暑いですねえ。
台風の遅さと、フェーン現象が災いして、真夏のような暑さです。
でも、私の住む浪岡では、お昼からずっと曇ってくれましたので、少しだけ気温の上昇が抑えられたかな。
明日は台風が接近して、風も強くなるでしょう。
できれば今日より涼しくなってほしい。
教会はエアコンないから、奏楽した後は、どーっと汗が出て来てしんどくなるからです。
・・・と思っていたら、急にざーっっっっ!大雨が降ってきました。(3:00頃)
これは、たぶん気温上昇のための豪雨かも。
庭に水をあげなくてはと思っていたので助かりました。
さて、秋の花の代表格と言えば「コスモス」ですよね。
「秋桜」と書くくらいですから。(さだまさしの歌にありますけどね。)
「コスモス」は「宇宙」とも訳せるから、随分コスモスのイメージが変わりますよね。

これ、2年くらい前に撮った黒石の東(あずま)公園のコスモス。
最近では、コスモスにもたくさんの色、形が増えたようでして、定番のピンクやあずき色、白以外にも、チョコレート色やミックスや黄色、オレンジ色まであります。

「コスモス」と「宇宙」を少しだけからませたような写真です。
コスモスは細いので生けづらいんです。
でも、その頼りなさがいいのかもしれませんね。
柔軟性があるで、折れにくいかもしれません。
風に吹かれるままになびいて、これを一昔前には「ファジー」とも言いました。
(「ファジー」は本来電化製品のCMで知られました。やがて「てきとーなヒト」とか「いい加減なヒト」と言う具合に使われました。でも本来は臨機応変に対応できる状態を言います。)
人間を見るようですね。
なんの考えもない、いわゆる「てきとー」な人ではなく、「適当に(適切に)」物事を考えつつも、柔軟に対処していける「ファジーな」人がいい。
私はどっちかって言うと、自分の考えに固執しすぎて、柔軟性に欠けるところがあるものでして・・・。まあ、つがる弁で言うところの「かだくら」人間、はたまた「じょっぱり」人間かもしれないですね。
このじょっぱりな私が、きのうの送別会の後、県立図書館に原発関連本を返却に行ったついでに、今度は別の原発本を借りて来ちゃいまして・・・。
こういうところは、じょっぱりなんではなく、凝り性なんですかね。

10月に青森に来られる広瀬先生の本と「原子炉時限爆弾」と、長野で医者をしている、最近はテレビで引っ張りだこの鎌田實先生の「チェルノブイリ・フクシマ なさけないけどあきらめない」です。
後者しかまだ読んでないのですが、鎌田先生の考え方はとてもユニークだし、参考になります。3.11から5月末までの原発事故の記録もありました。
常に語っておられたのは、子供の被曝についての心配でした。さすが医者です。チェルノブイリによくでかけて調査しているだけあります。
どこの図書館に行っても最近思うのは、今、こうして自分がこの手の本を探して読んでいるという不思議さです。
何年か前には考えられませんでした。
人って、何かをきっかけにして、今まで全く目を向けなかった分野に目を向けるものですね。いや、目を「向けさせられる」のかもしれませんね。
これもまた人生の中での出会いの一つなんですよね、きっと。
さあ、明日は嵐か、はたまた凪か。
体力、気力、霊力蓄えて、あすの礼拝に臨みますかね・・・。
ここあでした。
台風の遅さと、フェーン現象が災いして、真夏のような暑さです。
でも、私の住む浪岡では、お昼からずっと曇ってくれましたので、少しだけ気温の上昇が抑えられたかな。
明日は台風が接近して、風も強くなるでしょう。
できれば今日より涼しくなってほしい。
教会はエアコンないから、奏楽した後は、どーっと汗が出て来てしんどくなるからです。
・・・と思っていたら、急にざーっっっっ!大雨が降ってきました。(3:00頃)
これは、たぶん気温上昇のための豪雨かも。
庭に水をあげなくてはと思っていたので助かりました。
さて、秋の花の代表格と言えば「コスモス」ですよね。
「秋桜」と書くくらいですから。(さだまさしの歌にありますけどね。)
「コスモス」は「宇宙」とも訳せるから、随分コスモスのイメージが変わりますよね。

これ、2年くらい前に撮った黒石の東(あずま)公園のコスモス。
最近では、コスモスにもたくさんの色、形が増えたようでして、定番のピンクやあずき色、白以外にも、チョコレート色やミックスや黄色、オレンジ色まであります。

「コスモス」と「宇宙」を少しだけからませたような写真です。
コスモスは細いので生けづらいんです。
でも、その頼りなさがいいのかもしれませんね。
柔軟性があるで、折れにくいかもしれません。
風に吹かれるままになびいて、これを一昔前には「ファジー」とも言いました。
(「ファジー」は本来電化製品のCMで知られました。やがて「てきとーなヒト」とか「いい加減なヒト」と言う具合に使われました。でも本来は臨機応変に対応できる状態を言います。)
人間を見るようですね。
なんの考えもない、いわゆる「てきとー」な人ではなく、「適当に(適切に)」物事を考えつつも、柔軟に対処していける「ファジーな」人がいい。
私はどっちかって言うと、自分の考えに固執しすぎて、柔軟性に欠けるところがあるものでして・・・。まあ、つがる弁で言うところの「かだくら」人間、はたまた「じょっぱり」人間かもしれないですね。
このじょっぱりな私が、きのうの送別会の後、県立図書館に原発関連本を返却に行ったついでに、今度は別の原発本を借りて来ちゃいまして・・・。
こういうところは、じょっぱりなんではなく、凝り性なんですかね。

10月に青森に来られる広瀬先生の本と「原子炉時限爆弾」と、長野で医者をしている、最近はテレビで引っ張りだこの鎌田實先生の「チェルノブイリ・フクシマ なさけないけどあきらめない」です。
後者しかまだ読んでないのですが、鎌田先生の考え方はとてもユニークだし、参考になります。3.11から5月末までの原発事故の記録もありました。
常に語っておられたのは、子供の被曝についての心配でした。さすが医者です。チェルノブイリによくでかけて調査しているだけあります。
どこの図書館に行っても最近思うのは、今、こうして自分がこの手の本を探して読んでいるという不思議さです。
何年か前には考えられませんでした。
人って、何かをきっかけにして、今まで全く目を向けなかった分野に目を向けるものですね。いや、目を「向けさせられる」のかもしれませんね。
これもまた人生の中での出会いの一つなんですよね、きっと。
さあ、明日は嵐か、はたまた凪か。
体力、気力、霊力蓄えて、あすの礼拝に臨みますかね・・・。
ここあでした。