雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

卒業式

2007年03月22日 | 楽しい学校生活
今日はちびくまの卒業式。
卒業式の練習の仕方にはいろいろと注文をつけたいと思っていたのに
入院中のため、そもそもどんな練習の仕方をしているのかを
見に行くことすらできませんでしたし、本人と私が当日着る服も
外泊した際にネット通販で手に入れた、という代物だったので、
本当に何もかもがぶっつけ本番という感じ。

でも、練習が始まってからの何度かの外泊中のちびくまの様子や
退院後の彼の態度を見ていた私は、正直あまり心配していませんでした。
息子は「最上級生として卒業式に立派に参加する」ことにとても
意欲と誇りを感じているようでしたし、何より本人が「ぼくは練習を
がんばったから、きっと上手にできる。おかあさん見に来てね」と
言ってくれたからです。

会場では、杖をついて歩く私のために通路に面した席を予め用意し、
受付を終えたあとは他の保護者とは別に横の通用口から先に入場、という
配慮をしてもらえたため、体にもほとんど無理をかけることなく
開式までの時間を過ごすことができました。

卒業生の入場。卒業生が体育館のステージ上に1人ずつ現れ、
9人横に並んだところで横並びになったままひな壇を降りてきて
座席に座ります。
ちびくまはちゃんと両横の子の動きを見て、タイミングを合わせて
降りてくることができました。

全員が着席したところで、君が代と校歌の斉唱、そして卒業証書授与。
私が子どもの時は、壇上にあがって証書をもらったのですが、
M小の演出は少し変わっていて、卒業生席とその後方の保護者席の間に
演台が置いてあって、子どもたちが後ろへ来て校長先生から1人ずつ
証書をもらい、横のマイクで保護者席に向かって中学校生活への
決意を述べる、というものでした。

証書を受け取るまでには、前の子が1人終わるごとに1ステップずつ
場所を移動することになりますが、これもちゃんとできています。
さて、ちびくま、名前を呼ばれると「はい」と返事をして、
演台の前に進み出ます。証書を押し頂いて一歩下がり、校長先生と
視線を合わせてから一礼、のはずですが、一礼というより会釈、だったのは
まあご愛嬌ということで(笑)。
マイクの前では、ちょっと小さめの声でしたが、
「ぼくは英語のべんきょうをがんばります。将来はパソコンの仕事を
 したいです。おとうさんおかあさん、今までありがとうございました」
「ありがとうございました」の語尾が「ました~」と歌うように上がって
いたのが、いかにもちびくまらしい感じでした。

決意を述べた子どもはその後体育館の前方隅で控えている他学年の
先生のところに行って、証書をホルダーに入れてもらい、それを
受け取って自分の座席に戻るのですが、ちびくまにホルダーを
渡してくれたのは、ちびくまが1年生の時、交流学級の担任だった
N先生でした。英語で独り言を言い、日本語は1語文、普通教室に
1時限の間いることができない当時の彼を知る人はもうM小には
ほとんどいませんが、無介助で卒業証書を受け取った彼の姿を
多分感慨をもって見つめてくださったのではないかと思います。

全員が証書を受け取ると、後はお決まりの校長先生の祝辞、
来賓の挨拶、祝電披露。ちびくまの3~5年の担任だったK先生も
手作りのメッセージを寄せてくれていました。

最後に、6年生と5年生による「呼びかけ」。
ひな壇に並んだ6年生が6年間の思い出とお世話になった人たちへの
感謝の言葉を語り、在校生席の5年生に最上級生としての
バトンを渡す、という形式になっています。
ちびくまも「地域のみなさん」という台詞をもらっていました。
声が小さいのが難、ということで何度も練習をさせられたらしいですが
本番でも少し声は小さめだったけれど、タイミングはおかしくなかったし、
次の子がスムーズに受けてくれたので、これも滞ることはありませんでした。

2時間近い式を終えて、いよいよ卒業生退場。これはオーソドックスに
2列で保護者席中央の花道を通って体育館の外へ出ます。
これまでの緊張が一気に解けたのか、涙ぐむ子、保護者席のお父さん
お母さんに合図を送る子、急にだらだらした歩き方になる子・・・。
ちびくまは、少し照れたような、でも晴れやかな笑顔でした。
彼にとって「ちゃんとできた、頑張った」卒業式であったことが
よくわかりました。

結局、会場に一歩入ったところから退場までの間、ちびくまは
単独で(多分周りの子たちのさりげないサポートはあっただろうと
思いますが)通常級の仲間たちに混じって参加することができたのです。
6年前の入学式のときは、障担がそばに付きっ切りが当然で、事前に
「途中で泣き出したときの対応」だの、「座席の下にもぐって
しまったときの対応」だの、「入場を嫌がったときの対応」だの、
「途中で立ち歩いたときの対応」だのを事細かに打ち合わせしたのが
まるで嘘のよう。

今日のちびくまは、きっと知らない人にはただの1人の6年生にしか
見えなかったでしょう。
それは、障碍があるとかないとか、なんの障碍だとかいう前に、
この子は「1人の子ども」なんだ、ということを大切にして
6年間を過ごさせてもらったことの集大成に思えました。
スキルを増やすとか、言葉を増やすとか、過去の障担はそういうことには
決して躍起にはならなかったけれど、いつも息子をありのままに受け止め、
心から可愛がってくれた。その信頼関係を礎に、息子は自分から
「もっとかっこいい自分」「もっとわかってもらえる自分」になろうと
努力をする気になってくれたような気がしています。

そんな彼にとって、今の自分自身は「自ら選んで達成した」姿です。
だからこそ「頑張れる自分」に彼は誇りをもっているし、
これから環境が変わることにも自ら立ち向かって行こうという希望に
満ち溢れています。

それがわかったから、私も今日はただただ嬉しく、息子が誇らしく、
ずっと笑顔で過ごすことができました。
昨日までは、きっと号泣しちゃうだろうと思って、普通のハンカチ2枚に
タオルのハンカチまでバッグに忍ばせて行ったのに。
校庭の隅では、6年前の春私たちを迎えてくれたあの桜の木が、
ほぼ満開の花をつけていました。