

早朝に大阪の娘から泣きながらの電話。
可愛がっていたジャック(バーニーズ・マウンテン・ドッグ)が死んだのだと。
この写真は、まだ子犬の時のもの。
このジャック、先日行った時、帰りにわたしの車の所へ見送りに来てくれたのだが、手を出して相手してやると、その大きな体を思い切りわたしの腕に押し付けてきた。病気なのによくこんな力がでるものだと思うほど。車とに挟まれた腕が本当に痛かった。
これならまだまだ大丈夫という気がしたのだが。
あれは今思えばサヨナラの挨拶だったのかもしれない。存在感が半端なかった。「ぼくを覚えておいてくれ」ということだったのか。
妻がお別れに行ってくれた。
わたしは自動車運転免許更新のための講習や認知機能検査などのため、北口の自動車学校へ。
午前中かかって無事に終了。
今朝の神戸新聞に、先日郵送しておいた原稿が掲載されていた。
何年振りかの発言蘭への投稿。
午後は近くの女子中学生が二人「書斎・輪」に本の話などを聞きにやってきた。
これは楽しかった。
信行寺の老僧から手紙。
戦後、竹中郁らと共に活躍した詩人、山村順を囲む勉強会の写真のコピーが在中されていて、これは貴重。
山村順は用海小学校の戦後の校歌の作詞者。老僧もお若い姿で写っている。
昨日もそうでしたが、今日も刺激的な一日でした。

女性が一人でやっている散髪屋さん。
女性といっても何年も前に主人を亡くし、その後を一人でやっておられる、老女といっていい。といってもわたしよりはお若い。
で、散髪の途中のことだ。
外でカラスの鳴き声がうるさい。
で、カラスの話題。
ゴミの集積所にやってくるカラスのこと。
ネットがかぶせてあるのを、何羽かのカラスが協力して持ち上げるのを見たとおっしゃるのだ。
ネットの縁を数羽で咥え、「せーの」で同時に羽ばたいて持ち上げるのだと。
そしてゴミを漁っていたと。
恐ろしい知恵だ。
やっぱりカラスをバカにはできない。

初めてお目にかかる新聞です。
「本願寺新報」。浄土宗本願寺派の西本願寺から月三回(1日・10日・20日)発行されている新聞。
これは4月20日発行のもの。
これに親しくさせて頂いている信行寺さんのご住職、四夷法顕師が第4面全面に「夕日をみつめて」と題して「みんなの法話」を書いておられます。
読ませていただきましたが、子供にもわかるようなやさしい言葉で味わい深いことが書いてあって感動しました。
そして、驚いたことが。
今わたしが持っているスマホのトップ画面が、偶然にもこれなんです。
家の前から撮った夕日です。
少し日にちが過ぎたので、今はもうこの写真は撮れません。太陽の沈むところ変わりましたから。
この写真が撮れる時期は年に二回ということです。
この写真を見ると、最近亡くなられた親しかった人を思い浮かべることが多いです。
こんな偶然、何かの縁、というより、これは正(まさ)しく「仏縁」というものでしょう。
わたしのパソコンが不調で、往診に来てもらいました。
一応、命は助けてもらいましたが、もっと元気にしてもらおうと、入院になりました。
入院中はスマホでの書き込みになりますので、簡単な投稿しかできません。
お墓参りに行ってきました。shuntaと一緒に。
いいお天気で暖かいだろうと思ってましたが、森具の丘の上は風が強くて寒かったです。
shuntaは列車に興味津々。
でも、わたしがお経を上げる時には一緒にムニャムニャと、ちゃんとお参りはしましたよ。
今日の夕方はひさしぶりにきれいな夕焼けでした。


ポストまで出かけてきました。
早春の六湛寺川です。

若い頃からお世話になっている散髪屋のご主人がお亡くなりになって、もう7、8年になるだろうか。
奥様とお二人でやっておられたのだったが、ご主人が亡くなられて、お店はどうなるのかな?と思った。
だが、その後、奥様が一人で予約客だけをお相手に営業されていた。
さて先月だ。給湯設備が故障して洗髪が出来ないので「洗髪ナシなら」とのこと。
まあ、一回ぐらいは帰宅してうちで洗えばいいかとお願いした。
しかし、営業用の給湯配管をやり替えなければならず、それには高額の費用がかかるとのこと。
なので、この際廃業も考えて、とおっしゃっていたのだった。
新しい所へ行くのも嫌なので、妻に「僕の髪の毛、切ってくれへんか?」と言ってみた。
しかし「ようせん」と断られてしまった。
「じゃ、お前の行ってる美容院に行こうかな?」というと、あまりいい顔をしなかった。
で、どうしょうかなあと思っているところへ散髪屋の奥さんが「配管やり替えてもらって、また営業します」と連絡をくださった。
やれやれである。
奥さんは一人暮らし。離れて暮らす娘さんたちに「もう辞めたら?お金かけても元が取れないよ」と言われたらしいが、
「わたし、仕事やめたら早く呆けるよ。あんたら見てくれるん?」と言ったのだと。
すると「いや」と言われたというのだ。まあ、励ましのつもりでしょうが。
で、工事も済んで散髪してもらえるということなので、今日電話で予約して行ってきた。
三台あったバーバ―チェアが一台になって店内がスッキリしていた。
奥様が一人で予約客を取るだけなので、それでいいのだ。
「お金儲けが目的ではないんよ。一年でも二年でも出来たら」とおっしゃる。
わたしも「そやね。人と接する仕事してたら呆けへんし。家でテレビ見てるだけの生活になったらヤバイからね。一年でも一日でも長く元気でいられるようにね」と。
imamuraさんの本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
昨日届いた手紙に泣かされました。
古くからの知人、Bさんからです。
パーキンソン病になったとのこと。
言語も不自由になられたのだ。だから電話が出来ない。
手紙は文字が不明瞭で、三回読んでやっと読み解けました。
便箋三枚、どれほど時間をかけて書いて下さったのか。
その努力と意欲に頭が下がります。
手紙ですが、便箋の末尾に2月3日の日付があるのです。




寒いはずです。
お地蔵さんにお参りに行こうと外に出たら。
境内もこの通り。
手が縮かみます。
今日の神戸新聞夕刊の「イイミミ」欄ですが。
この話には矛盾があるように思うのです。
なくした財布が届いているということで、警察に受け取りに行くんですよね。
今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

