雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

バレンタインデー

2008年02月14日 | adorably autistic
息子は、子どもが普通喜んで食べるような菓子類
(スナック菓子、飴、ガム、ラムネ、グミ、チョコレート、
クッキー、ケーキ、シュークリーム、etc.)が嫌いです。

飲み物も麦茶やウーロン茶、果汁100%のアップルジュースか
グレープジュースが好きで、清涼飲料類、特に炭酸系は
飲みません。あんこも大の苦手です。

そんな彼のおやつは、りんごやバナナ、みかんなどの果物、
森永マリーなどの古典的なビスケット、豚まんやミニピザ、
みたらし団子や大学芋、いもようかんやおせんべいなど。

毎日3~5種類を用意しておいて、自分で1つ選ばせるように
しています。もともとは2択から始め、だんだんに選択肢を
増やしてきました。

最初は毎日同じものを選んだりしていましたが、段々に
その日の気分で選ぶようになり、最近は賞味期限をチェックして、
「おかあさん、これ、きょうまでだから、きょうはこれにするよ」
などという選び方もするようになりました。

さて、それはそうと、今年も来ました、バレンタインデー。
昨年まではバレンタインの日には、学校の送迎バスの
添乗員さんからチョコレートをいただいてきた息子ですが、
本人は嫌いなものなので、もらってもうれしそうでもなんでもなく
愛想のないことこのうえなし。

でも、小学校のときに比べてクラスの女子がよってたかって
面倒を見てくれているような今、気をつかって彼にもチョコを
用意してくれる子が、ひょっとしたらいるかもしれない。

そんな淡い期待を抱いた母は、朝、
「いい?ちびくまくんはチョコレートが嫌いだけど、もし今日
 チョコレートをくれたお友達がいたら、『苦手です』って
 言わないで、『ありがとう』って言うんだよ」
と言い聞かせて、息子を送り出したのでした。

・・・で、帰ってきた息子に、
「ねえ、だれかにチョコレートもらった?」と訊くと
息子はしれっと
「ううん、もらわなかったよ♪」
・・・世の中、そんなに甘くないか・・・(笑)

「ところでおかあさん、きょうのおやつはなに?」
今日も3種は用意してあったのですが、ふと小さなチョコが
1つだけあったことを思い出して、選択肢の最後に
付け加えてみました。

すると、驚いたことに、息子は
「じゃあ、今日はチョコレートにするよ」と言うのです。
「ほんと?チョコレート食べられるの?」
「うん、食べられるよ」

そう言った息子は、親指の先ほどのチョコレートを
アリが食べてるのか?というようなスピードで、
ときどきオエッとなったりしながら、苦労して食べきったのでした。

あまりのことに見かねて、
「ちびくまくん、チョコレートはちょっぴりだったから、
 もう1つ選んでいいよ」と言うと、
今度はオーソドックスにビスケットを選んで、
「あ~おいしいねえ」とにっこり。

「ねえ、ちびくまくん、ほんとはチョコレート苦手でしょう?
 どうして頑張っておやつに食べようと思ったの?」と訊いた私に、
息子はニコニコ笑ってこう言ったのでした。

「だって、きょうはバレンタインデーで、チョコを食べる日だから」

大晦日のそばや節分の巻き寿司と同じ感覚だったのね・・・





爆発の余波

2007年12月20日 | adorably autistic
昨夜の私の大爆発にすっかり怯えたらしい息子ですが、
でもそれは「自分がお母さんを怒らせたのだ」と
思っていたようで、

今日は翌日は笑ってしまうほど「良い子」になっていました。
いつもなら帰宅後も制服を脱ぎっぱなして放っておいて、
夜寝る頃になって慌てて片付けたりしているのを、
帰宅するなりきちんとハンガーにかけて、
「お母さん、ほら、ちゃんとお片づけできたよ~」と見せに来たり、

「あっ、宿題、ちゃんとやろうっと~」とわざわざ口に出して
アピールしたり。

家であったことが学校でのパフォーマンスになにか影響を与えるかも
しれないので、障担のK先生には連絡帳で包み隠さず白状したのですが
先生からは
「おかあさんでもそんなことがあるんだと、親近感を感じました。
 そういうことを伝えていただけて、嬉しかったです」
「日頃の信頼関係がしっかりしているので、1度や2度のことでは
 びくともしませんよね。親子の絆を感じます」
と暖かい返事をもらい、ちょっと気持ちが楽になりました。

でもやっぱり「ちょっと抱っこしてください」と寄ってきた息子には
「お母さん、きのうはほんとうにこわかったねえ」と
言われてしまったのでした。



Hug & Kiss

2007年12月16日 | adorably autistic
長らく更新できなかったため、ご心配をおかけしたことと
思います。
まだ気分の落ち込み、無力感、不安感は続いていますが、
こうして再びPCを開くことができました。

一番症状がひどかったのは、10日から11日にかけてでした。
10日は7週間ぶりの診察日で、3度目の入院からちょうど
1年が経ったこともあり、血液検査や尿検査、骨密度検査に
レントゲン、と検査漬けになってきました。
それでも、徒手筋力検査では手足とも正常域に戻り、
「もう日常生活はほとんど不自由がないでしょう?」と
主治医に言われるまでになりました。

筋のぴくつきやしびれ感、疲れやすさなどはこの病気である以上
ある程度は仕方のないことで(そこが「慢性」であるゆえん)
とりあえずは症状はいい具合に落ち着いていると思われるので、
もう少しステロイドを減らして、様子を見てみましょう、ということに
なったのです。

ところが、その帰り道から、段々不安が強くなり、帰りに寄った
スーパーではもう商品を見て買い物することさえできず、
早々に自宅に帰ってきました。

ところがもう着替える気力も、自分の昼食を用意する気力も
ありません。TVをつけても、ラジオをつけてみても、
まったく何をやっているのかわかりません。
とりあえずそのまま布団にもぐりこんでみたのですが、とにかく
「もうだめだ。自分なんか生きていてもしかたない」
「生きていても、もう絶対に良い事なんかない」
「あれもこれも、きっと最悪の結果になる」
「自分の人生は全てが間違いだった」
と、どんどん自分自身を否定する考えが膨らんで、
押しつぶされそうになってしまいました。

それでも、私のへたれなところが幸いして、
マンションの8階から下を見るととても怖くて飛び降りることなど
できないし、
電車に飛び込む、刃物で・・・ということも
とても怖くてできなかったのでした。

とにかくこれほどのパニック状態、強い恐怖感は、
息子の診断を受けたときにもなかったことで、
自分でも、これは尋常ではないとわかり、
とりあえず何らかの手段を取ろうとしました。

普段から落ち込んだ気分になりやすいため、抗うつ作用があると
言われるセントジョーンズワートのサプリメントはいつも
手元においてあるのですが、これはプレドニンの作用を増強し
副作用の危険を高めるということなので、飲むことができません。
(このあたり、なぜか冷静)

それで、しばらく使うことのなかったレスキューレメディを
飲んでみることにしました。
これはバッチフラワーレメディという欧米ではよく知られた
ホメオパシー(民間療法)の1つで、
海外や日本の一部でも副作用のない補助療法として、
カウンセリングなどと併用されることが多いものとして
息子の診断を受けたばかりの時期に、当時交流のあった方から
教えていただいたものです。

レメディを飲んでしばらくじっと耐えていると、少しだけですが
先ほどの錯乱状態が落ち着いてきました。でも、まだ
何も手につかず、起き上がることもおっくうなほどで、
胸から腹部にかけて、何かずっしりと重いものが
詰まっているように感じられます。

下校時間になり、息子が帰ってきても、私は玄関を開けて
やるのがやっとで、いつものように声をかけてやることもできず、
布団にもぐったまま、ひたすら自分を襲ってくる恐怖感と
戦っていました。

息子にも、母親の状態が尋常でないことはわかったのでしょう。
布団に横たわったままの私にぴったりとくっついて
「おかあさん、しんどい?お熱ある?」と訊いてきましたが、
「うん」と頷くのがやっとでした。

そのうち、これだけは息子に対して言うまい、彼まで不安にさせまい、と
我慢していた言葉を、ついに我慢しきれなくなって
「ちびくまくん、もう、おかあさんいなくなってもいい?」
「おかあさん、しんどくなっちゃった、もう楽になりたいの」と
言ってしまったとき、

息子が私をぎゅっと抱きしめて、額にキスをして言いました。
「だめだよ、おかあさん、いなくならないのがいいよ。
 ぼくはおかあさんがすきだよ。おうちにいてくれるのがいいよ。
 いっしょにねんねしてくれるのがいいよ」
そして頬に、額に、何度もキスをして、また抱きしめてくれたのです。

中学生になっても外での頑張りの分を取り戻すように
「おかあさん、抱っこしてください」と甘えてくる息子が、
いまだに毎晩腕枕をして欲しがる息子が

その日に限っては、私を抱きしめて腕枕をして、
額に額をくっつけて、
「おかあさん、ぼくはおかあさんがすきだよ」
と何度も繰り返してくれたのでした。
涙を流す余裕はもうなかったけれど、私は今までこれほど
誰かから大切にしてもらったことがなかった、そう思いました。
こんなになっても、身も世もなく「助けて」と叫べる相手が
いない私を、この子だけは愛してくれている。

多分息子は「お母さんがいなくなる」という言葉から
再度の入院かと思ったのでしょう。
あの時息子は私が傍にいなくても頑張りぬいてくれたけれど、
やはり彼の心に私の入院が落とした影は小さくないと
感じることがこれまでも何度かありました。
まして私が彼に理解できない理由で二度と帰らなかったら
彼の心はきっと壊れてしまう。

この子のためだけに、これほど私を大事にしてくれる息子のために、
どうしても今ここで死ぬわけにはいかない、そう思いました。

息子が赤ちゃんの頃から、私は毎晩布団に入ってから
息子を抱きしめてこうささやいてきました。
「おかあさんは、ちびくまくんが大好き。
 ちびくまくんは、お母さんの宝物だよ」

子どもを養護幼稚園まで送ってきたアメリカ人のお母さんが
子どもの頬にキスをして"I love you!"と声をかけるのを
真似て始めたhug & kissが今も息子と私の間での挨拶です。

それをただ真似しただけかもしれないけれど、
SOSを出す力もないほど弱りきった私の心に
息子のくれたhug & kissは暗闇のなかの一本のろうそくのように
ぽっと小さな暖かい光をともしてくれたのでした。
鉛を飲み込んだような気持ちのままではありましたが、
その日は息子を抱きしめて、それでも眠りにつくことができました。

あれから1週間、今もまだ気分にはかなりの波があり、
ふさぎこんだ気持ちのままで過ごすこともあるし、
急に不安や焦りがこみあげてくることもあります。
何を見ても聞いても笑うことも泣くこともできないのは
まだまだだという気もしますが、

これまで私がいつも皆さんに繰り返してきたように、
どんなに落ち込んでもいいから、絶対に一線だけは越えないでと
自分自身に言い聞かせながら、少しずつ回復していけたら、と思っています。
ごめんなさい、こんな話は読んで暗い気持ちや不愉快な気持ちになられる方も
いるかもしれませんが、皆さんへの約束のつもりで、ここに
正直に記録しておきます。




予防接種(その2)

2007年11月20日 | adorably autistic
3時前に学校から帰ってきた息子に、
「注射は3時半からです。急いでおやつを食べてから行きますか?
 それとも帰ってきてからゆっくり食べますか?」
と確認すると、
「急いで食べてから行きます」との返事。

今日のおやつの選択肢から選んだりんごをほおばりながら
「お母さん、注射っていたいのかな~」
相当気になっている様子です。

「うん、注射は針を刺すんだから、痛いよね。
 お母さんは子どもの時、インフルエンザの注射は
 すごく痛いと思った」

「そういうとき、普通のお母さんは『痛くないよ』とか
『大丈夫よ』とか言うんじゃないの?」と笑われたことがありますが
それだと、もし息子が「痛い」と感じたら、息子は私に
だまされたと思うかもしれません。
たとえそれが悪意による嘘ではなくても
日ごろから「嘘をつく人」は、私でもどこまで
信じていいのかわかりません。

だから、息子がまだずっと小さい頃から
私はいい事も悪いことも、率直に事実を伝えることにしてきました。
「だから、ちびくまくんも、すごーく痛い、と思うかもしれないけど、
 1から5まで数える間くらいだから、頑張ってくれる?」
「はい、頑張ってくれるよ。ぼく、大丈夫だよ」

かかりつけの小児科医では3時半から4時までが予防接種の
時間帯ですが、すでに駐車場は満杯。
中に入ると、待合室にも人が溢れていました。

自分より小さい子どもがいる環境が苦手、泣き声はもっと苦手、
受付にかかってくる電話の呼び出し音も苦手、
それが自分でわかっているちびくまは
「ぼくは外で待ってるよ」と自分から言い出します。

私1人で受付を済ませて、体温計で熱をはかります。
脇に挟んでじっとしていると、看護婦さんがニコニコして
「その体温計、5秒で計れますので~」と。
・・・世の中は私が知らない間に進んでいたんですね。(^^ゞ

昔は体温計を嫌がって暴れる息子を抑えるのが大変だったんですが。
もちろん、今は息子の体温も問題なく計れます。

順番が回ってきて、名前が呼ばれたところで、息子は
玄関から診察室へ直行。
自閉症専門病院での勤務経験があるドクターは
自閉っ子の扱いに慣れていて、看護婦さんも配慮があるので
息子も安心して診てもらえるようです。
「お腹もしもしするよ。じゃあ、背中ももしもしさせて。
 あと1つ、お口あ~んして 見せてもらえるかな」
というドクターの指示にも素直に従います。

手馴れた看護婦さんが1人は身体を支え、もう1人が上腕部を
支持して、あっという間に接種終了。
「静かに注射できて、お利口さんだったねえ」
褒めてもらって、息子はにっこり。私の接種が済むと、
「ありがとうございました~」と挨拶して
先に立って診察室を出ました。

支払いが済んで、車に戻り、
「どう、痛かった?」と訊くと、
「ううん、いたくなかったよ。大丈夫だったよ」
「そう?すごいな~、小さい子はいっぱい『痛いよ~』って
 大きな声で泣いてたよ」
「ぼくは泣かないよ、中学生のお兄さんだから」


でも、帰宅後すぐ書いた日記には「針がちくっとしました。痛かったけど
がんばりました」と書いてありました。


予防接種(その1)

2007年11月19日 | adorably autistic
今年はインフルエンザの流行が早く始まっているようです。

我が家では、これまで誰もインフルエンザの予防接種を
受けたことがなかったのですが、

今年は私がCIDPの治療のために免疫抑制効果のある薬を
常用しているため、もしインフルにかかってしまうと
最悪の場合命にかかわるということで、主治医の勧めで
予防接種を受けることにしました。

ただし、よくも悪くも免疫がつきにくいので、予防接種の
効果自体が低くなってしまう可能性もあるとのことで、
家庭内にウイルスを持ち込まないために
息子にも受けてもらうことにしました。

渡米の前後には、日米の予防接種制度の違いから、沢山の
予防接種を受けたちびくまですが、2001年の春に受けたのが
最後ですから、彼が「話せばわかる人」になってからは
およそ始めての接種ということになります。

「ちびくまくん、お母さん、お熱が出たらどうなるか知ってる?」
「うん、また入院しちゃうんだよね」
「そうだね。だから、風邪をひかないようにお外ではずっと
 マスクをしているし、お家に帰ってきたら手洗いとうがいは
 必ずしてるよね」
「はい」
「じゃあ、ちびくまくんが風邪をひいたらどうなるか知ってる?」
「知ってる。お母さんがまた入院しちゃう」
「そうね。ちびくまくんの風邪がお母さんにうつったら
 お熱が出るものね。だから、ちびくまくんはお家に帰ってきたら
 やっぱり手を洗ってうがいをしてくれてるよね」
「はい。ちゃんと手洗いとうがい、してるよ~」

「でもね。インフルエンザっていう、すごく高いお熱が出て
 しんどくなる風邪が流行ってるんだって。
 だから、お母さんはインフルエンザにならないように、予防注射を
 してもらいにお医者さんに行こうと思うの。
 ちびくまくんもインフルエンザにならないように、予防注射を
 してもらいたいんだけど、してくれる?」

「うん。してくれるよ。どこでするの?」
「Hクリニックにしましょう。ちびくまくんはH先生が好きだもんね」
「はい。H先生やさしいよ。いつするの?」
「じゃあ、H先生にお電話して予約するからちょっと待って」

・・・という会話をしたのが先週のこと。そして今日がその
予約日でした。


まっくろ。

2007年10月17日 | adorably autistic
自分のパソコンで夢中になって遊んでいて、ふと
窓の外に目をやったちびくまが、

「お母さん、見て、まっくろだよ」

真っ黒って、何が?・・・と思って外を見ると、外はすでに真っ暗。
秋の陽はつるべ落としと言いますが、ついさっきまで向かいのスーパーの
明るいベージュの壁に西日が反射してきれいだったのに。

「ほんと、もう真っ暗になっちゃったね。秋になると、お日様が
 出ている時間より、お日様が出ていない時間のほうが
 長くなるから、夜になるのが早いんだね」

さりげなく「まっく」にポイントをおいて
しゃべるのは、彼が小さいころからしてきたことです。
彼が言い間違ったときに「それは違うよ、こう言うんだよ」と
わざわざ指摘するのは「失敗感」を植えつけるので逆効果。
でも、彼が違いを聞き取れる程度にはっきりと発音します。

べらべら長い説明をするのは自閉っ子には逆効果、ということも
すっかり有名になりましたが、息子が何かに興味を持ったときには
こうして少し説明がましい台詞を付け加えてみたりするのは
最近心がけていることです。

彼の場合、あれほど文字が好きなわりに、文章を読んで知識を
身につけるのが難しいので、こうしたやりとりの中で知識の断片を
残していけば、いつの日か彼の中でパズルがぴったり合うことが
あるかもしれない、と思っています。

「そうか~、お空がnavy blueになることは、『まっくろ』じゃなくて
 『まっくら』って言うんだね」

なんだか不思議な納得のしかたをしている息子なのでした。

かわいそうな僕。

2007年08月05日 | adorably autistic
今年の7月は曇り空が多く、比較的涼しい日が続いていましたが、
8月に入ってから、いよいよ夏本番という感じで、日差しが
ギラギラと照りつける、暑い日が続いています。

でも、時代はエコ。しかも私が外で働くことがほぼ絶望的になった今、
残された道は節約、ということで、エアコンはできるだけつけないで
頑張ろうとしている我が家。

ちびくまは3年ほど前まで殆ど汗をかかない子でしたが、やっと
体温調節機能がそこまで発達してきたのか、今度は少しでも暑いと
Tシャツがじんわり湿り、頭髪がシャワーの後に見えるほど
汗をかくようになりました。

先日も朝からだらだらと汗をかきながらPCで遊んでいたちびくま、
「おかあさん、今日は暑いねえ」としきりにアピール。
エアコンをつけて欲しいのだな、ということはわかったのですが
まだまだ午前中、天気予報ではこんなのまだ序の口です。
「ホント、あついねえ。扇風機もっと近づけてあげようか」と
はぐらかしたところ、

「おかあさん、僕はあついといっぱい汗をかいてかわいそうだよ、
エアコンをつけてあげようよ」


…もうつけないわけにはいきません。

それから数日後の、昼食時。
お昼だなあ、とは思ったのですが、今日はちびくまも起きるのが遅くて
朝食が遅めだったので、もう少し後でもいいか、と
PCで韓国ドラマを見ていると

「おかあさん、もうお昼ごはんを作る時間だよ、僕はお腹がすいてかわいそうだよ」

…はい、すぐに作らせていただきます。

外で聞き覚えたことばを、なんともうまく状況に合わせて使うことの
多いちびくまですが、私は息子を障碍ゆえに「かわいそう」扱いすることは、
少なくとも私の目の届くところでは許していません。
だって、彼は「かわいそうと言いたくなるほど不当な扱い」を
されることはあっても、「かわいそうな存在」ではないなずだから。
なのに、いったいどこでこんな言葉を覚えてきたのだろう、と考えて、
ふと思いつきました。

私の入院中、彼の世話をしてくれた私の実母。
「寒い思いをさせるとちびくまくんがかわいそうだから」
「早くごはんにしてあげないとちびくまくんがかわいそうだから」
「おかあさんに会わせてあげないとちびくまくんがかわいそうだから」
いかにも彼女が言いそうなことです。

でも、「かわいそうな僕」だとは思って欲しくないなあ。
そもそも、「かわいそう」という概念を、彼はわかって言っているのだろうか。
そんな私の疑念を、ちびくま自身があっさり晴らしてくれました。

今日、大きな音でアナウンスをしながら、廃品回収のトラックが
回ってきたのです。
ちびくまは、こういう音が嫌いなようで、先日の参院選のときも
街宣車が回ってくるたびに、バルコニーに飛び出して音源を確認し、
「選挙の車はいやだねえ」とつぶやいていたのですが、

今日もバルコニーに飛び出して音源を確認したあと、
「おかあさん、選挙の車も、廃品回収の車も、僕はかわいそうなんだよねえ」

つまり「僕はかわいそう」とは「僕にとって不快」だということのようです。
合っているようで、微妙に違う(笑)。

卒業アルバムと仲間意識

2007年07月21日 | adorably autistic
昨日の朝、M小学校の卒業アルバム兼卒業文集が出来上がったので
取りに来てください、と連絡があり(自閉っ子相手だとわかってるん
だから、もう少しゆとりをもって連絡してくれたらいいのに)
終業式を終えて帰宅し昼食を食べた息子と一緒に、
久しぶりにM小に向かいました。

ところが、ちびくま、車の中にいるときから
「ぼくはもう中学生だから、M小は卒業したんだよね」
と繰り返します。
「うん。だけど、アルバムがやっと今できたからね、取りに行くだけだよ」
「どこに取りに行くの?」
「そうだなあ。M先生、ちゃんと教えてくれなかったんだけど、
 校舎に入ったらわかるんじゃない?」
「でも、ぼくはもう中学生だから、小学校には入らなくていいんだよね。
 ぼくはどこで待ってたらいい?」
「あれ?校舎に入らないの?M先生、ちびくまくんに会いたいなあ、って
 待ってるかもよ」
「校舎に入らなくていい。M先生に会わない」

どうやら、彼にとってM小はもう「自分の居場所」ではなくなったので、
校舎の中に入ったり、元の担任の先生に会いに行ったりする気持ちは
ない、ということのようです。
「じゃあ、お母さんが入ってもらってくるよ。ちびくまくんは
 運動場か駐車場で待ってたら?」
「はい、そうします」

M小に着いて駐車場に車を停めると、ちびくまのかつての同級生K君も
ちょうど来ていて、やはり車を降りない、小学校には入らない、と
頑張っているところでした。
これは自閉っ子共通の発想なんでしょうか(笑)

しょうがないので私が1人校舎の中に入ります。幸い、玄関を入って
すぐのところに旧6年担任の先生がアルバム受け取りの受付を
しておられ、顔見知りのお子さんたちも何人かいたので、場所を
探してうろうろせずに済みました。

私の顔を見て、「あ、ちびくまくんのおばちゃんや!ちびくまくんも
一緒に来とるん?」と声をかけてくれる子もいますが、ちびくまは
はるか遠くからこちらを見守っていて、手招きしても全くこちらへは
来ないので、とりつく島もありません。

結局、K君とちびくまの分のアルバムは、ちびくまの昨年の担任
M先生が預かっているとのことで、わざわざM先生を呼びに行ってもらって
やっと手に入ったのですが、ちびくま、昨年の担任の先生の姿を見ても
嬉しそうな顔をすることもなければ、こちらに寄ってくることさえしません。
でも「もうアルバムもらったよ、お家に帰るよ」と声をかけると
すぐ私たちの前に立って車のほうに向かいました。

そして、先生にろくに挨拶もしないまま、すぐに車に乗って
「さあ、家に帰ろうね」とあっさり。
ところが。

家に戻る車の中で、ぽつりとこうつぶやきました。
「良かったねえ」
これは、ちびくまにとって何か「いいこと」があったときに、
彼がよく言う言葉です。彼が小さいころから、彼が本当に嬉しそうな
顔をしているときに、私が「良かったねえ」と声をかけていたら、
嬉しいときにはこういうのだ、と間違って学習してしまったようです。

「なにが良かったの?」
「会ったから」
「誰に会ったのが良かったの?」
「Kくん」

つまり、ちびくまは6年間、大きな行事のたびに行動を共にしてきた
K君には、久しぶりに会えて嬉しい、と思ったようなのです。
それならそうと、もっとわかりやすく言ってくれれば、
もう少し再会を楽しませてあげたのに~。
自閉っ子の仲間意識って、とっても微妙で、外見的にあっさりしていて、
実は根っこはあったかい関係なのかも。

ちびくまのお手伝い(その2)

2007年06月19日 | adorably autistic
そんなちびくまが、退院してきた私が自分で夕飯の買い物に出るようになると
必ず付いてきて、手伝ってくれるようになりました。

まず、スーパーに付くと、カートを取ってきて、かごをセットしてくれます。
その日によって、そのままカートを押しながら一緒に店内を回ってくれる
こともあれば、「ちょっとお菓子を見てくるよ」と言って、その場から
離れることもありますが、私がレジの列に並ぶ頃には
またどこからともなく戻ってきて、一緒にレジに並んでくれます。

順番が来ると、かごをレジ台の上に載せ、会計が済むと
今度はレジ台から荷物を詰める台まではこんでくれ、
私がエコバッグに荷物を詰めると、そのバッグを肩からかけて、
かごとカートを返しに行き、そのまま家まで運んでくれます。

夫や実母に買い物を頼むと、必要でもないものを勝手に買われたり、
頼んだものを買い忘れたり、こちらが思っていたのと違うものを買ってきたり、
それでちょっとでも文句を言おうものなら
「せっかく手伝ってやっているのに」とへそを曲げられますし、
一緒に行ってもらったら行ってもらったで、いちいち
「え、そんなもの買うの」とか「これも買っておけば」と
口を出されたり、自分が気になるものがあると勝手にどこかに
行ってしまって、会計をしたいのに探しに行かねばならなかったりで
本当にやっかいなのですが

ちびくまには、して欲しいことを端的に頼めば、ほとんど過不足なく、
しかも恩着せがましくなく手伝ってくれるうえ、一度頼んだことは
次の機会にもこちらが指示を変えない限り同様にしてくれますし

時々は自閉っ子らしい読み違いはあるものの、基本的に相手の出方を見て
「相手はこうすることを望んでいるだろう」という推測をして、
それに合わせて行動しようとする性質が強いせいか、
下手な大人(またの名をオットとも言う)よりずっと気が利いた「お手伝い」を
してくれるのは、新たな発見でした。

私も、課題として「教えている」のではなく、本当に助かるので
心から「お手伝いありがとう」と息子に言うことができます。
また、ちびくま自身にとっても「お母さんが大変だから
手伝ってあげよう」という気持ちから半ば自然発生的に出てきた
この「お手伝い」の習慣は、やがて「家族構成員としての
役割分担」としてのお手伝いに広げていくためのいい土台に
なったことと思います。

「転んでもただではおきない」は私と仲間たちのモットーですが
またこんなところで私の病気も役に立ってしまいました。


ちびくまのお手伝い(その1)

2007年06月18日 | adorably autistic
退院してから丸3ヶ月が経ちましたが、私の状態は良くも悪くも
ほとんど変化がありません。幸い、腕の力はほぼ元に戻りましたし、
しゃがみ立ちはできるのですが、しゃがんだ姿勢で居続けることは
できませんし、少し続けて歩くと、すぐに脚の痛みが出てしまい、
無理が過ぎると、次の日寝込む羽目になってしまいます。
立ち続けるのは20~30分、歩くのはどんなに頑張っても
1Kmが限度、という感じでしょうか。

ステロイド治療中の生活上の注意として、
●重いものは持たない
●疲れをためない
●ストレスをためない
●感染症にかかりやすく、かかると重篤になりやすいので
 なるべく人ごみを避け、うがい・手洗いを励行する
などがあります。

今、ほとんど家にひきこもり状態で、唯一接触のある息子の担任の先生とは
良好な関係を保てているため、疲れやストレスはあまり気になりませんし、
家事のほうも、掃除の頻度を減らしたり(これ以上減らしようがあるのか?)
料理は圧力鍋や電子レンジを活用する、洗濯や洗い物・アイロンかけは
椅子に座ってやる、などの工夫で何とかなっているのですが

一番困るのが毎日の食事のための買い物です。
ところが、思いがけないことに、この場面で、ちびくまが
自分から「お手伝い」をしてくれるようになりました。

日課として、あるいは家族の一員としての役割を持たせるために
自閉っ子に決まったお手伝いを課すお母さんは結構いるようですが
私は今まで、あまりちびくまに「お手伝い」を求めていませんでした。

というのは、ちびくまに「お母さんの手伝いをしたい」という
動機づけがなければ、これも結局彼にとっては「押し付け」に
なってしまうのではないか、「これをしなさい」「あれをして
ちょうだい」とこちらが勝手に決めることは、せっかく息子に備わった
「他人の指示や課題の提示がなくても、自由時間を自分の選んだ
活動で楽しく過ごすことができる」という能力に、かえって
制限を設けることにならないか、という危惧があったからです。

お手伝いをすることはとても良いことで、将来の生活のためにも
大切なことだけれども、ちびくまに「嫌なのにやらされた」とか
「やらないとお母さんに認めてもらえない」という思いを
抱かせないように、と内容とタイミングを見はからっているうちに
今になってしまったのです。