


パーソナリティ、久保直子さんのFBよりシェアさせていただきました。


以倉紘平さんから届いた詩誌『アリゼ』227号。
2025年6月30日発行。
同人の皆さんは以倉さんに影響を受けておられるので、難解詩はありません。
皆さん誠実に自分の言葉で書いておられます。
やはり、以倉さんの詩がわたしの胸に響きます。「夜空」です。
愛娘、いずみさんのことを書かれた詩は涙を誘われずにはおれません。
それから、今号に中村不二夫氏の名前が載っていて驚きでした。
書評ですが、我が意を得たりの内容。そして、わたしが驚いたというのは、もう24年も昔に中村氏からわたし、ハガキを戴いているのです。
たしか、安水稔和先生の指示により拙詩集『コーヒーカップの耳』をお送りしたのへの返信でした。
まことに好意的なハガキだったので覚えているのです。
《御詩集は、詩が読まれないという通説を覆す力を秘めています。》などと。
お元気だったんだ。とはいうものの、ハガキの内容を読むとわたしよりも年少なので当然でもありますが。
「アリゼ」の巻末に住所が載っている(転居なさっているようです。)ので、また機会を見てお便りをしてみよう。
以倉紘平全詩集の年譜の最初は、1940年(昭和15)当歳とあり、わたしより三歳上と分かる。
その数行後に《生家は、聖徳太子の御廟である叡福寺のごく近くであった。》とある。
これはたしか・・・、と思いつき、拙著『触媒のうた』の「足立巻一先生」の項を調べた。
すると有った。
宮崎修二朗先生の言葉として、《叡福寺という聖徳太子のお骨を納めた有名なお寺があるんですが、その近くに下宿されたんです。》。
足立先生が大阪芸術大学に勤めておられたころの話である。
これも何かの縁かな?
何年か前に以倉紘平さんの『夜学生』という本が気になり発行元の編集工房ノアさんに発注しようとしたら「売切れ」になっていて一旦諦めていました。
ところがその後、以倉さんとあることで直接接触する出来事があり、お持ちになっていたものを贈ってくださいました。
読ませてもらって大いに感動したのでした。
そして今回、以倉さんのことをラジオで話そうと思い、以倉さんの本をいろいろと勉強する中で、2021年に出された『わが夜学生』を読みたくなり、ノアさんに電話で発注しました。
これは前の『夜学生』と重なるところも多いのですが、初めて読む文章もあり、改めて感動させてもらっています。
「ぼくにとっての「夜学生」」。
《彼等は十五・六歳の時から自ら働き、稼いだ金を家計に入れることを当然と心得ている。若くしてすでに<家長>としての自覚をもっているのだ。》
夜学生のことだが、思えばわたしもその年齢の時には同じことだった。
但し、わたしは「夜学生」ではなく「夜学生未満」でしたが。
編集工房ノアさんに電話して、以倉紘平さんの本『わが夜学生』を送ってもらった。
パラパラとページをめくって読んでみたが、面白過ぎる。
「面白い」というのは、単にアハハハと笑うような面白さではない。
たしかに声を出して笑える場面もあるが、言葉について、人間について、深い深い思いが、わたしの好む文体で書かれている。
数ある項目の中の、まだ二項を読んだだけだが、面白過ぎる。この後読み進めるのが大いに楽しみ。
今月22日に「さくらFM」に出演の予定です。
午後5時台の「コーヒーカップの耳に聞く」というコーナー。
今回は尼崎の詩人、以倉紘平さんの人と詩を紹介する予定です。
そのための予習をしているのですが、年譜を読んでいると驚くことが載っていました。
2002年のところで、《木津川計『優しさとしての文化』が出版され(略)「夜学生」をテーマにした杉山平一氏と私の作品をとりあげ、「杉山平一から以倉紘平へ」という文章で、詩歌ジャンルの結びとされたことに感激する。》とあります。
木津川計さんは何年か前に引退されましたが、NHKラジオで長年「ラジオエッセイ」という番組を持っておられて、わたしの詩を何度も紹介してくださったのでした。今もお元気でいてくださることを祈ります。
その木津川さんの『優しさとしての文化』はわたしも所持しているはず、と探し出してきました。
改めて読んでみて大いに感動しました。
木津川さんの杉山平一先生への署名が入っています。
というわけで、この本は杉山先生がお亡くなりになった後、ご息女の初美さんから形見分けとして戴いたものです。
このことについてもラジオでお披露目しよう。