
大荒れの日曜日になりましたね(愛知県は)。
母の日だからお墓まいりに行こうと思いましたが
これだけ土砂ぶっているので
「無理して来なくて良いよ」と母も言っているはず。
と…言っていることにします。
そのかわり、
母を偲んでエピソードなど紹介しようかと。
そう言うの喜ぶ人だったのですよ。
子供の頃、自宅で私の誕生会があった後など
「みんなお母さんのこと何ていってた?」
としつこく尋ねてくるので
「mieのお母さん優しいね」「キレイだね」
とか言ってたよ、なんて伝えた日には
有頂天になって喜んでいたものです(笑)
うちの実家は自営業を営んでおり
お店と自宅は離れたところにありました。
小学校まではお店近くの学校に通っていたため
夜ご飯と夏休みや土曜の昼ごはんは
店の上に住んでいた祖母がこさえたものを食べて育ちました。
祖母は料理好きですが
なにせ大正生まれの人間ですから
おからだの煮しめだの切り干し大根だの
しぶーいものばかりが出てきます。
だからグラタンだのハンバーグだのに
人一倍憧れが強かった幼少時代でした。
私が自宅近くの中学に通うようになってから
仕事を終えた母が自宅キッチンで作ることになったのですが
食べることは大好きでも
料理にさして興味のない母の料理は
花のない料理ばかりでした。
お弁当に至っては前日の天ぷらを天つゆで煮たものや
ちくわとピーマンを煮たもの(←匂いが大嫌いでした)や
お刺身の残りを煮たものに唐揚げが加わる程度で
とにかく見た目が茶色い…
プチトマトやブロッコリーなど
彩り鮮やかなお弁当を何の躊躇もなく開ける友達を尻目に
お弁当箱の蓋でセピア色の光景を隠蔽して食べる乙女心、
おわかりいただけますでしょうか?
そんなこんなで私は中学生ぐらいからキッチンに立つようになり
高校時代は自分でお弁当を作るようになったのです。
と母には料理の才能が全くないように思われますが
唯一手放しに賞賛できる料理が「ビーフコロッケ」。
お肉屋さんのコロッケより数倍美味しかったのを覚えています。
誕生日には「作って!」とせがんだものでした。
一度美味しさのヒミツを聞いたところ
「うちのは牛肉を贅沢に入れてるから美味しいんだよ」と母。
その時のドヤ顔を今でも思い浮かべることができます。
そういえば私、クリームコロッケやメンチカツは作りますけど
ビーフコロッケって作った記憶がありません。
心のどこかで母の味を越えてはいけないとの遠慮と
美しい記憶をデリートしてはいけないとの思いが
無意識に働いているのでしょうか?
今度解禁してみようかしら。
積極的にキッチンに立つようになった私は
フレンチや懐石料理だって人間が作るものなんだから
「私にだってできるはず!」と
見よう見まねでプロっぽく作るようになりました。
大学に進学して一人暮らしをするようになってからは
帰省するたびに料理を期待されるようになり
「実家って上げ膳据え膳でいいよね〜」
なんて思ったことは数えるほどしかなかった気がします。
就職してからも同じ状況が続き
名古屋から豊橋に引っ越してからは
レストランがわりにされるようになりました(笑)
本格的な和食やフレンチ、イタリアンを
コース仕立てで作ったものです。
そんな中でも母が一番喜んでくれたのは「豆ご飯」。
いたく気に入ってくれて
「mieが作る豆ご飯、美味しいよね〜」
という言葉を何度か耳にした気がします。
旬が短いグリーンピースですから
頻繁に作ったわけではないのに…
そんなに好いてくれていたのなら
もっと作ってあげればよかったと
豆ご飯を見るたびにため息がこぼれます。
思えば私のあくなき料理への探究心は
料理に無頓着な母のおかげで芽生えたかもしれません。
母の名誉のためにひと言付け加えますが
使う素材や調味料は贅沢なものばかりでした。
お嬢様気質がB級品に手にを出すことを拒んだのでしょう。
どうせいい素材使うなら
もっと工夫してくれればよかったのに^^;
褒められることが大好きだった母。
でも、こんな風にイジられるのも好きだったので
きっとどこかで「もう恥ずかしいからヤメテ!」
と手のひらをパタパタさせて言葉を遮りながら
満更でもない表情をしている事でしょう。
とはいえ母の日ですからちょっとくらいは褒め言葉を。
「お母さんのコロッケが一番だよ♪」
さて、今夜は豆ご飯にしようかなぁ〜