラの秋もいい)

「冬」の一楽章では、ムターは思い切った試みをしている。これにはまいった。あんた、いくらなんでもこれはないでしょと最も違和感が強かったが、それも今では、これもあり得るなと思うようになった。むしろ一般的な演奏と同様に心地よい。その他、ムターのすべての演奏について言えることだが、演奏に込められた生々しく強い主張、つまりムター節、これにハマるかどうかということだろう。

(関係ないが、一度ムターに指揮棒を持たせてブラームスなどをやらせてみたい気がする。すごいことになるのではないだろうか。)
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踊れ!アミーゴ

2009-11-27 01:43:59 | 音楽・映画
クレヨンしんちゃん「伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ」

公開:2006年
監督:ムトウ ユージ

ここまで質が落ちてしまうと、「劇場版クレヨンしんちゃんシリーズ」という1つのワード(範疇)に全作品を収めることが極めて困難になります。必ずしも時系列で分割することもできませんが、アニメ史上に燦然と輝き後世に語り続けられるだろう名作と、本作のように内容らしい内容も無く、一日を待たずして忘れ去られるような凡作以下のものを、共に「劇場版クレヨンしんちゃん」と捉えることに大きな抵抗を感じています。

もちろん製作側はそんな格付けやジャンル分けなどするはずもないので、これは自分の中でやるしかありません。とはいえ、一歩引いて、あえてすべての作品をシリーズ全体として眺めれば、絶壁のような落差が存在する極めて稀なシリーズといえ、その点をシリーズの独自性と捉えるなら(そうであって欲しくはないですが)、大変興味深くも思えます。

ふと、素朴に思ったのですが、居並ぶ名作を立て続けに放った製作者達が、そのすべての手法について、手のひらを反して見せたのが、この「アミーゴ」なのだろうかとね。意図は分かりませんが。
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クレヨンしんちゃん「暗黒タマタマ」

2009-11-01 15:05:35 | 音楽・映画
「暗黒タマタマ大追跡」

公開 1997/4/19
監督 原恵一

これも見事な作品。完成度は前作「ヘンダーランド」と双璧、いやむしろ熟成という点で本作が頭一つ越えているか。一般に、秀逸な前作を総合的に凌ぐのは至難のワザだと思われるが、よくぞやってくれた。製作スタッフに賞賛の拍手を送りたい。「しんちゃん像」をしっかりと固定したうえで、いずれ劣らぬ巧妙な組み立てが成されており、この両者が劇場版シリーズの中で最も「クレヨンしんちゃん的」作品と言えよう。クレヨンしんちゃん、ってどんなアニメ?と聞かれたら、この2本のどちらかを差し出せばいい。

とはいえ、主題はしっかりキープしつつ、内容は別物に仕上がっている。本作は「ヘンダーランド」よりもダークな雰囲気を漂わせ、ストーリーもシリアス。またすべての登場人物のキャラクタ造りと演技が素晴らしく、絶妙の味付けが施されている。細部まで入念に作り込まれていながら、アップテンポになると片時も見逃すことのできない手に汗握る、まるでコークスクリューコースターのような展開になる。途方も無いと思える強さの敵を最後には仕とめる主人公達の手法もお見事。それでもまだ終わらないということろはご愛嬌か。というような理屈はともかくとして、スーパー銭湯での追っ手の登場シーンに屈託無く笑わせてもらえれば、それだけでも本作を鑑賞する価値は十分にある。



フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡』(クレヨンしんちゃん あんこくタマタマだいついせき)は、1997年4月19日に公開されたクレヨンしんちゃんの劇場映画シリーズ第5作目(映画化5周年記念作品)。本作品から監督が本郷みつるから原恵一へと変更となった。上映時間は99分。興行収入は約11億円。原作者の臼井儀人がタイトルを付けた最後の作品。また、臼井儀人が出演した最初の作品でもある。野原家の長女「野原ひまわり」の映画初登場作品。来場者プレゼントはひまわりの種が付いたノートだった。
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クレヨンしんちゃん「ヘンダーランド」

2009-10-25 01:47:01 | 音楽・映画
クレヨンしんちゃん「ヘンダーランドの大冒険」

公開 1996年4月13日
監督 本郷みつる

抱腹絶倒とはまさにこのこと。いやあおもしろい。テンポも抑揚も展開も実にいい。ダイナミックなアクションや構図も素晴らしい。細かいところまで作りこんであり、無駄なカットは一切ない。不条理演劇が成功している好例でもあり、知性的なギャグに大笑いさせられる。またメジャーからマイナー、マイナーからメジャーへの変調タイミングが非常に巧妙。それから「音」。人はどのような音に、どのような感情を抱くのか、正確に分析されている。テクニックを語れば切がない。と同時に深い内容もさりげなく持っていて、ふと気づけば、「う~ん」と考えさせられる。アクションビームもカンタムパンチもまったく歯が立たない敵、ス・ノーマン・パーが何故あんなものに倒されるのか?これはボスとの初戦でも再現される。思えば、人が人を超える時というのは確かにあるのだ。ここまで手を抜かずに作り上げられている本格的作品はもはや芸術の領域といえよう。

「ハイグレ魔王」に始まる、劇場版しんちゃんシリーズは回を追うごとにレベルを上げてきたが、本作で急上昇した。そして「暗黒タマタマ」「ブタのヒヅメ」と続き、「温泉わくわく」というトラップはあるものの「ジャングル」で復活、そして「オトナ帝国」「戦国大合戦」の金字塔へとつながる。もし、劇場版しんちゃんを観たことがない人に最初の一本を薦めるなら、隠れた名作「暗黒タマタマ」か、この「ヘンダーランド」を推すだろう。
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クレヨンしんちゃん「温泉わくわく」

2009-10-11 03:26:09 | 音楽・映画
クレヨンしんちゃん「温泉わくわく大決戦」
公開 1999/4/17
監督 原恵一

いまだに信じ難いのですが、これが、本当にあの「暗黒タマタマ」や「戦国大合戦」「オトナ帝国」を監督した原恵一の作品?と思わず呟いてしまいました。クレヨンしんちゃんは一貫して、ストーリーや描写の中に、主題としての家族の絆や家族愛が強く語られているのですが、本作にほとんどそれが感じられることはありません。これがいつもの野原一家とはとても思えないのです。ラストではまるで押し売りかのように「家族!」「家族!」「家族!」と彼らは連呼しますが、絵はそれをまったく伝えてくれず、言葉はむなしく消え去ります。しんちゃん流のウィットの効いたギャグも皆無に近いと言えます。オリジナリティも非常に薄く、ネタのほとんどが多方面の既存作からの流用です。およそ「作品」から伝統と新しさを取去れば一体何が残るのでしょう。本作はこの問いにあっけらかんと答えています。つまりもっとも重要な「魂」が入れられていないのです。本当に「しんちゃん映画」シリーズとしては珍しい、底の浅いドタバタ喜劇ですが、一体何を狙ったのでしょう。小学生の低学年辺りなら楽しむかな?とは思えます。ただ、まったく別の観点から、これが「嵐を呼ぶジャングル」「オトナ帝国」と続く、一転してグレードの高い作品の一作前であることは大変興味深くはあります。たぶん何か事情があったのでしょうね。
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クレヨンしんちゃん「戦国大合戦」

2009-10-04 23:48:46 | 音楽・映画
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦」
2002年4月20日 劇場公開
劇場映画シリーズ第10作目(映画化10周年記念作品)
監督:原恵一

前作「おとな帝国の逆襲」も名作として名高いが、この「戦国大合戦」は正にアニメ史に残る名作と言えよう。非常に良質なラブストーリー。これに、しんちゃん的テイストを加えることでオリジナリティ溢れる作品になった。ただしこの作品に限り、しんちゃんが脇役にまわっているので、しんちゃん映画シリーズの番外編とも捉えられる。よって、しんちゃん流の爆笑は無く、ウィットの効いた軽い笑いがさりげなく散在している。

問題のラストだが、よほどの偏屈でない限り、鑑賞する側は廉姫と又兵衛が結ばれてほしいと思うし、制作側もそれがわかっているから応えようとするわけだが、そのため(二人を結ぶ)にこの舞台設定では、又兵衛にこの最後の演技をやってもらうのが最も自然なのだろう。だから頷ける。これは結ばれ得る本質的形態の一つで、究極。

しかしながら、誰に観せるのかという意味(大きな問題)では、制作者は確信犯でもあるから、お小遣いをもらってこれを観に来た小中学生の良い子達に対しては、「ごめんなさい」と謝らなければならないだろう。
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「運命」の基準

2009-05-18 00:13:21 | 音楽・映画
ルードヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン
交響曲 第5番 ハ短調 「運命」
交響曲 第7番 イ長調

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

録音:1976年10月 1977年1、3月

今更ながら驚いた。これは押しも押されぬ「運命」の名演奏である。超名演といってもいいだろう。また、この演奏と共にカラヤンが20世紀を代表するベートーヴェン演奏家の一人であったと再認識できる。これは「英雄」や「第九」を聴けば更に頷ける。30年以上前のアナログ録音だが音質はまったく問題ない。一般に1970年代以降の録音であれば、音質はまず大丈夫と考えていいだろう(60年代から70年代にかけて「録音技術」は急速に進歩し、80年代にピークに達している)。さて演奏の方であるが、数ある名演奏(曲が曲だけに)の中でもこの「運命」と勝負できるのは、クライバーかフルトヴェングラーくらいではないかと思う。果てしなく長い演奏史における数々の試みによって、洗練され積み上げられてきた「運命」の一つの完成体ではないか?とも思える。しかしカラヤンとベルリンフィルの コンビは、彼らならではの不思議な音を出す。もちろんそれが名演奏の一つの要因でもあるのだが、分厚いボリュームを持ちながら軽快な音、適度な残響も関係しているだろう。”不思議な”と言ったのは他の演奏家のどのレコーディングを聴いても、滅多に聴くことのできない音だからだ。これはブラームスを聴いてもワーグナーを聴いてもチャイコフスキーを聴いても同じ。不意に聴いてもこれはカラヤンだとすぐに分かる。録音の問題もあるだろう。恐らくカラヤンはレコーディングの技術や手法にも相当こだわったに違いない。次に「七番」であるが、これがまた実に素晴らしい。好敵手としてぶつかるのは、またしてもクライバーではないかと思う。以上、少し強調が過ぎたかも知れないが、「運命」「七番」について、カラヤンとクライバーが相当な高みに達しているのは間違いないだろう。(フルトヴェングラーも独自の凄さをもっているが、音質が遠く及ばないので初心者の方々は避けた方がいいと思う)
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「運命」的音楽資料

2009-05-10 23:12:37 | 音楽・映画
ルードヴィヒ・ファン・ベートーヴェン
交響曲 第5番 ハ短調「運命」
交響曲 第7番 イ長調

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:サー・ゲオルグ・ショルティ

録音:1958年9月、10月

う~ん、良いところもあるし慣れなどもあるのだろうが、この「運命」の価値は?とまず考えた。これも商品なのだから一般論として価値が無いはずがない。子供の落書きでも、それがピカソの描いた絵なら価値がある。そういう意味で、この演奏は音楽そのものより、音楽を知るための資料としての価値が大きいのではないかと思う。あえて演奏内容について言うなら、非常に単調で無機的、まるでロボットが演奏してるかのような音楽(?)。威勢よくでかい音をガンガン出してくるが内容はどうにも薄っぺらい。初めは録音が古くて、有るべき音が消えてしまったのか?とも思ったが、いやいやそうではない。もっと音の悪いフルトベングラーのモノラル盤でも音楽は十分成り立っている。名曲、名演奏に関しては高級オーディオでもラジカセでも同じこと。つまり単なる音と音楽は別物で、音は物理現象、音楽は精神現象といえる。しかし実際はこの「運命」もショルテイとウィーン・フィルの協調という精神現象なのだから、もしこれが指揮者の要求したものなら、さぞかしオケは戸惑ったことだろう。オケが半ばヤケクソでになってるかのようにも聴こえてくる。直前にノイマンの非常にスタンダードな演奏を聴いていたので、ダメージがよけいに大きかったのかも知れない。とはいえ、もしこれが後々にクライバー等によって命が吹き込まれ、あの不動の名演につながる原型であったと考えるなら、世の中の目を開かせたという意味での功績は極めて大きいだろう。正に”運命”的演奏と言え登場してくれたことに大いに感謝したい。結論として、初心者の方々は言うに及ばず、もう何回も聴き込んだというベテランの方にもあまりお薦めしたくない。ただし、プロの演奏家や研究者あるいはマニアの方は必聴に値する一品かも知れない。聴けば話題が尽きることはないだろう。
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こんばんわ

2009-02-16 23:02:43 | 音楽・映画
リトマス試験紙の、”リトマス”ってコケの名前だったんですか。これは知りませんでした。地衣類というのも耳慣れない言葉ですね。僕が知らないだけか。(笑)

しかし酸性雨も、ひと頃ほど騒がなくなりましたね。幾らかの環境対策で大気汚染が軽減してきてるのかな?今は環境問題というと、もっぱらCO2ですね。CO2は温暖化の一説に過ぎないという、養老猛司教授などもいますが。既に手遅れという説もあるようですが、実のところは、我々には知る由も在りませんね。

映画「羊達の沈黙」。
そうなんですよねえ、アカデミー賞を総ナメにしてるんですよね。まあ、芸術品の評価はたぶんに個々人の主観によるところが大きいですが、僕はあれ以来アカデミー賞には懐疑的です。やはりカンヌ映画祭辺りの方が裏切られることが少ないような気がしますね。

バレンボイム盤はまだ手元に届いていません。バレンボイムの「ゴールドベルク」に慣れたら、コープマンのチェンバロに挑戦しようかと考えています。モーツァルトの「レクイエム」では、なかなか面白い演奏を聴かせてくれたので。
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アウエルバッハ

2008-12-15 20:26:10 | 音楽・映画
「-追伸-」の記述で、当惑させちゃってごめんなさいね。日記の主張とおりの、「女性専用車両」の奇妙さに、つい日頃漠然と感じている現代社会全体の奇妙さを考えてしまいました。

コンサートは、諏訪内晶子と岩城宏之なんですね。アウエルバッハは初めて名前を聞いたので、ネット検索で調べたところ、ジュリアード音楽院で諏訪内と同学年だったらしいですね。新作の「ヴァイオリンコンチェルト」が始めて音になるということで、諏訪内自身もとても楽しみにしているようです。

気の無い、こねこさんをよそに、何だかとっても羨ましい気がします。どんな音楽なのか興味津々です。

諏訪内晶子は僕はけっこう好きで、例えばシベリウスの協奏曲をクレーメルと諏訪内で聴き比べたのですが、僕は諏訪内の方が好きでしたね。また、彼女の「メンデルスゾーン&チャイコフスキー」の有名なCDがありますが、あれはこの2曲のリファレンスになるんじゃないかと思っています。ついでに言うと、ヴェンゲーロフのチャイコフスキーは、これに勝ると思っています。

「宇野功芳氏が入れ揚げているので、逆に胡散臭さを感じてしまいます。」

あはは、気持ちはとても分かります。坊主憎けりゃ袈裟まで、ってところありますよね。でもまあ、百聞一見にしかずってこともあるし、宇野功芳も、たまには当たりを言うこともあるかも知れませんよ。
(^^)

ではでは。
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レストタイム

2008-12-10 23:15:29 | 音楽・映画
そういえば、例のコンサート、今日だったんですね。「諏訪内さんにブラボー」の日記も見せていただきました。いつものように、思いをそのままに明瞭に記述されるこねこさんの文章を久々に堪能させていただきました。潔さというのか、信念への確固たる自信というのか、読んでいて気持ちがいいですね。

その語り口で説明されていた今日のコンサートも、場の雰囲気や諏訪内晶子の音色や、岩城宏之のチンドン屋の様子がありありと見えるようでした。

生で聴く、諏訪内のヴァイオリンの音はホントに素晴らしかったでしょうね。こねこさんの表現を読んでいると、音楽に感応する心が、僕なんかよりも、ずっと生き生きと息づいてるんじゃないかなって思えてきます。

でもホントに羨ましいなあ。良質のものであれば、なおのこと生で聴きたいですよね。僕の再生装置も2万円のミニコンポですから、音質など高々しれています。で、実は、この点僕なりのテクニックがあって、これは、と思うような演奏に出会ったら、MDに落として、MDウォークマンで聴くようにしているのです。鼓膜の直近で振動するイヤーフォンの音は、安物のスピーカーよりずっといい音がしますよ。
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