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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

LCの値は容器の底面積

2008-02-25 21:32:21 | 電子回路
Q=CVより、電荷Q=9μクーロンを蓄えているコンデンサのキャパシタンスと端子電圧の関係は、上図のように表すことができます。また、新たに電流が流入した場合、キャパシタンスが小さい方が電圧上昇が大きいことは図より明らかです。

Wb=LIより、磁束Wb=9mウェーバを蓄えているコイルのインダクタンスとコイル電流の関係は、下図のように表すことができます。また、コイル電流が増加した場合、インダクタンスが大きい方が磁束の増加が大きいことは図より明らかです。
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少年

2008-02-23 22:50:58 | 思索
人は「制限された自由」の中では無く、実は「何者にも制限されない自由」の中に生きているのではないか、と思い始めている。魂の自由は戒めを受けることも無く、自ら踏みとどまる必要もない。本来的に魂の自由は何の拘束も受けることの無い存在として作られているのでは無いだろうか。

それは、私自身、繰り返される日常を生きていて、自由を制限されているというもどかしさ、息苦しさ、つまり不自由さを、さほど感じることが無いからでもある。現実社会の中では、人は無数の規則や規制に従って生きているのに、何故これほど自由なのだろうか。

そもそも魂の自由とは何処に生まれるのか。それは、喜びと満足に至る心の要求と相対的に存在し得るものである。故に元々無い要求を制限されたところで別に不自由ではない。

一般に、個人の自由は単独で存在する時が最大で、複数となった時点で他者を受け入れることにより、自由が減少すると考えられがちであるが、果たしてそうだろうか。喜びと満足に至る心の要求は、複数の中で自己を最大限に主張し実現たいと欲するだろうか。否、元々個の中に生まれた自己が他に見いだされること、他者の中に他者の自己を見いだすこと、そしてそれを共に分かち合い共有することを、より強く欲するはずである。それは個であることの喜びと満足よりも、複数を構成する個であることの喜びと満足の方が遙かに大きいからである。よって魂の自由は如何なる状況下においても決して減少することは無い。

人が他者を傷つけ、おとしめたいという心の要求を持つだろうか。仮に、その目的を遂げたとしても、また果たせなかったとしても、その結果が喜びと満足に至るとはとても思えない。自らがより深く傷つき、自らをおとしめるだけである。これ以上の不自由さは他にないだろう。つまり人は本来的にこのような自由は持ち得ないのである。

だから、その時点その時点の、喜びと満足に至る心の素直な要求のままに人は生きて良い。魂は何者にも制限されること無く自由なのである。
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薬という方法

2008-02-21 19:46:06 | 思索
ひどく頭痛がするとき、バファリンは良く効いて、飲めば痛みが引いて頭痛は止まります。痛みは無くなったけど、何故、頭が痛かったのかは分からない。とにかく鎮痛作用が痛みを止めたのです。薬の効果が切れても尚、痛みのない状態であれば、痛みの原因もその時消失している訳ですね。でも、また頭痛はいつかやって来る。

たおさんは痛みをかなり強く感じているけれど、あえてバファリンは飲まないのですね。痛みを感じ続けることで、その痛みの正体、由来を見いだしてみようと。

”私が常に「責任」と感じ、逃げだそうとしていたそれは、はたして、本当に外部からもたらされたものだったんだろうか?”

そして今はその根元が自分の内から発生しているものではないかと思い始めている。自分の内に潜むものならば、その居所を探し、しっかり掴み取るために、痛みや焦燥感は、その道しるべになる。見事クリヤできたものならば、痛みを根元ごと葬り去ることができるかも知れない。そのために薬で、安易に道しるべを、曖昧にしてしまいたくはないと。

真っ向から構えた、実直すぎると思えるほどの対決姿勢ですね。見事なものです。もし、心の負荷に完治というのもがあるのであれば、この方法以外には無いのかも知れません。ただし、長く耐え難い苦戦を強いられるのが、見えるようでもありますね。

でも、たおさん、道しるべは今実感している、忌むべき焦燥感だけでは無いようにも思います。痛みや焦燥感は静的なものとして、とどまっているので、時間をかけて向き合うことができますが、心が変化する動的なものにも、短期間的に多くのヒントを見つけることが出来るのではないでしょうか。僕は、そこにも薬の有用性があると思っています。仮に、薬で焦燥感が軽減するなら、そこにもメカニズムが働いているはずです。これも、心の負荷の根元を特定するのに、強力な味方になってくれるように思うのですが。
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LED点滅回路

2008-02-07 23:16:45 | 電子回路
Q1:NPNトランジスタ
ベース電圧がエミッタ電圧よりも0.6V以上高くなればエミッタの矢印方向にベース電流が流れ、そのhfe倍のコレクタ電流がコレクタからエミッタに流れる。

Q2:PNPトランジスタ
ベース電圧がエミッタ電圧よりも0.6V以上低くなればエミッタの矢印方向にベース電流が流れ、そのhfe倍のコレクタ電流がエミッタからコレクタに流れる。

つまりA点の電圧が0.6Vを越えるとQ2とQ1が動作し、B点の電圧が上がりLEDを点灯させる。同時にC2が充電され、C2の充放電によってトランジスタはオンオフ動作を繰返しLEDは点滅する。

とは言うものの、こいつが何故発振するのかは実はよく分かんない。シミュレーションしてみると、図のように確かに発振する。シンプルな回路ほど巧妙に設計されているということでしょうねえ。
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クチャル デュトワ

2008-02-07 23:03:19 | 音楽・映画
カリンニコフ「交響曲第1番」
テオドレ・クチャル指揮 ウクライナ国立交響楽団

ヴァシリー・カリンニコフは34歳で世を去った才気溢れるロシアの作曲家。悲運の天才作曲家とも言われる。Wikipediaの記述に「1892年にチャイコフスキーに認められ、マールイ劇場の指揮者に推薦され、それから同年にモスクワのイタリア歌劇団の指揮者も務める。」とあるが、カリンニコフの曲は楽想がチャイコフスキーによく似ている。生涯に作曲された二つの交響曲も、確かに構成やオーケストレーションはチャイコフスキーの亜流にも思えるが、メロディーは絶品と言えるほど美しく壮大な響きも決して退けを取らず、聴き応え十分である。カリンニコフが一般に知られるようになったのは比較的最近のことでレコーディングもあまり多くはない。このクチャル盤以外には、ヤルヴィ、アシュケナージ、スヴェトラーノフN響のライブ版くらいである。しかし第1第2交響曲共に名曲であり、今後演奏会の演目などにもプログラムされることも多くなってくるだろう。ここに紹介した4つのCDも味わいは異なるが、曲が良いことと演奏の歴史も新しく、それぞれに皆素晴らしい。


チャイコフスキー「序曲 1812年」、展覧会の絵
シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団

一般的に見て、デュトワ・モントリオールの演奏でこの収録曲数と選曲はお買い得。しかし、どんな曲であれその本物といえる演奏を知っている人にとっては、名曲を何曲詰め込んだものでも、つまらない演奏であればほとんど無価値に等しい。そういう意味では、このCDは一流所の水準には達しているものの、通を唸らせるほどのものではないだろう。しかし「スラヴ行進曲」は別。この演奏を聴いて曲の概念が少し変わった。「スラヴ行進曲」はチャイコフスキーの音楽にしてはやや芸術性に欠け、耳当たりは良いものの内容の薄い二級品と思っていたが、この演奏は一級品の音楽を聴かせてくれた。リズム、テンポ、各パートの音色と効果、全体の響きとバランス等、実に心地良い。あ、「スラブ行進曲」ってこういう曲だったんだと、目からウロコが落ちた。「スラブ行進曲」だけでもこのCDは買う価値有り。入門者の方々には「1812年」に難はあるものの、全曲お奨めの一枚である。
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夜と霧2

2008-02-04 21:41:16 | 思索
P125
スピゾナは「エチカ」の中でこう言っていなかっただろうか。「苦悩という情動は、それについて明晰判明に表象したとたん、苦悩であることをやめる」


P129
ひるがえって、生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばりぬく意味も失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人びとはよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らが口にするのはきまってこんな言葉だ。
「生きていることにもうなんの期待ももてない」
こんな言葉にたいして、いったいどう応えたらいいのだろう。

ここで必要なのは、生きる意味への問いを百八十度転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。

強制収容所にいるわたしたちにとって、こうしたすべてはけっして現実離れした思弁ではなかった。わたしたちにとってこのように考えることは、たったひとつ残された頼みの綱だった。それは、生き延びる見込みなど皆無のときにわたしたちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考えだったのだ。(P131)
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イマジナルショート②

2008-02-04 21:28:14 | 電子回路
一般解

VO=A(VI-VF) ―――①
β=R1/(R1+R2) とおくと
VF=VC+(VO - VC)β
VF=VC+VOβ- VCβ
VF=(1-β)VC+VOβ ―――②

①を②に代入すると
VF=(1-β)VC+(VI-VF)Aβ
VF=(1-β)VC+VI Aβ-VFAβ
(1+Aβ) VF=(1-β) VC+VI Aβ
VF={(1-β) /(1+Aβ)}VC+{Aβ/(1+Aβ)}VI

{}内の分母分子をAβで割ると
VF={(1/Aβ-1/A) /(1/Aβ+1)}VC+{1/(1/Aβ+1)}VI

Aが非常に大きければ
1/Aβ-1/A=0
1/Aβ+1=1
よって VF= VI

関連記事:
「イマジナルショート①」2008-02-01
「オペアンプとは何か?」2007-09-02
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イマジナルショート①

2008-02-01 20:51:23 | 電子回路
VO=A(VI-VF) ―――①
β=VF/VO とおくと
VO=VF/β ―――②

VF/β=A(VI-VF)
VF=Aβ(VI-VF)
VF=AβVI-AβVF
(1+Aβ) VF= AβVI
VF= {Aβ/(1+Aβ)} VI

{}内の分母分子をAβで割ると
VF= {1 /(1/ Aβ+1)} VI

Aが非常に大きければ
VF=VI

関連記事:
「イマジナルショート②」2008-02-04
「オペアンプとは何か?」2007-09-02
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