goo blog サービス終了のお知らせ 

喫茶 輪

コーヒーカップの耳

御巣鷹山

2025-08-12 17:05:52 | 足立巻一先生

40年になるのか!

わたしにとっても大きな出来事だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さくらFM出演「足立先生の話」

2025-03-26 21:04:13 | 足立巻一先生
昨日、「さくらFM」に出演してきました。
 
 
スタジオの控室です。
 
あいみょんのサイン入りポスターが飾られてました。
 
今回は足立巻一先生のことをお話しさせて頂きました。
 
足立先生のことになると、わたし止まらなくなるのです。
 
話は「やちまた」に広がってしまって、気がついたら番組終了を知らせるミュージックが流れてきました。
 
パーソナリティーの久保直子さんが上手にお相手して下さって楽しくお話させていただきました。
 
番組の中で足立先生の詩「南天」を朗読したのですが、後で録音を聞いて間違いに気づきました。
「70歳」と読むべきところを「40歳」と読んでいました。お恥ずかしい。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さくらFM に出演予定

2025-03-23 21:01:16 | 足立巻一先生
❮ さくらFM に出演予定 ❯
 
 
明後日25日(火)に「さくらFM」に出演予定です。
 
パーソナリティ久保直子さん担当の「cafe@さくら通り」。
 
わたしの出番は午後5時10分ぐらいから。
 
評伝作家、詩人の足立巻一先生の話をする予定です。
 
お聞きいただければうれしいです。
 
PC、,スマホで聴くことができます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「きりん」の復習

2025-02-26 08:48:03 | 足立巻一先生

児童詩誌「きりん」を復習しています。

これはわたしが所持する「きりん」の資料の一部。

現物の「きりん」11冊です。

昭和23年から46年までの23年間にわたり220号まで発行された子どもの詩と作文の本。

井上靖が「日本でもっとも美しい子どもの本を」と言って、当時の関西の詩人が欲得抜き、手弁当で編集発行したもの。

井上靖40歳、竹中郁43歳、足立卷一34歳、坂本遼43歳、尾崎橘郎34歳。

戦後荒廃した世相の中で奇跡のように美しい児童書が発行されたのでした。

わたしの小学校時代、用海小学校にも届けられ、各教室に置かれてありました。

北海道から九州まで、全国の子どもたちの詩や作文が載っています。

教師の協力なくてはできないこと。

そうして何万もの作品が残ったのでした。

今の時代では絶対に無理でしょう。

あの時代を井上靖は次のように言っています。

《私は終戦の20年8月から23年いっぱいくらいまでを、つまり終戦後三年半ばかりの間を、狐に化かされたような奇妙な季節だと思っている。その頃私の周囲にいた人全部が、多かれ少なかれ、狐に化かされていたのではないかと思う。

わたしはこの奇妙な、物の怪に憑かれたような三年半の時期を大阪で過ごした。(略)私が、竹中郁氏や足立卷一氏と繁く往来し始めたのはこのころである。竹中氏も足立氏も、やはり正常ではなかった。狐に化かされるか、物の怪に憑かれているか、でなければ多少得体の知れぬ病気に罹って発熱していた。》

わたしはその時代の子どもだったのです。わたしの教師も作文教育に熱心でした。特にわたしには「毎日作文を一つ書いてきなさい」と言った人でした。

さて「きりん」ですが、この号を見て下さい。

昭和38年3月号です。このころは充実していて、60ページ余りあります。

こどもの詩と綴り方と詩人の文章が載ってます。

竹中郁、坂本遼、足立卷一、灰谷健次郎、今江祥智、長新太など。

その中の竹中郁のページです。

一年生の、もとやまようこさんの詩を題材に詩の指導を懇切丁寧にしています。

ここに出てくる「坂本先生」というのは詩集『たんぽぽ』で有名な詩人、坂本遼のことです。

今、姫路文学館で「坂本遼展」が行われていますが、その坂本遼です。

この時代の「きりん」に関わった子どもたちは幸せだったと思います。

教師も充実感を味わったことでしょう。比して、今の教育現場はどうなんでしょうねえ。決して幸せとは言えないと思いますが。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足立先生関連の本

2025-02-25 18:50:06 | 足立巻一先生
このところ足立先生関連の古い本を出して来てます。
 
これは、『きりんのあしあと』(澤田省三著2007年刊)。
 
 
著者の澤田さんからの手紙が挟まれていました。
 
わたしより年少だから今もお元気でしょう。
 
戦後の日本で奇跡的ともいえる児童誌『きりん』についての歴史が書かれています。
 
井上靖が、「日本で最も美しい子どもの雑誌を出しなさい。それが今一番必要なのだ」と言って生まれた児童誌。
 
こちらは東秀三さんの「足立巻一』と、庄野至さんの『足立さんの古い皮鞄』。
 
 
東さんも庄野さんもすでにお亡くなりになっています。
 
庄野さんの本には庄野さんからの手紙が挟んでありました。
そしてサインが。
 
サインのことも手紙のこともすっかり忘れていました。庄野さん、ごめんなさい。
 
さあ勉強です。
 
『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足立卷一先生の企て

2025-02-22 18:40:09 | 足立巻一先生

昨日、足立卷一先生の色紙の事を書いた。

これは村上翔雲師が、足立先生が催したチャリティー即売会で購入したものだろう、と。

そのことを裏付けるようなパンフレットをわたし所持している。

 

昭和59年に催された「編集工房ノア創立十周年記念 10年の歩み展」。40年ほども昔。

これの「ごあいさつ」を足立先生が書いておられる。

「この催しは私が出しゃばって企てたものです。」と。

そして「著者色紙展示即売」の説明書きにはこんなことが書かれている。

「なお色紙の売り上げは編集工房ノアへカンパいたします。」

足立先生はこんなことをしておられたのだ。本当に情の深い人だった。

これであの村上翔雲師の色紙のいきさつも想像できるというものだ。

わたし、この企画展に行きましたが、その時の恥ずかしいエピソードは書かない。

 

『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足立先生の二冊の本

2025-02-22 09:12:51 | 足立巻一先生
あることを調べるために出してきました。
 
足立巻一先生の『夕暮れに苺を植えて』です。
 
 
わたしが初めて買った足立先生の著書。
 
これを読んだためにわたしの人生の「やちまた」の一つが定まったのでした。
 
人生の岐路の一つというわけです。
 
足立先生の魅力に取りつかれてしまったわけで。
 
写真には二冊写ってますが、このうちの一冊はあることで、足立先生のご長男、明さんから贈られたものです。
 
「父が好きだった本です。すでにお持ちでしょうが」と。
 
足立先生の書斎にあったものということ。
 
何冊か置いておられたのでしょう。そのうちの一冊。
 
 
『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

色紙の謎

2025-02-21 22:36:40 | 足立巻一先生

今日の「書斎・輪」のお客人は、ラジオパーソナリティーのKさん。

書斎に飾っている色紙額を指さして「どんな意味ですか?」とおっしゃる。

わたしは「知りません」。

もう長く飾っている足立巻一先生の色紙です。

わたしもいまだに謎なのです。

ところが帰宅したKさんからラインで「ここに関係していますか?」とお貸しした本のあるページを示して来られました。

わたし、「あっ!」と思いました。

そして、もう少しその辺りを調べてみると、「そうだったのか!」と氷解。

お恥ずかしい。

国文学を勉強された人ならすぐに解ることかもしれませんが、浅学のわたしはKさんからのヒントを頂くまで謎のままだったのです。

因みにこの色紙ですが、元々書家の村上翔雲さんが所持しておられたものです。

まさか足立先生が贈られたなどということは万が一にもないでしょう。

思うにこれは、翔雲さんが購入されたもの。

わたしの手に来た時にはまるで今書いたかのように美しいものでした。

要するに飾ってはおられなかったということ。

と言うのも、足立先生は兄事していた竹中郁が亡くなった後、竹中の本を次々と出されました。

その資金を得るためにいろんな人に協力を求め、またご自分も色紙を書いて資金の足しにされていたのだと想像します。

それに協力する(カンパに応じる)意味で翔雲さんも購入されたのでしょう。

足立先生の色紙に関してはわたしに恥ずかしいエピソードがあり、以前何処かに書いた覚えがありますが、ここでは略します。

今日のこの話については、いつか詳しくエッセイに書きたいと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「イマムラキンジ」

2024-08-12 08:27:23 | 足立巻一先生
毎年このことを書くが、
39年前の今夜、わたしは多くの人から死んだと思われた。
テレビの速報で流れる乗客名簿に、「イマムラキンジ 41才」とわたしと同姓同名同年齢の人の名があった。
初めのうち、名前はカタカナで報道された。
翌朝の新聞にもカタカナで報道された。
電話がジャンジャン鳴り、翌朝には様子を見に来てくれた人が「足がある!」と言ったものだった。
その二日後の14日には尊敬する入院中の足立巻一先生がお亡くなりになった。ベッドの傍らには新聞があり、「わたしの教え子が乗っていた」と嘆いておられたという。
忘れられない事故だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夕暮れ忌」参加者名簿2点

2024-07-21 16:02:44 | 足立巻一先生

原稿を書くために、有るはずの資料を探すのだが、なかなか見つからないということはよくあって、

今日もだった。

そして、思いがけないものが見つかるというパターン。

今日出てきたのはこれ。

足立巻一先生を偲ぶ「夕暮れ忌」の参加者名簿、2枚。

30年以上前です。

お亡くなりになってる人が多いのは当然か。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「せんせいあのね 1年1組かしま教室 ①ひみつやで」

2024-04-18 15:37:41 | 足立巻一先生
今日の神戸新聞夕刊の記事。


久しぶりに足立巻一先生に関連する話。
主役は鹿島和夫さんだが、この記事にも見える灰谷健次郎さんは、足立先生を父と慕った人だった。
お二人とも足立先生を偲ぶ「夕暮れ忌」でお会いしている。
もうお二人ともお亡くなりになってしまったが、懐かしいお人だ。
『せんせいあのね』が新たに編集されて出版されたとのこと。
48歳のフリーアナウンサー、むかいさとこさんの努力による。
もちろんわたしは『せんせいあのね一年一組』は持っています。
が、これも読んでみたい。

けど、むかいさんは足立先生のことなどご存じないだろうな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本の詩は…」

2024-04-06 18:36:52 | 足立巻一先生
この時期のこの時間だけに、ここに日が射す。


4月6日、午後5時50分。
「輪」の西の窓から、奥の席に。



足立巻一先生の詩碑の拓本。

これは、播磨中央公園にある詩碑から。
宮崎修二朗翁と坂野訓子さんとわたしとの三人で行った時に、宮崎翁と坂野さんとで採取された拓本。
後に宮崎翁が、足立先生についての講演で使用され、そのあとわたしに譲って下さったのだった。
宮崎翁も坂野女史も今はない。時茫々。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足立先生朗読「石の犬」

2024-04-05 08:29:41 | 足立巻一先生
先日上げたブログ「東大寺南大門」ですが、
足立巻一先生の詩「石の犬」のことを書いた。

そうだ、その詩を足立先生自ら朗読しておられる録音があるはず、と思い出した。
あれは印象深い朗読だったと。



久しぶりに聞いてみました。
懐かしいお声。独特の語り口。
そのお姿も思い起こす。

もうこの音源を持つ人は少ないだろうな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東大寺南大門

2024-04-02 10:08:59 | 足立巻一先生
阿修羅が第一の目標だったが、「大仏さんも」ということで東大寺にも行った。
世界最大の木造建造物ということでその大きさに今回も、というより以前来た時よりももっと大きな感動を受けた。
余りにもの大迫力。

本堂のその手前にこれも立派な南大門がある。
そこに仁王様がおられてこれが大迫力。

この門のことを足立巻一先生が散文詩に書いておられるのを私は知っていた。
だから来る前にもう一度読んでおかねばならなかった。
こんな詩です。
「石の犬」です。
感動的な詩です。
たしかにその石の犬は昨日見た。
しかし写真は撮らなかった。
バカでした。
詩の内容を忘れていたのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上郡駅

2023-10-25 22:01:58 | 足立巻一先生
夕方見ていたテレビの画面にびっくり。

播州赤穂の上郡駅でした。
なんとも懐かしい。
あの昔と佇まいが変わっていない。
38年も昔だ。
なぜすぐに38年と分かるかと言うと、上郡駅に関する38年前のことの原稿を今朝仕上げたところだった。
足立巻一先生の取材について行った時のこと。

改札は自動になっているが、建物はその時のままの様子。

さらにその番組は芸人の増田英彦が街を巡るもの。

その増田君、昔うちの店に来店したことがある。
日本盛に仕事で来られた時だった。
丁度、孫のkohがいて、帰りにkohの頭を撫でながら「バイバイ」と言って店を出て行かれたのだった。

最近このような「偶然!」と思うことが多いのだが、これはわたしが高齢になったことと関係があるだろうか?
不思議だ。

『コーヒーカップの耳』人間味あふれ、詩ごころいっぱいの本。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする