神戸新聞夕刊の随想欄。
神戸新聞さん拝借お許しを。
浪曲師、京山幸太さんが書いておられます。
一読、笑ってしまいました。話の内容ではなく、その文体に。
5行目から19行目までがワンセンテンスで書かれています。他の所はちゃんと普通の長さなのに。
普通、こんなに長いセンテンスは悪文の見本になるのですが(時にわざとそうすることはありますが)、この文章、なぜか自然に読めてしまいます。それで笑ってしまいました。妻にも読んで聞かせてやりました。
ということは、上手いんですね。流れるように書かれています。要するに、わざとなんでしょう。さすが浪曲師さん。
『コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
ある原稿を書くのに、ここに何か手がかりがあるのではないか?と思って入手した本です。
目星通りありました。
あっという間に原稿が書けました。
ある雑誌の11月号に載せます。
『コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
出久根達郎さんの『本の身の上ばなし』を読んでいて、「あ、そうだったのか!」と思うことが書かれていた。
「愛すべき漫画の思い出」の項。
《女優・吉永小百合は、声でデビューした。昭和32(1957)年当時の子どもたちは、定刻六時になるとラジオに耳を傾けた。「ちょこざいな小僧め、名をなのれ」「赤胴鈴之助だ」。そして剣をとっては日本一に、という主題曲が流れてくる。》
驚いた。この中の「日本一に」のところ。
わたしは子どもの頃からずっと、ここは「日本一二」だと思っていた。
頭をガツンと殴られた思い。なんという思い違い。そういわれればそうだ。
でも子どものときに脳に刷り込まれていて、全く間違いには気づかずにきた。
こんなことがほかにもたくさんあるのだろうな。
このところちょっと忙しくしていて、原稿を書くのが遅れていた。
なんとか資料を準備して書いている。
今朝方のことだ。夢を見た。心配だった原稿がことのほかうまく行った夢。
いつもは失敗する夢を見るのに今朝は成功していた。
気分よく目覚めた。
ところが、これが心配だ。
いつもは夢で失敗でも、現実にはまあ上手く行く。
ということは、夢で上手く行ったということは、現実には失敗になってしまうのか?