このほど出版した
『触媒のうた』(神戸新聞総合出版センター)だが、思い立って宮崎翁に取材を始めたのは8年ほど前になる。
それまでの何年間かは貴重な話を私一人でただ聞くだけだったのを、これは記録しておかなくてはと思ったのだった。
そこで、その記録をどこに書き残そうかと思案した。
年間購読していて、たまに原稿を載せてもらっている『歴史と神戸』が連載させてくれないかな?とも思ったが、ちょっと趣がちがうかなと思い、お願いするのをやめた。その時点ではお願いしても断られたかもしれないが。
そのころちょうど『KOBECCO』に「コーヒーカップの耳」と題したエッセイを連載していて、それが100回になろうとしていた。
ぼちぼち内容を一新してもいいかな?と思い、編集長の鳥羽さんに思いを伝えた。
快く応じてくださり、「触媒のうた」と題した新しい連載を始めたのだった。
それが2011年3月号。
『歴史と神戸』か『KOBECCO』かと迷ったのだったが、結果として『KOBECCO』で良かったと思っている。
というのも、読んでくださる読者の層である。
『歴史と神戸』では、歴史関連の人が対象になる。
どうしても文章が硬くなるだろう。
わたしも構えて書くことになっただろう。
ところが『KOBECCO』の読者は、層が限られない。
読書好きの人ばかりではない。
文学好きの人ばかりではない。
ホテルの部屋や、飲食店など、いろんなところに備えられていて、多種多様な人の目に触れることになる。
現に最近も、かかりつけのクリニックに行ったとき、院長さんから「神戸っ子にあなたの名前出てましたねえ。驚きました」などと言われた。
ということで、読んでくださる人が読書マニアばかりではないということを念頭に書いた。
だから読みやすさとわかりやすさを意識して書くことになった。といって、決してレベルを下げて書くというのではない。
わたしなりの文体の工夫をしたということである。加えて、宮崎翁が提供してくださるエピソードが素晴らしいということも読書人までもを満足させるものだったのではないかということ。
結局、5年余りの連載になったのだが、連載を始めてすぐに少し方向転換をした。
読者は気づかなかったかもしれない。
初めは、宮崎翁の貴重な記憶を記録することに重点を置くつもりでいた。
ところが連載を始めると、宮崎翁の記憶(これはもう超絶ものではありますが)だけではなく、その人格にわたしは驚愕して行くことになった。
そしてそのことは世間ではあまり知られていない。というより、中には誤解をされているところもあったり。
これはぜひ、宮崎翁の人間としての素晴らしさも伝えなくてはならないと思ったのである。
しかし、当の宮崎翁はきっと「そんなことは書くな」とおっしゃる。
自分のことを語ることを厳しく戒められていた。
だからわたしは、なるべく、そのことを翁に気づかれないように書き進めることにした。
ということで読者にも特にはわからなかったのではないかと思う。しかし今回、一冊の本にして発表すると、読者からはそのことを指摘される。宮崎翁のことを、「こんなすごい人がおられたんだ」というような感想を伝えてくださる。
わたしの思いが伝わっていたのだ。
宮崎翁の貴重な記憶の記録と、合わせて、その背景に宮崎翁の姿を描くという意図が達せられたのだった。
「読みやすくて面白い。次々とページを繰ってしまってました」などの感想もいただく。
ということで、結果的には『KOBECCO』に連載して良かったと思っている。
神戸っ子出版様、改めてありがとうございました。