「用海版」にはその会場を提供してくださった信行寺住職による「はじめての5歳」という文章が載ってます。これが素晴らしいです。https://miyakko-nishi.com/MIYAKKO-SYSTEM/Found_Page?gou=386&areacd=25&page=2&next=next
夢中で読んできた本、『あきない世傳 金と銀』ですが、ついに第13巻まできました。
一応これが完結編ということですが、特別編が上下2巻あります。
もう少し楽しめます。
本当にこの本には楽しませてもらってます。
大阪の孫、satoの体育祭に行きました。
コロナ以来、孫の体育祭、運動会に行くのは初めて。
場所は大阪城ホール。
入り口でチェックがありました。
男性は個人カード、あるいは運転免許証の提示が必要。
しかも対象は父親、兄弟、祖父のみ。
女性は不要なのです。
女子校なので男性に厳しいのですって。
ということで、華やかでした。
satoは競技の合間に観覧席の私達に顔を見せに来てくれました。
高1ですが、まだかわいいものです。
女子校ですが騎馬戦もありました(satoは出てません)。ただし帽子を取るのではなく、頭の風船を割るのです。
黄色い歓声が凄かったです。
satoの出番は午前中で終了(予選で負けたので)でしたので、昼ご飯を食べて帰りました。
大阪城ですが、わたしには若き日に思い出があります。
でも内緒。
あの頃とはすっかり変わってしまっています。
芦屋の詩人山下徹さんからお贈りいただいた。
『芦屋芸術』20号。
詩が主だが、散文もあって167ページと重厚感がある。
パラっとめくったところに目に留まった山下さんの詩。
「不透明になった」
Ⅰ
出来るだけ
この世の塵を払い
身を軽くして
旅立ちたい
Ⅱ
文字を書くことは
塵を払うことだろうか
あるいは
この世に 余分な塵を積むことだろうか
Ⅲ
塵を払おうとして
塵が積もった
透明になろうとして
不透明になった
わが身に代えてなんか考えさせられる詩です。
散文では榎本三知子さんの「遠い日のことを思い出して」に注目。
中の一行に《昭和十八年、小学校(当時は国民学校と言った)に入学した。》とあって、その当時の思い出を書いておられる。
なんでもないような個人的なことが書かれているその中に、貴重な証言が含まれている。
因みに昭和18年はわたしの誕生年だ。
二篇の思い出が語られているが、どちらも素朴に書かれていて好感が持てる。
序文のような文章が添えられている。
――脳内の小さな箱に隠し持ってきたもの
折に触れて その箱のふたがずれて出てくるものがある
今まさに行われているかの如き クリアーにその情景が浮かぶ――