キリストびっくり?聖墳墓教会で聖職者乱闘
【エルサレム】キリストが十字架にかけられ処刑された跡に建てられたといわれるエルサレム旧市街の聖墳墓教会で9日、20人以上の聖職者同士の殴り合いが起き、数人が顔などから血を流すけがをした。イスラエル警察が割って入り、2人の聖職者を逮捕した。
asahi.com
思わず、お腹を抱えて笑いそうになってしまうけど、実にいい話だなあ。聖職者さん達だって人間、そりゃあ怒って殴りかかることもあるのだろう。だから人間はすばらしいんだ。
神はすべてをお許しになる。これだけは間違いない。
【エルサレム】キリストが十字架にかけられ処刑された跡に建てられたといわれるエルサレム旧市街の聖墳墓教会で9日、20人以上の聖職者同士の殴り合いが起き、数人が顔などから血を流すけがをした。イスラエル警察が割って入り、2人の聖職者を逮捕した。
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思わず、お腹を抱えて笑いそうになってしまうけど、実にいい話だなあ。聖職者さん達だって人間、そりゃあ怒って殴りかかることもあるのだろう。だから人間はすばらしいんだ。
神はすべてをお許しになる。これだけは間違いない。
頭の中にはいくつかの感情のスイッチがあります。喜び、悲しみ、怒り、不安、恐怖、等の感情は各々のスイッチがONになることによって発動されるようになっています。またスイッチに対応するボリュームもその隣にあります。喜びや怒りのスイッチがONになってボリュームが最大になれば発生した感情は興奮へと至ります。不安や恐怖のボリュームが最大になればその感情はパニックへと至り、悲しみが最大になれば精神活動の停止へと至ります。
これら全てのスイッチがOFFの状態が平静です。このスイッチ群は必要に応じて自動的にON-OFFするように制御されており、この切り替わりによって人は人らしく表現されているわけです。また全てのスイッチは必要であるからこそ用意されているのです。
普段の日常活動においてはこれらのスイッチはOFF、つまり平静を継続していますが、音楽でも、映画でも、本でも、絵画でもまたテレビのニュースや、あるドキュメントに触れた時など、つまり外からの入力信号によってスイッチがONになりますね。ここがポイント。スイッチは外部入力によってONとなるのです。
ところが何らかの理由によって体内の制御システムが故障した場合、外部入力が無くともスイッチがONとなることがあります。さしたる理由もなく不安になったり、悲しくなったり、腹が立ったりイライラしたり、また逆にウキウキしていたり、ということが起こるようになります。ボリュームも勝手気ままに上下動をはじめます。これは非常に困ったことです。また非常に辛いことです。
多くの精神・神経障害は、このスイッチ群の勝手気ままな振る舞いによって症状として現れ、直接原因はスイッチの故障と考えられます。しかしメカニズムが解明できれば、故障の箇所を修理し正常なメカニズムに戻せるのが人の叡智です。
大きく二つの方法があります。一つは環境改善の方法です。スイッチも構造物ですから過酷な使い方をすれば故障してしまうのも当然でしょう。そのスイッチにとって劣悪な環境を排除し十分な時間をかけて休息させてやればスイッチは自己回復を始めます。もう一つは生理学的方法です。スイッチとは何かとその正体を問うと、脳内の情報伝達物質であることは周知の通りです。スイッチの故障とはこれらの体内物質の不足や過多ということですからそれが適正量を保つように調整してやればよいわけです。これが向精神薬の役割ですね。
これら全てのスイッチがOFFの状態が平静です。このスイッチ群は必要に応じて自動的にON-OFFするように制御されており、この切り替わりによって人は人らしく表現されているわけです。また全てのスイッチは必要であるからこそ用意されているのです。
普段の日常活動においてはこれらのスイッチはOFF、つまり平静を継続していますが、音楽でも、映画でも、本でも、絵画でもまたテレビのニュースや、あるドキュメントに触れた時など、つまり外からの入力信号によってスイッチがONになりますね。ここがポイント。スイッチは外部入力によってONとなるのです。
ところが何らかの理由によって体内の制御システムが故障した場合、外部入力が無くともスイッチがONとなることがあります。さしたる理由もなく不安になったり、悲しくなったり、腹が立ったりイライラしたり、また逆にウキウキしていたり、ということが起こるようになります。ボリュームも勝手気ままに上下動をはじめます。これは非常に困ったことです。また非常に辛いことです。
多くの精神・神経障害は、このスイッチ群の勝手気ままな振る舞いによって症状として現れ、直接原因はスイッチの故障と考えられます。しかしメカニズムが解明できれば、故障の箇所を修理し正常なメカニズムに戻せるのが人の叡智です。
大きく二つの方法があります。一つは環境改善の方法です。スイッチも構造物ですから過酷な使い方をすれば故障してしまうのも当然でしょう。そのスイッチにとって劣悪な環境を排除し十分な時間をかけて休息させてやればスイッチは自己回復を始めます。もう一つは生理学的方法です。スイッチとは何かとその正体を問うと、脳内の情報伝達物質であることは周知の通りです。スイッチの故障とはこれらの体内物質の不足や過多ということですからそれが適正量を保つように調整してやればよいわけです。これが向精神薬の役割ですね。
私たちの世界に存在するもの、日々起こる様々な出来事、それら全てを、人は目や耳などの感覚器(センサ)で感知し、感知された情報は、神経回路を経て脳に到達し、脳によって情報処理が行われ”存在”として確認されます。
大切なのは、存在そのものに直接接触しているのではなく、あくまでも「センサ」「伝達回路」「情報処理」という情報システムを介して写し出される”写像”を、私たちは”在るもの”と思っているということです。
写像を存在と決めること自体に大きな問題はありませんが、人の個性がそれぞれに異なるように、人体器官の情報システムにも幾らかの違い、時には大きな個人差があり、認識された写像が人によって異なることは容易に想像できます。物事の見え方が人それぞれに少しずつ違うのは当然のことでしょう。極端な例としては、もし全色盲であれば色は存在しないということになります。
もう一つ。錯覚は全ての人に起こり得ます。真円の端に何本かの直線を重ね書きすると円は歪んで見えます。これはどう見ても歪んで見えるのですが、見ているものは真円です。
さて問題は、人体器官の情報システムに支障をきたした場合、偽りの写像を写し出してしまうことです。特に「伝達回路」と「情報処理」器官は、そもそもの個人差が大きいのも特徴ですが、非常にデリケートで壊れやすいものです。これがダメージを受けてしまえば、いくらセンサが正確に機能していても、この時目に見えるのは、耳に聞こえるのは”偽りの世界”です。
情報伝達、及び処理の過程では、センサが捉えた外界の情報に意識という自己が混ぜ合わされ、合成写像となります。この、混ぜ合わされる自己が外界写像よりも濃度を増してくるともはや世界は反転して見えるようになります。
神経症者に見える世界は全て不安定です。
鬱病者に見える世界は全て暗黒です。
でも心配は要りません。いま見えているのは偽りの世界なのです。心が開放される時、再び世界は反転し真実の世界を見せ始めます。それはあたかも極度の近視によってぼやけて見えた世界が、眼鏡よって視力矯正されたかのように鮮やかなのです。
大切なのは、存在そのものに直接接触しているのではなく、あくまでも「センサ」「伝達回路」「情報処理」という情報システムを介して写し出される”写像”を、私たちは”在るもの”と思っているということです。
写像を存在と決めること自体に大きな問題はありませんが、人の個性がそれぞれに異なるように、人体器官の情報システムにも幾らかの違い、時には大きな個人差があり、認識された写像が人によって異なることは容易に想像できます。物事の見え方が人それぞれに少しずつ違うのは当然のことでしょう。極端な例としては、もし全色盲であれば色は存在しないということになります。
もう一つ。錯覚は全ての人に起こり得ます。真円の端に何本かの直線を重ね書きすると円は歪んで見えます。これはどう見ても歪んで見えるのですが、見ているものは真円です。
さて問題は、人体器官の情報システムに支障をきたした場合、偽りの写像を写し出してしまうことです。特に「伝達回路」と「情報処理」器官は、そもそもの個人差が大きいのも特徴ですが、非常にデリケートで壊れやすいものです。これがダメージを受けてしまえば、いくらセンサが正確に機能していても、この時目に見えるのは、耳に聞こえるのは”偽りの世界”です。
情報伝達、及び処理の過程では、センサが捉えた外界の情報に意識という自己が混ぜ合わされ、合成写像となります。この、混ぜ合わされる自己が外界写像よりも濃度を増してくるともはや世界は反転して見えるようになります。
神経症者に見える世界は全て不安定です。
鬱病者に見える世界は全て暗黒です。
でも心配は要りません。いま見えているのは偽りの世界なのです。心が開放される時、再び世界は反転し真実の世界を見せ始めます。それはあたかも極度の近視によってぼやけて見えた世界が、眼鏡よって視力矯正されたかのように鮮やかなのです。