病院の待ち時間に今読んでいる本。
『原稿零枚日記』(小川洋子著・集英社文庫)です。
今日読んでいてオッと思ったのは、「五月のある日」。
近くの神社でのイベント「子泣き相撲」について書かれている。
日記の形で書かれているが、これはエッセイでしょうね。
そして、わたしが注目したのは、その神社のこと。
これは西宮市にある越木岩神社のことと分かる。
何度かお参りしたことがあるが、もう昔だ。
「子泣き相撲」だが、わたしは見たことがない。
その様子を小川さんは、事細かく描写しておられる。
その中でも、赤ん坊の描写が素晴らしい。
そして、活き活きした描写のあとに次のような文がある。
《そして足だ。土俵の砂に触れて災いを払いのけるべき足は、とうてい未完成だった。赤ん坊自身そのざらざらとした感触に怯えを隠せない。今足の下にあるものの神聖さが、これから先自分が踏むことになるだろうさまざまな汚らしさを予言しているようで、恐れおののいている。だから彼らは泣いている。
ひとときたりとも泣き声の止む時はない。それは渦を巻き、うねりとなり、コロナのように森を覆い尽くす。鼓膜が泣き声の沼底に沈められている。私たちは誰一人、この森から外へは出られない。
巨石を切り出そうとした石工も、割れ目に落ちた樹木の種も泣いている。いやここに響き渡っているのは、全部私の泣き声だ。この世で泣いているのはただ私一人きりなのだ。》
このあとももう少し続くが、こうなるともうこれは、日記でもエッセイでもなく、小説ですね。流石です。
因みに今日の病院でのこと。
検査の前に身長測定があったのですが、「180㎝」といわれてしまいました。
たしかに加齢とともに背は低くなっていると思うのですが、1,5㎝も短くなっているとは驚き。「ショックを受ける方がおられます」とは看護師さんの話。
『原稿零枚日記』(小川洋子著・集英社文庫)です。
今日読んでいてオッと思ったのは、「五月のある日」。
近くの神社でのイベント「子泣き相撲」について書かれている。
日記の形で書かれているが、これはエッセイでしょうね。
そして、わたしが注目したのは、その神社のこと。
これは西宮市にある越木岩神社のことと分かる。
何度かお参りしたことがあるが、もう昔だ。
「子泣き相撲」だが、わたしは見たことがない。
その様子を小川さんは、事細かく描写しておられる。
その中でも、赤ん坊の描写が素晴らしい。
そして、活き活きした描写のあとに次のような文がある。
《そして足だ。土俵の砂に触れて災いを払いのけるべき足は、とうてい未完成だった。赤ん坊自身そのざらざらとした感触に怯えを隠せない。今足の下にあるものの神聖さが、これから先自分が踏むことになるだろうさまざまな汚らしさを予言しているようで、恐れおののいている。だから彼らは泣いている。
ひとときたりとも泣き声の止む時はない。それは渦を巻き、うねりとなり、コロナのように森を覆い尽くす。鼓膜が泣き声の沼底に沈められている。私たちは誰一人、この森から外へは出られない。
巨石を切り出そうとした石工も、割れ目に落ちた樹木の種も泣いている。いやここに響き渡っているのは、全部私の泣き声だ。この世で泣いているのはただ私一人きりなのだ。》
このあとももう少し続くが、こうなるともうこれは、日記でもエッセイでもなく、小説ですね。流石です。
因みに今日の病院でのこと。
検査の前に身長測定があったのですが、「180㎝」といわれてしまいました。
たしかに加齢とともに背は低くなっていると思うのですが、1,5㎝も短くなっているとは驚き。「ショックを受ける方がおられます」とは看護師さんの話。