


imamuraさんの本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
今日は火曜日。
久保さんがパーソナリティーを務める番組が「さくらFM」で放送される日。
で、今日のテーマが「スプリング」だというので、メッセージを入れておいた。
「スプリングといえばこの詩ですね」と、杉山平一先生の「夜学生」という詩を書いて。
いつもゆっくりとは聞けないのだが、今日は原稿の作業をしながら聞いていた。
ゲストにナレーターの畑中ふうさんが生出演。
畑中さんは「M1グランプリ」のナレーションでも知られた人。
すると、なんと番組の中で久保さんが畑中さんに「この詩を読んでくださいませんか?」と振ったのだ。
ということで、畑中ふうさん、初見でこの「夜学生」を朗読された。
初見にも関わらず、絶妙の間を挟みながら読み上げられた。
これは感動ものでした。
ふうさんが読まれるのがわかっていたのだったら録音の用意をしていたのに。
といっても久保さんも咄嗟に頼まれたのだろう。
そりゃそうだ。メッセージカードは生番組の最中にスタジオに届けられるのだろうから。
ああ、びっくりした。

明日28日(火)、今年最初のラジオ出演をします。
「さくらFM」の久保直子さんがパーソナリティーを務める「CAFE@さくら通り」です。
わたしの出番は午後5時15分からの予定。
前回に続き詩人杉山平一さんのことをお話しします。
気が向けばお聴きください。
『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。

先月26日(火)に「さくらFM」で杉山平一先生の詩集『希望』を紹介した。
その時あるリスナーさんからメッセージが入っていたのを後で知らされた。
「杉山平一さんの「生」という詩をお寺の法話で聞いたことがある」というもの。
わたしは多分この詩だと思うと答えたのが、次の詩。
「生」
ものをとりに部屋へ入って
何をとりにきたか忘れて
もどることがある
もどる途中でハタと
思い出すことがあるが
そのときはすばらしい
身体がさきにこの世へ出てきてしまったのである
その用事は何であったか
いつの日か思い当るときのある人は
幸福である
思い出せぬまゝ
僕はすごすごあの世へもどる
(詩集『ぜぴゅろす』1977年より)
この詩をパーソナリティーの久保さんは、その顛末と共に先日12月10日の放送で紹介された。
法話で使われたというそのお寺さんが、わたしは気になります。どんなお坊さんなのでしょうね。
たしかに法話に使える詩です。
今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。 今なら本屋さんでも買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。



「さくらFM」今日出演します。多分午後5時20分ごろから30分間ほど。
今年5回目かな?
パソコン、スマホでならどこからでも聞けます。ラジオでは78、7MHzです。
杉山平一先生の話をする予定。
わたしの書斎の杉山先生の詩額。
「トンネル」
トンネルは抜けるもの
待つものは来るのだ
来たのかもしれない
郵便函にポトリと
音がする
杉山平一先生の最後の詩集『希望』ですが。
その表紙カバーを外すと、こんなのが。
珍しい表紙です。このアイデアはどなたなのでしょうか?装幀家の森本良成さんなのか、編集工房ノアの涸沢さんなのか、はたまた著者の杉山平一先生なのか?
先生の最晩年、97歳の字です。
明後日、26日(火)、「さくらFM」でこの詩集の詩を紹介しながら先生のことをちょっとお話する予定です。
わたしの出演時間は午後5時20分ごろから30分間ほどの予定です。気が向きましたらお聴きください。
完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。 今なら本屋さんでも買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。