雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

Hug & Kiss

2007年12月16日 | adorably autistic
長らく更新できなかったため、ご心配をおかけしたことと
思います。
まだ気分の落ち込み、無力感、不安感は続いていますが、
こうして再びPCを開くことができました。

一番症状がひどかったのは、10日から11日にかけてでした。
10日は7週間ぶりの診察日で、3度目の入院からちょうど
1年が経ったこともあり、血液検査や尿検査、骨密度検査に
レントゲン、と検査漬けになってきました。
それでも、徒手筋力検査では手足とも正常域に戻り、
「もう日常生活はほとんど不自由がないでしょう?」と
主治医に言われるまでになりました。

筋のぴくつきやしびれ感、疲れやすさなどはこの病気である以上
ある程度は仕方のないことで(そこが「慢性」であるゆえん)
とりあえずは症状はいい具合に落ち着いていると思われるので、
もう少しステロイドを減らして、様子を見てみましょう、ということに
なったのです。

ところが、その帰り道から、段々不安が強くなり、帰りに寄った
スーパーではもう商品を見て買い物することさえできず、
早々に自宅に帰ってきました。

ところがもう着替える気力も、自分の昼食を用意する気力も
ありません。TVをつけても、ラジオをつけてみても、
まったく何をやっているのかわかりません。
とりあえずそのまま布団にもぐりこんでみたのですが、とにかく
「もうだめだ。自分なんか生きていてもしかたない」
「生きていても、もう絶対に良い事なんかない」
「あれもこれも、きっと最悪の結果になる」
「自分の人生は全てが間違いだった」
と、どんどん自分自身を否定する考えが膨らんで、
押しつぶされそうになってしまいました。

それでも、私のへたれなところが幸いして、
マンションの8階から下を見るととても怖くて飛び降りることなど
できないし、
電車に飛び込む、刃物で・・・ということも
とても怖くてできなかったのでした。

とにかくこれほどのパニック状態、強い恐怖感は、
息子の診断を受けたときにもなかったことで、
自分でも、これは尋常ではないとわかり、
とりあえず何らかの手段を取ろうとしました。

普段から落ち込んだ気分になりやすいため、抗うつ作用があると
言われるセントジョーンズワートのサプリメントはいつも
手元においてあるのですが、これはプレドニンの作用を増強し
副作用の危険を高めるということなので、飲むことができません。
(このあたり、なぜか冷静)

それで、しばらく使うことのなかったレスキューレメディを
飲んでみることにしました。
これはバッチフラワーレメディという欧米ではよく知られた
ホメオパシー(民間療法)の1つで、
海外や日本の一部でも副作用のない補助療法として、
カウンセリングなどと併用されることが多いものとして
息子の診断を受けたばかりの時期に、当時交流のあった方から
教えていただいたものです。

レメディを飲んでしばらくじっと耐えていると、少しだけですが
先ほどの錯乱状態が落ち着いてきました。でも、まだ
何も手につかず、起き上がることもおっくうなほどで、
胸から腹部にかけて、何かずっしりと重いものが
詰まっているように感じられます。

下校時間になり、息子が帰ってきても、私は玄関を開けて
やるのがやっとで、いつものように声をかけてやることもできず、
布団にもぐったまま、ひたすら自分を襲ってくる恐怖感と
戦っていました。

息子にも、母親の状態が尋常でないことはわかったのでしょう。
布団に横たわったままの私にぴったりとくっついて
「おかあさん、しんどい?お熱ある?」と訊いてきましたが、
「うん」と頷くのがやっとでした。

そのうち、これだけは息子に対して言うまい、彼まで不安にさせまい、と
我慢していた言葉を、ついに我慢しきれなくなって
「ちびくまくん、もう、おかあさんいなくなってもいい?」
「おかあさん、しんどくなっちゃった、もう楽になりたいの」と
言ってしまったとき、

息子が私をぎゅっと抱きしめて、額にキスをして言いました。
「だめだよ、おかあさん、いなくならないのがいいよ。
 ぼくはおかあさんがすきだよ。おうちにいてくれるのがいいよ。
 いっしょにねんねしてくれるのがいいよ」
そして頬に、額に、何度もキスをして、また抱きしめてくれたのです。

中学生になっても外での頑張りの分を取り戻すように
「おかあさん、抱っこしてください」と甘えてくる息子が、
いまだに毎晩腕枕をして欲しがる息子が

その日に限っては、私を抱きしめて腕枕をして、
額に額をくっつけて、
「おかあさん、ぼくはおかあさんがすきだよ」
と何度も繰り返してくれたのでした。
涙を流す余裕はもうなかったけれど、私は今までこれほど
誰かから大切にしてもらったことがなかった、そう思いました。
こんなになっても、身も世もなく「助けて」と叫べる相手が
いない私を、この子だけは愛してくれている。

多分息子は「お母さんがいなくなる」という言葉から
再度の入院かと思ったのでしょう。
あの時息子は私が傍にいなくても頑張りぬいてくれたけれど、
やはり彼の心に私の入院が落とした影は小さくないと
感じることがこれまでも何度かありました。
まして私が彼に理解できない理由で二度と帰らなかったら
彼の心はきっと壊れてしまう。

この子のためだけに、これほど私を大事にしてくれる息子のために、
どうしても今ここで死ぬわけにはいかない、そう思いました。

息子が赤ちゃんの頃から、私は毎晩布団に入ってから
息子を抱きしめてこうささやいてきました。
「おかあさんは、ちびくまくんが大好き。
 ちびくまくんは、お母さんの宝物だよ」

子どもを養護幼稚園まで送ってきたアメリカ人のお母さんが
子どもの頬にキスをして"I love you!"と声をかけるのを
真似て始めたhug & kissが今も息子と私の間での挨拶です。

それをただ真似しただけかもしれないけれど、
SOSを出す力もないほど弱りきった私の心に
息子のくれたhug & kissは暗闇のなかの一本のろうそくのように
ぽっと小さな暖かい光をともしてくれたのでした。
鉛を飲み込んだような気持ちのままではありましたが、
その日は息子を抱きしめて、それでも眠りにつくことができました。

あれから1週間、今もまだ気分にはかなりの波があり、
ふさぎこんだ気持ちのままで過ごすこともあるし、
急に不安や焦りがこみあげてくることもあります。
何を見ても聞いても笑うことも泣くこともできないのは
まだまだだという気もしますが、

これまで私がいつも皆さんに繰り返してきたように、
どんなに落ち込んでもいいから、絶対に一線だけは越えないでと
自分自身に言い聞かせながら、少しずつ回復していけたら、と思っています。
ごめんなさい、こんな話は読んで暗い気持ちや不愉快な気持ちになられる方も
いるかもしれませんが、皆さんへの約束のつもりで、ここに
正直に記録しておきます。