「富田砕花展」開催中の「芦屋市立美術博物館」にもう一度行ってきました。
やはりリハビリがてら自転車で。
この前には気づかなかった重要なことがありました。正直驚きました。
またいつか、どこかに書きます。
そして、目的は、収蔵されているある写真を見せてもらうことだったのですが、
それを見て、これまた大いに驚くことがありました。
やはり行動を起こさねばなりません。
これを受けて、ちょっと忙しくなります。
やはりリハビリがてら自転車で。
この前には気づかなかった重要なことがありました。正直驚きました。
またいつか、どこかに書きます。
そして、目的は、収蔵されているある写真を見せてもらうことだったのですが、
それを見て、これまた大いに驚くことがありました。
やはり行動を起こさねばなりません。
これを受けて、ちょっと忙しくなります。
杉山先生が残しておられた新聞切り抜き。
←二段階クリック。
リード文を読むとこれはどうやら宮崎修二朗先生の仕掛けによるものと思われます。
この記事、じっくりと読んでいただきたいです。
その一部、
《 山本 文芸って名利を求めるものではありませんからね。それだけに初心者の多い「読者文芸」の選は責任が重いと思うんです。
足立 文学へ踏み出す第一歩ですから、うっかり間違えるとね。
山本 そう、分岐点だから…。人生というか文芸への、ね。だから気負った言い方でなく、投稿者を大切にしたいと思っています。
―略―
富田 投稿者の中には、規定もわきまえない、無礼というか―そんな方もいますが、悪気でなくて世間をまだご存じない方なんだから、勘弁してやって下さいよ。本当に「読者文芸」の選っていい加減にできない。責任が大きいんだから。》
これは「読者文芸」の選者が一斉に交代した時のことですね。ほかの新しい選者に、後藤比奈夫、伊丹三樹彦、時実新子の三氏の名前が上がっています。
←二段階クリック。
リード文を読むとこれはどうやら宮崎修二朗先生の仕掛けによるものと思われます。
この記事、じっくりと読んでいただきたいです。
その一部、
《 山本 文芸って名利を求めるものではありませんからね。それだけに初心者の多い「読者文芸」の選は責任が重いと思うんです。
足立 文学へ踏み出す第一歩ですから、うっかり間違えるとね。
山本 そう、分岐点だから…。人生というか文芸への、ね。だから気負った言い方でなく、投稿者を大切にしたいと思っています。
―略―
富田 投稿者の中には、規定もわきまえない、無礼というか―そんな方もいますが、悪気でなくて世間をまだご存じない方なんだから、勘弁してやって下さいよ。本当に「読者文芸」の選っていい加減にできない。責任が大きいんだから。》
これは「読者文芸」の選者が一斉に交代した時のことですね。ほかの新しい選者に、後藤比奈夫、伊丹三樹彦、時実新子の三氏の名前が上がっています。
「宮っ子」11月号が出ました。
今号の「わが町この人あり」は用海町の岡本幸夫さんです。
お読み頂ければ幸いです。
前号(9・10月号)の「わが町この人あり」は、わたしの入院があって代替え記事になってしまいましたが、
今号は復活です。またよろしくお願いいたします。
今号の「わが町この人あり」は用海町の岡本幸夫さんです。
お読み頂ければ幸いです。
前号(9・10月号)の「わが町この人あり」は、わたしの入院があって代替え記事になってしまいましたが、
今号は復活です。またよろしくお願いいたします。
先日杉山平一先生の御遺族にご提供いただいた「六甲」523号だが、
これに足立巻一先生の「虹滅記」が載っている。
←二段階クリック。
『虹滅記』の「あとがき」に、第一回は「天秤」に載せて始まり、しかし連載途中で「天秤」が休刊になり、後、
《神戸で短歌雑誌『六甲』を発行する山本武雄氏の好意により、同誌の昭和54年10月号から昭和56年10月号まで連載することを得てほぼ稿を終え、終章を書きおろして完稿した。》とある。
で、わたし、六甲の「虹滅記」を読んでみました。
「第八章 菰川」9・10が4ページにわたって載っています。
ところがちょっとした違和感があり、本になっている『虹滅記』の該当するところを調べてみました。
すると、この「9・10」はないんですね。「7」までしか載っていません。
ということは、足立先生は、本にするときにこの部分を割愛されたということが分かりました。「六甲」の「9・10」も興味深いことが書いてあるのですけどねえ。
これに足立巻一先生の「虹滅記」が載っている。
←二段階クリック。
『虹滅記』の「あとがき」に、第一回は「天秤」に載せて始まり、しかし連載途中で「天秤」が休刊になり、後、
《神戸で短歌雑誌『六甲』を発行する山本武雄氏の好意により、同誌の昭和54年10月号から昭和56年10月号まで連載することを得てほぼ稿を終え、終章を書きおろして完稿した。》とある。
で、わたし、六甲の「虹滅記」を読んでみました。
「第八章 菰川」9・10が4ページにわたって載っています。
ところがちょっとした違和感があり、本になっている『虹滅記』の該当するところを調べてみました。
すると、この「9・10」はないんですね。「7」までしか載っていません。
ということは、足立先生は、本にするときにこの部分を割愛されたということが分かりました。「六甲」の「9・10」も興味深いことが書いてあるのですけどねえ。
今日も神戸新聞さん、記事を拝借させて下さい。そして時里さん、お許しを。
←クリック。
「神戸新聞文芸」欄、今日は第5週ということで選者特集です。
今回のテーマは「子ども」。
あら、4部門5人の選者の中で男性は時里さんだけ。
その時里さんは「「きりん」の詩」と題して書いて下さっています。
うれしいなあ。但し、坂本遼さんは「神戸新聞」の選者にはなっておられないと思います。朝日の記者さんでしたから。
「きりん」を材料に子どものことを書けば、これはもう他の選者さん、敵いません。
文末にこうある。
《なお引用した作品はすべて、昭和27年から35年ごろまでの小学生の作品。本欄の投稿者にも、この世代と重なる方も多くいるはず。》
はい、わたしギリギリ重なります。
でも、わたし、「きりん」に載ったことがないんです。
担任教師は作文教育に熱心でした。そして、教室には「きりん」が置いてありましたが、なぜか投稿しなかったんですね。
上に上げた「きりん」の写真ですが、わたしが所持している生きりんです。11冊あります。
そしてこの本。
「きりん」が元になっているものです。「喫茶・輪」の本箱にあります。
興味のある方、「輪」へどうぞ。
営業日は、火・水・木・金の午前中です。祭日は休みます。そして休みたいときも休みます。
三島由紀夫の小説は久しく読んでなかったが、今日の電車の往復で読んだ。
『レター教室』(ちくま文庫・1991年)です。
三島がこんな軽い小説を書いていたとは意外だった。
比喩が上手いなあと思いながら読んでいたが、これなんか本当に上手いなあ、と。
《しかし愛は愛、嫉妬は嫉妬です。どんなに否定しても、それは硝子鉢のなかの金魚みたいにはっきり見えている感情なのです。》
どこからこんな発想が出てくるのでしょうか?
『レター教室』(ちくま文庫・1991年)です。
三島がこんな軽い小説を書いていたとは意外だった。
比喩が上手いなあと思いながら読んでいたが、これなんか本当に上手いなあ、と。
《しかし愛は愛、嫉妬は嫉妬です。どんなに否定しても、それは硝子鉢のなかの金魚みたいにはっきり見えている感情なのです。》
どこからこんな発想が出てくるのでしょうか?
いいお天気だったし、神戸まで出かけてきました。
第43回「こうべ芸文美術展」へ。
もちろん徒歩と電車で。
駅までけっこうあるし、駅からまたけっこうあるので、いいリハビリになります。
美術館への道。右側は王子動物園です。
入口。
ロビーから。
奥が第一会場。
ここにお目当ての六車さんの書があります。
見た目きれいな作品が多い中で、この力強さは異彩を放っています。
奥の方にある六車さんの作品の存在感が伝わるでしょうか。
同じ「名筆研究会」の会長、井元祥山さんの作品。
自作句を書いておられます。「名筆」の人の書は存在感がありますね。
他に注目する絵も紹介しましょう。
納健さんの抽象画。いいですねえ。
「KOBECCO」に連載のページを持っておられるとみさわかよのさんの作品。
この作品も「KOBECCO」に掲載されたもののようです。
さてさて、毎年気にしてるお二人の絵。
小林欣子さんの「花野」です。
そして、小倉恒子さんの「花音」です。
このお二人をなぜ注目しているかですが、
もちろん、毎年お上手な作品を出展しておられるということがありますが、実はそのお名前が印象的なので。
小倉恒子・小林欣子。
しかも今回、作品の題が「花野」と「花音」。なんという偶然。
第43回「こうべ芸文美術展」へ。
もちろん徒歩と電車で。
駅までけっこうあるし、駅からまたけっこうあるので、いいリハビリになります。
美術館への道。右側は王子動物園です。
入口。
ロビーから。
奥が第一会場。
ここにお目当ての六車さんの書があります。
見た目きれいな作品が多い中で、この力強さは異彩を放っています。
奥の方にある六車さんの作品の存在感が伝わるでしょうか。
同じ「名筆研究会」の会長、井元祥山さんの作品。
自作句を書いておられます。「名筆」の人の書は存在感がありますね。
他に注目する絵も紹介しましょう。
納健さんの抽象画。いいですねえ。
「KOBECCO」に連載のページを持っておられるとみさわかよのさんの作品。
この作品も「KOBECCO」に掲載されたもののようです。
さてさて、毎年気にしてるお二人の絵。
小林欣子さんの「花野」です。
そして、小倉恒子さんの「花音」です。
このお二人をなぜ注目しているかですが、
もちろん、毎年お上手な作品を出展しておられるということがありますが、実はそのお名前が印象的なので。
小倉恒子・小林欣子。
しかも今回、作品の題が「花野」と「花音」。なんという偶然。
先日、杉山平一先生の御遺族から提供を受けたものの中に、
「神戸新聞」の詩の欄の切り抜きがあった。
←クリック。
これを見てわたし、あれ?と思いました。
選者はすべて、足立巻一先生です。
昭和52年から53年にかけての33枚。
中に、赤鉛筆で丸印がつけてあったり。
あれ?と思ったのは、足立巻一先生の『人の世やちまた』の自筆年譜と矛盾がありますので。
たしか、足立先生は「神戸新聞」の選者を昭和54年からと年譜にあったはず。
調べてみました。
←クリック。
やはり、1979年(昭和54年)66歳の所に「二月、神戸新聞読者文芸詩欄の選者となり、多くの知友を得る。」とある。
この「多くの知友を得る」というのが足立先生らしくていいですねえ。
投稿者に対しても決して上から目線ではない。
それにしても、54年2月とは!わたしが初めて書いた作品を特選に推してくださった、正にその月。
杉山先生の全詩集に載っている年譜も調べてみましたが、それには
「昭和52年3月 神戸新聞詩選者を足立巻一氏と交替。」とあります。
ということで、この足立先生の年譜は間違っているということがわかりました。
古い切り抜きを触っていると、懐かしい投稿者の名前があって時の流れを思い知ります。
そんな中、54年2月4日付の切り抜きがあったのに驚きました。
これには上にも書いたように、わたしが初めて書いた詩が載っているのです。
足立先生が何者かもまだ知らぬころです。
わたしの作品が載っている切り抜きはこれ一枚だけです。どうしてなんでしょう?
「神戸新聞」の詩の欄の切り抜きがあった。
←クリック。
これを見てわたし、あれ?と思いました。
選者はすべて、足立巻一先生です。
昭和52年から53年にかけての33枚。
中に、赤鉛筆で丸印がつけてあったり。
あれ?と思ったのは、足立巻一先生の『人の世やちまた』の自筆年譜と矛盾がありますので。
たしか、足立先生は「神戸新聞」の選者を昭和54年からと年譜にあったはず。
調べてみました。
←クリック。
やはり、1979年(昭和54年)66歳の所に「二月、神戸新聞読者文芸詩欄の選者となり、多くの知友を得る。」とある。
この「多くの知友を得る」というのが足立先生らしくていいですねえ。
投稿者に対しても決して上から目線ではない。
それにしても、54年2月とは!わたしが初めて書いた作品を特選に推してくださった、正にその月。
杉山先生の全詩集に載っている年譜も調べてみましたが、それには
「昭和52年3月 神戸新聞詩選者を足立巻一氏と交替。」とあります。
ということで、この足立先生の年譜は間違っているということがわかりました。
古い切り抜きを触っていると、懐かしい投稿者の名前があって時の流れを思い知ります。
そんな中、54年2月4日付の切り抜きがあったのに驚きました。
これには上にも書いたように、わたしが初めて書いた詩が載っているのです。
足立先生が何者かもまだ知らぬころです。
わたしの作品が載っている切り抜きはこれ一枚だけです。どうしてなんでしょう?
入院中に読んだ本。
『台所のおと』だが、読みかけのままになっていたのを持参していた。
短編小説が10篇。良かった。あっという間に読んでしまった。
「おきみやげ」という小説の中にこんな記述が。
《ちょっと可愛いい顔をしていて、負けぎらい》
この「負けぎらい」という言葉に注目。
今では普通、「負けず嫌い」と言いますよね。
でもそれはおかしな言葉で。
「負けず、嫌い」なら、「負けるのが好き」という意味になる。
うちの息子が幼い時に「それも言うなら『負けるぎらい』でしょ」と言ったことがありました。
その時、ナルホドと思ったのです。
で、幸田文さんは、ちゃんと小説の中で「負けぎらい」と使っておられる。
もう50年も昔の小説の中で。さすがに幸田露伴の娘さんです。
『台所のおと』だが、読みかけのままになっていたのを持参していた。
短編小説が10篇。良かった。あっという間に読んでしまった。
「おきみやげ」という小説の中にこんな記述が。
《ちょっと可愛いい顔をしていて、負けぎらい》
この「負けぎらい」という言葉に注目。
今では普通、「負けず嫌い」と言いますよね。
でもそれはおかしな言葉で。
「負けず、嫌い」なら、「負けるのが好き」という意味になる。
うちの息子が幼い時に「それも言うなら『負けるぎらい』でしょ」と言ったことがありました。
その時、ナルホドと思ったのです。
で、幸田文さんは、ちゃんと小説の中で「負けぎらい」と使っておられる。
もう50年も昔の小説の中で。さすがに幸田露伴の娘さんです。
前回は足の鼠径部からのカテーテル治療でした。
これは後が大変でした。
今回は検査が目的のカテーテルでしたので手首からでした。
車椅子で手術室に入った瞬間、7,8人ほどのスタッフがスタンバイしておられて、
一瞬ビックリしました。まるで大手術を受けるような。
前回、救急車で来て、この部屋へ入れられた時は、「いちっ、にっ、さんっ!」の合図で、
スタッフに抱えられて処置台に乗せられたのですが、今回は車椅子から自分で乗り移りました。
横に処置してくださるI尾先生がおられて、
「救急車で来た時のこと、思い出して、ドキドキしてます」というと、
補助のK山先生が、「あの時は足からでしたね」と。
覚えて下さっている。
I尾先生が詳しい説明をしながら検査を進めて行かれます。
大きなモニターが部屋の左にあります。
首を回せば見えるのですが、処置中は顔のすぐ前まで機械が接近しますので、見たいけれどもちょっと難しいのです。
途中、ついて下さっている看護師さんが「大丈夫ですか?」と訊いてくださいます。
約30分ぐらいで検査は終了しました。
初め、一時間ぐらいとお聞きしていたので、順調に済んだようでした。
終わって、わたしの右手をぬぐってくださっている様子を感じて、
血まみれになっている手をきれいにしてくださっているようでした。
かなりの出血があったようです。そりゃあ、動脈に穴をあけての処置ですからね。
それで、点滴が必要なのでしょう。
点滴はそのあとも夜まで続きました。
「終わりました。お疲れ様」と聞いて、結果は?と気になりました。
直ぐに言ってほしいなと思っていたら、I尾先生が、「結果から言うと良かったです」とのこと。
あとで詳しく説明しますと。
ホッとしました。
家内とともに説明室で説明を受けました。
I尾先生と、K山先生と二人で、映像を見せてもらいながら。
前回の治療の様子と合わせて見せて下さいました。
主にK山先生が説明してくださいました。
薬を二種類減らしましょう。次回の検査は一年後に、CT検査でいいです、とのこと。
うれしかったです。
病室へ帰ってきてからの写真。
手首を曲げられないようにガードされてます。動脈の止血は大変です。翌朝までこのままでした。
でも前回の鼠径部からのよりは大いに楽でした。あれは辛かった。
これは後が大変でした。
今回は検査が目的のカテーテルでしたので手首からでした。
車椅子で手術室に入った瞬間、7,8人ほどのスタッフがスタンバイしておられて、
一瞬ビックリしました。まるで大手術を受けるような。
前回、救急車で来て、この部屋へ入れられた時は、「いちっ、にっ、さんっ!」の合図で、
スタッフに抱えられて処置台に乗せられたのですが、今回は車椅子から自分で乗り移りました。
横に処置してくださるI尾先生がおられて、
「救急車で来た時のこと、思い出して、ドキドキしてます」というと、
補助のK山先生が、「あの時は足からでしたね」と。
覚えて下さっている。
I尾先生が詳しい説明をしながら検査を進めて行かれます。
大きなモニターが部屋の左にあります。
首を回せば見えるのですが、処置中は顔のすぐ前まで機械が接近しますので、見たいけれどもちょっと難しいのです。
途中、ついて下さっている看護師さんが「大丈夫ですか?」と訊いてくださいます。
約30分ぐらいで検査は終了しました。
初め、一時間ぐらいとお聞きしていたので、順調に済んだようでした。
終わって、わたしの右手をぬぐってくださっている様子を感じて、
血まみれになっている手をきれいにしてくださっているようでした。
かなりの出血があったようです。そりゃあ、動脈に穴をあけての処置ですからね。
それで、点滴が必要なのでしょう。
点滴はそのあとも夜まで続きました。
「終わりました。お疲れ様」と聞いて、結果は?と気になりました。
直ぐに言ってほしいなと思っていたら、I尾先生が、「結果から言うと良かったです」とのこと。
あとで詳しく説明しますと。
ホッとしました。
家内とともに説明室で説明を受けました。
I尾先生と、K山先生と二人で、映像を見せてもらいながら。
前回の治療の様子と合わせて見せて下さいました。
主にK山先生が説明してくださいました。
薬を二種類減らしましょう。次回の検査は一年後に、CT検査でいいです、とのこと。
うれしかったです。
病室へ帰ってきてからの写真。
手首を曲げられないようにガードされてます。動脈の止血は大変です。翌朝までこのままでした。
でも前回の鼠径部からのよりは大いに楽でした。あれは辛かった。