ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

出会うことの喜び

2010-04-08 11:18:32 | 日記・エッセイ・コラム

 友人と昼食を約束していた日時はもちろんきちんと覚えていたのですが、前日「明日ですね」と確認のメールをいただきました。”もしかして・・・”。 よくあることで僕もはっとして家を飛び出すこともあるのですから、もうこの年になるとよくあること。約束どおりの時間に再会し、久しぶりに会食をしながら歓談を楽しみました。

 ありがたいものだなあと思ったのは、電話1本で「食事でもしない」と声をかける人がいることです。どなたも一人や二人そんな肩の凝らない友人をお持ちだと思うのですが、実は毎年3万2000人の自死する人の大半は独りで誰からも看取られずに寂しい旅立ちのようです。単身化現象は、「亭主元気で留守がよい」とかつて大流行の時代には、それで家族が団欒を取れていたと錯覚を起こしていたのです。

 会社を定年で去り、捨てられるように会社を後にして初めてわかる、自分の姿。自分は何をしてきたのか、自分とは?と自問するのです。することなし、話す相手も見つからない。いまさら見知らぬ中に入れない。家族も歓迎してくれない。40年も経つと社会も周囲も本人の価値観もおおきく変容していることを忘れてしまうのです。

 鏡に映る自分はまるでピエロのように会社を喜ばせても、こころにはいつも悲しく寂しい思いが渦巻いていたのです。友人は90歳になる母上が元気で創造的に活動してくれていることに喜びと感謝しつつも、間近に迫る自分の人生をどう過ごそうとされるのか、今度の会食の時でも尋ねて見たい関心事です。でも久しぶりに元気をもらって分かれました。

やさしいタイガー