今日届いた『図書』(岩波書店)2月号の谷川俊太郎さんのエッセイにこんな言葉がありました。
《詩を自己表現と考えずに初めから読者を意識して書き始めた…》
そうなんだ!と思いました。
だから面白いんだ、と。
興味深いんだと。
実はわたしも、谷川さんとは微妙に意味が違うかもしれませんが、誰かに読まれることを想定して書いてます。
(昨年作った詩集『恒子抄』は別で、他人に読まれることを想定せずに書きましたが。)
もちろんはじめから不特定多数にというわけではありません。
でも、最初は新聞投稿でしたから、読者に読まれることを前提にしていました。
さて、わたしの詩は今も面白いだろうか?興味を惹くだろうか。
とは言いながら、最近は自分とその近くだけのために書いてる気がします。
『コーヒーカップの耳』 面白うて、やがて哀しき喫茶店。
《詩を自己表現と考えずに初めから読者を意識して書き始めた…》
そうなんだ!と思いました。
だから面白いんだ、と。
興味深いんだと。
実はわたしも、谷川さんとは微妙に意味が違うかもしれませんが、誰かに読まれることを想定して書いてます。
(昨年作った詩集『恒子抄』は別で、他人に読まれることを想定せずに書きましたが。)
もちろんはじめから不特定多数にというわけではありません。
でも、最初は新聞投稿でしたから、読者に読まれることを前提にしていました。
さて、わたしの詩は今も面白いだろうか?興味を惹くだろうか。
とは言いながら、最近は自分とその近くだけのために書いてる気がします。
『コーヒーカップの耳』 面白うて、やがて哀しき喫茶店。