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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

ハンダ付けと熱容量

2008-12-18 22:06:14 | 電子回路
ハンダ付けにおいて、Sn-Pb共晶ハンダの場合、融けたハンダの最適温度は250℃程度、ハンダコテの温度は350℃程度といわれます。

最適ハンダ温度が250℃であるなら、何故コテ先温度も同様に250℃ではダメなのでしょう?答えは簡単です。通常、ハンダ付けされる前の母材は常温の25℃程度ですから、融けたハンダが母材に触れた瞬間に、急激にハンダとコテの温度が低下するのです。単位時間にどれだけ温度が低下するかは、母材の「熱容量」、つまり母材の体積(質量)×比熱によって決まります。母材の大きさによって、コテ温度を調節したり、コテ先を使い分けたりする必要があるのはこのような理由によります。
(母材の面積も大きく関与しますが、これは放熱冷却のファクタです)

以下に、熱容量について簡単に説明します。
板圧の薄い鉄板と、板圧の厚い鉄板をコンロにかけると、板圧の薄い方が早く熱くなることは感覚的に理解できると思います。実はこれが金属の熱容量によって生まれる差なのです。「容量」は「容積」と言い換えることができるので、熱容量も容器で表すことができます。

図は一定量の熱湯を容器に注いでいる様子です。熱湯がコンロの火力(熱)、容器の容積が鉄板の熱容量、容器の高さが鉄板の温度と考えてください。このように、同じ火力で熱すれば、熱容量の小さい鉄板の方が早く熱くなり、熱容量の大きな鉄板はなかなか熱くならないことが一目瞭然ですね。反対に、両者が十分熱くなった後コンロの火を落とせば、つまり一定量で熱湯(熱)を排出すれば、薄い鉄板の方が早く冷えるということです。

(注)
ここでいう熱湯は「熱」そのものと考えてください。一般には「熱」が容器に溜まった量を「熱量」、溜まった熱量の高さが「温度」、熱を溜める容器を「熱容量」といいます。

関連記事:ハンダ付けとは 2009-11-05
コメント (4)
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アウエルバッハ

2008-12-15 20:26:10 | 音楽・映画
「-追伸-」の記述で、当惑させちゃってごめんなさいね。日記の主張とおりの、「女性専用車両」の奇妙さに、つい日頃漠然と感じている現代社会全体の奇妙さを考えてしまいました。

コンサートは、諏訪内晶子と岩城宏之なんですね。アウエルバッハは初めて名前を聞いたので、ネット検索で調べたところ、ジュリアード音楽院で諏訪内と同学年だったらしいですね。新作の「ヴァイオリンコンチェルト」が始めて音になるということで、諏訪内自身もとても楽しみにしているようです。

気の無い、こねこさんをよそに、何だかとっても羨ましい気がします。どんな音楽なのか興味津々です。

諏訪内晶子は僕はけっこう好きで、例えばシベリウスの協奏曲をクレーメルと諏訪内で聴き比べたのですが、僕は諏訪内の方が好きでしたね。また、彼女の「メンデルスゾーン&チャイコフスキー」の有名なCDがありますが、あれはこの2曲のリファレンスになるんじゃないかと思っています。ついでに言うと、ヴェンゲーロフのチャイコフスキーは、これに勝ると思っています。

「宇野功芳氏が入れ揚げているので、逆に胡散臭さを感じてしまいます。」

あはは、気持ちはとても分かります。坊主憎けりゃ袈裟まで、ってところありますよね。でもまあ、百聞一見にしかずってこともあるし、宇野功芳も、たまには当たりを言うこともあるかも知れませんよ。
(^^)

ではでは。
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レストタイム

2008-12-10 23:15:29 | 音楽・映画
そういえば、例のコンサート、今日だったんですね。「諏訪内さんにブラボー」の日記も見せていただきました。いつものように、思いをそのままに明瞭に記述されるこねこさんの文章を久々に堪能させていただきました。潔さというのか、信念への確固たる自信というのか、読んでいて気持ちがいいですね。

その語り口で説明されていた今日のコンサートも、場の雰囲気や諏訪内晶子の音色や、岩城宏之のチンドン屋の様子がありありと見えるようでした。

生で聴く、諏訪内のヴァイオリンの音はホントに素晴らしかったでしょうね。こねこさんの表現を読んでいると、音楽に感応する心が、僕なんかよりも、ずっと生き生きと息づいてるんじゃないかなって思えてきます。

でもホントに羨ましいなあ。良質のものであれば、なおのこと生で聴きたいですよね。僕の再生装置も2万円のミニコンポですから、音質など高々しれています。で、実は、この点僕なりのテクニックがあって、これは、と思うような演奏に出会ったら、MDに落として、MDウォークマンで聴くようにしているのです。鼓膜の直近で振動するイヤーフォンの音は、安物のスピーカーよりずっといい音がしますよ。
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心と詩

2008-12-05 23:43:13 | 思索
今朝は冬の嵐。激しい雨が窓を打つ音に、時折雷鳴も鳴り響いていました。今日も朝から一人居室に籠り、「システム設計教本」の続きを書いていましたが、つい時が過ぎるのを忘れて、11時のミーティングに出るのを忘れてしまいました。午後は得意の昼寝の長寝をしてしまって、身体も頭もダルダルです。

そうですね。
時の流れの中で、体内の揺らぎに呼応して、人は何かを発する。それがどのような形態のものであれ、それは「物語」となり得る。また、その背景には「物語」が存在する、とも言えるでしょうか。

詩や散文、絵画や音楽など、全ての芸術には一般理論があるのでしょうが、最終的には個々人の主観、感応する心にゆだねられますね。便宜上の枠組みは、いくらでも越えていけるものだと思います。

Wordsをなかなか更新できないのが、一つの悩みです。(笑)
私が病理としての心の病に陥って、身動きが取れない状態から少しずつ力を取り戻していった過程で、自分なりに、どのように考えたかを記述するというのが基本スタンスなんですが、既に早々とネタ切れ状態です。ホントはもっと沢山あると思うのですが、一つのまとまった文にするのは、やはり難しいですね。

次は「思考のマイナースパイラル」と、タイトルまでは考えてあるのですが、アップできるのは、さて、いつになることやら。気長に見守ってやってくださいね。(^^)
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