electric

思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

付録(PDCA)

2007-10-14 19:00:13 | 安全・品質
一例として、人為的ミスによる品質不具合の発生と防止の理論を端的に試みてみます。

①人はミスをする。ミスをする確率は一般に1%である。
②体調不良等によりミスをする確率が上がり、平均すると5%になる。

つまり、同じ作業を100回行うとすれば、平常時には1回の不具合があり、不調時には5回の不具合が必ずあるということです。

③作業順に項目が並べられた手順書にチェックを入れながら作業を行えば、ミスをする確率は平常時において0.5%となり、不調時において2.5%となる。
④平常時のミスの確率は1%であるから、他者が項目作業の検査を行うことにより、検査ミスの確率も1%とすれば、不具合の発生確率は1%×1%=0.01%に減少する。不調時の場合は5%×5%=0.25%に減少する。
⑤作業、検査、ともに手順書を用いれば、不具合の発生確率は0.5%×0.5%=0.0025%に減少し、不調時の場合は2.5%×2.5%=0.0625%に減少する。

よって1/100の不具合の発生確率が、③④⑤の工程を通ることにより最悪でも1/1600の発生確率に減少することになります。平常時であれば発生確率は1/40000です。

ただし③④⑤工程を通ると、その時間分と1名分のコストアップになります。このコストアップをαとすると、1/100の確率で発生する不具合による損失と、1/40000の確率で発生する不具合による損失+αの比較が、③④⑤工程を通すかどうかの判断基準となります。

以上、端的な試みであり実際にはその他様々な要素が加わりますが、これだけでも、それほど大きな誤差はないでしょう。因みに工程③を、ミスを防ぐフールプルーフといい、工程④を、ミスを補うフェイルセーフといいます。本論から少し外れますが、安全問題も含めて、個人的には実作業の前後をフールプルーフとフェイルセーフで挟みこんだ三層構造がすべてにおいて必須であると考えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敵は我にあり

2007-10-13 16:09:02 | 思索
柔道ならば相手の胸倉をつかんで投げればいい。ボクシングならば相手の顔面を打ち抜いてノックアウトすればいい。レスリングなら相手の背後に回ってスープレックスホールドか。もし逆に、投げられてもノックアウトされてもフォールされても、更に技を磨き肉体を鍛えて相手よりも強くなれば次には勝てる。

リレハンメル大会の団体戦で原田雅彦は何故失速したのか。長野では、堀井学は何故12位に終わったのか。シドニーで、中田秀寿は何故PKのゴールを外したのか。原田が本来の実力を出せば金メダルは間違いなかったでしょう。堀井はもっと上位に食い込めたはずです。中田もたやすくゴールネットを揺らしたでしょう。

目前に敵が存在する試合と比べ、視野の中に敵の姿が無く、その瞬間に自分の持てる最大の力を出さなければならない競技では、時として強烈な自己との闘いを強いられることがあります。これは多くのスポーツに顕著に見られますが、人としての一般的活動にも言えることです。

敵が他者ではなく自己の場合、闘う心的パワーが増大するほど敵の力も増大するという、厄介な戦場に置かれることになります。まともにぶつかって到底勝てる相手ではありません。人にとって、およそ考えうる最強の敵は、この「自分自身」言い換えれば「自己意識」です。

しかしこの強大な敵に勝てなくとも、負けない方法はあります。闘志の増大と敵の力の増大が比例関係にあるなら、それを逆手にとって闘志を自ら捨て去ればいいのです。その瞬間に、直面している敵はエネルギーの供給源を失い消滅します。これは釈迦が瞑想の末に至りついた”無我の境地”にも通じるものかも知れません。

神経症者は、強迫観念や劣等感など、日々日常的にこの自己との闘いの中にあります。憔悴し切ってやつれた顔になってしまうのも無理も無いことですね。いつも最大のエネルギーを投入して敵とにらみ合っているのですから。ヒントは、闘いを放棄して敵を消滅させることにあります。本来の持てる力は無意識の中に潜み存在するのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理論に基づくPDCA

2007-10-12 20:34:11 | 安全・品質
世のほとんどすべての事柄や事象、現象には理論があります。事業活動であれば、儲かる理論と儲からない理論、成長する理論と衰退する理論。現場においては、事故が起きない理論と事故が起きる理論、失敗しない理論と失敗する理論。一般論として、勝つ理論と負ける理論、行動の理論、生態系の理論、人生の理論、宇宙と銀河と恒星と惑星の理論、等々、一部例外を除いて、世の中はすべて理論で構築されていると言えます。いま現在、私達がこう在るのも、それを認識しようとするまいと、理論の通りにあるわけです。

ここで問題となるのは、現在に「良しとしない部分」が存在する場合です。仮にこれをNGと呼ぶとしましょう。NGは排除しなければなりません。そのためにはNGの存在理論を認識する必要があります。現在のNGも理論に基づいて存在しているわけですから、その存在構造を問うこと無しに、排除できるはずがありません。

PDCAが理論に基づいたものであるかどうかは比較的簡単にわかります。Checkの工程でNGがどれほど存在するか、そしてそれが減少傾向にあるのか、停滞傾向にあるのか、はたまた増加傾向にあるのか、です。増加傾向は除外するとして、停滞傾向の場合、あるいは減少傾向であっても期待値に遠く達しない場合は、Planが理論(根拠)に基づいていないと言わざるを得ません。理論に基づいていないとすれば何に基づいたPlanなのか。例えば、「何となく」「思いつきで」「慣例に従って」。また「内容や結果はともかく、実行することに意義がある」という形式観念に基づくPlanなどがあれば論外です。

長嶋監督は当時「勘ピュータ野球」といわれたものです。対する西部の広岡監督は「理論野球」でしたが、チーム力の差は歴然としていました。ともかくCheck工程でPlanが理論に基づいていない、あるいは理論を間違って解釈していると判明した場合は、本当にNGを排除するという意志があるなら、再度NGの理論を検証しなおさなければなりません。

とはいえ、人は絶対的事実(存在)をそのまま直接的に獲得することはできません。多くの事例や研究を通して構造を間接的に見抜き、それを理論として解釈するのが限界です。よって、同一の対象物であっても複数の理論が生じ得ることになり、これが問題を困難にする一つの要因となります。

また二者間の係わり合いにおいて、一方が他方に隷属しているという主従関係の場合、従者の理論はまったく意味を成さず主者の理論を一方的に押し付けられることになります。そしてこのメカニズムそのものが、NGが存在する理論の一部を構成していることも考えられます。とはいえ、同じ人間による理論解釈がそれほど異なることはないでしょう。とにかく澄んだ目を理論に向け、静かな耳を理論に傾ければ、NGを排除していく長い道のりの最初のPlanを想定することができるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界がもし100人の村だったら

2007-10-11 21:30:37 | 思索
C.ダグラス・ラミス 池田香代子:訳
マガジンハウス

現代社会は情報が溢れかえり、あらゆる事柄を知ることができるように見えて、最も肝心で重要な部分は、この情報の氾濫により見えにくくなっていたり、意図的に隠されたりして、大衆が認知することが難しくなっている。”最も肝心で重要な事実”を知るすべはマスメディアなどには期待できず、それを知る小数の人々からの聞き伝えが最も確かであるが、これは伝達も遅くエリアも狭い。しかし今はウェブという強力な情報発信・受信メソッドがあるのだ。この本に綴られている話も、元々チェーンメールに端を発し短期間に広く知れ渡ることになった。

さて、この本、或いはこのメールは縮尺という手法により、巷に溢れる雑多な情報をバッサリと切り落とし、”最も肝心で重要な事実”を見事なまでに浮き彫りにしている。これには常々”隠しておきたい”と思っている支配者層は当惑するだろう。明白となった事実のみならず、自身の強欲、低モラル、罪深さも知れ渡ってしまうからである。しかし面白いことに、ここで語られる事実を知ることにより、多くの人が驚愕と共に胸苦しくなるような怖ろしさを覚えるが、反面ほとんど何も感じない、更には自分は勝ち組であるとほくそえむ人さえ少なくないという事実がまたある。これはどちらの良し悪しということではなく、その現象自体がまた驚きである。「Good Luck」という本のカスタマーレビューにも同様の現象が見て取れる。評価が極端に二分しているのである。今、世界は二極化現象の力学が強く働いていると言われる。つまり格差社会。「勝ち組と負け組み」を明確に分けて、その差を更に広げていきたいということである。その世相が広く人々に無意識的に反映されているということなのかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

微分と積分は逆演算

2007-10-11 18:45:25 | 電子回路
微分と積分が互いに逆演算であることをsinθとcosθを使って確認してみましょう。sinθを微分するとcosθ、cosθを積分するとsinθになります。

上の図を見てください。sinθを微分すると、0°、360°の地点が最大であり、90°、270°、450°の地点では0であり、180°、540°の地点がマイナスの最大値となります。対応するcosθの各地点の大きさを見ると、sinθの微分と一致していることがわかります。

次に下の図を見ると、cosθの0~90°までの面積はプラスの最大値であり、0~180°までの面積を足し算すると0になり、0~270°までの面積を足し算するとマイナスの最大値となります。対応するsinθの各地点の大きさを見ると、cosθの積分と一致していることがわかりますね。

関連記事:
微分(意味と約束事)2007-10-08
積分(意味と約束事)2007-10-10
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

積分(意味と約束事)

2007-10-10 19:52:02 | 電子回路
上のグラフはt0~tNにおける各時間の電流値を棒グラフで示したものです。もしこの電流がすべてコンデンサCに流れ込むとしたら、どうなるでしょう。各時間の電流値はすべて足し算されて、電荷Qとして蓄えられますね。しかし実際の時間の経過はt0の次はt1と断続的に進むのではなく、t0~t1の間は連続的に繋がっており、その間の電流値も連続的に存在するわけです。よって連続的に変化する電流値をグラフに示すと下のようになります。

つまり電荷Qはt0~tNまでの連続時間に流れ込んだすべての電流の足し算値であり、いい換えれば、電流曲線と縦軸(電流)と横軸(時間)で囲まれた面積が電荷Qであるといえます。このように時間の経過にともない刻々と変化する物理量(時間tの関数)をすべて足し算することを積分するといいます。厳密には「電流i(t)を時間tで積分する」といいます。これを式で表すと次のようになります。
Q=∫i(t) dt このように積分するtの関数i(t)を∫(インテグラル)とdtでサンドイッチして表します。

ところでQ=Cv(t)ですから、Cv(t)=∫i(t) dt と表すこともでき、両辺を微分するとC・dv/dt=i(t)となります。つまり微分と積分は互いに逆演算であり、微分によって積分する前に戻されたi(t)はコンデンサの端子電圧の微分値に比例するということがわかりますね。またv(t)=Q/Cですから、v(t)=∫i(t) dt /Cとなりコンデンサの端子電圧はi(t)の積分値に比例することがわかります。

関連記事:
微分(意味と約束事)2007-10-08
微分と積分は逆演算 2007-10-11
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物理的、形而上的(地球外生命)

2007-10-09 20:36:14 | 思索
なるほど、そうきましたか。
僕も最初はごく自然に、宇宙空間物質から生命の起源に至るメカニズムという方向で考えようとしたのですが、漠然と話の筋道を考えているうちに、偶然的な生命の発生が不可能に近いくらいの奇跡的現象であると同時に、それは偶然ではなく必然であるという形而上的観念の展開も、次元は異なっても同レベルのウェートであり得ると思いはじめたのでした。

もともとの話の発端が、「地球以外には生命は存在しないかもしれない」とするAIさんの言葉が場をしらけさせたというエピソードから始まりましたから、そこに、「存在が極めて困難」ではなく「存在し得ない」というAIさんの想念もあり得るのでないかと思い、右から攻めるか、左から攻めるか少し迷ったあと、右から攻めてみたわけです。そしたら見事に左から切り返されちゃいましたね。これは当てが外れました。(^^)

まず、この会話で使う用語としての神を再定義してみますね。神の定義などというとのっけから抵抗を感じてしまいそうですが、まあ便宜上の試みです。

先の話で僕が神と言ったのは、聖書に表されているような、創造主としての神話的な神です。この神の存在も不可知で、肯定も否定もできませんね。もしこの神が存在するとしたら、生命は地球上以外には存在しないということが教義より明らかですね。これに対して、AIさんの言うところの「大いなるもの」を神とするなら、これはもう全然話は違いますね。これは、やはり不可知の自然法則のようなものではないでしょうか。これも存在するのかどうかの証明などできません。しかしこの場合は、「極めて困難であるが、地球外にも生命は存在し得る」と帰結することになるのではないでしょうか。
(「大いなるもの」については、そこに意思があるのかどうかが大きなポイントですね。 もし意思があるなら、自然法則であるとは言えませんね。)

例えば楽天的な天文学者のように考えたら、我々の銀河に生命が存在する星が太陽系だけとした場合、約2000億分の一の確立ですね。各銀河に生命を有する星が1つだけとしたら、ちょうど銀河の数だけ、つまり生命を有する星も2000億個あるということになるでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

微分(意味と約束事)

2007-10-08 21:26:20 | 電子回路
このグラフは時間経過に対する磁束の変化を示したものです。時間tにおいて磁束の大きさはφであり、時間t+⊿tでは磁束の大きさはφ+⊿φですね。

さて誘導起電力の式はe=⊿φ/⊿t でした(N=1のとき)。⊿は極めて小さな増加分という意味です(マイナス増加分:減少分も含みます)。 ⊿φ/⊿tは図から明らかなように変化の割合です。これは直線aの傾きであり、aの傾きの大きさ(値)は⊿φ/⊿tの値によって決まります。一方、直線bは時間tにおける接線であり、この接線の傾きが時間tにおけるφの変化の瞬間値であることがわかりますね。

⊿tは極めて小さいとはいえ有限値ですから、直線aと直線bの傾きはわずかに異なります。では⊿tをさらに極限まで小さくして、限りなく0に近づけるとどうなるでしょう。直線aはどんどん直線bに近づいてゆき、遂に⊿tが0に達すると直線aは直線bとかさなります。このように⊿φ/⊿tの⊿tを限りなく0に近づけて、φの変化の瞬間値を求めることを微分するといいます。厳密には「磁束φを時間tで微分する」といいます。

これを式で示すとlim(⊿t→0) ⊿φ/⊿tとなり、頭にlim(⊿t→0)を付けて表します。そして、毎回lim(⊿t→0)を付けるのはじゃまくさいので、省略してdφ/dtと書くのです。(ディー、ティー、ディー、ファイと読みます。)
(例)関数y=f(x)をxで微分するとdy/dx 。φ=f(t)をtで微分するとdφ/dt 。

「磁気静電気編」でもe=N・dφ/dtと書きたかったのでしょうが、中学生の読者も想定し、微分の概念を避けて、e=N・⊿φ/⊿tにとどめたのでしょう。

関連記事:
積分(意味と約束事)2007-10-10
微分(加速度、速度、距離)2007-08-12
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理想を見据えて

2007-10-07 09:44:25 | 思索
「なぜ、何も考えないのか・・・それを考えてみたんです(笑)」

あはは。
差し出がましくも僕なりの答えを言いますと、”何も考えない”のが正解だからです。そう、個人の軌道も、また全体の軌道も、自然の流れが修正してくれるのだと僕も信じています。ただ、途方も無く時間がかかる場合もあるでしょうけどね。

これは、幾つかの根拠に裏打ちされた可能性というよりも、正に、信じる信じない、の問題のように感じます。僕としては、まだ人を信じたいですね。瞬間的には退歩することもあるでしょう。歴史はそれを証明しています。もしかしたら明日、どこぞの国からミサイルが飛んでくるかも知れません。でもね、人はきっと果てしない時間をかけて、見続けた理想を実現してくれると思うんですよね。もちろんそれまでには、数え切れないほどの人の命が、人の手によって奪われていくだろうことも明らかですけどね。

人の敵は人。つまり人の敵は人自身ですね。きっと人は自らと闘うように運命付けられているのでしょうね。と同時に、人はこの闘いに勝つようにも運命付けられている。僕はそう信じています。

おやおや、飛び切りヘビーになっちゃいましたねえ。(^^)ごめんなさい。

マインドが安定する話を少し。
あなたの指先から鍵盤を伝わって現れる一つの音。
これは普遍です。

ホロン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソフィーの世界

2007-10-06 00:38:53 | 思索
ヨースタイン・ゴルデル 著 NHK出版

ノルウェイの片田舎に暮らす14歳の少女、ソフィーの元に、ある日なぞの哲学者から手紙が届く。その手紙には「あなたはだれ?」「人間って何?」「世界はどこからきた?」とのみ綴られていた。ソフィーはいきなり投げかけられた質問に当惑するが、質問の答えを探すと同時に、謎の哲学者の正体をあばこうと懸命になる。その後手紙は毎日のように届き、ソフィーはいつしか手紙の中で語られる哲学の世界にのめり込んでいくが、さらに不思議な出来事が次々に起こるようになる。例えば、ソフィーは鏡に映る自分の顔が両目を閉じるのを見て驚愕するが、これは一体どういうことなのか?

ソフィーと謎の哲学者にまつわる物語はミステリー小説、謎の哲学者が語る言葉は史実に基づく哲学史という、読んで2倍得する贅沢な本。とにかく読み進むにつれて目から鱗が何枚落ちていくことか。この本を手にとって、日常の合間にちょっと日常の裏側を見てみるというのも悪くはないだろう。私はダーウィンの「進化論」について、進化とはフナから金魚を作るのと同じことなんだと、初めて理解した。この本は明らかに児童書であり、全て平易な言葉、平易な表現で語られているが、次々に登場する歴史上の哲学者の思想を取り入れるためには、どうしてもその哲学者の視点に自分の視点をシフトする必要があるため、幾らかは、いや時にはかなり難しくもある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

21歳の弟子へ

2007-10-05 21:18:15 | 安全・品質
プロの技術者が必要とする技術は、知識によって得られる技術が6~7割、実務経験によって得られる技術が3~4割、概ねこれくらいでしょう。君の現在の知識レベルは、僕が4年かけて身に付けたレベルと同等か、上回っているといえます。それでも当時、周囲からは僕の上達が早いと評価されたものでした。しかしその頃は、僕は自分をまだまだ技術者であるとは認識しておらず、電気でそこそこやって行けそうだと実感したのは6年目の頃でした。

さて、何はともあれ君の知識的レベルの向上は驚異的に早いわけですが、実務経験による技術レベルは4年目の僕と比べて遥かに足りていません。まあ、これは回路設計、電子機器製作という実務が、現在はまったく無いので致し方ありませんし、始めて8ヶ月の君と4年の僕とを比べてのことですから、焦る必要も急ぐ必要もありません。これからは思いついた回路や、理論として興味を持ったこと等、どんどん実験などやって、目と指先に技術を覚えさせてください。僕も外を回って設計製作物件を取ってくるよう努力しようと思います。

さて今後のメニューについて、です。電検3種取得とは別途として想定します。

①「磁気静電気編」読了   1ヶ月
②「半導体回路Ⅰ」「半導体回路Ⅱ」読了  2ヶ月
③「交流編」読了   1ヶ月
④「電気回路編」読了   1ヶ月
⑤「これならわかる電気数学」読了   3ヶ月

以上でベーシックな知識は十分です。

応用図書
「スイッチング・レギュレータ設計ノウハウ」長谷川 彰 著
「トランジスタ技術」(月刊誌)購読

現在の君は初級技術者として必要な知識の7割近くに達していると思います。上記の図書を読破すれば残り2割が埋まります。最後の1割は経験ですね。それしかありません。そして最も長い時間を要します。しかし怖れるに足りません。ファイト!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

基準と価値

2007-10-04 21:15:36 | 思索
「長年の間・・社会という枠組みの中で・・外から与えられた価値観に支配され、自分を見失ってしまいそうな私たち・・善悪という観念に縛られ、誰かの許可をいつも気にして・・マニュアルに縛られ、基準以下であることは許されず・・人間として基準以下であることを怖れ・・もがき・・苦しむ・・哀れな生き物ですよねぇ・・私たちって・・」

う~む。
社会の価値観というのは社会が決めますよね。それは必ずしも個人の価値観を反映してくれたものではない。むしろ、そうでないことの方が多いかも知れませんね。民主主義国家、全体主義国家、資本主義、社会主義、政教分離、政教一致、キリスト教文化、イスラム教文化、その他多数、この各々全ての価値観は全く異なっていますよね。善悪が入れ替わったり対立したり。本来はどんな異なる価値観であっても、社会は個人を守るものでなければなりませんね。しかし、この社会の価値観を守るために、個人はどんどん死んでいくという現実。しかも嬉々として。逆だ!そんな風に思いますね。

みんな、(社会が決めた)人間としての基準に達しないことを怖れてしまうんですよね。その社会の構成部分として自分が在ることを認識したら、これは仕方のないことでもあるのでしょうね。でも、ごく僅かの人達、透明な目を持つ人達は知っています。より大切なのは、社会の基準ではなく、自分の基準なのだとね。この自分の基準はイデオロギーなどを超越して、誰にも共通のものでもあり得そうです。だって、みんな人間なんですからね。

ただ、社会の価値基準を軽視してよい、と言うわけでは決してありませんね。社会主義国で生まれたその中で、イスラム教国に生まれたらその中で生きていくことになるわけですから、自分が所属する社会の価値観や構造をしっかりと理解し認識しておくことは大切でしょう。会社を経営するのも、どの社会に属して経営するかで方法論は全く違うものになりますものね。経営する限りは、状態の健全を維持し、成長していかなければ意味がありませんね。そして、他の社会をも理解しておかないと、グローバルな展開はできないということでしょうね。

ここに、自分の基準と社会の基準とが相容れず葛藤が生まれるという構図が可能性として現れますね。これがたぶん社会人としての人の宿命的な苦悩なのだと思います。これは、その都度、どのように折り合いをつけるかという問いに答えていくしかないのでしょうね。

こんな人の世に生きて、”疲れる”のは当たり前のことですね。そんな時、例えば心に響く音楽に包まれて、全てが癒されていくのでしょう。そして、また未来に歩みだしていける。無垢な子供の笑顔にも、同じような力がありますね。(^^)

ホロン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

LC共振回路

2007-10-03 20:52:49 | 電子回路
図の回路でスイッチをONするとどのような動作になるか考えて見ましょう。

ON の時点ではC の電荷Q はゼロでVc=0ですから、VL=VとなりLに電流i が流れ始めます。i はCに流れ込み電荷(Q=∫idt)として蓄えられVc(1/C∫idt )が上昇し、VLが減少していきます。i はサインカーブを描いて増加していきます。つまりVLの減少によって増分(di/dt)は小さくなるということです。Vc=V、VL=0のときi は最大となり増分はゼロ(di/dt=0)となります。

この時Lの磁気エネルギ(Φ=∫VL dt )は最大であり、よってi はさらにC に流れ電荷を溜めていきVc はV 以上となり、VL はマイナス電圧となります。それによってi は最大値から減少し始めます。Vc は増分を下げながらなおも上昇し、Vc = 2Vにおいてi= 0となりVcおよび電荷Q は最大(Q =∫i dt )となります。このときVL=-Vであり、C が電荷Q の放電を始めL に逆電流i が流れ始めます。以降省略。

このように、この回路は共振するのです。これはLC直列共振回路です。もっとも交流的に見れば直流電源は短絡しますので、等価的に前出のLC並列共振回路と同じ回路になります。

【参考】

i = V/ωL sinωt [ω=1/√(LC)]
Vc =-V cosωt+V

関連記事:
LC共振回路とDC/DCコンバータ(本稿) 2012-09-19
LC共振回路の解(ラプラス変換) 2012-10-04
ハートレー発振回路 2007-09-16
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Cyber-shot T20

2007-10-02 23:49:33 | その他レビュー
結論から言えば、室内や、屋外でも薄曇りの場合など、柔和な光源に対して本機はめっぽう強く、実に美しい画像を写し取る。画像品質は330万画素の名機coolpix880(ニコン)の画質と同等と言える。この鮮明極まる画像にはいろんな意味で驚いた。先ごろ購入したIXY DIGITAL 1000の画質が冴えないのはcoolpix880と同じ1/1.8型CCDサイズでありながら、IXYは1000万画素もあるので画素単位の面積が1/3と小さく、ノイズレシオが落ちるからだろうと納得していた。しかし、このT20は1/2.5型と更に一回り小さいCCDで、かつ810万画素もありcoolpix880と比べると画素の面積は約1/4しかない。画素の単位面積は大きいに越したことはないが、最終的な画像品質は一概には言えないという一般説もあり、T20の画質は事実としてこの説に軍配を上げている。やはりコンパクトディジカメは実際に撮り比べてみなければわからないということだろう。
しかしながら、晴天の直射日光など光線が強い場合には輪郭強調が効きすぎるのか、ノイズが目立つようになり画像がややザラついて見える。光が強くなるほどに真価を発揮したcooipix880とは対照的である。やはりこの辺りが1/2.5型CCD、810万画素の限界なのかもしれない。とはいえ、これもその他多くの1/2.5型CCDを搭載している機種と同程度ということであり、決して劣るものではない。むしろソフトな光源での画像品質が良すぎるのだ。このハイライトよりローライトが得意という性格に、光学式手ブレ補正機能が更にアドバンテージを与えている。しっかり構えれば、夜でも室内光だけでほとんどノンフラッシュでいけるのには驚いた。その他、手のひらにスッポリ入ってしまうコンパクトサイズが実にいいし、レンズがせり出さない分起動も速い。デザインのポイントであるスライドカバーがややダサくも感じるが、電源と連動しているのは機能的にとても使いやすい。個性的ではあるが秀作といえる一台だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Good Luck(グッドラック)

2007-10-02 21:59:56 | 思索
アレックス・ロビラ フェルナンド・トリアス・デ・ベス  著 ポプラ社

何の含蓄も無い、近年希に見るクズ本。これではまるで「3匹の子豚、ブー・フー・ウー」ではないか。童話としてなら「ブー・フー・ウー」の方がずっと面白いし救いもある。数世紀前ならまだしも、今何故、3匹の子豚の亜形を使って、人生の成功を確定的に語る必要があるのか。時代錯誤も甚だしい。読み始めて数ページで既に結末が見え、それ故の不快感がその後ずっと伴うが、”やはりそうであったか”と、読み終えた後の余韻は不快極まりない。悪役に回された黒い騎士の扱いも残酷で、無能で判断力の乏しい人間はこの世では不要であると、言っているかのごとくである。こんなものなら、ちょっと気の効いたRPGでも、例えば「テイルズ・オブジ・アビス」などのように、多くの可能性を秘めた豊かな人生を雄弁に語っている創作物は山ほどある。特に、自己形成の過程にある少年・少女達には、観念を固定化する怖れのあるこのような本は読ませたくない。”世界中で話題騒然”、”日本でも一気に50万部突破”などのキャッチコピーに誘われて買ったが、お金と時間の無駄以外の何ものでもなかった。
とある雑誌のコラムに、このようなものがベストセラーになるというのは、やはり今の社会はどこか変なのだ、と書かれていたが、まったく同感である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする