この時期のこの時間だけに、ここに日が射す。
4月6日、午後5時50分。
「輪」の西の窓から、奥の席に。
足立巻一先生の詩碑の拓本。
これは、播磨中央公園にある詩碑から。
宮崎修二朗翁と坂野訓子さんとわたしとの三人で行った時に、宮崎翁と坂野さんとで採取された拓本。
後に宮崎翁が、足立先生についての講演で使用され、そのあとわたしに譲って下さったのだった。
宮崎翁も坂野女史も今はない。時茫々。
4月6日、午後5時50分。
「輪」の西の窓から、奥の席に。
足立巻一先生の詩碑の拓本。
これは、播磨中央公園にある詩碑から。
宮崎修二朗翁と坂野訓子さんとわたしとの三人で行った時に、宮崎翁と坂野さんとで採取された拓本。
後に宮崎翁が、足立先生についての講演で使用され、そのあとわたしに譲って下さったのだった。
宮崎翁も坂野女史も今はない。時茫々。
先日上げたブログ「東大寺南大門」ですが、
足立巻一先生の詩「石の犬」のことを書いた。
そうだ、その詩を足立先生自ら朗読しておられる録音があるはず、と思い出した。
あれは印象深い朗読だったと。
久しぶりに聞いてみました。
懐かしいお声。独特の語り口。
そのお姿も思い起こす。
もうこの音源を持つ人は少ないだろうな。
足立巻一先生の詩「石の犬」のことを書いた。
そうだ、その詩を足立先生自ら朗読しておられる録音があるはず、と思い出した。
あれは印象深い朗読だったと。
久しぶりに聞いてみました。
懐かしいお声。独特の語り口。
そのお姿も思い起こす。
もうこの音源を持つ人は少ないだろうな。
夕方見ていたテレビの画面にびっくり。
播州赤穂の上郡駅でした。
なんとも懐かしい。
あの昔と佇まいが変わっていない。
38年も昔だ。
なぜすぐに38年と分かるかと言うと、上郡駅に関する38年前のことの原稿を今朝仕上げたところだった。
足立巻一先生の取材について行った時のこと。
改札は自動になっているが、建物はその時のままの様子。
さらにその番組は芸人の増田英彦が街を巡るもの。
その増田君、昔うちの店に来店したことがある。
日本盛に仕事で来られた時だった。
丁度、孫のkohがいて、帰りにkohの頭を撫でながら「バイバイ」と言って店を出て行かれたのだった。
最近このような「偶然!」と思うことが多いのだが、これはわたしが高齢になったことと関係があるだろうか?
不思議だ。
『コーヒーカップの耳』人間味あふれ、詩ごころいっぱいの本。
播州赤穂の上郡駅でした。
なんとも懐かしい。
あの昔と佇まいが変わっていない。
38年も昔だ。
なぜすぐに38年と分かるかと言うと、上郡駅に関する38年前のことの原稿を今朝仕上げたところだった。
足立巻一先生の取材について行った時のこと。
改札は自動になっているが、建物はその時のままの様子。
さらにその番組は芸人の増田英彦が街を巡るもの。
その増田君、昔うちの店に来店したことがある。
日本盛に仕事で来られた時だった。
丁度、孫のkohがいて、帰りにkohの頭を撫でながら「バイバイ」と言って店を出て行かれたのだった。
最近このような「偶然!」と思うことが多いのだが、これはわたしが高齢になったことと関係があるだろうか?
不思議だ。
『コーヒーカップの耳』人間味あふれ、詩ごころいっぱいの本。
この前書いた「足立先生の言葉」ですが。
活字化しました。
この聞き書きは、元々取材したわけでもなく、録音したものでもありません。
一日、足立先生のお供をした中で先生の口をついて出た言葉をわたしが記憶し、帰宅してから思い出して記録したものです。
なので先生の地の言葉です。
先生が書かれた文章からは知ることができない、先生の素の人柄が現れています。
また竹中郁についての話は、「評伝・竹中郁」を書く動機をお話しくださっていて貴重かと思います。
ということで、この原稿をどこかに発表したいと思っているのです。
資料として残るところに書いておきたいのですが、どこがいいかなあ?
活字化しました。
この聞き書きは、元々取材したわけでもなく、録音したものでもありません。
一日、足立先生のお供をした中で先生の口をついて出た言葉をわたしが記憶し、帰宅してから思い出して記録したものです。
なので先生の地の言葉です。
先生が書かれた文章からは知ることができない、先生の素の人柄が現れています。
また竹中郁についての話は、「評伝・竹中郁」を書く動機をお話しくださっていて貴重かと思います。
ということで、この原稿をどこかに発表したいと思っているのです。
資料として残るところに書いておきたいのですが、どこがいいかなあ?
必要というより、聞いてみたくて出してきました。
足立巻一先生のCD。
昭和58年。
NHK第二放送。
カセットテープに録音したのだったが、後にCDにダビングしたもの。
聞いてみたが、足立先生独特の早口が懐かしかった。
ただ、途中、音が切れているところが何カ所かあった。
なんでかな?
足立巻一先生のCD。
昭和58年。
NHK第二放送。
カセットテープに録音したのだったが、後にCDにダビングしたもの。
聞いてみたが、足立先生独特の早口が懐かしかった。
ただ、途中、音が切れているところが何カ所かあった。
なんでかな?
全日空、御巣鷹山の事故から38年。
その時の乗客名簿。
http://www.snet.ne.jp/milk32/123meibo.html
この中に「今村欣治」という人があります。
事故当初、メディアで報道されたのは漢字ではなく、カタカナでした。
「イマムラキンジ」と。
わたしと同姓同名。
しかも年齢まで同じでした。
わたしが死んだと思われても仕方なかったのでした。
しばらく我が家はざわついたものです。
入院中の足立巻一先生も「教え子が乗っていた」と嘆いておられたと後日聞きました。先生は、その二日後の8月14日に急性心不全でお亡くなりになったのでした。
いつまで経っても忘れられません。
『触媒のうた』 足立巻一先生のことが詳しく。
原稿を書くために読む必要が出てきて、『無名兵士の記録 戦死ヤアワレ』(足立巻一著・1982年・新潮社刊)を出してきた。
その最後の章、「戦死ヤアハレ」を読んだ。40年も昔に読んでますが、さすがに具体的な内容はほとんど忘れてます。
本の表題は「アワレ」。しかし章のタイトルは「アハレ」になっている。
これは足立先生の工夫ですね。
本の間から思わぬものがでてきた。
六段のマッチのラベル。足立巻一先生の色紙を使ってあるもの。
懐かしい。
それは別として、桑島玄二さんが出てきて、この本と深い関わりがある。
足立先生が情報提供し、重要な人を紹介し、桑島さんは良い本を出版することになる、そんな話が出ている。
その本、『兵士の詩 戦中詩人論』(理論社)、『純白の花負いて 詩人竹内浩三の”筑波日記”』(理論社)、そしてこれは編集工房ノアからの『物言わざれば』(編集工房ノア)の計三冊。
これらもわたしは持っているはずだと探したが見つからない。
どこかにあるんだけどなあ。
あの震災以来、わたしの昔の書斎は物置になってしまっていて、本が無茶苦茶になったまま、整理がついていない。
どうしたらいいんでしょうか?
その最後の章、「戦死ヤアハレ」を読んだ。40年も昔に読んでますが、さすがに具体的な内容はほとんど忘れてます。
本の表題は「アワレ」。しかし章のタイトルは「アハレ」になっている。
これは足立先生の工夫ですね。
本の間から思わぬものがでてきた。
六段のマッチのラベル。足立巻一先生の色紙を使ってあるもの。
懐かしい。
それは別として、桑島玄二さんが出てきて、この本と深い関わりがある。
足立先生が情報提供し、重要な人を紹介し、桑島さんは良い本を出版することになる、そんな話が出ている。
その本、『兵士の詩 戦中詩人論』(理論社)、『純白の花負いて 詩人竹内浩三の”筑波日記”』(理論社)、そしてこれは編集工房ノアからの『物言わざれば』(編集工房ノア)の計三冊。
これらもわたしは持っているはずだと探したが見つからない。
どこかにあるんだけどなあ。
あの震災以来、わたしの昔の書斎は物置になってしまっていて、本が無茶苦茶になったまま、整理がついていない。
どうしたらいいんでしょうか?
『ありとリボン』(山口雅代著・編集工房ノア刊・2200円+税)を読み終えました。
著者山口雅代さんが子どもの時に作られた詩集の新版です。
こどもの詩というわけです。
いい詩がいっぱい。でも紹介するのは2篇だけにしておきます。
「白いふね」と「いなかことば」です。
「めくって」という言葉が斬新ですね。そして、「いなかことば」ですが、昔、わたしの妻の故郷、出石の奥小野ではカラスが方言で鳴いていたのを思い出しました。
あとの詩はこの本を入手してお読みください。みな素晴らしいです。
ここではこの本の周辺事情を紹介します。
「はじめに―「新版」発行に際して」です。現在の雅代さんが書いておられます。
これでこの本の凡その事情が分かります。
そして「はしがき」。これは初版発行時の竹中郁さんのもの。
巻末近くに「母から雅代へおくることば」というのがあります。
母心がよく出ています。
そして「雅代からお母さんへ」。
年譜です。
これは貴重。
詩人の名前が載ってます。
竹中郁、小野十三郎、足立巻一。
あのころの詩人は、こういった弱い立場の人の才能を評価したら、骨身を惜しまず励まし、そして実際に世に出す手助けをなさっていたのです。
ここに名前は出ていないですが、「國際新聞」というのが出てます。年譜の年を勘案すると、これはきっと宮崎修二朗氏が取り上げたのでしょう。
そこから表紙絵の初山滋にもつながって。
素晴らしい大人たちがいたということで。
足立巻一先生の言葉。
足立先生は特に弱い立場の人に優しかったですからね。
これは浮田要三さんの紹介文。
このあと、黒田清さんも「山口雅代さんとの出会い」と題して書いておられますが、割愛させてください。
そして巻末。
著者ご本人の近影と奥付です。
編集工房ノアの涸沢純平さん、編集ご苦労様でした。
ありがとうございました。
『触媒のうた』 宮崎修二朗による、小野十三郎、足立巻一、竹中郁などのユニークなエピソードがいっぱい。