喫茶 輪

コーヒーカップの耳

『篝火の森へ』

2019-01-28 18:19:27 | 
神戸の詩人、江口節さんから届いた詩集です。

きれいな本です。敢えて腰巻を外してスキャンしました。『篝火の森へ』(江口節著・編集工房ノア刊)。
~生田薪能詩篇~とサブタイトルがあります。それにピッタリの森本良成さんの装丁。
品が良くて、幽玄。
能についてはわたし門外漢です。3度くらいは実際の舞台を見たことがあるという程度。
そして、西宮の詩人、K山さんの能の詩を思い浮かべて、怖気づいていました。
しかし、K山さんの能の詩とは趣が違っていて、読みやすいものでした。
巻頭の一篇を紹介します。

  「しらじら明けの山の端に」

あの時は違った

気が付くと絵が完成していた

色と線を選んだのは 誰か

この指に添えられた手



彫刻家もうなづく

自分が彫り出したのではない

遥か昔より 木の中に俟つ像が

おのずから現れてきたと


詩人は知る

意を尽くしたスタンザは美しい

廻りくる「時」の針にもろもろと突き崩される

永い時を漕ぐ手が 詩を立たせるのだと


すべからく

創る手を与えられた者は待つ

ひたすら待つ

遠くから降りて来るもの 降りて来る手


しらじら明けの山の端に祈り

中天に耀う月に仰向き 瞼を閉じる



一日 一年 もっとだろうか

ついに 大いなるものの気が満ちる時

一心不乱に制作する人間の手に

もう一つの手が重なる

絵は絵に 剣は剣に



見たか? 狐を

               ―――「小鍛冶」




意外にもわたしの頭にスルスルと入って来ました。だからといって平板というのではなく、十分に深みと拡がりを備えています。「見たか?狐を」が印象的です。
このあと、わたしは感想を書くつもりで読み進めたのですが、感想というよりも、読んだ詩から連想が浮かんできて、それが興に乗って面白く、江口さんにはそのまま送ることにしました。
見当はずれのトンチンカンかもしれませんが、まっ、いいか、と。
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「木想」第9号

2019-01-28 09:47:17 | 
垂水の詩人、高橋冨美子さんから詩誌「木想」第9号をお贈りいただきました。

表紙の写真、凄いですね。撮影は高橋さんのご子息、俊仁さんによるもの。
兵庫県養父市、樽見の大桜(エドヒガン)とのことです。樹齢は千年を超えると。衰えが見られるとのことで保護策が取られています。

さて詩です。
高橋さんの詩はいかにも現代詩。わたしには理解がむずかしいのですが、今回の4作はまだ解る方かな?
紹介はしませんが、「五月」は昔の若い自分に寄り添うような作品。そして今へと続く次の「遠くへいってしまった」。
「旅先にて」は女性独特の感覚の詩。
そしてわたしが良かったと思うのが、「秋の眼」です。
←クリック
これ、いいですねえ。ユーモアがうれしいです。わたしは詩の中にユーモアを感じられるとうれしくなります。

「木想」は二人誌です。ということでもうお一人。
山下寛さん。詩も一篇「ものがたり」というのを載せておられますが、わたしはこの人の小説が好きなのです。
力量のある人だと思っています。
ところが今回の作品「夢層」は、わたしには正直面白くありませんでした。
刺激的ではあるのですが、なぜか退屈しました。
そして、山下さんが書いておられる「まえがき」を読んで解りました。
こういうことだったのです。
←二段階クリック
一種の実験?能動的な。

ほかに高橋さんが「小野十三郎と『風景詩抄』」と題して、小野の論考を載せておられます。力作です。

高橋さん、ありがとうございました。
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「さあいな」

2019-01-28 08:13:57 | 
今朝の神戸新聞「読者文芸」欄、詩の部。
その入選三作目。

丹波の山内昌子さんの「父さんの畑」です。
わたし、一読して笑ってしまいました。
そして傍らにいた家内に読んで聞かせました。
タイトルは「父さんの畑」となっていますが、わたしなら「さあいな」にします。
この「さあいな」という言葉、阪神間に育った人には伝わらないかも?
丹波但馬に縁のない人には解らないでしょうねえ。
もしわたしが今、子どもに「長生きしてよ」と言われたら、
「さあ どうかなあ」と言うでしょう。
同じ意味でも但馬(丹波)弁のニュアンスは微妙に違います。
「さあいな」でしか伝わらない微妙なニュアンス。
方言は大切にしたいものです。
その言葉が消えると、その情感も消えてゆくのでは?

さて、選者はどのように評しておられるだろう?と思って読んでみると、

《「父さんの畑」は、「さあいな」と答える父の言葉に味わいがある。》

時里さん、流石です。
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別冊・コーヒーカップの耳 33

2019-01-28 07:19:46 | 別冊・コーヒーカップの耳
別冊・コーヒーカップの耳
~塀のうちそと~
33「死に方」

ヤクザの死に方には二通りおます。親分の前に立ちはだかって撃たれて死ぬのんが一番カッコええ。そやけど わしの兄貴分の一人は 違いました。現役の時 総理大臣と一緒に写真に写るほどの力持ってましたけど ある時 なに思うたんか 足洗うたんですわ。ヤクザはつぶしが利きまへん。いっぺんに貧乏ですわ。病気しても見てくれる者おらんし 一人で死にました。それも 死んでから三月もしてから見つかりましてん。検死でも死因が分からんほど腐ってしもて。これもヤクザの立派な死に方やとわしは思てます。わしでっか?わしも足洗うてから やっぱりこないして貧乏やし そのうえ病気持ちです。そやけど そんな 誰にも知られんと腐るような カッコええ死に方はできまへん。夜寝るときは 部屋の鍵 開けて寝ます。救急隊が来てくれた時 すぐに入って来れるように。
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