雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

知ることと信じること(その3)

2007年03月01日 | 入院生活
ひとたび人間が介在すれば、全ての「事実」は絶対のものでは
なくなる、ということを私が徹底的に教えられたのは大学時代です。

法律を学んだ人間というのは、条文を沢山暗記していて、
白黒をはっきりつけたがる融通のきかないタイプであるに
違いない、とよく思われがちなのですが、実はそういう
イメージは「法的な考え方」をよく知らない人の先入観である、
と私は思っています。

実際の法学部の授業では「法と道徳の違い」や、立場が違えば
主張が変わること、当事者の主観的要素はどのように判断
すべきか、という議論、ある「事実」の「蓋然性(確からしさ)」
という問題、法的判断の社会的妥当性、といったことが
繰り返し取り上げられます。

人の見た「事実」は「その人にとっての真実」に過ぎないこと、
人が下す判断の「正当性」には常に限界があること、それが
その後私が生きてきた日々の基調になってきた考え方です。

極端に言えば、私が大学法学部で学んだことの全ては
その考え方に集約出来ると言うことが出来るかもしれません。

そして、そのように考えてみると、人が人に何かを伝えようと
する時、自分自身がどのようなbiasを持っていて、相手が
どのようなbiasを有しているかまで考えに入れない限り、
「事実」を伝えたつもりでも伝わらない、これは当然の事と
言えるかもしれません。

でも、人間というものは往々にして他人の持つbiasには
敏感でも、自分自身の持つbiasには気がつきにくいのですね。
だから余計に話がややこしくなりがちなのでしょう。