喫茶 輪

コーヒーカップの耳

以倉紘平さんの本

2022-04-30 07:37:55 | 本・雑誌
以倉紘平さんの本を三冊続けて読んだ。



きっかけは、編集工房ノアさんから頂いたPR誌「海鳴り」34号。
これに載っている以倉さんの詩、「みんな みんな 健やかで元気なのだ」を読んだことによる。
←二段階クリック。



以前からわたしは以倉さんという人が気になっていた。
しかし本を求めて読むということはなかった。
今回この詩を読んで、やはりこの人のものは読んでおかなくてはならない、と思ったのだ。
そこでノアさんに、この詩が載っている詩集『明日の旅』を発注して入手し読んだ。
やはり良かった。感動した。
前にも書いたが、その中の一篇の作品に個人的に驚くものがあった。
そこで以倉さんに手紙を書いた。
その件はまたどこかに書くことにするのでここでは書かない。
そのあと、以倉さんが二冊の本を贈ってきてくださった。
一冊は詩集『遠い蛍』。
これには泣かされた。涙なしには読めないものだった。
そのうちのいくつかをわたしは妻に読んで聞かせた。
言っときますが、うちの妻は決して本が読めないわけではありません。
しかしどうしても同感してほしかったので無理やり読んで聞かせたのです。
そしてそして、以前から大いに気になっていた本、『夜学生』。
発売元のノアさんではすでに品切れになっている。
以倉氏は長く定時制高校の教師を務めた人。その体験が書かれている。
いくつもの実例にやはりわたしは大いに胸を打たれた。
というより、深く胸に突き刺さった。刃物でえぐられるような気がした。
これにはわたしが、高校を一ヶ月(それも午前中だけで早退していた)で退学したという体験が関係している。
一ヶ月で全日制の高校を退学したわたしは夜間の定時制高校に改めて入学しようかと思ったこともあった。
しかし無理だと考えて諦めた経験がある。
その体験があったので、余計にこの本が胸に刺さったというわけだ。
やはり、以倉さんのものは読まなければならなかった。
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DVD「私は貝になりたい」

2022-04-28 09:28:52 | アート・文化
4月10日に催された木津川計さんの「一人語り劇場」のDVDが届きました。
「私は貝になりたい」です。
この時の「一人語り劇場」が行われた灘区民ホールへはわたしも行ってました。
その時のこと、「最後の一人語り劇場」と題してブログを書いています。
大きな感動をいただいたのでした。
このDVDですが、当日会場に行った者だけが申し込めました。
他には販売しないということで。
その日、妻は行けず、私一人だったので、このDVDを申し込んだのでした。
わたしももう一度、妻と一緒に見るつもりです。
見たいと思う人にはお貸しいたします。ただし、わたしの著書を一冊でもお持ちの方のみに、とさせてください。

追記
  今日午後、妻と二人で見ました。二人とも大感動でした。
  妻は「私は貝になりたい」は初めてですが、わたしは生で二回、そしてこのDVD三回目です。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。

『触媒のうた』宮崎修二朗翁の文学史秘話。
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『ユニオンズ戦記』読了

2022-04-26 14:19:23 | 足立巻一先生
500ページを超える大著『ユニオンズ戦記』(川島卓也著)を読了。
といっても、わたしの興味の外の野球の試合経過が詳述されているところは、著者には申し訳ありませんが斜め読みです。
しかし大変な労作。
著者にお会いして取材を受けた時にはここまでの本になるとは正直思っていませんでした。
わたしも記憶の底の方にあったかつての弱小球団「高橋ユニオンズ」の歴史を詳述しながら、
伴走するように足立巻一先生が現れ『夕刊流星号』の記述が引用されてゆきます。
わたしも久しぶりに足立先生の息吹に触れた思いでした。
ところがこの本、「読了」とは書きましたが、完結していません。
「あとがき」にこうあります。
《構想三部作の第一作完成を機に、ここで一旦筆を擱くことにするが、ユニオンズの次なる歴史物語を紡ぐ時空へまたすぐに旅立とうと思う。》
三部作だとのこと。
こうも書かれています。
《はじめ私は、ユニオンズをめぐる純粋な球団史を構想していた。しかし球団誕生の引き鉄となった新大阪新聞社をとおして、小谷正一と足立巻一という稀有な人物とめぐり逢い、その構想を見直すことにした。》

というわけです。
第二部はどのようなものになるのでしょうか?楽しみです。
でも川島さん、早く書いてくださいよ。また10年もかかるようではちょっとわたし困るんです。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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洞爺丸台風

2022-04-26 11:41:27 | 懐かしい話
『ユニオンズ戦記』(川島卓也著)だが、
戦後間もない頃の世相も書かれていて、興味深く読んでいる。
わたしの少年時代の記憶に重なる記述が多いのだ。
今読んでいるところにこんなことが。「新大阪新聞社、台風に翻弄される」の項。
昭和29年の話である。わたしは小学四年生だった。
《さらに台風十五号に至っては、「新大阪」の記者たちも台風報道に飽きたのか「超高速台風日本海へ」と題し小さく扱った。しかし、この中国地方から日本海へ抜けた台風十五号は、九月二十六日夜に北海道南方を直撃した。そして、青函連絡船、洞爺丸をはじめ五隻が沈没し、千四百人を超える犠牲者を出したことで日本最大の海難事故になったのである。》
この台風の正にさなかにわたしは父親に連れられて奈良の大峰山に登山していた。
登山の前夜、宿屋で、一緒に行った大人たち数人がラジオの天気予報を聞きながら頭を寄せ合って深刻そうに話し合っていたのを覚えている。
結局、出発して、山中で暴風雨に巻き込まれ遭難寸前までになった。
猛烈な風が谷から吹き上げ、その時一緒だった子ども4人が吹き飛ばされそうになり、大人が岩肌に押さえつけるようにかくまってくれた。
なんとか下山した時、宿屋の前で、宿の人たちが待ち受けていて「よう無事に帰ってきた」と言ってくれ、足を洗ってもらったのを覚えている。
今、北海道の海難事故が大きなニュースになっているが、山もまた恐い。
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ぶらり用海

2022-04-25 11:44:40 | 用海のこと
公民館と郵便局に用事があって歩きました。
まず、用海公民館。



ロビーの受付窓口のそばです。
壁にかかっているのは点字の館内案内板。



目の不自由な人のためのものですが、これは近寄ることが出来ません。
よく見てみると、かなり古いものです。
エレベータの案内がありません。
まだ階段だけの時のものですね。
どうせ役に立たないから前に物が置かれている?

公民館の用事を済ませて郵便局へ。
その帰り。
湯浅酒店の前で夫人に出会う。
ここ3年は中止だが、「宮っ子バスツアー」にはいつも参加してくださっていた人です。
バス中でのわたしの文学歴史講座を楽しんでくださっていたのでした。
「こんにちは」と挨拶すると、笑顔で挨拶を返して下さった。
ところが「公園の掃除をいつもズボラしてすみません」とおっしゃる。
あれ? わたしは関係ないです。
多分、公園掃除の世話をしておられるどなたかと人違い。
マスクしてますからねえ。
「わたしと違います」とは言わず、話を合わせておきました。

石在町で家を解体してました。



親の代からのお付き合いだった葛尾さん宅。
お地蔵さんのお祭りには毎年お参りに来られていましたが、何年か前にお亡くなりに。
でも家があったので、地蔵盆祭りの案内状はポストに入れていたのでした。
すると昨年までは娘さんがお供えを持ってきてくださっていたのだが。
また淋しくなってしまいます。

家の前の道。



西行一方通行です。
なので、東向きに歩くときには道の真ん中を堂々と歩きます。
後ろから車が来る心配はないので。

午前中でしたが、ひと汗かきました。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。


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結婚五十周年記念詩集

2022-04-23 09:58:46 | 『恒子抄』
昨日4月22日がわたしたちの結婚五十周年記念日でした。
今年初めから、記念の詩集を作ろうと密かに計画し、進めてきました。
妻にサプライズしてやろうと思ったのです。
完成したのは、つい一週間ほど前でした。
で、昨日外食をし、その時に「これラブレター」と言って渡しました。
「こんなものつくって」と言われないかと少し不安でしたが、喜んでくれて、大成功でした。
苦労して作った甲斐がありました。



文庫版の袖珍本で約60ページのちいさなものですが、わたしたちの宝物です。
ごく身近な人のみに呈上ということで、少部数です。
もちろん販売はしません。
最初は一部だけと思って始めたことですのでね。

「あとがき」

そして巻末の一篇「五十年」。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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金の生る木が光り輝いている

2022-04-22 18:20:11 | 日記
夕方のこと、妻が買い物から帰宅して、わたしに息せき切って言う。
「金の生る木が光っている」と。
出てみると玄関のそばに置いてある木の葉が本当に美しく光り輝いていた。



不思議だ。
しかし、よーく観察してみると、種が分かった。
でも、こんなことが起こるのは何かいいことがあるに違いないと思うことにした。
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西宮球場のナイター

2022-04-22 10:45:19 | 本・雑誌

『ユニオンズ戦記』にこんな場面が。
西宮球場にナイター設備が出来た昭和28年のこと。
《また、この年にはじまった西宮球場のナイター試合は、平日の夜の娯楽として近隣住民に人気を博した。筆者が足立巻一の人物像についてインタビューした今村欣史は、西宮市の住民で、幼少のころ、米屋を営む父親が仕事を終えた後、仕事で使う頑丈な自転車の荷台に今村を乗せて、西宮球場のナイター試合に連れて行ってくれたことを記憶している。こうして、西宮球場におけるナイター試合により、大幅に観客動員数を増加させた。》
そうなんですね。「欣史、ナイター観に行こか」といって連れて行ってもらったのでした。こんなこと川島さんにしゃべっていたんですね。
そのころはまだ甲子園球場にはナイター設備がありませんでした。
後に甲子園に出来ると、甲子園に連れて行ってもらうようになりましたが。
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「誰にでもわかって誰にも作れぬものを」

2022-04-22 08:44:03 | 田辺聖子さん
必要があって田辺聖子さんの名作『道頓堀の雨に別れて以来なり』をパラパラと繙いていた。
初めて読んだのはもう18年前。
川柳作家、岸本水府の評伝。スゴイ本でした。



上中下の三部作。大著です。
今朝最後のページを読んだのですが(ここ読むのは初めてだったかも)、我が意を得たりのことが書かれています。
井上ひさしさんの「解説にかえて」です。
←クリック。
《水府は「誰にでもわかって誰にも作れぬ句を作れ」と言ったという。》
わたしの目指して(今さら?)いるところでもあります。
(誰にでもわかって誰にも作れぬ詩)。
と言ってもわたしは元々難しいものを作る能力がないのではありますが。

『触媒のうた』田辺聖子さんのエピソードも載ってます。
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『ユニオンズ戦記』の足立詩

2022-04-21 16:03:53 | 足立巻一先生

『ユニオンズ戦記』を読んでいるのだが、筆者の川島さんの取材力に感心してます。



わたしより余ほど足立先生の著書を読みこなしておられる。
巻末の主要参考文献の欄に並んでいる足立先生の著書は10冊だが、中身を熟読しておられる。
また著書以外にも目を配っておられて、今日読んだところでは、こんな場面があった。





足立先生の詩集『夕刊流星号』の詩「墓地の共和国」を上げ、そしてこう書かれている。

《この詩は、昭和33年に刊行された足立巻一の第一詩集『夕刊流星号』に選ばれている。実は、この詩には、続きがある。「詩と真実」1953年1月号に掲載された「墓地の共和国」には、その続きが書かれているので、紹介する。

  もはや
  ぼくたちは石つぶてを握るより仕方がなかった。
  しかし もう十年
  いや九年
  この一帯はどうなっているか?
  
足立巻一がはじめにこの詩を作った時、足立の詩には、新大阪新聞社に対する希望がまだ多少なりとも感じられる。しかし、そのような僅かな希望はいとも簡単に消え失せた。五年後の昭和33年に編まれた詩集から、足立は、この5行を消してしまった。その時には、希望はまったく無くなっていたのである。》


よく調べ込んでおられて感心します。

『触媒のうた』足立巻一先生のことを詳しく書いてます。



  
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高校生の詩を募集

2022-04-21 09:38:29 | 
西宮市芸術祭の詩を募集しています。
対象は、西宮市在住あるいは在学在職の、2004年4月2日から2007年4月1日まで生まれの人。
だいたい高校生が該当します。





詳しくは「西宮市文化振興財団ホームページ」へ。
わたしも選考委員の一人です。
ご応募お待ちしております。
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第42回三田市美術展 講評 書部門

2022-04-18 13:31:18 | アート・文化
もう長年、「KOBECCO」のわたしのエッセイ欄に「書」を提供してくださっている六車明峰氏が、審査をされた三田市美術展の「書」の部入選作品の講評をしておられるyoutubeです。
姿は写っていませんが、落ち着いた声での講評です。

第42回三田市美術展 講評 書部門
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遠い記憶の人

2022-04-18 09:48:48 | 懐かしい話
以倉紘平さんの詩集『明日の旅』を毎朝少しずつ読んでいるのだが、

昨日読んでいて「おや?!」と思った詩があった。
詳細はまだ明かさないでおこう。
ある人のことが書かれている。
その内容から、わたしが昔、もう4,50年も昔に毎週お会いしていた人では?と思えた。
遠い記憶である。懐かしい。
で、すぐさま以倉さんに電話した。
直接尋ねてみようと。
しかし何度電話しても出られない。
時間をおいてかけてみたけれど出られない。
お留守なのか、あるいは相手先不明番号の電話には出ないようになさっているのか(初めてかける電話なので)。
というわけで、今日いま、手紙を書いた。その人の写真などの資料も同封した。

今日投函する。
どんな返事が頂けるか楽しみ。
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不思議なこと

2022-04-17 19:02:34 | 地蔵さん
夕方、いつものようにお地蔵さんへ。
ところが不思議なことが。
天井に吊ってある提灯が一つ落ちている。



なぜ?
もう長年、天井に6個が吊ってある。
そのうちの北西の隅の提灯が落下している。
今朝、妻が扉を開け、花の水替えをしてお参りしている。
その時、落ちていれば気づかぬはずがない。
その後、というわけだ。
今日は風もない穏やかな一日。
これまで、台風の時でも落ちたことはなかった。
落ちた提灯を調べたが、ぶら下げる針金にも異常はない。
天井のフックにも問題なし。



ということは、誰かのいたずらか?
でも、なんのために?何かのまじない?
この提灯を落としておけばいいことが起こるとか。
そんな馬鹿な。
悪戯で落とすにしても、普通の人は背が足りない。
あと、わたしが元に戻したが、台石の上に失礼して上らせてもらって背伸びしてやっと届いた。



わたしの身長は181㎝。
ああ不思議だ。
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『ユニオンズ戦記』の足立巻一先生

2022-04-17 15:43:36 | 足立巻一先生
『ユニオンズ戦記』だが、足立巻一先生が重要な役割を担っておられる。
このページ。
←二段階クリック。
308ページです。
《ここまで読まれた方はお気づきだろうが、筆者は本稿で高橋ユニオンズの戦いの記録と並行して、小谷正一と足立巻一の動向を書いてきた。》
わたしはまだここまで読んでませんが、パラパラと見ていて目に留まりました。
そうなんですね。夕刊紙「新大阪」と「高橋ユニオンズ」は深い縁があるということ。
わたしは著者の川島さんに聞くまでそのことを知りませんでした。
ところが川島さんは足立先生の事実に基づいた小説『夕刊流星号』などを重要な資料として書き続けられたのでした。
始めの方、16ページにはこんなことが書いてあります。

ここにはわたしの名前も登場します。
《晩年の足立に詩作の指導を受けた今村欣史に、足立についての印象を筆者も聞いてみた。》
興味深く読まないわけにはいきませんね。
いや、実際、おもしろいです。
子どものころ耳にしたプロ野球チーム「高橋ユニオンズ」が、たった3年で消えてしまっていたとは思いませんでした。

追記
 今読んでいて驚き。47ページです。
 門前眞佐人 という選手名が出てきました。
 わたしが小学校のころ、この門前選手の息子さんが同じ学校、用海小学校にいました。わたしより、一二年下だったと思います。
 下級生でしたが、わたし達の学年の子よりも大きな体でした。なので、わたしは彼のお父さんは阪神の選手だと思っていました。
 でも今、調べてみると、その当時は広島の選手になってます。
 なんでだったんでしょうねえ。たしか、東町に住んでたのだったと思いますが。
 元阪神だったので住居は東町にありながら、選手のお父さんは広島に単身赴任?
 「お父さんがホームランを打ったから」と言って、友達に高価なお菓子をばらまいていた記憶がうっすらとあります。


『触媒のうた』 足立巻一先生のことも書いてます。
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