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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

時定数の別解

2009-05-25 23:10:11 | 電子回路
i(t)=(E/R) e^-(1/CR) t を積分すると
∫i(t)dt=E/R∫e^-(1/CR) t dt
∫i(t)dt=(E/R)(-CR e^-(1/CR) t)

定積分すると
=(E/R)[-CR e^-(1/CR) t](0-CR)
=(E/R){ -CR e^-1 +CR}
=(E/R)(CR)(1-0.368)
=EC×0.632 これが電荷Qである。

1/Cをかけて
Cの端子電圧=E×0.632

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時定数後は63% 2009-05-25
開閉サージ の考察① 2009-06-17
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時定数後は63%

2009-05-25 22:25:45 | 電子回路
図のCR回路において、スイッチをONした時の電流i(t)を求めてみよう。
まずは方程式をたてる。

R i(t) + q(t)/C = E(t)
これが解くべき微分方程式である。

ラプラス変換すると
RI+Q/C=E/s ----- ①[E(t)は単位応答]

電荷q(t)と電流i(t)の関係は
dq(t)/dt = i(t)

両辺をラプラス変換すると
sQ-q(0)=I
Q=I/s+q(0)/s 初期値q(0)=0であるから
Q=I/s これを式①に代入すると

RI+I/sC=E/s
(R+1/sC)I=E/s
I=E/s / (R+1/sC) 分母分子にsをかける
I=E/(sR+1/C) 分母分子をRで割れば
I=E/R /(s+1/CR) ----- ②

さて、逆ラプラス変換する準備ができた。
e^at →ラプラス変換→ 1/ (s-a) [変換表より]

であるから、式②を逆ラプラス変換すると
i(t)=E/R e^-(1/CR) t となる。

スイッチをONしてから時定数(CR)後の電流値は
i(t)=E/R e^-1 であるから
i(t)=E/R ×0.368 である。

つまり最大電流E/Rの36.8%になっている。ということはこの時点においてE/Rの63.2%が電荷として蓄えられCの端子電圧になっているということになる。

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時定数の別解 2009-05-25
微分法則 2009-05-13
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「運命」の基準

2009-05-18 00:13:21 | 音楽・映画
ルードヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン
交響曲 第5番 ハ短調 「運命」
交響曲 第7番 イ長調

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

録音:1976年10月 1977年1、3月

今更ながら驚いた。これは押しも押されぬ「運命」の名演奏である。超名演といってもいいだろう。また、この演奏と共にカラヤンが20世紀を代表するベートーヴェン演奏家の一人であったと再認識できる。これは「英雄」や「第九」を聴けば更に頷ける。30年以上前のアナログ録音だが音質はまったく問題ない。一般に1970年代以降の録音であれば、音質はまず大丈夫と考えていいだろう(60年代から70年代にかけて「録音技術」は急速に進歩し、80年代にピークに達している)。さて演奏の方であるが、数ある名演奏(曲が曲だけに)の中でもこの「運命」と勝負できるのは、クライバーかフルトヴェングラーくらいではないかと思う。果てしなく長い演奏史における数々の試みによって、洗練され積み上げられてきた「運命」の一つの完成体ではないか?とも思える。しかしカラヤンとベルリンフィルの コンビは、彼らならではの不思議な音を出す。もちろんそれが名演奏の一つの要因でもあるのだが、分厚いボリュームを持ちながら軽快な音、適度な残響も関係しているだろう。”不思議な”と言ったのは他の演奏家のどのレコーディングを聴いても、滅多に聴くことのできない音だからだ。これはブラームスを聴いてもワーグナーを聴いてもチャイコフスキーを聴いても同じ。不意に聴いてもこれはカラヤンだとすぐに分かる。録音の問題もあるだろう。恐らくカラヤンはレコーディングの技術や手法にも相当こだわったに違いない。次に「七番」であるが、これがまた実に素晴らしい。好敵手としてぶつかるのは、またしてもクライバーではないかと思う。以上、少し強調が過ぎたかも知れないが、「運命」「七番」について、カラヤンとクライバーが相当な高みに達しているのは間違いないだろう。(フルトヴェングラーも独自の凄さをもっているが、音質が遠く及ばないので初心者の方々は避けた方がいいと思う)
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やるかやらぬか

2009-05-15 00:21:25 | 思索
世の多くのことは、できるできないではなく、やるかやらないかだ。

親切を優しさに置き換えてみるね。優しさという言葉の響きには柔らかい微笑みがある。優しさは結果ではない。基本はたぶん自己否定(犠牲)なんだろう。見返りを期待した優しさなんてあり得ないからね。優しくあることが自分の求めであり、人の喜ぶ顔を見るのが一番嬉しいんだよね。時には優しさが必ずしも相手に通じるとは限らない。でもそれは単なる結果。その時、優しくありたいと思った。だからそうした。それでいいんだ。それがすべてだ。
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起源の物語

2009-05-13 21:14:54 | 思索
多くの動物が群れを成すように、人も群れを成す。ここから物語を考えよう。

人が地球上に現れた当時、人は小規模な群れを作り集団で暮していた。群れは家族単位で構成されており、最も力の強い家族の長が群れの長でもあった。群れの経済は狩猟・採集で、獲物や果実を求めて緩やかに移動していた。このような群れが各地にたくさん点在していた。群れの内部では時折いさかいが発生したが、猿の喧嘩のようなもので短時間に収束した。しかし自然現象として群れが吸収・合併し規模が大きくなると、もめ事や争い事はグループで敵対するようになり、もはや群れの長の力では収拾がつかなくなった(これが内紛の起源である)。

そこで群れの秩序を保つためにルールが作られた。ここに初めて「国」の概念が誕生する。群れは国になったのだ。群れ(国)を治めるルールは、各群れそれぞれに異なっていたが大きく2つに分類される。個人主義と全体主義である。個人主義のルールでは、自分が捕った獲物や果実はすべて自分のものにすることが認められた。また様々な決め事は、グループの代表が話し合って決めた。全体主義のルールでは、誰が捕った食料であってもすべて群れの中央に一旦集められ、その後全員にまんべんなく配られた。また、すべての決め事は最も経験豊富な賢者である年寄り一人が決めた。(前者は市場経済の基本であり、後者は計画経済の基本であるが、理念として前後者共に良否がある)。

ここまではまだ小さな群れに限定される。群れの規模がある程度以上に拡大すると、群れの長は強大な力を持ち、絶対君主制が国のルールとなっていった。こうした国が多数生まれ、拡大に伴いいずれ他国と接触する。そして土地や地域の所有権をめぐり、激しい戦いが起こった。これが最初の戦争である。以上、起源としての物語はここまで。

その後1万5千年という時が流れ、一気に現代に飛ぶ。何やかやと偉そうなことを言ってはみても、所詮人間は、猿の喧嘩に毛のはえたようなことを、いつまでも飽きずに続けているではないか。
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微分法則

2009-05-13 20:55:26 | 電子回路
関数f(t)のラプラス変換は、
∫(0-∞) e^-st f(t)dt で定義される。

つまり、関数f(t)にe^-stをかけて、それをt=0から∞まで定積分しているということだ。〔 e(イプシロン)は自然対数の底であり、約2.718の定数 〕

さて、f(t)の微分df(t)/dtをラプラス変換すると -f(0) + sFとなる。これは微分法則によるが、ラプラス変換の定義にあてはめ、
∫(0-∞) e^-st〔df(t)/dt〕dt を解くとおのずと得られる。

部分積分により
∫(0-∞) e^-st〔df(t)/dt〕dt
= [ e^-st f(t) ](0-∞) - ∫(0-∞)(d e^-st /dt ) f(t) dt

これでdf(t)/dtが消えた。 d e^-st /dt = -s e^-st だから
= [ e^-st f(t) ](0-∞) + s∫(0-∞) e^-st f(t) dt

ここで + s の後の積分をよくみるとf(t) のラプラス変換になっている。
ということは
= [ e^-st f(t) ](0-∞) + sF と書けるわけだ。

よって、
= lim(t→∞) e^-st f(t)-f(0) + sF

∫(0-∞) e^-st f(t) dt が収束するようなf(t)であれば、
極限 lim(t→∞) e^-st f(t) は0に収束する。よって、

∫(0-∞) e^st〔df(t)/dt〕dt = -f(0) + sF となる。

これがラプラス変換の「微分法則」ってやつだ。
以上、Web上の記事のまんま貼り付けです。「部分積分」以外はなんとか着いていっている(つもりの)私めでございました。朋子先生ありがと~ ☆☆☆

詳しくはこちら:
「初心者用ラプラス変換解説」東北工業大学 中川研究室

関連記事:
LCR回路の過渡特性 2009-05-11
時定数後は63% 2009-05-25
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訂正不可能

2009-05-12 22:22:45 | 思索
サリン事件を引き起こしたオウムにしても、学会さんにしても、共産党にしても、何故これほどまで内部が統率されているのか。上層部から末端にいたるまで、見事なものである。これらの集団に共通するものは、「宗教的」あるいは「信仰的」である。つまり、そこに絶対(者)が存在するということだ。戦後、日本の民主化に大きく貢献した昭和天皇の話しは前にも触れた。これも昭和天皇が真に絶対者であったからに他ならない。集団を構成する個々がすべて同じ思想(崇拝の対象が唯一絶対の善であるとする)を持つ時、集団のパワーは最大となる。また集団の規模に比例してパワーは増大する。そして被崇拝者である集団のトップの意のままに、そのパワーは使われる。だからこそトップは自分の所有物である集団を際限なく拡大したいと望むし、それを最大の善行と位置付け、実際に信者達によって実行されている。しかしそれだけ巨大なパワーを手にしていったい何をしようというのか。古来より集団のパワーは不幸以外の何物も生み出した例しがない。つまり思想統一された集団のパワーは、「悪いこと以外には使えないと」歴史が繰返し訴えている。信仰は妄想と同義と言える。「妄想」の定義は、論理で訂正不可能な思いや考え、である。この意味においては、統合失調症により出現する妄想(パラノイア)と何ら変わらない。人の行動特性として、集団の一員でありたいと思うのは確かにある。しかし、他者からの影響を受けず、自分自身であることの自由を求めるのも人の本能のはずだ。思想統一によって視野を極端に狭めてしまうのは、もういい加減やめようではないか。広く正確に物事を見渡すために、思想の拘束から解放されようではないか。これは映画「マトリックス」で描かれた、赤と青の錠剤の選択と同じだ。青い錠剤を飲むことで初めて世界は現実となり自由と未来への扉が開かれるのだ。と、信者達にいくら言っても意味がない。なにせ論理による訂正が不可能なのだから。
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LCR回路の過渡特性

2009-05-11 22:13:58 | 電子回路
何はともあれやってみよう!
ラプラス変換を使ってLCR回路の過渡特性を求める Part1

図の回路において、L=5mH、C=1000μF、R=2Ωとし、スイッチが10Vから0Vに切り換わった以後の電流i(t)の時間変化を求める。
ただしe(0)=0 i(0)=0 q(0)=10C

まず、この回路の方程式をたてる。
Rの両端電圧=R i(t)
Cの両端電圧=q(t)/C
Lの両端電圧=L d i(t)/dt

これらの合計がe(t)であるから
L d i(t)/dt + R i(t) + q(t)/C=e(t) ----- ① である。

と、方程式はできたものの、この式からスイッチが切換わった後のi(t)の流れる様子を見ようとしても、まずまったく見えてこない。最も大きな邪魔ものはL d i(t)/dt 、つまり式に微分が含まれているからだ(このような式を微分方程式という)。それで、この微分を取っ払って、分かりやすい式に書き換えるために「ラプラス変換」というツールを使おうじゃないかって話だ。耳慣れない「ラプラス変換」とは何者ぞ、と身構えなくともよろしい。まあとにかく気楽にやってみよう。式①をラプラス変換すると次のようになる。

LsI + RI + Q/C – Li(0)=E
LsI + RI + Q/C=E + Li(0) -----②

はい出来上がり。さて、何をしたのか?
つまり、定数のLCRはそのままにして、d/dt をsに置き換え、tの関数であるi q eを大文字に書き換えただけのことだ。しかし、いきなり現れた項がある。– Li(0) は一体何だ? 実は、これはラプラス変換の定義により現れたものだけど、今は考えなくてもよろしい。

とにかく、微分関数df(t)/dtをラプラス変換したら-f(0)が付いてくる、つまりはsF-f(0) に置換わると機械的に覚え処理するべし。

さて②式 LsI + RI + Q/C=E + Li(0) に関して、電荷q(t)と電流i(t)の関係を考える。

dq(t)/dt=i(t)  両辺をラプラス変換する。
sQ-q(0)=I
Q=(I+q(0) )/s  これを式②に代入する。

Q/CにQ=(I+q(0) )/s を代入すると
(I+q(0) )/Cs → I/Cs + q(0)/Cs よって②式は

LsI + RI + I/Cs = E + Li(0)-q(0)/Cs -----③となる。
(左辺にIの項を集めている)

右辺を計算する。

条件より i(0)=0 q(0)=10C
時刻t=0 以後はスイッチ切り換えにより e(t)=0
よってE=0

よって③式は
(Ls + R + 1/Cs)I = 0 + 0-10C/Cs
(Ls + R + 1/Cs)I = -10/s -----④ となる。

変形して
〔(Ls^2 + Rs + 1/C)/s〕I = -10/s
両辺にsをかけて
(Ls^2 + Rs + 1/C)I = -10
I=-10 /(Ls^2 + Rs + 1/C)
I=-10 / L(s^2 + sR/L + 1/LC)-----⑤

I=-10 / L(s^2 + sR/L + 1/LC) 分母分子をLで割って
I=(-10 / L) / (s^2 + sR/L + 1/LC)-----⑥

この⑥式にLCRの数値を入れる
L=5mH、C=1000μF、R=2Ω であるから
I=(-10 /5m ) / (s^2 + s2/5m + 1/5μ)

-10 / 5m =-2k 、2/5mm=400 、1/5μ=200k

I=-2k / (s^2+ 400s + 200k)-----⑦

I=-2k /〔(s+200)^2 + 200k-40k〕  -----⑦-1
I=-2k /〔(s+200)^2 + 160k〕    -----⑦-2
I=-2k /〔(s+200)^2 + (√160k)^2〕 -----⑦-3
I=-2k / (s+200)^2 + 400)      -----⑦-4

実は、この無意味にも見える式⑦-1~4の変形がミソなのである。つまり、変換したものは元に戻せるから変換なわけで、式②~式⑦まではすべてラプラス変換後の演算であり、式⑦-1~4では、逆変換して元の式に戻す準備をしていたのだ。

実際にはラプラス変換をツールとして使うために、変換表なるものが用意されている。基本的な変換式は覚えておくと何かと便利であるが、ともかくこの変換表の中に、次のような変換式がある。

e^-□t sin△t →(ラプラス変換)→ △ /〔(s + □^2 + △^2〕

〔 e(イプシロン)は自然対数の底で、約2.718の定数 〕

式⑦-4は、まさにこの変換式に当てはまりそうじゃないか、というわけだ。
△として400 を使いたいのでさらに変形して

I=(-2k / 400) 400 /〔(s+200)^2 + 400^2 〕 -----⑧

さて、ではこの変換式に当てはめて式⑧を逆ラプラス変換してみよう。
まず、-2k / 400= -5
ここで、えいっ!と逆ラプラス変換すれば

i(t)=-5・e^-200t sin 400t -----⑨

となり、ようやく求めたかったi(t)の関数式を得ることができたわけだ。
これは、ω=400(rad/sec) 、つまりf=400 / 2π =63.7Hzのサイン波であり、e^-200 tがかかっているので、i(t)は時間とともに減衰することがわかる。

しかし、L d i(t)/dt + R i(t) + q(t)/C=e(t) の定数(LCR)に数値を入れた式
5m d i(t)/dt + 2 i(t) + q(t)/1000μ=e(t) が
i(t)=-5・e^-200t sin 400t と同じものであり、ラプラス変換・逆変換することでこのように書き換えることができるのだから、面倒くさいけど、やっぱりラプラス変換はすごい。[そもそもラプラス変換は微分を含む式(微分方程式)を微分の無い式に書き換える(微分方程式を解くという)ためのツールである]

関連記事:
微分法則 2009-05-13
部分積分(LCR回路)2009-08-04
運動方程式への応用①ラプラス 2009-11-18
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「運命」的音楽資料

2009-05-10 23:12:37 | 音楽・映画
ルードヴィヒ・ファン・ベートーヴェン
交響曲 第5番 ハ短調「運命」
交響曲 第7番 イ長調

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:サー・ゲオルグ・ショルティ

録音:1958年9月、10月

う~ん、良いところもあるし慣れなどもあるのだろうが、この「運命」の価値は?とまず考えた。これも商品なのだから一般論として価値が無いはずがない。子供の落書きでも、それがピカソの描いた絵なら価値がある。そういう意味で、この演奏は音楽そのものより、音楽を知るための資料としての価値が大きいのではないかと思う。あえて演奏内容について言うなら、非常に単調で無機的、まるでロボットが演奏してるかのような音楽(?)。威勢よくでかい音をガンガン出してくるが内容はどうにも薄っぺらい。初めは録音が古くて、有るべき音が消えてしまったのか?とも思ったが、いやいやそうではない。もっと音の悪いフルトベングラーのモノラル盤でも音楽は十分成り立っている。名曲、名演奏に関しては高級オーディオでもラジカセでも同じこと。つまり単なる音と音楽は別物で、音は物理現象、音楽は精神現象といえる。しかし実際はこの「運命」もショルテイとウィーン・フィルの協調という精神現象なのだから、もしこれが指揮者の要求したものなら、さぞかしオケは戸惑ったことだろう。オケが半ばヤケクソでになってるかのようにも聴こえてくる。直前にノイマンの非常にスタンダードな演奏を聴いていたので、ダメージがよけいに大きかったのかも知れない。とはいえ、もしこれが後々にクライバー等によって命が吹き込まれ、あの不動の名演につながる原型であったと考えるなら、世の中の目を開かせたという意味での功績は極めて大きいだろう。正に”運命”的演奏と言え登場してくれたことに大いに感謝したい。結論として、初心者の方々は言うに及ばず、もう何回も聴き込んだというベテランの方にもあまりお薦めしたくない。ただし、プロの演奏家や研究者あるいはマニアの方は必聴に値する一品かも知れない。聴けば話題が尽きることはないだろう。
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消滅する文化

2009-05-08 01:58:01 | 思索
地域固有の風土や文化、伝統や風習といったものは、いずれ消滅しすべてが均一化されるだろう。正に「世界は一つ、人類皆兄弟」である。(TVでこう言ってたお方はあまり好きではないが。)

遠い昔、東京のとある会社で一年ほどアルバイトをしたことがあったが、僕が入社して数ヶ月もすると、僕の席の周囲は関西弁で溢れるようになった。また僕自身にも、言葉の端々に関東弁が現れるようになった。考えてもみよ、今から高々140年前まで、日本人は、ちょんまげをし腰に刀を差していたのだ。それが現在ではどうだ。どこの世界のビジネスマンも皆一様にスーツにネクタイである。この世界の均一化は、著しいメディアの発達(とりわけインターネット)とグローバリズムによって急激に加速している。もしこの先数百年後において、奇跡的に人が生き残っていれば、世界法の元で国は消滅し、みな同じ言語を話し顔形や肌の色まで似通った人々となっていることだろう。これは不可避である未来の結論だ(もし人が生きていればね)。

さて、そして失われていく文化や伝統である。これらを残しておくことに意味があるのだろうか?そもそも文化は時代に適合して生まれたものである。それが時代の変化と共に適合しなくなれば独自で存在する意味はない。もちろん古き時代の良きものを失なうことによる現在という側面もあるだろう。しかし現在に適合しない古き物はモニュメントとして僅かに残るであろうが、実生活ではすべて忘れ去られていくだろう。もし、生きた状態で残す意味があるのであれば教えて欲しい。

あと50年もすれば世界の人々はみな英語で会話していることだろう。このことが最も特徴的であるが、その他の地域、文化もすべて互いに融合し合う。この均一化は少なからぬ良き面を持っている。相互理解が得やすくなるのである。誤解が少なくなれば争い事も少なくなる。

まあ、極論を言ってしまえば「人類補完計画」の発動ととてもよく似ているけどね。

関連記事:神仏と萌えキャラ 2009-12-28
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2009-05-05 01:11:08 | 思索
年寄と若者

まあ、持ちつ持たれつだね。
(^^)
年寄は若者に知識と視野を提供し、若者は年寄にエネルギーや活力、純粋を提供する。この広い世代間の付き合いやコミュニケーションはホントに大事だね。僕も日々大切にしたいと思ってるよ。年寄と若者は互いには無い異なる力を持っている。両者が力を合わせれば一人では到底できないこともできるようになる。会社もね、本来はこうやって成り立ってるんだよ。年寄ならではの眼力で、目的が何か、それは何処かを見つける。若者はそこに集中的にパワーを投入する。そして仕事が完結する。多くの場合ね。というのも、年寄の眼力と言っても、それは経験則に基づいた、いわば誰もが知っていることに過ぎない。年寄にはもうその枠をはみ出す力はない。ここで、常に新たな世界を切り開くのは、実は若者の恐れを知らない力(純粋故の自由)だ。時に若者は驚くような発想をする。伸びる組織、力のある集団は、この奇想天外な発想をとても大事にしているということだね。

また洗車

スタンドの、ガラス張りの待合室から景色を眺めてくつろいでるが、休日に洗車して、車を使わない平日に雨で汚れて、また休日に洗車するというのは何やらフに落ちないような。ぶつぶつ・・・。
しかしまあ、洗車しようにもそれどころではなかった2月3月に比べれば、いまはずいぶん穏やかではあるな。さてこの凪ぎ波がいつまで続いてくれるのか、刹那にまかせて行く所まで行ってみよう。
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