喫茶 輪

コーヒーカップの耳

アルカッシャの森

2018-12-09 08:40:46 | 足立巻一先生
昨日、ハンター坂のギャラリー島田へ行ったのだが、
ここへ行く時はいつも東門街を上がって行く。
そして途中で生田神社の東門から生田さんにお参りする。
そこの社務所に足立巻一先生の詩額が飾られていて、それに会いに行く。
←二段階クリック。

大きな額です。畳一畳分の大きさがあります。
名塩和紙に書かれています。
これだけのものを書くにはよほどの集中力が要るでしょう。
間違えれば貴重な紙が無駄になってしまいます。
素晴らしい字が書かれています。
見るたびに改めてその良さが分かってきます。

本殿です。

来年の干支、イノシシの大絵馬がありました。


神社裏のアルカッシャの森です(生田の森)です。


なにかイベントが行われていました。
巨大なクスノキ。

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「日本の古本屋」の「メールマガジン」に『やちまたの人』が。

2018-11-26 11:38:41 | 足立巻一先生
「日本の古本屋」の「メールマガジン」に涸沢純平さんが書いておられます。

https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=4313&fbclid=IwAR1cxnuOonhwzI9uLX7iSvG7exK-neQTDhdg69vPy00V5pXGJz4nH48Yucg

足立巻一先生と杉山平一先生のことが感動的に。
 《本書では、特に杉山平一さんのことを書いています。
ノア「海鳴り」他誌追悼号に書いたものも、重複はあるが、収録。
その中で、杉山さんが足立さんのことを書いた文章を引きました。
 「集りなどで、足立さんの顔を見かけると、急に心がなごんで、近づいてゆく。
そこにはいつも、ふあーとした風が吹いている感じだった。…ヒューマニズムというのは、ああいうものだと思った」。
「ふあーとした風」は杉山さんそのものでもあったのです。
 文は人なり、文章と人の魅力、出版とは「やちまた」なり。の思いです。》


因みに、この欄にはわたしも昨年書かせて頂きました。https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=3342
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足立巻一先生の書簡

2018-10-30 09:17:54 | 足立巻一先生
歌誌「六甲」523号だが
これに足立巻一先生の書簡が挟まっていた。



足立先生から杉山平一氏に宛てたもの。
足立先生の懐かしい字だ。

文中に、桑島玄二さんと富田砕花師の名前が。
たったこの一枚の短い書簡の中に、4人の文人の名前がある。
みなさん立派な仕事を残された人たち。
ところで「8の会」とはなんだろう?

追記
ご教示くださる方がありました。
《「8の会」は華道小原流の家元が、神戸にある本部の小原会館で毎年8月に京阪神の文化人を招待して催されていたパーティーの事です。年齢層を低くした「8若の会」というのもありましたね。》(U村)
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「六甲」の「虹滅記」

2018-10-29 09:51:30 | 足立巻一先生
先日杉山平一先生の御遺族にご提供いただいた「六甲」523号だが、



これに足立巻一先生の「虹滅記」が載っている。
←二段階クリック。

『虹滅記』の「あとがき」に、第一回は「天秤」に載せて始まり、しかし連載途中で「天秤」が休刊になり、後、
《神戸で短歌雑誌『六甲』を発行する山本武雄氏の好意により、同誌の昭和54年10月号から昭和56年10月号まで連載することを得てほぼ稿を終え、終章を書きおろして完稿した。》とある。
で、わたし、六甲の「虹滅記」を読んでみました。
「第八章 菰川」9・10が4ページにわたって載っています。
ところがちょっとした違和感があり、本になっている『虹滅記』の該当するところを調べてみました。
すると、この「9・10」はないんですね。「7」までしか載っていません。
ということは、足立先生は、本にするときにこの部分を割愛されたということが分かりました。「六甲」の「9・10」も興味深いことが書いてあるのですけどねえ。
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神戸新聞詩の欄

2018-10-27 10:01:22 | 足立巻一先生
先日、杉山平一先生の御遺族から提供を受けたものの中に、
「神戸新聞」の詩の欄の切り抜きがあった。


←クリック。

これを見てわたし、あれ?と思いました。
選者はすべて、足立巻一先生です。
昭和52年から53年にかけての33枚。
中に、赤鉛筆で丸印がつけてあったり。
あれ?と思ったのは、足立巻一先生の『人の世やちまた』の自筆年譜と矛盾がありますので。
たしか、足立先生は「神戸新聞」の選者を昭和54年からと年譜にあったはず。
調べてみました。
←クリック。

やはり、1979年(昭和54年)66歳の所に「二月、神戸新聞読者文芸詩欄の選者となり、多くの知友を得る。」とある。
この「多くの知友を得る」というのが足立先生らしくていいですねえ。
投稿者に対しても決して上から目線ではない。
それにしても、54年2月とは!わたしが初めて書いた作品を特選に推してくださった、正にその月。

杉山先生の全詩集に載っている年譜も調べてみましたが、それには
「昭和52年3月 神戸新聞詩選者を足立巻一氏と交替。」とあります。
ということで、この足立先生の年譜は間違っているということがわかりました。

古い切り抜きを触っていると、懐かしい投稿者の名前があって時の流れを思い知ります。
そんな中、54年2月4日付の切り抜きがあったのに驚きました。
これには上にも書いたように、わたしが初めて書いた詩が載っているのです。
足立先生が何者かもまだ知らぬころです。
わたしの作品が載っている切り抜きはこれ一枚だけです。どうしてなんでしょう?


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33年。

2018-08-15 07:44:50 | 足立巻一先生
8月12日は日航ジャンボ機墜落の日。
毎年「〇年目の夏」などとニュースになる。
するとわたしは自動的に足立巻一先生を思い出すことになる。
先生はその二日後14日にお亡くなりになった。
日航ジャンボ機事故の記事の載っている新聞を枕元に置いて。
実は先生は、その前月、7月9日に狭心症の発作を起こして新須磨病院に入院しておられる。
その後、神戸市立中央病院へ転院し、そこで療養なさっていたのだが、
8月14日に急性心筋梗塞を起こし、ニトロペンの瓶に手を伸ばし、しかし服用する間もなく急死されたのだった。
病院に狭心症で入院していたにも関わらずお亡くなりになっている。
これはなぜ?と不審に思ってしまうが、その時代はまだ狭心症の治療が今ほど進んでいなかったのだろう。
わたしも先生と同じ狭心症で入院したのだが、即座のカテーテル治療で梗塞に進む手前で助けていただいた。
33年の月日は医療についても大きな差があるということですね。
ただ、この病気は再発の可能性があるので油断ならない。
昨日もリハビリ中に、病院の医師(主治医ではない)がそばに来てくださり、
「リハビリ、順調ですか?」と声をかけて下さった。
食事指導など、生活指導もしてくださる。
病院による、アフターケアーも進歩している様子である。
今の時代なら、足立先生もきっとお元気になられたに違いない。


〇30年以上も前の古い資料を出してきました。
 小さな原稿を書くためですが、必要なものです。
 
 図書館にはないものも。
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桑島玄二さんからの手紙

2018-05-03 16:00:12 | 足立巻一先生
探していたのは二点です。
そのうち一点が見つかりました。

桑島玄二さんからの手紙。
桑島さんの著書の間に挟んでありました。
もう一点の探し物は『海鳴り』6号です。3,4,5,7があるのに6号だけがありません。
それは、この桑島さんからの手紙に関するものなのです。
だから絶対にうちのどこかにあるはずなのですが。
小さな薄い冊子ですので何かに挟まっていても気づかないかもしれません。
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岡部伊都子さんと足立先生

2018-05-03 10:19:33 | 足立巻一先生
今、二階のわたしの書庫で、ある冊子を探している。
絶対にその部屋にあるはずなのだが、あまりにも乱雑なので見つからない。
その探索の中で興味深いものに出合って、ついページをパラパラとめくってしまう。
すると読みふけってしまい、また時間がかかってしまう。
そんなことが度々なのだが、その中の一つを紹介しよう。
ジュンク堂書店のPR誌「書標」の107号。1987年8月号である。
「ひとりの思いを点(とも)していました」と題された岡部伊都子さんの随想。
足立先生のことを書かれている。この人も足立牧場の一人なのだ。
因みに「足立牧場」という言葉は宮崎修二朗翁の命名。

さすがに一流の随筆家の文章は見事なものですね。

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きりんが出てきた!

2018-05-01 15:27:43 | 足立巻一先生
昔、足立巻一先生が深く関わった児童雑誌『きりん』ですが、Kさんから御恵投いただいた4冊はあるのだが、あと何冊かがあったはず。
どこへ行ってしまったのかなあ?と思っていたら、出てきました。今、本をゴソゴソと触っているので。


店の書斎の本棚を整理しましたので、これからは足立先生のコーナーへ置いておくことにしましょう。


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岡見裕輔詩集より

2018-04-16 22:35:03 | 足立巻一先生
古本市で入手した『続・サラリーマン』(岡見裕輔著・昭和54年・日東館出版)を今日開いてみた。


すると、こんな詩が。
←クリック。





「言葉について 足立巻一著「やちまた」を読んで」です。
初めて読みました。
岡見さんは先年お亡くなりになりましたが、西宮在住で、わたしの作品を評価してくださる人でした。
お会いした時、直接お褒め下さったりして、励ましてくださいました。
『定年前後』など新著を出されたときには贈ってもくださいました。
でも、この古い詩集は持っていませんでした。
今回読めて良かったです。
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『きりん』ってなにや?

2018-04-11 07:54:16 | 足立巻一先生
三宮サンボ―ホールでの古本市で街の草さんに紹介していただいた扉野良人さんから届きました。
チラシです。

扉野さんは『きりん』の詩集を出そうと企てておられるようです。
大変な仕事ですが、ぜひ実現してほしいものです。

チラシと一緒に送ってくださった「百年のわたくし」(巻二)という同人誌。

ちょっと変わった体裁です。
パラパラと読んでみましたが、洗練されていて、みなさんレベルの高そうな人です。
季村敏夫さんの「時の空」は、腹の底からしぼりだすような思いが書かれていて痛ましささえ覚えました。
あ、そうだ。巻頭のこれは同人の創作ではありませんが、扉野さんが心動かされた言葉なのでしょう、3篇が載っています。
そのうちの、「きりん」(1954年4月号)から転載された「ぼくのした」は足立巻一先生が最も好きだった口頭詩。
昔(1982年)、わたしが隣の用海小学校のPTAのお世話をしていた時に、講演をお願いして来てくださった時の話の中でも取り上げておられました。
また、年賀状にも使ったとどこかに書いておられました。

  ぼくのした
  「うごけっ」と
  ぼくがめいれいしたときは
  うごいたあとだ。
  ぼくのしたをぼくよりさきに、
  うごかすのは、 
  なにや。
     (しまだのぞむ・当時5歳)
  
そして、わたしがもう一つ感動したのは、扉野さんの「モノとカタリの地平「百年のわたくし」に寄せて」の一文。
←二段階クリックで。
いい文章ですねえ。
扉野さん、ありがとうございました。



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『きりんのあしあと』

2018-04-08 10:24:05 | 足立巻一先生
本棚を触っていて出てきた本。

『きりんのあしあと』(澤田省三・児童文化研究所 2007年)です。
本の間に新聞切り抜きと、著者の澤田氏からの手紙も。
再読しているのだが、この本には「きりん」の歴史が見事に詳細に書かれている。
最初のページにこんなことが。

《その当時のことを後に井上靖は次のように語っています。「わたしは終戦の20年8月から23年いっぱいくらいまでを、つまり終戦後三年半ばかりの間を、狐に化かされたような奇妙な季節だと思っている。わたしばかりでなく、その頃わたしの周囲にいた人全部が、多かれ少なかれ、狐に化かされていたのではないかと思う。》

印象的な言葉です。宮崎修二朗翁からもそのような言葉を聞いた覚えがあります。

この本には、井上靖、竹中郁、足立巻一、坂本遼、浮田要三など、”熱に浮かされたような時代“を共有した人々が登場する。
もう一度読むのに値する本だ。
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79 こうべ芸文文学選

2018-04-03 07:54:08 | 足立巻一先生
大古本市で買った一冊。

『79 こうべ芸文文学選』
表紙絵は竹中郁さん。
郁さんは表紙絵だけでなくカット絵も何点か載っている。
オシャレですね。
これを入手したのは、足立巻一先生の、わたしに覚えのない詩が載っていたからです。
他にもアッと思うような気になる人の作品が。
ところで足立先生の詩、「アメリカ……ロンドン……」だが、最初の一行。
《観覧者のゴンドラのなか》とある。
これは「観覧車」の誤植でしょう。
後を読むと、誤植としか思えない。
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田辺聖子さんと足立巻一先生

2018-02-27 14:54:49 | 足立巻一先生
わたしの蔵書の中でも最も古いものだろう、この本。

昭和39年3月10日発行の『感傷旅行』(田辺聖子著・文芸春秋新社)。箱入りです。
わたしは初版を購入している。
田辺さんの本は、これを皮切りにたくさん読んできた。
何年も後に宮崎修二朗翁や足立巻一先生との関係を知ることになり、そのことは『触媒のうた』にも詳しく書いたのだが。
しかし、恥ずかしいことを告白するが、田辺さんの初期の「虹」という小説は読んでいなかった。
それをこのほど読んだ。『うたかた』というタイトルの文庫本で。
「虹」だが、宮崎修二朗翁が昔、「宮っ子」に連載された「文学の小道」に書かれている。その文章が素晴らしい。
宮崎翁、まだ60歳代前半だ。

例によってわたしは『うたかた』を「あとがき」から読んだ。そして驚いた。
こんなことが書いてある。
《(略)はじめての長編「花狩」を出版した折、「文芸大阪」の編集者の一人、小原敬史氏や、詩人の足立巻一先生がいろんな方に引き合わせて下さった。》
おお、なんということ。足立先生のお名前が。
まあ、そんなに驚くことではないのですが、「先生」という敬称に気づきました。
他の人の名前にはみな「氏」がついてますが、足立先生だけはわたしと同じく「先生」だ。
なんだかうれしくなりました。
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「新の字」

2017-12-31 08:49:42 | 足立巻一先生
足立先生の詩にこんなのがある。


  新の字

<新>とは<斤>

木を切ることをいう。



この冷気の朝

発止!

常緑の一枝を

切れ。

           (足立巻一詩集「雑歌」より)



たしか、お正月の神戸新聞読者文芸欄の「選者新年詠」だったと思う。
心改まる思いで読んだことを思い出す。

『触媒のうた』(今村欣史著・神戸新聞総合出版センター刊)
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