喫茶 輪

コーヒーカップの耳

森山卓郎ほか

2018-01-31 10:17:53 | 新聞記事
千切り抜きから。

森山卓郎さんです。
宮崎翁、千切り抜くときに誤って破ってしまっておられます。
それを別の紙で裏張りして修復。
しかし上手く行かず、ボールペンで書き添えて下さっています。
なんということ!たった、わたし一人のために。
味わって、血肉にしなければいけません。

これは中西進。

《『万葉集』は、何と「雑」の文類から出発する。》
あ、そうなのか!と思う。
思い出すのは、足立巻一先生の詩集『雑歌』。
この本には足立先生から署名を戴いています。

「今村均史様」となっています。
「あ、間違った!」とおっしゃったのですが、
「いいです。これも思い出になりますから」とわたしは言ったのでした。
この『雑歌』の「あとがき」にこうあります。
《…これを『雑歌』と題したのは、数年来のくさぐさの歌を集めたからであるが、また、古歌集などを読んでいて「雑之部」が好きなことにも由る。》
足立先生らしい。

これは江戸川乱歩。

いかにも千切り抜きです。この時は当てる定規が手元になかったのでしょうか。
こんなのを見ると、反ってありがたみが増します。
さて江戸川乱歩。
わたしの読書遍歴の最初が江戸川乱歩でした。
あのノーベル賞候補に何度も上がっている村上春樹も子ども時代に通ったという西宮図書館で借りて読んだのでした。

これはシェークスピア。

これも涙が出るような千切り抜きです。
宮崎先生、ありがとうございます。
「どうして不幸というものはことば数が多いのだろう?」
さすがにシェークスピアですねえ。重い言葉です。

これは、「ある僧侶」とあります。

これも重い言葉です。
「人生は、手遅れのくり返しです。」
これは書物からの言葉ではなく、「母の年忌に、ある僧侶の言葉として住職から伺った。」とあり、鷲田清一さんが聞かれた直話です。

これは坪内稔典さん。

これも重い言葉です。
自分の人生を決めた年齢。
わたしならどうか。
多分、父親が病気になり、わたしの学歴が高校中退と決まった時なのでしょう。17歳だったかな?
今、その年齢の子どもに悩み事を相談されたら、ちゃんと答える言葉が用意できるだろうか?
出来なければならないのだろう。坪内さん、「もち得なかったら、何の書き手か」とおっしゃってる。


宮崎翁から戴いてきた千切り抜き、どれも心に残るいい言葉なのだが、その中でもわたしが特に心動かされたものを上げてきた。
その残りの一枚。
田中角栄です。
今、この時。日本にとって大事にしなければいけない言葉ではないだろうか。
その言葉があの田中角栄だとは!
「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない」
abeさんは戦争を体験したか?

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たかとう匡子さん

2018-01-31 09:42:33 | 新聞記事
朝日新聞の人気コラム「折々のことば」だが、先日宮崎翁から戴いてきた千切り抜きの中に、たかとう匡子さんのがあった。

たかとうさんといえば兵庫県現代詩協会の会長さんでもあります。
昨年、芦屋であった富田砕花に関するイベントで講演されました。
その時わたし、たかとうさんから依頼を受けて、富田砕花の昔の朗詠の録音CDを提供させていただいたのでした。
それはわたしが所持していたものではなく、S野女史からカセットテープ録音のをお借りしてCDにダビングさせていただいたもの。
当日は孫関連の用事があって行けなかったのだが、行った人の話では、ちゃんと会場で流されたとのこと。
しかし、あのCDはどうなったのだろう?
彼女に差し上げはしたが、ダビングして砕花記念館に寄贈なさっただろうか?
ちょっと気になってます。
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坪内逍遥の没年

2018-01-30 21:26:42 | 本・雑誌
宮崎翁からお借りした本『父 逍遥の背中』を読み終える。

逍遥の養女、飯塚くにの話をもとに小西聖一が書いたもの。
見事な聞き書きだった。
逍遥の人柄を、余すところなく語っている。
逍遥、その人に触れたような気にさせられる。
恥ずかしながら、わたしは『小説神髄』をまだ読んだことはないのだが、ぜひ読まなければならない気になった。
宮崎翁の思惑通りなのだろう。
『父 逍遥の背中』には10葉ばかりの写真が載っている。
その一枚。
逍遥は昭和10年に75歳で亡くなっている。
この写真の時は、大正10年とあるから、60歳前後か。
しかし、今の人なら70歳以上に見える。
昔の文人は若くして老成していたのですね。
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内藤國雄さん

2018-01-30 10:30:54 | 将棋
今日の神戸新聞「発言」欄。
←クリック。
この投稿者はわたしのお師匠さんです。
昔、将棋を教えていただきました。わたしは、内藤九段の孫弟子というわけです。
A司さんはK大学の将棋部出身。そこで顧問だった内藤さんに指導を受けたことを書いておられます。
もう30年以上も昔にわたしはこのA司さんに教えて頂いたのでした。
当時、兵庫県のアマチュア四天王の一人と新聞に紹介されたことのある人です。
大学の将棋部に所属しながら町の道場でも腕を磨いたという人。
だから、正統派でもあり、また町道場特有の力将棋にも通じていた人。
そんな人にわたしは何年間か教えて頂いたのでした。
毎週一回だけ、この先生(当時高校教師だった)のお宅に伺って一局だけ指導を受けました。
二枚落ち(飛車角落ち)から始めて、香落ちまで進んだところでお互いの生活が忙しくなり、終了しました。
最初に言われたのは、「三段にはしてあげる」でした。その時わたしは多分2、3級ぐらいだったと思います。
初段ぐらいになるのに約1年かかったと思います。
そして最終的には言われた通り、三段程度に。
すぐにわたしの潜在能力が三段までだと見破られていたのでしょう。
あの、何年間か受けた指導が、今、子どもを指導するわたしの力になっています。
A先生はわたしに正統派の将棋を教えてくださいました。
駒落ち定跡からみっちりと勉強したのでした。
それが今生かされています。
将棋の強い人はいくらでもいますが、子どもを上手に指導できる人は少ないのです。

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わたしの万年筆

2018-01-29 21:05:03 | 日記
愛用の万年筆です。

もう40年以上使っていると思います。
パイロット。まあ高級品です。
修理をしながら使ってきましたが、ついに買い替えの時が来たようです。
しっくりと手になじむのが見つかるだろうか?

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坪内逍遥から宮本顕治へ

2018-01-29 10:53:01 | 宮崎修二朗翁
宮崎翁からお借りしている『逍遥の背中』を読んでいて、”そうなのか“という話が。
『播州平野』で有名な宮本百合子は最初、逍遥に小説を読んでもらい、文壇デビューを果たしたのだという。
その時、逍遥は「文学の道を選ぶとなると、将来、女としてのしあわせは保証できませんよ」と言ったのだと。
後に百合子は共産党の宮本顕治と結婚することになる。
その宮本顕治からのハガキがわたしの手元にある。
←二段階クリックで。
《「播州平野」の一部収録のこと、承知いたしました。》と。
消印は昭和34年3月だ。   
「のじぎく文庫」宛になっている。要するに、宮崎修二朗先生宛というわけだ。
この一部収録のものはなんだったのだろう?
たしかに宮崎翁の『環状彷徨』には宮本百合子のことが書かれている。しかし、『環状彷徨』は1977年発行だ。
わたしが所持する、ほかの宮崎翁の著書も調べてみたが、発行年などの関係で対応する本が分からない。
もしかしたら、本ではなく、新聞(連載?)記事へのものだったのか?
そして後に本になったと。
また一度、お尋ねしてみよう。

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『上機嫌な岬』

2018-01-28 10:07:52 | 
昨日トンカさんで入手した詩集『上機嫌な岬』(伊良子正・思潮社)を読んだ。

伊良子正はやはり清白のご子息。
清白については平出隆さんが立派な伝記を出しておられる。
わたしは宮崎翁にお借りしたままになっている。
上下二巻の豪華本。この本にも『上機嫌な岬』が参考文献として上がっている。


さて『上機嫌な岬」から、清白についての詩を2篇紹介しましょう。

←二段階クリックで。
「往診」という詩。
タイトルは前のページに書かれています。
この詩集、作品ごとにタイトルだけを2ページ使ってあります。
21作品を100ページほどの一冊に納めてあります。
1作品ずつ、じっくりと読んでほしいということなのでしょうね。
たしかにそのような作品だと思うのですが、わたしは一気に読んでしまいました。

これは「桃源丸」。←二段階クリックで。
清白が交流していた文人の名前が見えます。

あとがき(あとに)です。

300円はお買い得の、いい詩集でした。
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本日の収穫

2018-01-27 18:37:37 | 本・雑誌
本日の神戸行きの収穫です。

『わが心の自叙伝・落合重信』これは、図書館でコピーさせてもらってきたものを冊子に製本したもの。
ところで、コピーだが、図書館の係の人に「全ページを」と言ったら、「著作物は半分まで」と言われました。
そうなんですね、全ページコピーは著作権が関わってくるのでした。
ということは、わたしの『コーヒーカップの耳』を全ページコピーして山のように積んであったという、大阪文学学校はやはり、いけないことをなさっていたということですよね。でも、この冊子は新聞からのコピーを製本したものということでOKでした。

『ライオンの顔』と『きよのパーティ』。これは一年以上前に「トンカ」さんにお貸ししていたもの。
もう残部がないので貴重なものです。ちょっと事情があってお返し頂くのが遅くなっていたのでした。
やっと帰ってきました。
『荒地の恋』ねじめ正一著。『パルモア病院日記』中平邦彦著。
ねじめさんは『むーさんの自転車』以来、気になる作家さんです。
中平さんは元神戸新聞の将棋担当の記者さん。
『棋士・その世界』というプロ棋士のことを書いたおもしろい本を昔出されたことがありました。
これはどんな話なのだろうか?
そして『上機嫌な岬』は詩集です。
著者の伊良子正さんは、伊良子清白の息子さんでしょう。ということは、やはり元神戸新聞記者さんの伊良子序さんのお父さん?
パラパラと見たところ、お父さんの清白のことを書かれた作品が見えます。
昔、家族で行った安乗岬を思い出します。
そこに予期しない伊良子清白の詩碑「安乗の稚児」があったのでした。
予期しなかったというのはわたしの無知のせい。清白の詩碑が安乗にあるのは当然のことなのでしたが。

どんな順に読もうか楽しみ。
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大倉山図書館へ

2018-01-27 16:15:46 | 本・雑誌
久しぶりに、本当に久しぶりに神戸中央(大倉山)図書館へ行ってきました。
あれはまだ二人の子どもが小学生の頃だったと思う。
なぜか、家族4人で行ったのでした。
あの頃は古い建物で暗いイメージがありました。
中に戦災資料室というのがあって、そこでのことを詩にして神戸新聞に投稿し、足立先生に選んでいただいたことがありました。
長男のhitoshiは、人体に関する図鑑を興味深そうに見ていたのを思い出す。

図書館はすっかり変わっていました。

明るく広々としていました。

今回の用件は、落合重信さんの『わが心の自叙伝』を見るため。
落合さんのことが最近気になっているのです。
わたしと身の上が似ているということもあって。
しかし落合さんはわたしとは違って、神戸の文化に大いに寄与された立派な人。

この本です。
わずか20ページの薄っぺらな本です。
しかしこの本、貸し出しはされていません。しかも神戸中央図書館にしかありません。
というのも、出版されたわけではないのです。
神戸新聞に連載されたものをコピーして製本されたもの。
手作りの冊子というわけです。1部しかない本なのです。
手に取ってみると、落合さんが寄贈されたものでした。
先ず全ページの写真を撮らせてもらい、あとゆっくりと読ませていただきました。
そして、受付へ行って「コピーはだめでしょうか?」とお尋ねしました。
OKということでコピーさせていただきました。
新聞の切り抜きそのままではなかったので、紙が白く、きれいに取れました。

実は、行くときに三宮から地下鉄に乗って、もうすぐ大倉山という辺りで、ふと気づいたのです。
「あれ、神戸新聞の連載をそのまま冊子にしたもの(情報として知っていた)なら、ここまで来なくても良かったのでは?」と。
西宮図書館には神戸新聞のバックナンバーがあり、前にも利用させてもらったことがあるのです。
時間とエネルギーがもったいなかったなあ、と思ったのですが、ここまで来たら、行くしかないとも思いました。
でも結果的には行って良かったというわけです。
大きく束ねた新聞からのコピーはちょっと難しかったと思うからです。
そして、新聞そのままの紙ではなく一旦白い紙にコピーされたものだったので。

神戸に行ったついでに、帰りに元町まで行き、「トンカ書店」さんに立ち寄ってきました。
ここも久しぶりです。昨秋行った時はお休みでした。その前に行ってから、もう一年以上にもなります。
古本3冊買ってきました。

追記 投稿詩、「戦災資料室」は調べてみると、昭和59年1月21日づけで特選に選んでもらっている。
ということは、長男が10歳の時だ。

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『要説 日本文学史』

2018-01-26 16:10:31 | 宮崎修二朗翁
昨日、宮崎翁から教えて頂いたことの中に、
「足立さんの『日本文学史』では充分ではありません」というのがあった。
明治大正の近代文学史を勉強するうえでのことである。
この本のこと。

伊藤正雄教授との共著になっているが、足立先生は現代文学を担当されている。
この本、わたしずいぶん昔に購入していたのですが、ほとんど読んでいません。

そこでこのほどお贈り頂いて読んだ『神と人との出会い』だが、
これに著者の加藤隆久さんが甲南大学でお世話になられた教授として名前の挙がっているのが伊藤正雄教授。
なんと偶然!
『神と人との出会い』にこんな記述が。
《文学修士と「明階」という神職の資格を取得して卒業し、東京・靖国神社に就職の予定であったが、甲南大学の恩師の荒木良雄、伊藤正雄両教授から「ぜひ甲南大学で教えるように」との強い要請があり、ついに東京での神明奉仕を断念して神戸に帰り、生田神社に奉仕する傍ら、甲南学園の教壇に立つことになったのである。》
う~ん、不思議なものですねえ。
足立先生、伊藤正雄教授、加藤隆久さん、そして宮崎修二朗翁。人の縁がつながってゆく。
さて、勉強しなければならない。
宮崎翁のおすすめの本は、吉田精一の『明治大正文学史』。
「文庫本になってます」とのことで、アマゾンで発注しました。
『明治大正文学史』
この年になってまだ「勉強しなさい」と言われました。
つい最近、96歳になられた翁からすれば、「あなたはまだまだお若い」のだ。
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『神と人との出会い』

2018-01-26 11:49:09 | 本・雑誌
神戸三宮、生田神社の名誉宮司、加藤隆久様からお贈り頂いた本。

『神と人との出会い』(加藤隆久著・エピック)です。
帯文(推薦)を玉岡かおるさんが書いておられる。

すぐにページを開いて読ませていただきました。
と言っても熟読とはいきません。
わたしにとって難しい宗教学のところは飛ばし読みさせて頂きました。

生田神社といえば足立巻一先生を思い起こします。
第一回目の「足立巻一さんを忍ぶ会」が行われたのは、ここの神社会館でした。(「夕暮れ忌」と名づけられたのは翌年のこと。司馬遼太郎さんと井上靖さんのお二人での命名。)あの時は作家の灰谷健次郎さんもご出席で、足立先生のことを、「自分にとって父親でした。今も亡くなったとは信じられません。だから奥様へものを送る時は今も、奥様のお名前じゃなしに足立巻一様宛にさせてもらってます」といったようなスピーチをされたのを覚えています。
さらに、社務所の玄関には足立先生の大きな詩額が飾ってあります。
「アルカッシャの森」という詩。
始めの方に「生田の森は子どもの楽園」という興味深い一項があります。
それに引かれて読み進んだが、神戸の文化の歴史が多彩に書かれていて、それは貴重な記録になることでしょう。
著者の加藤宮司は神職にとどまらず神戸の文化人でもあります。
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坪内逍遥から

2018-01-25 16:46:49 | 宮崎修二朗翁
久しぶりに宮崎修二朗先生を訪問しました。
二か月近くお会いしませんでした。
声はしっかりしておられましたが…。
二時間近く、お話を伺いました。
「失礼ですけど、坪内逍遥から明治大正の文学を勉強なさい」と言われました。
で、一冊お借りしてきました。

『父 逍遥の背中』(飯塚くに・小西聖一編・中央公論社・1994年)
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「おたくさ」Ⅱ-28

2018-01-24 20:20:33 | 
鈴木漠さんからお贈りいただいた。「おたくさ」Ⅱ-28


「詩と連句」とあるが、ほぼ連句である。
連句はたしかに文学性の高いものだと思う。
何度か鈴木宗匠に誘われて参加したことがあるが、わたしには難しい。
昔はもっともっと庶民的な文芸だったというのだが。
鈴木宗匠はこれを世に広げようと(復活させようと)長年頑張っておられる。
しかし今の世には少々難しいのかも。

表紙に詩が一篇。

梅村光明さんの「大菩薩峠曼荼羅」。
いきなり足立卷一先生の名が。
この足立先生が書かれた大菩薩峠にかかわる話はどこに書かれていたのだろう?
読んだような気はするのだが、覚えていない。


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取材のおまけ

2018-01-23 20:30:17 | 取材
「六甲」掲載のエッセイ原稿を仕上げるため、あるお寺のご住職をお訪ねした。
それで一つあった疑問が解消。
よもやま話をして、さて辞去しようとしたのだが、床の間に立てかけてあった絵に目が留まった。

この部屋には何度かお邪魔しているが、初めて見る絵だ。
「最近、K.Jさんという人から贈呈されたものです」とのこと。
昔の香櫨園の絵だという。
そうか、それで懐かしさを覚えたのか。
少々想像が含まれているが、昔の海水浴場だったころの趣がある。
しかし偶然。
今日お訪ねした用件の原稿には、昔の香櫨園との関連があるのだった。
因みに、K・Jさんのことが「宮っ子」鳴尾版に載ってました。
この絵は50号と大きなものとのことです。

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三学期最初の将棋クラブ

2018-01-22 16:08:23 | 将棋
三学期最初の将棋クラブでした。
わたしの家の隣のY小学校。
今、学級閉鎖もあってどうかな?と思ったが、4年生以上の23人が参加しています。

写真には24人が写ってますが、このうち一人は担当教諭。
今年度はあと二回で終わりです。
見て回ってみましたが、全体的に少しは進歩したかな?
たった45分なのでみっちりと教えるということができませんが。

帰りにちょっと校長室へ寄り道。
学校沿革史を見せてもらうため。
ある詩人のことで知りたい記述がないかな?と思って。
残念ながらそのような記録は載ってなかった。
そのこと、学校日誌には記載されたのだろうが、日誌は5年で廃棄だそう。

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