ここあコテージ

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明日で震災から1年

2012-03-10 11:27:42 | 震災関連
今日はとてもよく晴れました。
明日から天気が下り坂だそう。



明日、3月11日で
東日本大震災から1年になりますね。

私は、この1年を振り返るために
自分のブログを振り返って見ました。

やはり3月11日からの1ヶ月間は、
娘への心配が先立っていたようです。

そして、連れ達の被災地ボランティアが始まり、
娘も一時帰宅できたのもこの頃でした。

4月に入って、まだ余震が続く中、原発問題に
私の心が吸い寄せられていき、そこから祈り、
まずはブログで伝達していこう、と思いました。

そして、虹の会の設立。
学びと祈りをメインに行い、私個人としては
脱原発の勉強会やデモやいろんな集会に
参加しました。



被災地にいる人達の現在と、
直接大きな被災をしなかった私たちとの
今現在の環境も心も、かなりの差があることは
十分承知しています。

1年経って、復興というけれども、
どれほど復興しているかと言えば、これ、と言える
材料が少ない気がします。

ただ、地震そのものは、当初よりは減りました。
が、直下型地震が、日本の全体で起こっていることは
驚異ですよね。



きのうのNHK9時のニュースで、
作家の高村薫さんがおっしゃっていた言葉が心に残りました。

要旨になりますが・・・
震災前と、震災後に、変化が何もないとしたら・・・
私たちは、今回の震災の事(原発も含め)を、
言葉にしなくてはなりません。



さっき、私は、「復興」という言葉を使いました。
テレビや新聞、周囲もみな、「復興」という言葉を使うため、
私もつい使用してしまいますが、
良く考えてみると、「復興」という言葉は、ある種、
元の姿に戻す」という意味合いが含まれるわけです。

でも、本当にそうなのだろうか?

高村薫さんの言葉が、私の心に残ったのは、
たぶん、この「何も変化がなかったなら・・・」
の次に来るのが、何かということです。

震災前に私たちは、あふれる物質中心の社会の中で、
エネルギーも含めて、「あるのが当たり前」という気持ちが
どこかにあったかもしれない。
原発問題に対しても、「わからなかった」のではなく、
政府や国任せにして、「知ろうとしなかった」のかもしれない。

震災後に、震災前と何も変化がないとしたら、
私たちは、一体そこから何を得たんだろうか。
何を悔い改めたんだろうか。

何も考えていない、何も反省がない、何も教訓を得ていないので、
安易に原発再稼働という事を叫ぶのだろうと思います。

「復興」というよりも、私はむしろ「新興」と言いたいと思います。

聖書の中には、多くの箇所で、
「わたし(神)は、新しくする」と言われています。


イスラエルの罪深い姿をご覧になった神様は、
元の姿にするのではなく、「新しく」変えて下さると。
どんな場合でも、「元の私のまま」なのではなく、
神様によって「新しい自分」に変えられる、ということ


だから、きっと、日本はこれから、「元に戻る」のではなく、
「新しい日本」に生まれ変わるための、この震災だったと
思いたいです。


以前も話しましたが、
この震災や原発事故は、決して喜ぶべき事は
一つもなかったけれど、

ただ一つあるとするなら、
私たちがそこから何を学び、何を反省していくのかを
考える材料をたくさん与えられた、ということかもしれない。

そして、高村薫さんの言うように、
この体験を、この教訓を、この反省を
それぞれの「ことば」にして、伝えて、残していくべきだって
思いました。




1年は早かったのか、遅かったのか、
人それぞれです。
被災された方々にしたら、まだ1年なのかも知れない。

娘は言いました。
「今でも震災の映像を見ると、心が動揺する」と。

被災地の人々が、心身共に癒されて、環境も整うためには
まだまだ時間がかかるでしょう。
物理的な時間も、精神的な時間も。

ただ、きょうも明日も、祈り続けたいと思います。

風化させないように、無関心にならないように。


ここあでした。