遠い昔、私が二十歳ぐらいの時に堺市民会館で“堺市民芸能まつり”があり、私は訳あって演目中の歌舞伎『白波五人男・稲瀬川揃いの場』の忠信利平役を演じた事がある。
芝居に出るのは初めてで、セリフ(口上)を覚えるのに苦労をしたのを覚えている。余程、暗記に苦しめられたのか寝言でも歌舞伎調だったと知り合いに言われた事がある。
「雀百まで踊り忘れず」ではないが、その苦労が未だに染み付いて40年経った今でもほとんど覚えている。
口上:
続いて次に控(ヒケ)えしは、月の武蔵の江戸育ち
幼児(ガキ)の折から 手癖が悪く
抜参(ヌケメエ)りから グレ出して
旅を稼ぎに 西国(サイコク)を
廻って首尾も 吉野山
まぶな仕事も 大峰に
足をとめたる 奈良の京
碁打(ゴウチ)と言って 寺々や
豪家(ゴウカ)へ入り込み 盗んだる
金が御嶽(ミタケ)の 罪科(ツミトガ)は
蹴抜(ケヌケ)の塔の 二重三重
重なる悪事に 高飛びなし
後を隠せし 判官(ホウガン)の
御名前騙(オナメエカタ)りの 忠信利平(タダノブリヘイ)
一句:若き苦労 いついつまでも 覚えてる
芝居に出るのは初めてで、セリフ(口上)を覚えるのに苦労をしたのを覚えている。余程、暗記に苦しめられたのか寝言でも歌舞伎調だったと知り合いに言われた事がある。
「雀百まで踊り忘れず」ではないが、その苦労が未だに染み付いて40年経った今でもほとんど覚えている。
口上:
続いて次に控(ヒケ)えしは、月の武蔵の江戸育ち
幼児(ガキ)の折から 手癖が悪く
抜参(ヌケメエ)りから グレ出して
旅を稼ぎに 西国(サイコク)を
廻って首尾も 吉野山
まぶな仕事も 大峰に
足をとめたる 奈良の京
碁打(ゴウチ)と言って 寺々や
豪家(ゴウカ)へ入り込み 盗んだる
金が御嶽(ミタケ)の 罪科(ツミトガ)は
蹴抜(ケヌケ)の塔の 二重三重
重なる悪事に 高飛びなし
後を隠せし 判官(ホウガン)の
御名前騙(オナメエカタ)りの 忠信利平(タダノブリヘイ)
一句:若き苦労 いついつまでも 覚えてる