雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

特別扱い

2007年01月29日 | 入院生活
3度目の入院も遂に8週間目に突入。12月の頭に
ギラン・バレーなら有り得ないと言われていた
2度目の再発を自覚した時には、さすがに今後の入院は
少し長くなるかもしれないという覚悟はあったものの、
ここまで長引くとは思っていなかったというのが
正直なところです。

そんな中、夫や実家の母は勿論、
お母さん仲間や学校の先生、福祉事業所の人たちにも
とてもお世話になってきました。もうひたすら感謝です。

特別な配慮の要る子をおいて自分が突然長期入院するなんて、
今まで考えたくもなかった言わば最悪の事態になって改めて
障担との緊密な連携と信頼関係を日頃から築いておくこと、
「困り切っていないうちに」福祉サービス利用に
親子で慣れておくこと、そして親が十分頑張れるうちに
「子どもが独りで出来ること」を増やしておくことの
大切さを実感しています。

「うちでお預かりしているのはちびくまくんだけでは
ありません。彼だけを特別扱いするような、そんな
不平等な事は出来ません」
幼いちびくまを通わせた日系幼稚園で、私は毎日のように
こう言われました。
あの時の私には返す言葉がありませんでした。
でも、今なら言えるかもしれない。「他の子も大切だ。
けれどこの子も大切だ。そう思えない貴方には、たとえ
この子に障碍がなくても託すことは出来ません」と。

障碍があってもなくても、「目の前のこの人」を
支援しようという時、そこに必要なのは「全ての人を
特別扱い」するという発想なんじゃないかな、と思うのです。
それは生半可な仕事ではありません。でも、表向きの
「平等」にこだわっている限り、本当に必要な支援と
いうのは見えてこないんじゃないのかな、と、
障碍のある子の母として、支援者を志す人間として、
永続的な身体障碍を持つ可能性のある難病患者として、
病院のベッドの上でつらつら考えています。

1 コメント

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特別な「ひとり」 (まつこ)
2007-01-29 16:52:28
先日、私の実家で104歳の祖母が息を引き取った時に
4年近く往診してくださっていたお医者様が
臨終を確認に深夜駆けつけて
「瞳孔はまだ開ききっていないけれども心肺は停止です。ご臨終です。」と
涙を流されたと父に聞きました。

「仕事」の範囲を越えて、
人として誠実に向き合ってくださっていたのかなあと。。。
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