喫茶 輪

コーヒーカップの耳

100歳は

2018-12-12 16:21:08 | 宮崎修二朗翁
久しぶりに宮崎修二朗翁をお訪ねしてきました。
でっかい『広辞苑』が枕元に置いてありました。勉強は欠かしておられない。

お元気そうでしたが、「起き上がるとフラフラするので」と横臥したままでの面会でした。
そりゃあ、ずっとベッドで寝ておられたら、そうなるでしょう。

約一時間半ほどお話を伺いました。
そしてこんなことをおっしゃる。
「ぼく、100歳を超えてしまいそうです。困ったもんです」と。
年明けの2日には97歳になられる。あと3年は楽々と越えられるだろう。

また戴いて帰りました。千切り抜きです。

ありがたいことです。

部屋を見回すと「神戸っ子出版」から届いているはずの「KOBECCO」が見当たりません。
「届いてませんか?」とお尋ねしてみました。すると、
「届いてます。ここの若い職員が持って行きます」とのこと。
勝手に持って行くことはないと思いますので、翁が「ぼくはもう読んだから持って行きなさい」と仰るのだろう。

おしゃれな本だから若い人には喜ばれているかもしれない。
わたしのエッセイのページなんかは見向きもしないでね。
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急遽訪問

2018-10-31 15:35:27 | 宮崎修二朗翁
ご教示いただきたいことが出来て、急遽、宮崎先生をお訪ねしてきました。



もう40年ほども昔のことをお尋ねしました。
ほぼ的確にお答えいただきました。
これで急ぎの原稿がなんとかなります。

帰宅したら、先生からの手紙が郵便受けに入ってました。



思ったよりしっかりした字が書いてあります。
でも、手紙の最後の方に、
《当方忘れっぽくなって不自由になりました。字も乱れすぎて来ました。》
とありますが、まだまだ大丈夫です。
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39年前のコラボ。

2018-10-17 16:44:31 | 宮崎修二朗翁
今朝、翁の施設の職員さんから電話。翁からのお呼び出しの言付けでした。
で、急遽かけつけました。
しかし「まだ死にませんよ」ということで、心配したことではなく、安心してお話しを一時間余りお聞きしました。

そのことと関連して午後、西宮図書館まで行ってきました。
もちろん徒歩で。約4000歩のリハビリです。

39年前の翁執筆の新聞記事を見るため。
翁は資料もないのでその記事の掲載年月日を覚えておられないのだが、
そのことがあってすぐに記事にしたとおっしゃった。
わたしは、別の人があるところに書かれた資料から、そのことは1979年の3月の末ごろのことと知っていました。
ならば記事は4月初めに載ったのだろうと目星をつけました。
西宮の図書館は、古い神戸新聞の現物を所蔵しているのです。
マイクロフィルムではないので便利です。
念のため、1979年の3,4,5月分の朝夕刊を書庫から出してもらいました。
でかくて重いです。「台車で運びましょう」と言ってくださったが、わたしなんとかまだ持てました。
でも3冊までが限度でしたね。
両腕で抱えて閲覧机に運び、先ず4月の初めから探しました。多分10日付けまでに載っているだろうと。
ところが見つかりません。
次に3月分を31日から逆にたどって行きました。
なかなか見つかりません。
15日まで遡ったのですがありませんでした。
ちょっとしんどくなりましたが、こういうことは根気をなくしたらあきません。
もう一度、4月1日からやりなおしました。
10日まではさっき見たのですが念のためもう一度。
やっぱり見つかりません。
翁は神戸新聞とおっしゃった。
内容から言っても神戸新聞にちがいないこと。
ちょっと不安になりましたが、やはり根気よく、と思って11日以降をめくって行きました。
するとついに、18日の朝刊に見つけました。
「あった」と声が出ました。

写真を撮れば簡単なのですが、撮影は禁止です。
だけどコピーはOKなのです。
ところが新聞はきっちりと綴じて製本化されており、しかも分厚いので、右端がどうしてもきれいにコピーできません。
司書さんが手伝ってくださったのですが、谷の部分がコピー機のガラス面に密着しないのです。
だから、その読めない部分は、ノートに書き写して帰ってきました。

そして、帰ってきてから、今見たら、このページのカット絵に目が行き、「あっ!」と声が出ました。
菅原洸人さんの絵です。
なんという偶然。
宮崎翁と洸人画伯が39年前に紙上でコラボレーションしておられたのでした。

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宮崎翁への手紙

2018-10-15 16:22:08 | 宮崎修二朗翁
宮崎翁に手紙を書きました。

あることを調べていたら、わたしが探していた富田砕花さんの短歌が載っているのが見つかりました。
ところがまた、別の古い資料にも載っていたのです。
しかしそれが微妙に違うのです。
どちらが正しいというのではないのでしょう。
あの淡路島、黒岩水仙郷の明らかに間違っている歌碑とは異なります。
なにかわけがあるはず。
即席に色紙に書かれたものが、後に発表の時に修正されたとか。
その辺りの事情を知りたくて。
二つの資料の執筆者は、どちらもすでに物故されています。
こうなれば宮崎翁に頼るほかありません。
正に翁は、兵庫県文苑の生き字引であります。
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宮崎翁、再訪

2018-10-13 18:19:11 | 宮崎修二朗翁
先日宮崎先生をお訪ねした時、「ある本が欲しいんだが、タイトルも著者の名前も忘れた」とおっしゃる。
ただし、ある程度のヒントは下さったので、凡その見当はつく。
で、帰宅後、関連のワードを検索してみた。
すぐにわかりました。注文しました。
『全国マン・チン分布考』(松本修著)という本でした。
それが今日届きましたので、早速先生にお届けに行ってきました。
ついでにお聞きしたいことも聞いてきました。小一時間お邪魔しました。

先生、やっぱり少し体調が心配です。
「お医者さんに診てもらったから大丈夫です」とはおっしゃったが。
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『へんろの時空』

2018-10-10 08:47:15 | 宮崎修二朗翁
昨日、宮崎先生が「読んでみて下さい」と言って貸してくださった本。

『へんろの時空』(大村卓弘著・2018年8月31日発行)です。
歩き遍路旅をされた日記である。
著者の大村卓弘氏は宮崎先生から初めて聞くお名前。
とはいっても大村氏は「歴史と神戸」に長く携わってこられているのはよく知っている。
当然宮崎先生との因縁も深い。
でもこれまで直接にお名前を聞くことはなかった。
先生の昨日の言葉。
「この本を読んで自分が恥ずかしくなりました。大村さんは、この本で人を感動させようとか、誉めてもらおうとか、評価を得ようとかは全く思っておられないんです。ただ、自分のためにだけ書いておられる。ぼくはそこに感動しました」
今、読み始めているが、たしかに本は私家版でもあるし、文章も奇をてらったようなところはまったくない。
ただ、にじみ出る教養は感じる。わたしにはとても書けない。

そんな中、こんな箇所に目が留まった。

3月30日から始まった旅の7日目、4月6日の日記。
《順子さん(奥様?)からのメールで、アスパラが芽を出し、食べたという。芽が出るかどうか心配しながら遍路に出たものだから、メールをくれたのだろう。そうか、みな芽を出し、成長する。でも今年は芽のすべてを食べるなよ、言ってなかったから、ダメか。》
何気ない文章だが、心なごませるものがある。
そして同じこの日の日記の後半にはこんなことが。
《昨夜はひどい虚無感に陥った。帰ることすら考えた。(略)埴谷雄高の「老いの特性は、錯誤であろう」という言葉を思い出し、空海の「心病衆しといえども、その本は唯これ一つ いはゆる無明なり」(十往心論)に行き着いた。ぐるぐるの先に虚無感が待っていた。
 今日雨の山道と風雨の中で、楽しげに身を任せている木々が救ってくれた。
 頭はもろく、心はつよい。》


確かに先生がおっしゃるように、特別感動する話が書かれているわけではない。
しかし、なにかしらおもしろい。先を読むのが楽しみ。
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久しぶりに宮崎翁にお会した。

2018-10-09 17:17:39 | 宮崎修二朗翁
前にお会いしたのはわたしが病気になる前の5月だったから、もう5か月になる。
久しぶりに宮崎翁にお会いしてきた。
相変わらず勉強は欠かしておられない。


部屋の様子が以前と一ヵ所変わっていた。

カラーボックスが置いてある。前は無かった。
この日本国語大辞典2版は段ボールに入っていて、直接床に置いてあったと思う。

実は先生、今日は少し体調がよろしくない様子だった。
一時間と少々お話を聞いて辞去したのだが、帰りに施設の職員さんに「気をつけてあげて下さい」と伝えてきた。
大したことがなければ良いが。
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「折々のことば」の千切り抜き

2018-09-28 17:30:43 | 宮崎修二朗翁
宮崎先生からお手紙が。
中にたくさんの千切り抜きが同封されていました。

以前にも送ってくださっていますが、その後の分。
一番上にあったのが、
《パッと言えてしまうようなことは大したことがないんです》
という、大澤真幸という社会学者の言葉。
思ったこと、どうしても分かりやすく伝えようと思ってしまう。
しかし、そう簡単に伝えられるような思想は本物ではないということなのだろう。
解る気がする。

なかなか宮崎先生に会いに行くことが出来ない。
行こうと思っていたのに、車が故障してしまったりと。
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秋田実さんのこと

2018-09-10 18:48:48 | 宮崎修二朗翁
昨日、図書館でお借りしてきた本です。



『秋田實 私は漫才作家』(文藝春秋)。
古い本です。1975年発行。43年前ですね。
よく傷んでます。汚れてます。
秋田實さんは戦後の漫才界に大きな貢献をなさった方。
今のお笑いが隆盛を極めているのは、氏のお陰といっても決して過言ではないと思います。
「近代漫才の父」と呼ばれる所以です。
わたしは、ある偶然からこの本にたどり着きました。
これをも参考にして今原稿を書いてます。
今日、一日かけて草稿まで書けました。
なかなか面白いものになったと自負しています。
終りから三行目にこんな一行を書きました。
《そうか、そうだったのだ!と思った次第。》
まだこれから推敲しますので、変えるかもしれませんが。
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秋田実さんのこと

2018-08-30 12:03:15 | 宮崎修二朗翁
秋田実さんのことが書かれている『秋田実 笑いの変遷』という本のことを先日書いた。https://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/e/a1a6970e2f602e550c620d3afb84f869

ほぼ読み終えたのだが、なんとも興味深い記述に出会った。
ここに書きたいけれど、辛抱します。
これはどこかに書きます。なので
それまで内緒です。
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秋田実さんのこと

2018-08-28 19:09:05 | 宮崎修二朗翁
宮崎修二朗翁が「かわいがっていただきました」と仰っていた人に、漫才作家の秋田実さんがあります。
『触媒のうた』(今村欣史著・神戸新聞総合出版センター刊)の41、96,97ページに書いてます。

先日「海鳴り」3号を読んでいて、https://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/e/3ef8b2f35620148f20628c2c9df2b13a
その秋田さんの娘さん、藤田富美恵さんがお父さんのことを書いておられる文章を読んだ。

そこで藤田富美恵さんをググってみたら、昨年、『笑いの変遷』というお父さんの評伝を出しておられるのが分かった。
すぐに図書館に予約しておいたのだが、地蔵祭りで忙しく、取り置き期間ギリギリの今日やっとお借りしてきた。



読むのが楽しみ。

追記 今、読んでいるが、こんな場面があった。

《卒業証書はどうでもよかったのかもしれないが、卒業を楽しみに和裁に精出して応援していた祖母には、卒業間際の中退はよほど残念だったに違いない。(略)結婚したばかりの頃の母にも、「一年で辞めても、四年で辞めても同じ中退やのに」と残念がっていたそうだ。》

そうですよね、わたしは高校を一ヵ月ほど通い、一年の一学期だけで辞めたが、それでも中退ですからね。

ということで、秋田実は東京帝国大学を卒業間際に退学したのだと。
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私信

2018-07-10 18:44:20 | 宮崎修二朗翁
今日も私信が3通届きました。



今はメールやメッセージなどが便利なので、ハガキや手紙を戴く機会は減ったのですが、
それでもわたしは多い方なのでしょう。
そして、私信をいただくのはやはり、うれしいものですね。
中の宮崎翁からの封書の中には「千切り抜き」が入っていました。
5月24日から7月7日までのもの。
ということは、前にお会いしに行ったのは5月23日だったということ。
その時はすでに体調が悪く、ニトロ持参で行ったのでした。
千切り抜きの中にこんなのがありました。



「時間の流れにも思いがけない段差があり、ガクンと老いこんだりするものだ。」
なんだかわたしのことを言われているみたいだ。
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桑島玄二さんのことなど

2018-05-23 17:26:31 | 宮崎修二朗翁
宮崎翁から「お会いしたい」と電話があり、行ってきました。
わたしも最近、体調がすぐれずご無沙汰していました。

お待ちかねでした。
二時間半ほどお話を聞きました。
出てきた文人の名前は今日も数限りなく、といった感じでした。
横光利一、今東光、川端康成、杉山平一、日野草城、伊丹三樹彦、鈴木漠、仙賀松雄、及川英雄、小林武雄、吉原治良、小松左京、北川弘繪、
薄田泣菫、中村憲吉、桑島玄二、正宗白鳥、足立巻一、井伏鱒二、富田砕花。ほかいっぱい。
いずれ原稿に書きたい話も何点かありました。

早く元気になって取材に出かけたいものです。

今日も千切り抜きを戴いて帰りました。
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ヤジロベー

2018-04-21 08:12:28 | 宮崎修二朗翁
昨日の「宮崎翁を囲む会」でのこと。
K川弘繪さんのご子息、K川晴茂さんが参加されていて、わたしは初対面でした。
弘繪さんはその昔、神戸新聞読者文芸欄、詩の部門で年間賞を受けられた人。
今はプロの染色家さんです。
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これ、なんだかわかりますか?

わたしの隣に座っていた晴茂さんが、なんかゴソゴソしてはるなあ、と思っていたら、あっという間に作られたもの。
お菓子の包み銀紙とそれを括っていた飾り針金で器用に作ってはります。
微妙なバランスでプランプランと揺れてました。ヤジロベー(弥次郎兵衛)です。
頂いて帰って、「喫茶・輪」のカウンターに置いてます。
晴茂さんですが、昨年の神戸新聞読者文芸欄、小説の部で年間賞を受けられていて、一世代を置いての親子受賞者というわけです。


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宮崎翁を囲む会。

2018-04-20 16:26:18 | 宮崎修二朗翁
一年ぶりに「宮崎翁を囲む会」でした。
お体の負担を考えて、外へは出ずに施設での歓談。




約2時間、楽しい時間を過ごしました。
集まった連中は、わたしを除きみなさん教養豊かで、しかも強烈な個性をお持ちの方々です。

翁、96歳。この矍鑠たる風貌を見よ。
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