electric

思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

ゼロの呪縛からの脱却

2007-08-31 22:01:19 | 安全・品質
我々は組織力をもって事を成す。企業において一個人によって成しえる仕事などまずありません。どのような成果も、組織を構成する個々の有機的繋がりによる総合力によって生み出されるのです。とするなら、柔軟にして活力あふれる組織が、組織のあるべき状態であることは言うまでもありません。この組織の活力は比較的シンプルな関数として表すことができます。一般に、規制を強化すると組織は停滞し、規制を緩和すると組織は活性化します。ここで大きなポイントとなるのは、理想を求め過ぎないことではないかと考えています。完璧な正義ではなく、ごく少数の悪を活力維持のためにあえて温存するのです。これは組織の懐の深さでもあるでしょう。

職場における「ゼロ災害」や「ゼロクレーム」は標語としてよく見かけますが、恒久的なゼロが実現し得ないことは科学的知見からも言えることです。航空機の墜落する確立は100万フライトに1回と言われています。実際、やっきになってゼロゼロと声高に叫んでいる職場ほど災害やクレームが多いのもです。ゼロは実現不可であると謙虚に認め、具体的な目標値を定めて、それをクリアする努力を地道に続けている職場こそが事故やクレームの発生率を低減させることに成功しているのです。

何故か。これは少し考えれば分かります。目標値には根拠があり、よって対策が具体的なものとなります。しかしゼロにはまったく根拠がありません。よって対策も根拠の無いものにならざるを得ないということですね。
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ブルックナー第8

2007-08-30 21:05:56 | 音楽・映画
時としてブルックナーの響きに、心が霊感を覚えるかのように震えることがある。それはほんとに希なことなのだけれど、あの和音の響きと短いフレーズの美しさに、そんな力があるのは確かだ。そのように曲と同化して震えるとき、自分の感性が他の曲を聴くときとは異なった次元に在ることに、フト気づく。例えば、他の曲を聴く時と同じ感性で、この第8交響曲を聴けば、聴こえてくるのは、4楽章の冒頭部、中間部のティンパニーの行進、3楽章の一発のシンバルとともに立ち上る天国的響き、2楽章の恥ずかしい笑い、そしてミレドと終わる致命的フィニッシュ、それだけ。他は何も聴こえない。
音楽は時として、笑いを呼び起こすこともできる。それは愉快というよりも恥ずかしくなるような笑いで、心地よいものではない。それをモーツァルトは「音楽の冗談ヘ長調」で、逆テクニックとして示して見せた。これはやってはいけないよ、と。ところがブルックナーは平然として、至る所にその”冗談”を置いているかのようだ。むろん彼にとっては冗談ではなく、クソ真面目にやってるに違いないが。日常的感性で聴くなら、第8、第9交響曲の2楽章は恥ずかしい「笑い」であり、第8のフィニッシュは、「ミレド、ミレド、ミ・レ・ド」とはしてもらいたくないのである。
しかし、感性の次元がブルックナーの側にシフトした時、世界が反転する。そこに聴こえる響きは全て神々しい輝きを放つものとなり、それが有限空間に緻密に詰め込まれた一群に変わる。開始や途中や終了など実は無いと言っていいほど希薄であり、瞬間の和音の響きに最も多くの意味がある。刹那に消えていくこの響きと同化する至福の感覚、この先何回味わえるのだろうか。いやはや困ったものである。
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LとCの過渡特性

2007-08-29 21:31:23 | 電子回路
図の2つの回路において、スイッチを入れた時の「過渡特性」をグラフに示します。

コイルの端子電圧VLは電源電圧Vから減少し始め、一定時間後に0Vとなります。回路電流ILは0Aから増加し始め、一定時間後V/R(A)に達し安定します。

コンデンサの端子電圧VCは0Vから増加し始め、一定時間後、電源電圧Vに達し安定します。回路電流ICはV/R(A)から減少し始め一定時間後に0Aとなります。

このように、コイルとコンデンサは互いに鏡像のような特性を示しています。まるで利き腕が逆の、双子の兄弟のようですね。

さて、角速度:ω[rad/sec] において
ωL=R 1/ωC=R のとき
ω=R/L ω=1/CR

よって
1/ω=L/R 1/ω=CR

この 1/ωを「時定数」といい、T[sec/rad]で表します。

LR回路の時定数:T=L/R
CR回路の時定数:T=1/CR

スイッチオン時を0[sec]とすると、T[sec]において

IL=0.632×(V/R)
VC=0.632×V

と、共に最大値の63.2%になります。

関連記事:
絵で見るコイルとコンデンサの過渡特性 2010-11-11
コイルに定電圧、コンデンサに定電流 2010-02-28
LC共振回路 2007-10-03
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何処の塔

2007-08-28 23:42:24 | 思索
月は王女が話しかけてくれるのをとても嬉しく思い、また自分の話を王女が聞いてくれるのをとても嬉しく思っていた。悲しい話を聞くと月も悲しくなり、楽しい話を聞くとまた月も楽しくなった。

ずっと頑丈な塔の中にいて、小さな窓から控えめに顔を覗かせていただけの王女が、ある時、不意にベランダに出て、そのつま先までの姿が星の光に照らされているのを月は見た。
夜風に吹かれ髪がなびくその姿は、時に小さくダンスを踏んでいるようにも見えた。ほのかな幸福感が月を満たした。

しばらくして俄に湧き出た積乱雲が王女と月の視界を遮った。
次に雲が途切れた時に、そのベランダにもう王女の姿は無かった。
月は懸命に王女をさがした。長くいた塔に戻ったのかと小さな窓から見える範囲をくまなくさがした。
ところがよく見ると、ベランダから塔に戻るドアが何処にも無いのに気が付いた。この塔にはもう王女はいない。

沢山の塔がある。渡り廊下をつたって王女は何処かの塔に入ったのだ。月は大きく身を引いて見渡した。
更に多くの塔が地平線まで続いているのが見えた。

月はただポッカリと夜空に佇んでいる。
月はフッと小さな溜め息をつき、小さく微笑んだ。
そして胸のポケットからタバコを一本取り出し火をつけた。
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できる

2007-08-28 22:34:50 | 思索
前できたはずのことが今は何故かできない、自分にはもう、できなくなってしまったのか、そんな焦りや恐怖にさいなまれることがあります。でも心配はいりません、元々持っている能力は決して死なないのです。できないのは能力が無くなったのではなく、何らかの理由によって停止しているだけです。そして今は止まっていても必ず復活します。チャイコフスキーやラフマニノフも、そのような苦悩を越えて多くの名曲を創作しました。

アニメ「魔女の宅急便」でも主題の中でこのことが表現されています。飛べなくなった魔女、キキもラストではデッキブラシに乗って空高く舞い上がります。

しかし元々持っていない能力や、老化によって失われていく能力も確かにあります。では、あることができない時、それは能力が停止しているだけなのか、それとも元々能力を持っていないのか、あるいは能力が失われてしまったのか、どのように判別すればよいのでしょう。実は判別の基準は意外と簡単です。それは、できないことを辛く感じるかどうかです。

レッドソックスの松坂が投げる球を打てないとき、あなたは悔しいと感じると思いますか?私は全然悔しくありません、私には元々そんな能力は無いからです。相対性理論を数式で証明できないとき、あなたは悔しいと感じますか?私は全然悔しくありません、私の中にそんな能力は無いからです。
ならば、もしあなたが、できないことを悔しく、辛く感じる何かがあるなら、裏を返せば、あなたにはそれができる能力があるということです。できないのは能力が無いからではありません。能力がただ眠っているだけなのです。そしてそれは目覚めの時を待っています。
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信用するスタンス

2007-08-25 21:49:00 | 安全・品質
管理者が社員に対して次のように言ったとしましょう。
「お前たちはいい歳をした大人だ。何が良くて何が悪いか、どんなことが危険でどうすれば安全か、自分で考え判断できて当然だ。自分の行動には責任を持て。我々が経験上知りえている重点事項や要点は教えよう、それ以外のことはすべて自分で判断して行動せよ。」

さあ大変なことになりました。社員たちのやる気や積極性が一気に活性化する反面、言われた通りではなく自分で判断して行動するのですから、結果に対しては自分が(も)責任を負わなければなりません。これは少なからぬプレッシャーですが、だからこそ社員は真剣に物事を考えるようになります。こう発言した管理者は「社員を信用する」スタンスに基づいています。どのような問題にせよ最終的にはすべての責任は管理者にかかるのですから、信用するスタンスに立たなければ、このように発言することはとてもできません。中には危うい部下もいます。しかしあえて信じてやるのです。驚くべき方法の発想や新技術の出現や、安全レベルの飛躍的向上の可能性はこの中にあるのです。

片や、社員の行動を微に入り細に入りこと細かく指示し、あるいは規制し、僅かなエラーも許さないとする管理方法があります。ルール違反はないか、サボっている者はいないかと、常に目を光らせ、パトロールし、時には個人のロッカーまで空けて中を調べる。このような管理者は「社員を信用しない」スタンスに立っていると言えるでしょう。社員は窮屈には感じても、とにかく言われたことさえやっていれば文句を言われることはないのだから、気は楽です。しかし社員個々の活力は著しく低下し組織全体を沈滞感と閉塞感が占めます。よって言うまでもなく、驚くべき方法の発想や新技術の出現や、安全レベルの飛躍的な向上の可能性は固く閉ざされることになります。

対照的な二つの管理方法とそれにより発現するものの差異。こういったことは安全のみにとどまらず、仕事の取組み方、進め方、会社人としてのあり方等、多くの事柄に通じることでもあります。
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感情のスイッチ

2007-08-25 13:27:17 | Theme
頭の中にはいくつかの感情のスイッチがあります。喜び、悲しみ、怒り、不安、恐怖、等の感情は各々のスイッチがONになることによって発動されるようになっています。またスイッチに対応するボリュームもその隣にあります。喜びや怒りのスイッチがONになってボリュームが最大になれば発生した感情は興奮へと至ります。不安や恐怖のボリュームが最大になればその感情はパニックへと至り、悲しみが最大になれば精神活動の停止へと至ります。

これら全てのスイッチがOFFの状態が平静です。このスイッチ群は必要に応じて自動的にON-OFFするように制御されており、この切り替わりによって人は人らしく表現されているわけです。また全てのスイッチは必要であるからこそ用意されているのです。

普段の日常活動においてはこれらのスイッチはOFF、つまり平静を継続していますが、音楽でも、映画でも、本でも、絵画でもまたテレビのニュースや、あるドキュメントに触れた時など、つまり外からの入力信号によってスイッチがONになりますね。ここがポイント。スイッチは外部入力によってONとなるのです。

ところが何らかの理由によって体内の制御システムが故障した場合、外部入力が無くともスイッチがONとなることがあります。さしたる理由もなく不安になったり、悲しくなったり、腹が立ったりイライラしたり、また逆にウキウキしていたり、ということが起こるようになります。ボリュームも勝手気ままに上下動をはじめます。これは非常に困ったことです。また非常に辛いことです。

多くの精神・神経障害は、このスイッチ群の勝手気ままな振る舞いによって症状として現れ、直接原因はスイッチの故障と考えられます。しかしメカニズムが解明できれば、故障の箇所を修理し正常なメカニズムに戻せるのが人の叡智です。

大きく二つの方法があります。一つは環境改善の方法です。スイッチも構造物ですから過酷な使い方をすれば故障してしまうのも当然でしょう。そのスイッチにとって劣悪な環境を排除し十分な時間をかけて休息させてやればスイッチは自己回復を始めます。もう一つは生理学的方法です。スイッチとは何かとその正体を問うと、脳内の情報伝達物質であることは周知の通りです。スイッチの故障とはこれらの体内物質の不足や過多ということですからそれが適正量を保つように調整してやればよいわけです。これが向精神薬の役割ですね。
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安全保証、品質保証

2007-08-23 22:30:26 | 安全・品質
如何に事故を発生させないかという問題は、人間が社会活動を始めて以来、また生産活動を始めて以来、果てしなく長い時間を経て考え、検討され、対策が試みられて今日に至りますが、その方法論は地域、文化によって基本的考え方に異なりが見られます。

例えば日本においては、古来より「精神一統何事か成らざらん」「心頭滅却すれば火もまた涼し」など精神論に負うことが多く、「本質的に事故はゼロにできる」とする考えが現在も少なくありません。これに対し、西欧では、「本質的に事故は必ず起きる」故に事故発生を最小に抑える努力が必要であるとし、現在も安全保証、品質保障において、この基本論が大勢を占めています。この思想をベースとし、今や品質保障の世界基準となっているISO9000は有名で、日本でも大きな広がりを見せています。

方法の一つに熟達者のスキルに品質保障を負うというものがあります。例えば、免許取立てのドライバーは、ポンポンとよく車をぶつけますが、運転歴20年のベテランドライバーは滅多に車をぶつけるものではありません。この観点からは、品質保障を熟達者のスキルに負うことも、それなりの成果が得られる方法であると言えるでしょう。
(新米ドライバーが車をぶつけても、軽微なものが多い点は重要)

しかし、「人はミスをする」。この定義に間違いが無ければ、品質保障を個人のスキルに負うことは基本的に間違っています。重要なのは事故発生率低減の限界点をいかに下げることができるのかということで、スキルに負う方法ではさほど大きく下げることは困難でしょう。同一の作業を熟達者が行っても新米が行っても、時間の差は発生しても、不具合や事故の発生率は同じであるという「システム」を構築し、そのシステムに品質保障を負わなければ限界点を大きく下げていくことはできません。

交通事故に見るシステム改善の実例

安全運転はドライバーである人にゆだねられます。よって車の運転による交通安全は人の意識に負っている端的な例といえます。だから交通事故は減少しないのです。ところが交通事故死亡者数はある時期を境に急激に減少し始めました。これは車にエアバッグが搭載されたことによります。事故件数は減少しないものの、事故死者数は減ったのです。このことは、人の意識には対策が打てないが、システムには対策が打てるということを明示しています。

 もう一つ例を上げましょう。あるシステムを改善することによって高速道路の発生事故件数が半減したのです。これは道路交通法を変えて、大型トラックの追い越し車線走行を禁止したことによります。この事例は、ルールというシステムに対策を打った結果です。この二例は、事故対策の手法としての意識喚起とシステム改善の比較において、システム改善の方が遥かに「効果/努力」レシオが高いことを物語っています。
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美しい国?

2007-08-22 00:59:57 | 思索
美しい国ってどんな国だと思う?と娘に問いかけると、街にゴミが一つも落ちていない国との返答。ふむ。
今更ながらの話題であるが「美しい国」の意味がやはりよく分からない。美しい国造りというスローガンを逆説的に解釈すると、現在の日本を美しいくないと政府が断定していることは理解できる。しかしその根拠は?と考えるとやはりよく分からない。クソ真面目に捉えれば、一つにはモラルのことであろうかと想像できる。モラルは時代や文化を反映するものと、普遍的なものとに分かれる。この両者をひっくるめて現在の日本社会は政府のモラル観に反する部分が多いと言っているのであろうか?しかしもしそうなら、そのように言えばいいじゃないか。しかるに「美しい国」に対してモラルに言及する言葉を一言として聞いたことがない。言って差し支えないことを全く言わないのだから、このモラル説は間違っているのだろう。政府がほんの少し口を滑らせたのは「国を愛そう」である。

回りくどく話し始めたが、実はみんな既に分かっているのだ。政府は「美しい国」の意味を今はまだ口が裂けても言えないだろう。もう少し国民を中毒状態にするまでは。特に教育を通じて少年少女達に統一価値観を植えつけるまでは。下準備としての格差社会造りには成功した。もう少し。
ときどきテレビのニュースで流れる北朝鮮の軍事パレード。先頭を行く歩兵は一糸乱れずピンと伸ばした足を腰の高さまで振り上げて行進して行く。この映像を観た当時中一の我が娘は「怖い」と言った。いたって素直な反応であろう。確かにゾッとすると同時に僕にはこの映像が一瞬「美しく」も見えた。
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ラジアンの話

2007-08-20 22:30:47 | 電子回路
ラジアンという言葉を聞いたことがありますか?これは円弧によって角度を表す弧度法という手法で使われる角度の単位です。

例えば、円周:2πrは360°、半円:πrは90°、πr/2は45°と考えることができそうです。では1 rad(ラジアン)はどれくらいの角度なのでしょう。図を見てください。

半径rと同じ距離の円弧と、円の中心によって作られる角度が1 radです。つまり、「円弧を半径rで割ったものがラジアン」ですから、360°は2π rad 、180°はπ rad 、90°はπ/2 radです。
ではπ/4 radは何度でしょうか?(^^)

角速度と周波数

コンデンサと抵抗の回路を思い出してください。CR=時定数でした。そして時定数の逆数を、1/CR = ω0と表します。ωはオメガといい、角速度(rad/sec)を意味します。角速度は点が円周上を等速で移動する速度です。もし円周上を移動する点が1秒間に円を1周すれば、ω=2π(rad/sec)です。また、1秒間に円を3周すればω=6π(rad/sec)です。

円の1周はsin波形の1周期と同じです。
(嘘だと思ったらX軸に角度をとって、sin0°sin90°sin180°sin270°sin360°とプロットしてみてください)

つまり1秒間に円を1周すれば1Hz(周波数)です。同様に1秒間に円を3周すれば3Hzです。つまりωを2πで割れば1秒間に何回転したかが分かり、その回転数は周波数(Hz)に等しいということになります。

早速やってみましょう。
ω=2π(rad/sec)を2πで割ると、ω/2π=2π/2π =1(Hz)、ω=6π(rad/sec)を2πで割ると、ω/2π=6π/2π =3 (Hz)となり角速度が周波数に変換されます。よって周波数をfで表せば、角速度ωと周波数fとの関係式は次のようになります。

ω/2π=f  ω=2πf

この関係式は非常に!重要ですので頭に叩き込んでおいてくださいね。(^^)

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反転する世界

2007-08-18 20:18:28 | Theme
私たちの世界に存在するもの、日々起こる様々な出来事、それら全てを、人は目や耳などの感覚器(センサ)で感知し、感知された情報は、神経回路を経て脳に到達し、脳によって情報処理が行われ”存在”として確認されます。

大切なのは、存在そのものに直接接触しているのではなく、あくまでも「センサ」「伝達回路」「情報処理」という情報システムを介して写し出される”写像”を、私たちは”在るもの”と思っているということです。

写像を存在と決めること自体に大きな問題はありませんが、人の個性がそれぞれに異なるように、人体器官の情報システムにも幾らかの違い、時には大きな個人差があり、認識された写像が人によって異なることは容易に想像できます。物事の見え方が人それぞれに少しずつ違うのは当然のことでしょう。極端な例としては、もし全色盲であれば色は存在しないということになります。

もう一つ。錯覚は全ての人に起こり得ます。真円の端に何本かの直線を重ね書きすると円は歪んで見えます。これはどう見ても歪んで見えるのですが、見ているものは真円です。

さて問題は、人体器官の情報システムに支障をきたした場合、偽りの写像を写し出してしまうことです。特に「伝達回路」と「情報処理」器官は、そもそもの個人差が大きいのも特徴ですが、非常にデリケートで壊れやすいものです。これがダメージを受けてしまえば、いくらセンサが正確に機能していても、この時目に見えるのは、耳に聞こえるのは”偽りの世界”です。

情報伝達、及び処理の過程では、センサが捉えた外界の情報に意識という自己が混ぜ合わされ、合成写像となります。この、混ぜ合わされる自己が外界写像よりも濃度を増してくるともはや世界は反転して見えるようになります。

神経症者に見える世界は全て不安定です。
鬱病者に見える世界は全て暗黒です。

でも心配は要りません。いま見えているのは偽りの世界なのです。心が開放される時、再び世界は反転し真実の世界を見せ始めます。それはあたかも極度の近視によってぼやけて見えた世界が、眼鏡よって視力矯正されたかのように鮮やかなのです。
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デシベル(dB)の話

2007-08-15 00:24:45 | 電子回路
アンプの増幅度やフィルタの減衰特性を表す場合に、dB(デシベル)という量記号がよく使われます。さて、このdBとはいったい何者なのでしょう。

添付の1次フィルタのボード線図を見てください。例えばf0=10Hzだとすると、f0×10=100Hz、f0×0.1=1Hzです。1と10と100が等間隔になってるのは変だと思いませんか?実はこの周波数軸は対数で目盛ってあるのです。

対数の例を少し書いてみます。まず

10^0=1、10^1=10、10^2=100
10^3=1000、10^4=10000

ですね。これを対数変換すると

0=log10_1、1=log10_10、2=log10_100
3=log10_1000、4=log10_10000

となります。
勘のいいあなた、すでにお分かりですね。(^^)ほら、

1、10、100、1000、10000という数が
0、1、2、3、4と等間隔になったでしょ。

dB(デシベル)は、この対数変換した0、1、2、3、4に20を掛けたものです。
つまり1=0dB、10=20dB、100=40dB、1000=60dB、10000=80dBとなります。

あと2=6dB、3≒10dB、4=12dB、それから√2=3dBくらいを覚えておくと便利です。
逆数(分数)は1/2=-6dB 、1/10=-20dB

図のフィルタのf0における減衰率は、0.707=1/√2=-3dBです。また、ハイパスフィルタの1Hzとローパスフィルタの100Hzは、0.1=-20dBです。ボード線図の縦軸も実は対数目盛りだったということですね

(おまけ)
26dBをリニアに戻すと幾つになるでしょう?
26dB=20dB+6dB=10×2=20 ほら、簡単でしょ。(^^)

関連記事:デシベル(dB)の話(2) 2010-12-26
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微分(加速度、速度、距離)

2007-08-12 10:33:50 | 電子回路
お父さんはT1の期間アクセルをめいっぱい踏みました。プラス加速度が一定値となり車はどんどん速度を上げていきます。ふと前方にパトカーを発見したためT2ではアクセルを戻し加速度はゼロとなり、車は等速走行となりました。目的地が見えたので、お父さんはブレーキを踏みT3ではマイナス加速度が一定値となり車はしだいに減速しT3後車は無事目的地に到着しました。

さて、距離を微分すると速度、速度を微分すると加速度、加速度を積分すると速度、速度を積分すると距離です。

時間と共に変化するある物理量の微分値は、変化の増減値として表れます。増がプラス、減がマイナス、変化が無ければ増減値はゼロです。図の速度と加速度の関係を見ると、T1において速度は増加を続け、増分(微分値)としてプラス側に表れているのが加速度です。速度が直線的に増加しているので、時間当たりの増分は一定ですから、T1において加速度は一定値となっています。これはT1において加速度が一定値であるから、速度が直線的に増加するともいえます。

物体の落下運動もこれと同じです。重力加速度は9.8m/sec^2と固定値ですから、ある高さから物を落とせば、落下速度は時間と共に直線的に増加していきます。これを「等加速度運動」といいます。

T2を見てみましょう。速度は一定速度でありこの間は増加も減少もゼロですから、速度の微分値である加速度はゼロです。T3では減速していますので減少分として加速度はマイナスに表れています。これも直線的に減速していますので等加速度運動です。

関連記事:
微分(意味と約束事)2007-10-08
加速度の微分値は? 2007-11-04
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ムカデの苦悩(ホロン革命)

2007-08-12 00:02:16 | 安全・品質
有名な一つの逸話を紹介します。たくさんの足を持つムカデが上手に足を動かして歩くので、「正確にはどういう順番で足を動かして歩くのですか?」とたずねられ、その瞬間にムカデは身動きが取れなくなり、とうとう餓死してしまったという悲しい話です。

この話になぞらえて私たちの動作を考えて見ます。人は日常の動作をほとんど無意識に(動作の仕方まで考えずに)行っています。例えば自動車の運転を例として見ますと、直線道路を巡航していてカーブにさしかかったときには、右足がブレーキを踏んで減速し、次に左足がクラッチを踏んで、左手でシフトダウン、そして右手がハンドルを適正にきって、車はスムーズにカーブを曲り抜けていきます。この連係動作において、頭の仕事は“安全にこのカーブを曲り抜けたい”と思うだけで他には何もしません。あとは頭の意向を手足が受けて、それぞれの役割を適正に実行して目的をスムーズに実現しているのです。
(正確には、手足につながる頭の中の「運転」サブルーチンによって)

遠い昔、自動車教習所の教習生だった頃を思い出してください。なぜあれほど苦労して、しかもギクシャクしながら運転していたのでしょう。あの頃は、まずクラッチを踏んで、次にギヤチェンジして、と頭がフル回転しながら手や足に事細かく命令していたのです。もっとも当時は手足が十分に自分の役割と仕事を覚えていなかったのですから、これは致し方ありません。しかし運転のベテランになった現在でも、もし手足の動作を意識しながら運転したらどこか円滑さに欠ける動きになるでしょう。

これをピラミッド型の組織に置き換えて一般化しますと、組織が円滑に機能するためには、頭が手足に意向を伝えたあとは手足に任せ、彼らの動作にまで干渉してはいけないということです。動作結果のチェックはもちろん必要であり頭の仕事です。(もし結果が不十分であれば、頭は手足の動作を矯正しなければなりません。)しかし日常的に彼らの動作そのものに過ぎた干渉をすれば組織は全体として身動きの取れない状態になってしまうということです。
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coolpix L11

2007-08-09 08:00:06 | その他レビュー
別にニコンに肩入れするわけではないが、ニコンはローエンドの機種でも手を抜いていないという印象。何やかや言っても結局は画質の良否。このL11は、最近購入した値段が2.5倍以上のIXY1000と比べても画質では引けを取らない。細部を見ると直線エッジなどにノイズが見られる場合も在るが、画像全体としての見栄えはむしろL11の方がいいかも知れない。画像のデータサイズが比較的小さいのも嬉しいが、何と言ってもこのカメラのアドバンテージは電源が単三電池2本であること。どこででも手に入る安価な乾電池だから、電池切れの際に大いに助かる。起動やレスポンスも速く、肩肘張らずに気軽にパシャパシャとスナップを取るには最高。coolpix L11とIXY1000を比べ見ると、今のコンパクトディジカメは価格差はあっても、画質に有意差は無いのでは?と思えてくる。ならば安いに越したことはない。あとは好みのデザインで選ぶということか。ということで、このcoolpix L11は超お買い得の一台といえそう。
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