最近手にした「さくらFM」のタイムテーブルですが、その表紙写真に注目しました。

ただしこれは3年前のものです。
久保町の「宮水発祥の地」の写真。
ここに石臼が写っています。
これはうちの隣の地蔵さんにあるものとどうやら同じもの。

餅つき臼ではありません。
昔、酒造会社で精米に使われていたものなのです。
まだ精米機が発明される前の遺物。
西宮の酒造りの歴史に関わるものです。
で、一昨日、ウォーキングのついでに立ち寄って確認しようとしたのですが、蓋がしてあって残念でした。
「宮水発祥の地」のことですが。
このことに関して昔、書いたことがあります。
『兵庫県の不思議事典』(新人物往来社・2007年刊)という本。

神戸史学会の代表、有井基さんからの依頼だったかと。
しかし有井さんはその後体調を崩されて、大国正美さんが引き継がれたのだったか。
わたしはほかにも二点受け持って、計三点の記事を書きました。
この本、結構売れて、後に文庫本にもなり、印税をいただきました。その印税は「神戸史学会」に寄贈したのだったと思います。わたしだけではなく、ほかの執筆者もみな。
『コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。 今なら宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)でお買い求めできます。ノンフィクションのコーナーに有ります。
今日の「書斎輪」のお客人は、西宮郷土資料館の学芸員、早栗佐知子さん。
地蔵さんの取材に来られたのだ。
神戸女子民族学会の機関誌『久里』44号を頂きました。

早栗さんの論文が載っているのですが、以前わたしがしゃべった事がたくさん記載されていてビックリ。
昨日の「さくらFM」でパーソナリティーの久保さんが朗読してくださった拙詩「甲山」ですが、初出は写真の本に掲載されたものでした。

1983年発行の「市民文芸集」(西宮市教育委員会刊)。
西宮市が文教住宅都市宣言20周年を記念して発行されたもの。
拙詩「甲山」は、わたしが詩を書き始めて間もない時のものですが、今も自分でもいい詩だなと思っています。わたしの若き日の記念碑のような。
昨年だったかにはフリーアナウンサーの増井孝子さんもラジオで朗読してくださったのでした。
表紙絵ですが、これは大石可久也画伯が描かれたもの。
甲山が大きく描かれています。
正に西宮のシンボルのように。
わたしの詩のための表紙のようにも思えます。
下の方に甲子園球場が描かれていて、その上の方には今はない西宮球場。
海はまだ埋め立てが行われていませんね。
頁を開くと、巻頭に「刊行に寄せて」という八木米次市長の言葉と、小林久盛教育長の「はじめに」という文章があります。
双方ともすでにお亡くなりになっていますが、小林教育長の夫人とはわたし今も交流があります。実は、近いうちにノーベル賞もと期待されている小林久隆博士のご母堂です。ということは久盛教育長(当時)のご子息でもあります。
この本を久しぶりに手に取ってみて、いろんなことを想います。
長く西宮に生きてきたものです。
今日は夜歩きではなく、夕方に歩いてきました。
西宮大橋の上まで。約5000歩でした。
落日に間に合い、ラッキーでした。

西宮港がすっかりかわっていました。

右奥の遠くに微かに甲山が。
これは海上保安庁の船。
久しぶりの西宮大橋でした。
西宮大橋の上まで。約5000歩でした。

落日に間に合い、ラッキーでした。

西宮港がすっかりかわっていました。

右奥の遠くに微かに甲山が。
これは海上保安庁の船。

久しぶりの西宮大橋でした。
今日、さくらFMの、あるパーソナリティーさんとお会いする予定だった。
しかし、前田豊さんがお亡くなりになって葬儀、告別式とのことで中止になった。
前田さんは、さくらFMの草分け的アナウンサー、パーソナリティーさん。
この人にはわたしにも感慨がある。
20年以上も前に、わたしが隣の地蔵さんの歴史を調べている話を聞きつけてラジオに出演をと言って来られた。
お相手は別の人だったが2回に分けての出演。
(その地蔵さんのことは一昨年一冊の本『縁起・小墓圓満地蔵尊』に結実した。)
その後、さくらFMには別のことで増井孝子さんの番組で一時間ほどもおしゃべりしたり、そのほか何度か出演させてもらったことがある。
前田さんとは番組だけではなく、何だったかは忘れたが、ほかの場面でもお会いする機会があり、いつも笑顔で快活な人だった。
87歳になっても番組を持ち続けて、バイタリティーのある人だった。
ご冥福をお祈りいたします。
しかし、前田豊さんがお亡くなりになって葬儀、告別式とのことで中止になった。
前田さんは、さくらFMの草分け的アナウンサー、パーソナリティーさん。
この人にはわたしにも感慨がある。
20年以上も前に、わたしが隣の地蔵さんの歴史を調べている話を聞きつけてラジオに出演をと言って来られた。
お相手は別の人だったが2回に分けての出演。
(その地蔵さんのことは一昨年一冊の本『縁起・小墓圓満地蔵尊』に結実した。)
その後、さくらFMには別のことで増井孝子さんの番組で一時間ほどもおしゃべりしたり、そのほか何度か出演させてもらったことがある。
前田さんとは番組だけではなく、何だったかは忘れたが、ほかの場面でもお会いする機会があり、いつも笑顔で快活な人だった。
87歳になっても番組を持ち続けて、バイタリティーのある人だった。
ご冥福をお祈りいたします。
今朝の神戸新聞。

一般には「西宮まつり」と呼んだりしますが、正式には「例祭」といい、西宮神社にとってはあの全国的に有名な「十日えびす」よりも大切な行事とのこと。
今日23日には「船渡御」が行われるようですが、何年か前にはわたしたち夫婦も船に乗せてもらったのでした。
稚児行列の写真が載ってます。
もう昔のことですが、うちの息子も娘も参加させてもらったのでした。
娘はこの写真のようなピンクの着物。息子は緑でした。
それで思い出すことがあります。
息子が熱を出し、それがなかなか治らず、しかも原因がわからなかったことがありました。
小児専門医にも診てもらったのですがわかりませんでした。
そこでふと気づいたことがありました。
記念に撮った稚児姿の写真を額に入れ飾っていたのですが、その場所がストーブが置かれた上の壁面だったのです。
写真が熱い思いをしているのではないか?と思ったのでした。
そこから移動させると、あら不思議!
熱は下がって行ったのでした。

一般には「西宮まつり」と呼んだりしますが、正式には「例祭」といい、西宮神社にとってはあの全国的に有名な「十日えびす」よりも大切な行事とのこと。
今日23日には「船渡御」が行われるようですが、何年か前にはわたしたち夫婦も船に乗せてもらったのでした。
稚児行列の写真が載ってます。
もう昔のことですが、うちの息子も娘も参加させてもらったのでした。
娘はこの写真のようなピンクの着物。息子は緑でした。
それで思い出すことがあります。
息子が熱を出し、それがなかなか治らず、しかも原因がわからなかったことがありました。
小児専門医にも診てもらったのですがわかりませんでした。
そこでふと気づいたことがありました。
記念に撮った稚児姿の写真を額に入れ飾っていたのですが、その場所がストーブが置かれた上の壁面だったのです。
写真が熱い思いをしているのではないか?と思ったのでした。
そこから移動させると、あら不思議!
熱は下がって行ったのでした。
夕方のニュース番組で今津灯台が取り上げられていた。
日本一古い現役の灯台。

それが移転するのだと。
どうやら、不便な所へ行くらしい。
今年6月3日に文実を連れて行って写真を撮ったが、もうこんな写真は撮れない。
日本一古い現役の灯台。

それが移転するのだと。
どうやら、不便な所へ行くらしい。
今年6月3日に文実を連れて行って写真を撮ったが、もうこんな写真は撮れない。

山田洋三先生からいつも「季節のたより」というのをお送り頂いています。
今日はその第724号。
惑星の名前がズラリと載っています。
これを見て思い出しました。
昔、子供のころに「すいきんちかもくどってんかいめい」と唱えるように覚えたことを。
この中の「どってんかいめい」をリズミカルに言っていたものです。
そこで妻に訊いてみました。
「こんなん言ってた?」と。
すると妻は「ちょっと違う」と言って、
「すいきんちかもくどてんかいめい」だったと。
そうか出石では「どってんかいめい」とは言わなかったんだ。
因みに山田洋三先生というのは元西宮自然保護協会の会長さん。もっといえば、隣の用海小学校の校長先生だった人。
もっと昔には、わたしの長男の小学校一年生の時の担任教師。
そのころよりのお付き合いです。
追記
「どってんかいめい」で思い出すことが。
子どものころの丸暗記法として、事柄の頭の文字をとにかく並べて無理やり暗記するというもの。
こんなのがありました。
「パニハチコリセ」法定伝染病。今はもっと増えてるみたいですが。
「トニイホロヘハ、ヘロホイニトハ」音楽。長調短調。
もっとあったと思いますが。
今日はその第724号。
惑星の名前がズラリと載っています。
これを見て思い出しました。
昔、子供のころに「すいきんちかもくどってんかいめい」と唱えるように覚えたことを。
この中の「どってんかいめい」をリズミカルに言っていたものです。
そこで妻に訊いてみました。
「こんなん言ってた?」と。
すると妻は「ちょっと違う」と言って、
「すいきんちかもくどてんかいめい」だったと。
そうか出石では「どってんかいめい」とは言わなかったんだ。
因みに山田洋三先生というのは元西宮自然保護協会の会長さん。もっといえば、隣の用海小学校の校長先生だった人。
もっと昔には、わたしの長男の小学校一年生の時の担任教師。
そのころよりのお付き合いです。
追記
「どってんかいめい」で思い出すことが。
子どものころの丸暗記法として、事柄の頭の文字をとにかく並べて無理やり暗記するというもの。
こんなのがありました。
「パニハチコリセ」法定伝染病。今はもっと増えてるみたいですが。
「トニイホロヘハ、ヘロホイニトハ」音楽。長調短調。
もっとあったと思いますが。