夜明けとともに降り立つ
1年ぶりの仙台駅
ひんやりとした空気
少なくはない人の流れ
タクシーのライトの列
昨日までの雨の匂い
24時間眠らぬ駅前の大衆食堂には
仕事明けの女やこれから働きに出る男や
私たちのような旅人がひしめき合って
合宿所の朝のような喧騒
食事を終えてレンタカーを走らせ
松島のはずれにある立ち寄り湯へ
地元の人が毎朝のように通う
小さな浴場のやたら熱い湯に浸かると
やっと目が覚める
石巻の会場で
先に送っておいた自転車を引き取る
長旅でくたびれたような表情のそいつには
大事なロゴマークにひどい傷が入っている
もう帰りたい
こんなことなら来なきゃ良かった
慣れない組み立てに悪戦苦闘していると
受付開始を待っているというライダーが
手伝いを申し出てくれる
手際よくタイヤをはめ、チェーンをかけて
あっという間にいつもの姿に
違うのはロゴだけ
去年は60キロをボランティアで走ったという彼
同じく去年60キロをチャリティーライダーとして
走った娘と盛り上がる
今年は100キロにトライするのだそう
お礼をいい、お互いにエールを送りあってわかれる
「自転車乗りに悪いひとはいない」と娘が嬉しそうに云う
どちらかといえば愛想なく
ひとはひと、じぶんはじぶんなこの子が
去年このレースに参加してからというもの
こと自転車に関わるもの、ひとに対して
積極的に自ら動くようになっており
その理由が知りたいというのも
今年自分で走ろうと思ってみた要因のひとつ
軽く周辺を走って、クロークに自転車を預け
ホテルのある仙台へ戻る
去年お世話になったアイビー一家は
急用で受付に間に合わないため
娘が代わりに受付を済ませ
夜に仙台で待ち合わせ、無事に受け渡す
翌朝4時に起き出し、荷物をまとめ
駅から送迎バスに乗り込む
寝ぼけてて何も覚えてない
会場には既にたくさんの人がいる
今年の出走は3500人
応援する家族やスタッフ、
ポケモンブースに遊びにきてる近所の子たち
あちこちのイベントで見かけるコスプレの人
魅力的で個性的なバイク達
スタート前、みんなメットをはずして黙祷
4年経ったのか
午前0745
走り出す
町を抜け、田舎道へ
7月の那須でパンクして以来
心臓がどきどきする砂利の道
前の集団が見えなくなると
「追いつくまで引きますよ」
と、走行管理ボランティアのお兄さんが
颯爽とあらわれる
11キロ地点
初の峠にさしかかる
狭い道路、くねったU字
バイクを降りて押している人もいる
最弱ペダルでどうにか回し
もうこのカーブ曲がってまだ上りだったら
無理かもしれない、と思うと
下りになる
箱根みたいに
上るったら上るよどこまでも
という、アホみたいにエグい坂ではなく
ある程度がんばればちゃんと下る道なので
結局最後までバイクを降りることなく
乗り切れた
20キロ地点、第一エイド
女川(おながわ)
今年5月、JR石巻線は
4年ぶりに全線再開した
津波で流された女川駅は
少し場所を移して
高台の上に今年3月に完成
優しい印象の駅舎は
坂茂(ばん しげる)氏デザイン
空に舞い上がるウミネコをイメージしたという
翼のような白い屋根
坂さんのことをはじめて知った
世界に活躍する建築家で
被災地での支援活動で有名な方なのだそう
インドやトルコでは
地震で家をなくしたひとのために
「紙」で作った家を提供したり
ここ女川では輸送用コンテナを積み上げた
3階建仮設住宅を設計している
新潟地震では避難所に長く居ざるを得ない人々の
プライバシーを守るため
紙柱と布で仕切りを作った
驚いたのはそれらを作る資金を
彼本人の人脈や公募で捻出してるということ
フランシス・コッポラ、坂本龍一など
彼を支持する著名人らも資金作りに協力しているという
募金は海外からも集められている
もちろん税金だって使われるわけだが
それらは画一的な補助はできても
現地の個々の状況に
フレキシブルに対応して支払うのは
難しい仕組みになっている
だから足りない分はそれぞれの地域で、
関わる人たちがどうにかしなきゃならないと
女川では住民の6割に
仮設住宅が必要となったが
リアス式海岸という地形上
広大な平地の確保は難しく
なかなか足りるほどに作れなかった
市長の発案と坂さんの設計で
それまで平屋だった仮設住宅を
2階、3階と増やすことで
「しばらく住んでもいい」と
いうくらい快適な住居が
出来上がったのだそうだ
今回のコースでは
とても頻繁に仮設住宅群のそばを走り
聞いていて知ってはいても
実際に目にすると
何も悪いことをしてないのに
ある日突然家を奪われ
仮住まいを余儀なくされるというのは
いったいどれほどの痛みだろうと
思うと心が重かった
そんな住宅の窓から
がんばれー、と旗を振ってくれる方々
ありがとうございます、と手を振り返す
「第13◯◯仮設住宅」
(いったい何番まであるのだ)
という区画の
入り口にある掲示板には
「鍼灸院の無料マッサージサービス 何月何日」
とか
大手化粧品メーカーの
「無料メイクアップ教室 何月何日」
などという張り紙があり
そのリアルな感覚に改めて
痕跡の深さを感じた
それに比べて
たかが自転車のロゴが傷ついたくらいで
何を落ち込んでいたのだろう
40キロ地点 第ニエイド
雄勝(おがつ)
今朝水揚げされたホタテを網焼きで頂く
気前よく食べ物を恵んでくれる海は
荒々しく大地を削りとっていく海でもある
重機の立ち働くむき出しの地面が
まだこんなにも残っている
そこから先は平坦な田園風景
ゆっくりと走る
重たい気持ちも
風の心地よさも
非力なじぶんのことも
沿道の温かい応援も
身体に沁みる
午後1240 60キロ完走
自転車に巻くIDの紙テープに
それぞれが書き込むメッセージ
娘のには
「見るよ。来年も見るから。」と
私も、見よう
見ていこう、と思った
1年ぶりの仙台駅
ひんやりとした空気
少なくはない人の流れ
タクシーのライトの列
昨日までの雨の匂い
24時間眠らぬ駅前の大衆食堂には
仕事明けの女やこれから働きに出る男や
私たちのような旅人がひしめき合って
合宿所の朝のような喧騒
食事を終えてレンタカーを走らせ
松島のはずれにある立ち寄り湯へ
地元の人が毎朝のように通う
小さな浴場のやたら熱い湯に浸かると
やっと目が覚める
石巻の会場で
先に送っておいた自転車を引き取る
長旅でくたびれたような表情のそいつには
大事なロゴマークにひどい傷が入っている
もう帰りたい
こんなことなら来なきゃ良かった
慣れない組み立てに悪戦苦闘していると
受付開始を待っているというライダーが
手伝いを申し出てくれる
手際よくタイヤをはめ、チェーンをかけて
あっという間にいつもの姿に
違うのはロゴだけ
去年は60キロをボランティアで走ったという彼
同じく去年60キロをチャリティーライダーとして
走った娘と盛り上がる
今年は100キロにトライするのだそう
お礼をいい、お互いにエールを送りあってわかれる
「自転車乗りに悪いひとはいない」と娘が嬉しそうに云う
どちらかといえば愛想なく
ひとはひと、じぶんはじぶんなこの子が
去年このレースに参加してからというもの
こと自転車に関わるもの、ひとに対して
積極的に自ら動くようになっており
その理由が知りたいというのも
今年自分で走ろうと思ってみた要因のひとつ
軽く周辺を走って、クロークに自転車を預け
ホテルのある仙台へ戻る
去年お世話になったアイビー一家は
急用で受付に間に合わないため
娘が代わりに受付を済ませ
夜に仙台で待ち合わせ、無事に受け渡す
翌朝4時に起き出し、荷物をまとめ
駅から送迎バスに乗り込む
寝ぼけてて何も覚えてない
会場には既にたくさんの人がいる
今年の出走は3500人
応援する家族やスタッフ、
ポケモンブースに遊びにきてる近所の子たち
あちこちのイベントで見かけるコスプレの人
魅力的で個性的なバイク達
スタート前、みんなメットをはずして黙祷
4年経ったのか
午前0745
走り出す
町を抜け、田舎道へ
7月の那須でパンクして以来
心臓がどきどきする砂利の道
前の集団が見えなくなると
「追いつくまで引きますよ」
と、走行管理ボランティアのお兄さんが
颯爽とあらわれる
11キロ地点
初の峠にさしかかる
狭い道路、くねったU字
バイクを降りて押している人もいる
最弱ペダルでどうにか回し
もうこのカーブ曲がってまだ上りだったら
無理かもしれない、と思うと
下りになる
箱根みたいに
上るったら上るよどこまでも
という、アホみたいにエグい坂ではなく
ある程度がんばればちゃんと下る道なので
結局最後までバイクを降りることなく
乗り切れた
20キロ地点、第一エイド
女川(おながわ)
今年5月、JR石巻線は
4年ぶりに全線再開した
津波で流された女川駅は
少し場所を移して
高台の上に今年3月に完成
優しい印象の駅舎は
坂茂(ばん しげる)氏デザイン
空に舞い上がるウミネコをイメージしたという
翼のような白い屋根
坂さんのことをはじめて知った
世界に活躍する建築家で
被災地での支援活動で有名な方なのだそう
インドやトルコでは
地震で家をなくしたひとのために
「紙」で作った家を提供したり
ここ女川では輸送用コンテナを積み上げた
3階建仮設住宅を設計している
新潟地震では避難所に長く居ざるを得ない人々の
プライバシーを守るため
紙柱と布で仕切りを作った
驚いたのはそれらを作る資金を
彼本人の人脈や公募で捻出してるということ
フランシス・コッポラ、坂本龍一など
彼を支持する著名人らも資金作りに協力しているという
募金は海外からも集められている
もちろん税金だって使われるわけだが
それらは画一的な補助はできても
現地の個々の状況に
フレキシブルに対応して支払うのは
難しい仕組みになっている
だから足りない分はそれぞれの地域で、
関わる人たちがどうにかしなきゃならないと
女川では住民の6割に
仮設住宅が必要となったが
リアス式海岸という地形上
広大な平地の確保は難しく
なかなか足りるほどに作れなかった
市長の発案と坂さんの設計で
それまで平屋だった仮設住宅を
2階、3階と増やすことで
「しばらく住んでもいい」と
いうくらい快適な住居が
出来上がったのだそうだ
今回のコースでは
とても頻繁に仮設住宅群のそばを走り
聞いていて知ってはいても
実際に目にすると
何も悪いことをしてないのに
ある日突然家を奪われ
仮住まいを余儀なくされるというのは
いったいどれほどの痛みだろうと
思うと心が重かった
そんな住宅の窓から
がんばれー、と旗を振ってくれる方々
ありがとうございます、と手を振り返す
「第13◯◯仮設住宅」
(いったい何番まであるのだ)
という区画の
入り口にある掲示板には
「鍼灸院の無料マッサージサービス 何月何日」
とか
大手化粧品メーカーの
「無料メイクアップ教室 何月何日」
などという張り紙があり
そのリアルな感覚に改めて
痕跡の深さを感じた
それに比べて
たかが自転車のロゴが傷ついたくらいで
何を落ち込んでいたのだろう
40キロ地点 第ニエイド
雄勝(おがつ)
今朝水揚げされたホタテを網焼きで頂く
気前よく食べ物を恵んでくれる海は
荒々しく大地を削りとっていく海でもある
重機の立ち働くむき出しの地面が
まだこんなにも残っている
そこから先は平坦な田園風景
ゆっくりと走る
重たい気持ちも
風の心地よさも
非力なじぶんのことも
沿道の温かい応援も
身体に沁みる
午後1240 60キロ完走
自転車に巻くIDの紙テープに
それぞれが書き込むメッセージ
娘のには
「見るよ。来年も見るから。」と
私も、見よう
見ていこう、と思った