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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

53回目の4月22日

2025-04-22 09:51:51 | 『恒子抄』

53回目の4月22日(良い夫婦の日)です。

3年前には記念に詩集『恒子抄』(非売品)を作り、身の回りの僅かな人にお届けしました。

他人様にお見せしても「おのろけ」と思われるだけかと。

今回は何もありません。

ただ、次の『続・恒子抄』のための詩作は続けております。

そのうちの最近の一篇。

 

   「ダイヤモンド婚」

  結婚50年を記念して詩集を作ったのは三年前

  その時

  「次はダイヤモンド婚の記念詩集を作るからね」

  と妻に言った

  すると 

  「そしたら10年は生きとかなあかんね」

  と言う

  わたしは

  「うん、それも元気でね。約束だ」

  と言ったのだった

  あれから三年

  あと七年だ。

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52周年

2024-04-22 09:07:55 | 『恒子抄』
こんなのを作って下さいました。

「コーヒーカップの耳」ならぬ「コーヒーカップのソーサー」とのこと。
元西宮自然保護協会会長であり、元用海小学校校長、山田先生からの贈り物です。
感謝感激雨あられ、じゃなかった、感謝感激花吹雪です。
いやしかし、52年の間には雨も霰もあったかも。
ありがとうございます。
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一年半前のぶんぶんさんのHP

2024-01-12 09:20:43 | 『恒子抄』
東北の女道化師「ぶんぶん」さん、こと森文子さんのHPを久しぶりに(ワード検索で)覗いてみた。
すると一年半も前に『恒子抄』について丁寧な感想を書いて下さっていてびっくり。

彼女とわたしとのなれそめも書かれていて感動した。
そのHP、「新月兎企画」です。
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笑い話二題

2023-12-28 09:44:33 | 『恒子抄』
『恒子抄』の続編を出す時のために。
笑い話二題。

 「まぶしい顔」
浜辺美波さんがテレビに写っている。
「こんなきれいな人がそばにいたら困るな。そわそわしてしまう」
妻、「うれしいんちゃうん?」
わたし、「どこ見てええんかわからん」
「顔見たいんちゃうん?」
「まぶしいやん」
「よかったね。うちではまぶしくなくて」
「まあまあ、まぶしいで。あれほどではないけどな」
例によって「ガハハハ」と笑われた。

○ 「備忘メモ」
食器棚の引き出しの2番目を指して、
「ここに入れておくからね」と妻。
足がつった時の薬。
「覚えておく自信がないなあ」。
「メモ貼っておこうか?」。
「いや、それすると、この家にはボケ老人がいると思われそうでいややなあ」。
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51回目

2023-04-22 08:29:21 | 『恒子抄』
今朝、PCを開けると届いていたメール。

   今村様・奥様
   おはようございます。
   「結婚記念日」おめでとうございます。
   「椿の小径」の撮影日が4月22日でした。
   「椿」の花言葉は「控えめな優しさ」「誇り」です。
   お二人にぴったりですね。
   これからもよろしくお願いいたします。
     Y田洋三・禮子

よくぞ覚えて下さっていたものだ。
美しい椿の写真が添えられていたが、その花言葉はわたしどもではなく、このY田ご夫妻にこそ似合う。
ことに令夫人に。

わたしどもは結婚51周年だが、昨年から今年にかけて大変な日々だった。
でもなんとか、ここまでは乗り越えられた。二人だからこそかもしれない。

昨年は記念詩集『恒子抄』を作成したのだが、今年は何も間に合わなかった。
あと9年後に完成させようか、60周年記念詩集を。

ところで、今朝の妻。
お地蔵さんのお参りからなかなか帰ってこない。
迎えに行くと、家の周りのプランターの花に水やりをしている。
「花が水くれ~言うてるから」と言う。
わたしは、「聞こえたことないけどな~」。

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「初めてのサプライズ」

2023-03-01 16:35:35 | 『恒子抄』
芸術文化団体  半どんの会発行の『半どん』179号の拙詩「初めてのサプライズ」を読んだ人から手紙がありました。
その「初めてのサプライズ」です。

手紙の一部。
《現代詩■自選集 初めてのサプライズ  
 あーこんな人もいるんだ。恒子さんと呼ばれる美しい心の人よ!
 私は涙しました。最初の四行は涙です。この詩集ありますか。
 私は欲しい。》


詩集『恒子抄』はごく少部数の発行で、身近な人にお送りしたもの。
残部もあまりありません。
さてどうしたものでしょうか?
内容も他人様に読まれるのは恥ずかしいものだし。
でもこのような手紙をわざわざ下さる人には…。

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まだ便りが

2022-10-18 10:38:12 | 『恒子抄』
詩集『恒子抄』を出してから、ほぼ半年になる。

身のまわりのわずか数十人にお送りしたのだが、いまだに感想のお便りが来る。
今日届いたのは豊岡のO・Tさんから。便せん五枚にびっしりとプリントされたもの。

これだけの分量の手紙はわたしの手書きなら便せん10枚以上になるでしょう。
Oさんから返事がないなあと思っていたのでしたが思いを溜めておられたのか。
ただただうれしく、ありがたいことです。
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あれはどのあたり

2022-08-28 10:14:11 | 『恒子抄』
この前、図書館に行った時に「リサイクル図書」のコーナーにあった本。



『丘の明り』(庄野潤三著・昭和42年刊)です。
頂いてきました。
中の「蒼天」という小説を読んでいて、「ほほう!」と思った場面。

《子供を抱いて走つた時の始りから終りまでは、映畫の中のひとつの場面のやうに覺えてゐながら、それが自分の過去の月日のうちのどのあたりに嵌め込まれるべきことなのか分からない。さうなると、その背景となる生活そのものが、何やら霞にでも包まれたやうな、頼りないものに思はれて来るのだつた。》

まるで私がこの春に出した詩集『恒子抄』の最後の二行ではないか。
《五十年の見境がつかない あれはいったいどのあたりなのだろう。》


『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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3月31日発行?

2022-08-25 11:29:00 | 『恒子抄』
昨日、詩人で連句の宗匠鈴木漠さんからお贈りいただいた「おたくさ」61号だが、


「後記の為の後記」に注目。
《もし、詩や連句の世界に鈴木がいかほどか貢献を成し得たとするならば、それは荊妻恒子の包容力と助力の賜物である。半世紀、何も報ゆる事が出来なかったことを恥じつつ、明記しておきたい。》
これを読んだときわたしは、(あ、鈴木さん、わたしに影響されたな)と思った。
わたしは4月に拙詩集『恒子抄』を鈴木さんにもお贈りしている。その詩集の「あとがき」にわたしはこう書いている。
《尚、巻末に記した著作物はすべて、恒子の支えがなければ生まれなかった。ありがとう。》と。
鈴木夫人のお名前も「恒子」さんである。
「ハッ」と思われたに違いない。
と思ったのだが、おかしい。
昨日お贈りいただいたのに、発行日が「2022年3月31日」となっている。
え?いまごろですか?
3月発行ならば、わたしの『恒子抄』はまだ手にしてはおられない。
不思議だ。

追記
これと同じ記事をFBにも上げていたのだが、そこに詩人梅村さんからコメントが入った。
梅村さんは「おたくさ」の同人です。
《今村さん、実は3月31日発行で準備されていたのですが、入院中が続き結局二か月遅れの5月末に発行されました。ということで、後記はその直前に書かれたと思われ、「恒子抄」は目にされていたのでしょう。》
そうだったのか。で、不思議解消しました。
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書評「恒子抄」

2022-06-30 08:57:34 | 『恒子抄』
「兵庫県現代詩協会」の会報51号に会長の時里二郎氏(神戸新聞文芸欄選者)による書評欄がある。
ここ5年の間に出した拙著4冊も、その時々にきっちりと読んでくださり著者の思いを正しくくみ取り、評してくださった。
今回の「恒子抄」については少し迷ったが、わたしの良き理解者だと思い、お送りした。

すると、やはり作者の想いを理解し、限られた行数の中で見事に評してくださっていた。

うれしいことだった。

引用された詩に誤植があります。
二行目、「朝起きるのは後だからだ」を「朝起きるのは後からだ」に訂正お願いいたします。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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99歳の人

2022-06-22 18:32:21 | 『恒子抄』
『恒子抄』は少部数発行でしたので、ごく身近な人にしかお送りしておりません。
届いてない友人さんには申し訳ないことですがご理解ください。
そんな中で、わたしが大好きな宍粟の詩人、西川保市さんにはお送りしていました。
ご高齢(1923年生まれ)ですのでご返事は期待しておりませんでしたが、このほど返信がありました。
「字が書けなくて礼状を差し上げることができませんでした」とありました。
そのあと縷々書いてくださっていて、こんなことを書いて下さっていました。
《このあと五年が過ぎたら「恒子抄 二」、その後 五年経ったら「恒子抄 三」を出してください。(略)生きていて読みたい気がしますが、そのころ私はおりません。》と。
この詩人は80歳のころに奥様とのことを書かれた『大切な人』という素晴らしい詩集があります。



わたしの『恒子抄』より余ほど深みのある詩集です。

そうだ、この人のこと、以前「KOBECCO」に書かせてもらったことがあります。
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『恒子抄』の編集・印刷を担当してくださったMさんからの情報

2022-06-13 10:07:48 | 『恒子抄』
夫婦ともに親しくしているある人に『恒子抄』を差し上げたのだが、その人(拙著『完本コーヒーカップの耳』を本屋さんで購入して下さり、周りに宣伝してくださった人)が、奥付にある編集・印刷のMさんに電話をされたとのこと。
編集者にまで電話が入ることは珍しいことだと、その内容を事細かく教えてくださって感動しました。
それをごくごく短く、二十分の一ぐらいにわたしが要約しました。

《おたくで印刷した本を頂きましてね。
 この表紙の色と中の色と、とっても素敵でね、最初藤色に気がつかなかったんですけどね、もう一度開いてみたら、いやぁ、こんな色があったんだと思って。          
 ほんでこの何ていうか、字ね、天眼鏡でないと読めないのでは?と思たけどね、メガネなしで読めましてね。
 私にはもう間に合わないですけどね、この夫婦みたいにほんと行きたいですよね…。
 本を読んでね、感動してね、後でこんなに涙が出てきたの初めてです。 
 私もね、年いってしまってね、80すぎてしまったんですよ。それでこんなに一気に本が読めるなんて、本当。有難うございました。わたしもまたなにか印刷をお願いすることがあるかもしれませんが…。》





笑いはしても泣ける本ではないと思うんですが。
手のひらに乗るほどの袖珍本です。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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『恒子抄』への便りがまだ

2022-06-11 14:02:27 | 『恒子抄』
詩集『恒子抄』を縁の深い人にお送りしてから一月以上になるが、
まだポツリポツリと便りが来る。
昨日は親しくしているお寺の老僧(91歳)より。

和紙に毛筆で。
あまりに見事な筆跡なので、表装して飾りたいぐらい。

そして今日は、土曜日だから郵便は来ないはずなのに、郵便屋さんのバイクの音が。
おかしいな?と思って郵便受けを見ると速達が。

これはわたしが詩を書き始めたころ、もう40年以上も昔に初めての同人誌「地平線」を一緒にやった人。
便せんだが、長い巻紙状のもの。
こんなのがあるんですね。

返信を読ませてもらうのも楽しみなことでした。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。

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詩は誰に

2022-06-01 09:39:21 | 『恒子抄』
詩はなぜ書くのだろう?
誰に向かって書くのだろう?
小説やエッセイなどは媒体の読者(世間)に向かって書くということだろう。
しかし、詩はちょっと違う感じがする。これはわたしの場合というべきだろうが。
以前、孫の詩を書いていた時は、発表誌の読者へというよりも、孫へという意味が強かったと思う。
今(その時は幼くて)読むことが出来なくても、その孫が大きくなった時に読んでくれたらいいな、というように。
そしてこの度の妻のことを書いた『恒子抄』は、間違いなく妻を読者として書いたものだ。

結果的に、わずかではあっても知人が読んでくださったということはあるが。
さて、これからは誰に向けて書こうか?
自分に向けて書くのもいいか。
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詩集『つきひ』

2022-05-26 08:31:26 | 『恒子抄』
詩集『恒子抄』だが、奥付にこれまでに作った著作物を並べた。
全部で30冊。←クリック。
ところが忘れていたのがあった。
『つきひ』という詩集Ⅰ~Ⅲ。



和書風手作り冊子。たしか詩友の今は亡き堀川さんから頂いた彼女手製の冊子。
これにわたしが手書きしている。
すべて家族のことを書いたもの。悪筆です。とても人様には見せられない。
冒頭の詩は「今日が終わって」。1981年1月の作。41年前だ。
そして巻末の詩は2004年作の「恒子」。
因みに「つきひ」とは、わたしたち家族四人の名前の頭文字を並べたもの。
「つねこ」「きんじ」「きよ」「ひとし」ということで、「き」が二人いるが。

     「今日が終わって」
  夕刻より妻は公民館へ出かけている
  二人の子どもは もう二階へ上がって寝ている
  衣服が脱いだままの姿で散らかっている
  冷蔵庫がかすかに地虫のような声を立てている
  ストーブにかけられたやかんが
  ちんちんと
  独り言をつぶやいている
  その上に吊るされた日めくりごよみが
  かさかさとささやいている
  時おり明日の日付が顔を出す
  外は少し風が出てきた様子
  明日は寒くなりそうである。


何の創意もない初期の作品だが、懐かしい。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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