今朝の神戸新聞から。拝借お許しを。
豊岡の「高橋村 満州開拓団」の記事です。
まだ生存者がおられて、伝え続けておられるんだ!
このことに関してはわたし、6年前の「KOBECCO」に書いたことがあります。「喫茶店の書斎から」に。
その悲惨な物語を書いたドキュメンタリー文学、『遥かなり墓標』(春木一夫著・神戸新報社・1969年刊)があり、その著者春木一夫の宮崎翁宛の書簡もわたしは所持しています。
但東町へ取材に行ったのは、もう7年近く前。妻と一緒に行ったのだった。もはや懐かしい。
今朝の神戸新聞から。拝借お許しを。
豊岡の「高橋村 満州開拓団」の記事です。
まだ生存者がおられて、伝え続けておられるんだ!
このことに関してはわたし、6年前の「KOBECCO」に書いたことがあります。「喫茶店の書斎から」に。
その悲惨な物語を書いたドキュメンタリー文学、『遥かなり墓標』(春木一夫著・神戸新報社・1969年刊)があり、その著者春木一夫の宮崎翁宛の書簡もわたしは所持しています。
但東町へ取材に行ったのは、もう7年近く前。妻と一緒に行ったのだった。もはや懐かしい。
今朝の神戸新聞からです。記事拝借お許しを。
受賞者の中に知人が一人。潮崎孝代さん。
昔、宮崎翁に伴われて「喫茶輪」にご来店いただいたことがあります。
そして、新著を出された時に「KOBECCO」に書かせていただきました。
また、何度も拙ブログに書かせて頂いています。
さて「半どん文化賞」ですが、兵庫県の文化人の多くが受賞しています。
もちろん、足立巻一先生も。
その足立先生のご命日が今日、8月14日です。ちょうど40年前。あの日航ジャンボ機の事故の二日後。
これに関してはわたしにも大きなエピソードがあってこれまで何度も書きましたが、今回は略。
「半どん文化賞」は宮崎翁にもエピソードがあり、またわたしも拙著『触媒のうた』で頂いたのでした。
また懇意にしている書家の六車明峰さんが「半どんの会」の副代表をしておられます。
わたしに身近な団体でもあり、もちろん会員です。