喫茶 輪

コーヒーカップの耳

エッセイ、55本分のコピー。

2018-08-19 16:40:17 | 随想
奇特なお人がおられるもので、
わたしが書いたものをすべて読みたいと言ってくださる方が。
すでに『コーヒーカップの耳』と『触媒のうた』はお持ちなので、
二年ちょっと前から書いている「KOBECCO」と「六甲」に載せたもののコピーをご用意しました。
両方合わすと55回分になります。
本にすれば丁度一冊分ぐらい。


以前「KOBECCO」に書いた、エッセイ「コーヒーカップの耳」100回分のコピーはちょっと大変なのでご勘弁いただくことに。
あれもいつか本にすることが出来ればいいのだが…。
あ、それから、「地平線」「風媒花」「火曜日」に長年にわたって発表した詩、
それから「神戸新聞」や「半どん」「火曜日」などに発表してきた散文がどれほどあるのだろうか。
「宮っ子」に10年以上連載しているミニ評伝も74回になっている。
素人にしてはよく書いてきたものだ。と、自分をちょっと誉めておこう。
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地蔵盆祭り準備

2018-08-18 09:06:47 | 地蔵さん
今日は隣保で力を合わせての地蔵盆祭りの準備です。
暑くなる前の午前7時より。
今日は例年になく涼しい朝で助かりました。
若い男性も3人加勢してくれました。



ご本尊もお身拭いします。

このようなお姿は年に一度、今日だけ。


境内の堂外の石像は水で洗ってサッパリと。
今後も買い物など、24日の本祭りに向けて、日々色々と準備があります。

もう今では、こうして隣保で力を合わせて地蔵祭りをやってるところは少ないでしょうね。
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「海鳴り」3号

2018-08-17 15:58:19 | 
ちょっとした原稿を書くために引っ張り出してきた冊子。
「海鳴り」3号(1987年7月1日発行)だが、これにわたしの好きな京都の詩人、
天野忠さんの「鋏」という詩が載っている。

←クリック。



もう31年も前の冊子だから覚えていないのかもしれないが、これ、天野さんの詩集に入っているのだろうか?
天野さんの詩集は大概持っているのだが、ちょっと記憶にないなあ。

天野さんらしい、やんわりした言葉から、切れ味鋭い雰囲気が漂う。

ところで、この3号「海鳴り」だが、涸沢さんが巻末に書いておられる。
《本誌「海鳴り」は、八年振りの発行です。》と。
そうなのか。すると2号は1979年だったということになる。
うちに1号2号がないのは当然だという気がする。

〇 ついでに他のページを見ていたら、藤田富美恵という人が「父のトンビ(父・秋田実のこと)」という文章を書いておられた。
秋田実なら、宮崎修二朗翁が昔かわいがってもらったとおっしゃっていた人。
そのこと、拙著『触媒のうた』の96,97ページに書いている。
京都の秋田さんの家まで原稿をもらいに行ったと。
読んでみる。
するとその頃の京都の秋田さんの家の様子が詳しく書かれている。
興味津々で読んだことだった。
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「もう一度だけ」

2018-08-17 14:59:25 | 
毎週月曜日に掲載されている「神戸新聞文芸」だが、
今週は休刊日の都合で水曜日(15日)に掲載されていた。
その詩の部。

←二段階クリックで。

特選の嵯峨謙三さんはもう古い書き手だと思う。
こんな人が頑張っておられるのはうれしいです。

他にわたしが注目したのは伊藤和さんの「待っててね」です。
92歳とあります。詩の巧拙は別として、心は痛いほど伝わってきます。

それから安藤浄子さんの「もう一度だけ」が身につまされます。
安藤さんももう古い投稿者。何度も特選になられたことがあったと思う。
そんな人が「ボツばかり(略)もう一度だけ」などと書いておられる。
しかし「チャレンジしてみようと決めました」とあって安心しました。
安藤さんは、たしかわたしと同い年ぐらい。
これからも続けてほしい人です。

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大の字

2018-08-16 23:09:59 | 自分のこと
わたしの誕生日を祝ってくれてます。

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祝・後期高齢者

2018-08-16 08:08:39 | 日記
病後は夜早く寝るようになった。
以前は12時より早く寝ることはまずなかった。
なので、このごろ朝は早く起きるようになっている。
家内は5時。わたしは6時。
ところが今朝、少し涼しかったということもあってか、目覚めたのは6時半。
なんか夢を見ながらうつらうつらとしていて、ハッと目覚めた。
あわてて起きて、階段を下りて行ったら、リビングの椅子に腰かけている家内と目が合った。
「おはよう」と言うと、
「おはようございます」と返事が。
ところがもう一つ、言葉が加えられた。
「おめでとうございます」だった。
8月16日はわたしの誕生日である。
しかも今年は75歳。
「後期高齢者突入おめでとうございます」というわけだ。

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盂蘭盆の供物。

2018-08-15 17:51:46 | 日記
うら盆でお供えした供物を納めに行ってきました。
市役所そばの六湛寺公園で役所が受け取ってくださいます。

係の人に手渡すと、前の籠に置いてくださいます。
その前に白い布を敷いたテーブルがあり、線香台があり、用意されたローソクの火で線香に火を灯して供えて拝んで帰ってきました。

わたしは昔(昭和36年)、父親の初盆に船大工さんに小さな船(本格的な舟だった)を作ってもらって、それに供物を乗せて、本物の漁船に乗せてもらって沖へ出て行き、海へ流したという経験があります。
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33年。

2018-08-15 07:44:50 | 足立巻一先生
8月12日は日航ジャンボ機墜落の日。
毎年「〇年目の夏」などとニュースになる。
するとわたしは自動的に足立巻一先生を思い出すことになる。
先生はその二日後14日にお亡くなりになった。
日航ジャンボ機事故の記事の載っている新聞を枕元に置いて。
実は先生は、その前月、7月9日に狭心症の発作を起こして新須磨病院に入院しておられる。
その後、神戸市立中央病院へ転院し、そこで療養なさっていたのだが、
8月14日に急性心筋梗塞を起こし、ニトロペンの瓶に手を伸ばし、しかし服用する間もなく急死されたのだった。
病院に狭心症で入院していたにも関わらずお亡くなりになっている。
これはなぜ?と不審に思ってしまうが、その時代はまだ狭心症の治療が今ほど進んでいなかったのだろう。
わたしも先生と同じ狭心症で入院したのだが、即座のカテーテル治療で梗塞に進む手前で助けていただいた。
33年の月日は医療についても大きな差があるということですね。
ただ、この病気は再発の可能性があるので油断ならない。
昨日もリハビリ中に、病院の医師(主治医ではない)がそばに来てくださり、
「リハビリ、順調ですか?」と声をかけて下さった。
食事指導など、生活指導もしてくださる。
病院による、アフターケアーも進歩している様子である。
今の時代なら、足立先生もきっとお元気になられたに違いない。


〇30年以上も前の古い資料を出してきました。
 小さな原稿を書くためですが、必要なものです。
 
 図書館にはないものも。
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『菜の花の駅』

2018-08-14 18:13:04 | 
少し前に詩集をお贈りいただいていた。



河崎洋充詩集『菜の花の駅』(編集工房ノア刊)です。
装丁は森本良成さん。

著者は河崎洋充さん(1952年生まれ)という人。
わたしは存じ上げない。
ということはノア社主の涸沢さんのお手配によるものでしょう。
とりあえず頭から読み始める。
質の高い作品だと思う。多分ベテランなのだろうと。
言葉がよく選ばれた読みやすい詩が並ぶ。
わたしは上手だなあと思いながら、しかし淡々と楽しませてもらっていた。
ところが、ところがである。
詩集は三部に分けて構成されているのだが、そのⅡに入ったとたんにわたしは、
身を乗り出してしまった。眼を見開いてしまった。
「これは本気で読まなくては!」と感じたのである。
「中空に書く」という詩がある。
←二段階クリックで。



それまでの詩と、通底しているものは同じなのだが、詩としての趣は全く違う。
いや、わたしだけがそう感じるのかもしれない。
とにかく、Ⅱ、の母親に関する詩群はわたしの心を捉えた。
ドラマチックなのである。
ということは、この作者の人生もドラマチックというわけだ。
しかしそのことを大げさに言うわけではなく、さり気ない。
淡々と書き進めて行く中に深い思いがこもっているのがよく解る。
それが読者の胸を打つ。

「母の日」という作品がある。

母が、また消えた

舞台袖にでも引っ込むように

微笑みも労いの言葉もなく

しかし、私はいつもそんな母を捜しにいく

三度も捨てられても


母が、夜中にそっと戸を開け

優しく私を抱きしめに

帰ってくれるのを待っていた

明け方の寒さに身を縮めながら

横に敷いた布団の手触りの冷たさに

掛け布団の端を強く噛んだ


慈母の顔をした母

夜叉の心を持つ

鬼子母神だった母よ


別れて二十年余り

ついに今生で暮らすことは叶わなかった



敢えてスキャンせずに文字を打ち込みました。

跋文を太田登という人が実に丁寧に書かれているが、わたしはそれを参考にせずに読ませてもらいました。
河崎さん、涸沢さん、いい詩集を読ませていただきましてありがとうございました。



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お盆のリハビリ

2018-08-14 11:51:58 | 健康・病気
リハビリのため、渡辺心臓血管センターへ。
いつも通り四階のリハビリ室でエアロバイク。
今日の担当心リハ士は、いつものA井さんではなく、女性のK村さん。入院していた時、二、三度お世話になった人である。
血圧計と心電図器を付けてもらい、スタート。
バイクを漕ぎながら窓の外を見る。
横目でチラチラ計器の数値を見ながら。
血圧110台、脈拍80~90。
順調である。
六甲の山の上に、夏らしいポッカリとした白い雲がいくつか、ゆっくりと動いている。
目の下には用海線と国道2号線が交わる交差点。
お盆と言うこともあって、いつもほどの通行量はない。
しかし、次から次とよくもまあ、途切れずに車が続くものだ。
それも無音だから、なんだか不思議な光景。
鳥も声を立てずに飛んでいる。
30分弱、じんわりと汗をかいて終わった。
心電図器を外してもらい、家内に持たせてもらっていた濡れタオルをビニール袋から取り出し、
顔をぬぐい、体の汗を拭く。
サッパリとして帰って来た。
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お墓参り

2018-08-14 08:02:12 | 日記
朝6時起床。
家内とお墓参りに。
一昨日は掃除の人がいっぱい集まっておられたが、今日は全く人影なし。
近所の人は昨日13日にお参りを済まされているようでした。

大きくはない墓地ですが広い駐車場です。左手奥にまだ余裕があります。


曇り空でしたので楽でした。


墓地の入り口には六地蔵さん。

古い地蔵さんです。

無事にお経を上げて帰ってきました。
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ちょいと大阪まで

2018-08-13 19:55:44 | 日記
ちょっと大阪まで行ってきました。




淀川過ぎて、

43号線を梅香で降りて、左折して

突き当りが阪神野田駅。そこを右折してもうしばらく行くと、孫たちの家に行きます。

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「この世界の片隅に」

2018-08-13 10:22:12 | テレビ番組
最近見ているテレビ。
「この世界の片隅に」ですが、おもしろい。
アニメでの映画は劇場で見たのですが、これは実写版。
松坂桃李と松本穂香が演じていて、わき役の尾野真千子も上手いもんです。
最近のテレビドラマでは珍しいラブシーンもあって、それが話題になったりしてますが。
松本穂香がいいですねえ。
ほんわかとした味があって。
彼女、地でやってるみたい。
この女優さんに雰囲気の似た子が近所にいます。
この前出会ったのでそのこと言うと、え?という感じでした。
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57年間で初めて

2018-08-12 07:46:04 | 日記
起きぬけ、6時ごろに家内と、森具にあるお墓の掃除に行きました。
日が上がってからでは暑いので。
でも、もう薄日が射し始めました。
ただ、曇りがちだったので救われましたが。
行くと、たくさんの人でした。
こんなにたくさんの人に出くわすのは初めてでした。
墓地は草があまり生えてませんでした。
連日の猛暑のせいでしょう。
途中で気が付くと、無縁墓の前にみなさん集まっておられました。
そして三人の僧侶が読経をされました。
みなさん、手を合わせておられました。
家内の話では、声をかけてもらった人が集まって行かれたと。
わたしは気づかなかったのですが。
わたしたちも掃除の手を休めて、その場から拝みました。
そのあと、三人の僧侶(一人は住職、そして若い僧とその奥様らしき人)が先導して、
「なむあみだぶ」と唱えながら墓地内を歩かれました。
外周を回り、もうお終いかな?と思っていたら、まだ同じ通路を回って行かれました。
わたしたちは、自分の墓石のそばで手を合わせていました。
みなさんはこの森具の地域に住んでおられる人なのでしょう。
いわばわたしたちはよそ者。お声をかけてもらえなかったのです。
いえ、墓地管理費は支払ってますよ。
その管理費で近くの人たちが日頃お世話してくださっているのです。
きっとその人たちなのでしょう。
ざっと数えて見たら、60人ぐらいおられました。
それが一列に並んで、「なむあみだぶ」と唱えながら歩かれるのです。
二周目の途中でわたしたちは帰って来たのですが、あとはどうなさったのでしょうか?
父親が死んでから、57年になります。
こんな場面に遭遇したのは初めてです。
ということは、8月12日の6時ごろに、これまでお参りしたことがなかったということなのでしょう。
これは毎年の恒例行事のような様子なので。

ところでわたし、あの外周を回ることに参加せずに帰ってきて良かったです。
帰宅してすぐにトイレに行きたくなったのでした。
病後の野菜と麦ごはんを中心とした食生活のせいで、
朝食後、すぐに便意を催し、待ったなしになっているのです。
今朝はまだ食べてませんでしたが、水を少々飲んで行きました。
あの時、歩くのに参加していれば、多分危なかったと思います。
そこで思うのは、墓地にトイレが欲しいなあと。
駐車場が広いので、あそこにきれいなトイレを作ってほしいな、ということです。
簡易トイレではなく、ちゃんとしたきれいなトイレを。
話が長くなりました。

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『遠い手』の感想文

2018-08-11 21:33:41 | 
由良佐知子さんからお贈りいただいた詩集『遠い手』です。



表紙絵も由良さんの作品です。彼女は絵も上手いのです。特に抽象画に優れています。
なので、絵を邪魔しないように敢えて帯は外してスキャンしました。
「あとがき」には、ここに載せるには憚られる覚悟のほどが書かれています。

今日、一日かけて49篇すべての作品について熟読し、すべての作品の感想を書きました。
400字原稿に換算して16枚になりました。
それをプリントアウトして、先ほど手紙とともに由良さんに郵送しました。
巻頭の「句読点」だけ紹介しましょう。
←クリック。

この作品へのわたしの感想。

《「句読点」 大きな交差点の近くの空き家の傍らにベビーシートがあるのを目にして想いを巡らす。自分が子供を育てていたころにタイムスリップ。そして同時に、現在の自分からそのころに意識を伸ばし、視(想)点は両方にあるという複雑な組み立て。と読むとすると、「きちんと行きつくだろうか こどももわたしも」に涙を催される思いがする。子どもが育つということはうれしいことではあるが、哀しみも伴っているもの。この詩の流れのなかにはそんな思いもありそうな。》

わたしの妄想かもしれませんが、詩は一旦発表されたら後は読み手に任すしかないもの、としてお許しいただきたい。

こんな感じで後の作品にも独断で書かせてもらって送りました。
由良さん、あきれてしまうかも。


このツーショット写真は丁度20年前のもの。
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