雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

知ることと信じること(その4)

2007年03月02日 | 入院生活
相手の持つbiasと自分の持つbiasに気づくことは、例えば
自閉っ子の「問題行動」について考える時や、ある療育法に
ついて評価しようとする時にも、必要なことなのでは
ないかと思います。

自閉っ子の場合、biasとなるものは偏見や先入観というより
「感じ方の違い」という方がより正確な気がしますが、
私たちが自閉っ子のする事を「問題行動」と呼ぶとき、
よく考えてみるとそれは「その子にとって不利益(危険)な行為」
というより「私たちが(自分の価値観ゆえに)やめて貰いたいと
思う行為」であることの方が圧倒的に多くはないでしょうか。

いつも家の中をすっきり片付けていられる綺麗好きなお母さんが
玩具を散らかしまくる子どもに対して感じるストレスは、
ずぼらで自らが「片付けられない女」である私よりずっと
深刻でしょうし、他人に気を遣い、人の和を乱さないこと・
人から変に思われないことを大切にしている人には、
自閉っ子のいかにも自閉っ子らしい行動がとても受け入れ
難いものに感じられるかもしれません。

同じように、自閉っ子の自閉っ子らしさを受け入れ難く
感じる人は、「自閉に見えない」ことを目標にする療育法に
強く惹かれるかもしれないし、「一人で出来ることが多い方が
いい」と考える人は、自閉っ子が単独で出来ることを目標とする
療育法に惹かれがちになるでしょう。

私たちは、ともすれば自分は「事実」を知っていると
思いがちだけれど、本当はそこに「それが絶対不変の真実だと
信じたい気持ち」の方が大きく働いているかもしれない、という
疑いを時々差し挟んで振り返ってみることは、生まれながらに
定型発達の子どもたちとは違う感じ方を持った自閉っ子と
毎日そして末永く付き合っていく私たちだからこそ
大切にしたいことなのではないかと思います。

また、我が子が自閉っ子でなければ、ひょっとしてそんなことは
あまり意識しなかったかもしれない、と考えると、この身に
起こる出来事に無意味なことは何もない、そうも思えるのです。