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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

生きることの本来的目的

2007-10-17 23:01:00 | 思索
人が生きることに本来的な目的はあるか?
人であるが故に成さねばならない本来的義務があるか?

この問いには、人それぞれに多くの異なる回答を持っているだろう。例えば宗教者であれば、それぞれの教義に基づく成すべきことや在り方が定められているはずだ。彼らには明確な生きる本来的目的があり、本来的生き方が他律的に決められている。これらは絶対であり、故に彼らの行為に対し彼ら自身は一切の責任を持たない。すべては「主」の意志なのである。

これに対し、多くの神無き時代の人々は自律的に思うがままに生き、思考や行動に対しては自ら自由と責任を有している。人生の本来的目的については意見の分かれる所だろう。非宗教者であっても、運命や宿命、義務を直感しても不思議ではない。

で、僕自身はと言えば、生きることに本来的目的も義務も無いと常々思っている。というより確信している。簡潔に言えば、何かの目的のために生きるのではなく、生きることが目的そのものということである。
しかし生きるうえでの目的はこれと異なり、一人の人生を見ても多数様々なものがあり、それが人の数だけ無数にある。それは求めや欲望を実現したいという本能的衝動に起因するが、誰だって、こんな風になりたいとか暮らしたいとか思うものだ。事業に成功して金持ちになりたい、医者になって病人を助けたい、画家や音楽家になりたいなど、それらが生きるうえでの目的である。

しかし何よりもまず生きるためには飯を食わねばならない。原始時代であれば、槍や弓を持って草原を走り、逃げ惑うイボイノシシに見事槍を命中させることが、とりあえずの目的である。では現代社会ではどうやって飯を食うか。これは大いに悩むところであり、多種多様な目的の源でもある。しかしこれらは「人として生きる本来的目的」とは別次元の話である。

さて、人生には本来的目的も義務もないが、人を含め地球上のすべての生物に仕組まれている定めは幾つかある。まず、生物の固体としての寿命は有限であり、種として生存し続けるように仕組まれている。個人は僅かな時を生きるに過ぎないが、人類は長い時を延々と生き続ける。だから男と女はほぼ均等に存在し、男は女を求め女は男を求めるわけだが、これは非常に意味深である。これについては、また追々考えてみたい。
コメント
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