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おうちBAR開店

本格的なパーティー料理から手抜きお手軽料理まで、私のキッチンから発信します。毎日の出来事を含めて楽しくご紹介。

そうだ、豆ご飯作ろう。

2018年05月13日 | つぶやき


大荒れの日曜日になりましたね(愛知県は)。
母の日だからお墓まいりに行こうと思いましたが
これだけ土砂ぶっているので
「無理して来なくて良いよ」と母も言っているはず。
と…言っていることにします。
そのかわり、
母を偲んでエピソードなど紹介しようかと。
そう言うの喜ぶ人だったのですよ。
子供の頃、自宅で私の誕生会があった後など
「みんなお母さんのこと何ていってた?」
としつこく尋ねてくるので
「mieのお母さん優しいね」「キレイだね」
とか言ってたよ、なんて伝えた日には
有頂天になって喜んでいたものです(笑)


うちの実家は自営業を営んでおり
お店と自宅は離れたところにありました。
小学校まではお店近くの学校に通っていたため
夜ご飯と夏休みや土曜の昼ごはんは
店の上に住んでいた祖母がこさえたものを食べて育ちました。
祖母は料理好きですが
なにせ大正生まれの人間ですから
おからだの煮しめだの切り干し大根だの
しぶーいものばかりが出てきます。
だからグラタンだのハンバーグだのに
人一倍憧れが強かった幼少時代でした。
私が自宅近くの中学に通うようになってから
仕事を終えた母が自宅キッチンで作ることになったのですが
食べることは大好きでも
料理にさして興味のない母の料理は
花のない料理ばかりでした。
お弁当に至っては前日の天ぷらを天つゆで煮たものや
ちくわとピーマンを煮たもの(←匂いが大嫌いでした)や
お刺身の残りを煮たものに唐揚げが加わる程度で
とにかく見た目が茶色い…
プチトマトやブロッコリーなど
彩り鮮やかなお弁当を何の躊躇もなく開ける友達を尻目に
お弁当箱の蓋でセピア色の光景を隠蔽して食べる乙女心、
おわかりいただけますでしょうか?
そんなこんなで私は中学生ぐらいからキッチンに立つようになり
高校時代は自分でお弁当を作るようになったのです。
と母には料理の才能が全くないように思われますが
唯一手放しに賞賛できる料理が「ビーフコロッケ」。
お肉屋さんのコロッケより数倍美味しかったのを覚えています。
誕生日には「作って!」とせがんだものでした。
一度美味しさのヒミツを聞いたところ
「うちのは牛肉を贅沢に入れてるから美味しいんだよ」と母。
その時のドヤ顔を今でも思い浮かべることができます。
そういえば私、クリームコロッケやメンチカツは作りますけど
ビーフコロッケって作った記憶がありません。
心のどこかで母の味を越えてはいけないとの遠慮と
美しい記憶をデリートしてはいけないとの思いが
無意識に働いているのでしょうか?
今度解禁してみようかしら。


積極的にキッチンに立つようになった私は
フレンチや懐石料理だって人間が作るものなんだから
「私にだってできるはず!」と
見よう見まねでプロっぽく作るようになりました。
大学に進学して一人暮らしをするようになってからは
帰省するたびに料理を期待されるようになり
「実家って上げ膳据え膳でいいよね〜」
なんて思ったことは数えるほどしかなかった気がします。
就職してからも同じ状況が続き
名古屋から豊橋に引っ越してからは
レストランがわりにされるようになりました(笑)
本格的な和食やフレンチ、イタリアンを
コース仕立てで作ったものです。
そんな中でも母が一番喜んでくれたのは「豆ご飯」。
いたく気に入ってくれて
「mieが作る豆ご飯、美味しいよね〜」
という言葉を何度か耳にした気がします。
旬が短いグリーンピースですから
頻繁に作ったわけではないのに…
そんなに好いてくれていたのなら
もっと作ってあげればよかったと
豆ご飯を見るたびにため息がこぼれます。



思えば私のあくなき料理への探究心は
料理に無頓着な母のおかげで芽生えたかもしれません。
母の名誉のためにひと言付け加えますが
使う素材や調味料は贅沢なものばかりでした。
お嬢様気質がB級品に手にを出すことを拒んだのでしょう。
どうせいい素材使うなら
もっと工夫してくれればよかったのに^^;


褒められることが大好きだった母。
でも、こんな風にイジられるのも好きだったので
きっとどこかで「もう恥ずかしいからヤメテ!」
と手のひらをパタパタさせて言葉を遮りながら
満更でもない表情をしている事でしょう。
とはいえ母の日ですからちょっとくらいは褒め言葉を。

「お母さんのコロッケが一番だよ♪」

さて、今夜は豆ご飯にしようかなぁ〜

新年早々徒然なるままに

2018年01月06日 | つぶやき
2018年がスタートいたしました。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


昨年の食備忘録を書こうと思ったんですけど
なんとなくつぶやきたくなりましたので
お時間ある方はお付き合いくださいませ。


昨年は怒涛の一年でございました。
って、毎年言っているような気もします(笑)
3月に義母の末期ガンが発覚し
ちょうど3ヶ月後に天に召されました。
命のカウントダウンは
突然始まることを
改めて認識させられた次第です。
私の実の母に至っては
あまりにも突然で
カウントダウンさえさせてくれませんでした…
私の母も義母も未亡人になってから
悠々自適な生活を送るタイプかと思っていましたが(父たちに怒られるw)
勝手な想像は所詮勝手な想像でしかありません。


すなわち…
自分が描いた自分の未来予想図だって
その通りに行くとは限らないのは言わずもがな。
現に、今こうしてこの職業に就いていることを
20年前の私が想像できたでしょうか?
一寸先は闇かもしれないしパラダイスかもしれません。
ありもしないことをイジイジ考えたり
絵に描いた餅を眺めてニヤニヤ笑うよりは
「いい」と思ったことに
手を出す、足を出す、金を出す。
今までもそうしてきましたが
これからもこの方針で、
いや、本能で突き進んで行く所存です。
正直、こんな生き方は周りに迷惑をかけますが
持ち前の明るさでカバーさせていただくつもり(笑)
根に持たない、嫌なことは寝たら忘れる
悪いと思ったらすぐ謝る…
幼い頃から「泣いたカラスがもう笑う」
と揶揄されたものでした(笑)


こんな中身スッカスカ、かつ
自分勝手な私ではございますが
今後ともおつきあいのほど
どうぞ宜しくお願い申し上げます!

以上の徒然過ぎる呟きを以って
新年のご挨拶にかえさえていただきま〜す。


誕生日を迎えまして…

2017年10月23日 | つぶやき
青い森紀行の途中ですが
昨日誕生日を迎えましたので
ちょっとつぶやかせていただきます。
ツイッターと違って
私のつぶやきには文字制限がございません。
もしかしたら鬱陶しい程長くなるかもしれないし
拍子抜けするほど端的に終わるかもしれません。
私自身予測がつかないのです(^^;;


昨年の誕生日は色々な節目と捉え
胸の内に秘めていたことを吐露しました。
お陰様で綺麗さっぱり吹っ切れまして
今年の誕生日は心晴れやかカラッカラ。
昨年の節目があったからこそ
人との関わり方や仕事への向き合い方を
正の方向へ変えられた気がします。

まずは人との関わり合い方。
意識はしていなかったけれど
昨年までは関わる人との間に
障壁を作っていた気がします。
近づきすぎると後ずさりし
手が触れそうになるとサッと引っ込めるような。
もともと人見知りですし
今でも大人数の宴会が苦手であることには
変わりはありません
じゃあ何が変わったのかと言いますと
他の人の個性を受け入れ
虚飾しない自分で居られるようになったこと。
他の人の個性には
自分にとって有益なもや無益なもの…
それ以上に有害なものもあるでしょう。
でも、それらの個性も見方次第で
チャームポイントとして
捉えることができるようになった気がします。
神様仏様じゃないので
全部受け入れられるわけではないですよ^^;
以前の私に比べたら、というレベルです。
人からどう見られるのか
気になって仕方なかった自分自身も
40年以上かかって作り上げた作品ですから
360度、下から俯瞰から
全部眺めていってください、
ぐらいの大らかさも培われました。
今更格好つけたって仕方ないと思いまして(笑)
そんな風に自分をさらけ出してしまいますと
周囲の皆様も警戒心が解かれるのか
以前よりも深く濃く
良いおつきあいができるようになっております。
ここまで時間かかりすぎましたね(汗)
感謝の念を忘れずに
大切な人たちを
大切にし続けていきたいと思います。


さて、お仕事との向き合い方。
とにかく、
今は書くこと好きで好きでたまりません。
何度かこのブログで
私がライターになった経緯を書いておりますが
どうしてもライターになりたい!
というスタートではありませんでした。
専門的な勉強をしたわけでもなく
偶然に偶然が重なって今があり
岐路に立って出した答えが一つでも違ったら
この仕事はしていないでしょう。
ま、人生ってそんなもんですけどね。
「好きで好きで仕方がない」
というお仕事にこうして巡り合え
極まりない幸運を噛み締めております。
もちろん不甲斐なさに落ち込んだり
自分のスキルの無さを恨み
他人の才能を嫉妬するなど
常に心は嵐のように渦巻いておりますが
好きだと思う気持ちは揺らぎません。
一方、反省すべき点も浮き彫りになりました。
今まで殆ど営業をしたことがないんです。
色々な方にご紹介いただいて
仕事がゼロになることなく続いておりますが
自分から取りに行ったことはないという…
これではいけないと反省中。
やりたい仕事は自分で獲得する姿勢
それが私には欠けていたようです。
今後は色々な道を自らの力で開拓し
さらにパワーアップして突き進む所存です。
ということで営業を…
ドキュメンタリーもインタビュー記事
食関係、歴史、会社案内、エッセイ
なんでも書きますよ♪
興味のある方、お声掛けくださいね〜。
目指せ、飛行機の機内誌執筆!


いつものことながら
支離滅裂な内容になってしまいました。
こんな私ではございますが
これからもお付き合いのほど
どうぞ宜しくお願い申し上げますm(_ _)m

旅立ちの時

2017年06月20日 | つぶやき
6月16日、義母が他界しました。
明日荼毘にふす予定です。

我々が先週水曜日に見舞いした翌日
急激に血圧が低下したらしく
その翌日に息を引き取りました。
最期はギリギリ孫(姪っ子)とも会えたようで何より。
呼吸の状態が急変したので
妹が旦那さんと姪っ子を急遽呼び寄せ
到着して5分後に旅立ったようです。


末期のすい臓ガン告知を受けてからまる3ヶ月。
母の希望通り延命治療は一切せず
あらゆる痛みを抑えて迎えた最期でした。


宣告された余命よりも
かなり短くはありましたが
途中苛まれた痛みを100%取り除いてもらえ
最後の1ヶ月間は安らかに過ごせたと思います。
美意識とプライドの高い母に
あの状態であと数ヶ月過ごさせるのは酷というもの。
何度尋ねても「痛くない」と答えてくれたため
家族も安堵し、納得しております。


告知されて1ヶ月経過した頃だったかしら?
誰にもい会いたくないという母に
メールを一通送りました。
内容は二人だけの秘密にしておきますが
悲壮感に打ちひしがれて
「泣く」という行為さえ忘れていた母が
おいおいと涙を流したそうです。
別に泣かせる意図で書いたわけではありません。
とにかく安心してほしい一心で綴りました。
今までの人生に悔いはないという一言をいただき
むしろ私の方が免罪符をもらっちゃった感じです。



痛みに耐えかねて入院する間際に
妹へ託した最期の装束である
趣味のコーラスの衣装を身にまとい
身内贔屓、お世辞抜きにとっても美しい母。
明日はいよいよお別れのときですが
姿形は無くなっても私たちの心には
永遠に「優しいくて美しい母」として記憶に残ります。


母と呼べる人がいなくなりましたが
100%死を迎える人間としては当たり前の経験。
母の旅立ちを見送って
私たちも新たな旅に出なければなりません。



眠れなくなっちゃったので
徒然なるままに書かせてもらいました。
明日が終われば
また慌ただしい毎日が始まります。
意気消沈している父と妹が心配ですが
「時の経過」という強力な浄化作用に期待するしかありません。
人間は意外と弱いものですが
さりとて意外と強い生き物です。

前を向いて行きましょう♪

オンナノサガ

2017年05月31日 | つぶやき
義母が緩和ケア病棟に入りました。
いわゆるホスピス。
覚悟が必要なステージに入ったということです。
緩和ケア病棟では
治療は一切致しません。
がん細胞の餌となる栄養系の点滴も
外してしまいます。
苦痛の根源となる激しい痛みを抑え
穏やかな最期を迎えてもらう…
それがこの病棟の存在意義です。

昨日会いに行きましたところ
朦朧としながらも
私のことをちゃんと認識し

「ああ、mieさん、私ボケてないからね」

と目をぱっちり開けてニッコリ。
義妹に聞いたら
笑顔を見るのは久しぶりだと。
かなり痩せてしまいまして
介助なしに寝起きすることもできず
ご飯を食べることもできません。
嚥下するのも一苦労のようです。
薬が効いているので
滞在時間の9割はウトウトしておりましたが
時折覚醒してお庭の薔薇を心配したり
夕食の時間を確認したり
用を足そうと自力で起きようとします。
昼間に食べた何かが歯間に挟まっているようで
しきりに舌を動かしたり
口に指を入れて取ろうとしますが
思うように除去できません。
義妹と入れ替わりに義父が来るも
男たちはどうすることもできずアワアワ。
引き出しから歯間ブラシを探し出し
唇をグッと押し開いて
奥歯に挟まった繊維を取り除いたら
スッキリしたようで再び眠りにつきました。
爪もだいぶ伸びていたので
爪切りをパートナーに渡すと
「指を切りそうで怖い」と言って押し戻します。
母の細く冷たい指をそっと持ち上げ
10本綺麗に切りそろえてあげました。

ここで思ったこと。
やっぱり男と女は違う(笑)。
女は懸命に生きようとする命を前にし
怖いとか汚いとか言った感情がなくなります。
残念ながら子供を産み育てたことがありませんが
私の中にも紛れも無い母性が宿っていることを
しみじみ感じました。
男性は種を残すために命をかける生き物。
女性は残された種のために命をかける生き物。
ちゃんと役割分担ができているんですね。
私の実母が韓国で倒れた時も妙に肝が座って
今自分が何をすべきか
冷静に判断できたことを思い起こしました。


往復10時間かけてヘトヘトになりましたが
意識があるうちに会えて良かったです。
静かに静かに終焉を迎えようとしている一つの人生。
事実を冷静に受け止めながら
今できることを精一杯しようと思います。


Attention to Anisakis!!

2017年05月25日 | つぶやき
最近頻繁にアニサキスの話題が取り沙汰されますね。
よくアニサキスに「あたる」
と表現されているのを目にしますが
私的には「入れてしまった」
と表現する方がしっくりきます。
だって、肉眼ではっきり見える生き物ですから。
あの痛みは味ったものしか分からないでしょう。
これまた「胃を鷲掴みにされる」との表現が使わますが
掴むなんてものじゃありません。
太っい縫い針で胃を縫っているような感じなのです。


初めは鯖の刺身でのたうちまわるような激痛。

2回目は生のカツオ刺身を食べて。
その時はアニサキスそのものは
体内に入らなかったものの
奴のエキスを体に入れてしまったのか
夜中に蕁麻疹が全身に広がっていったのです。
朝方だいぶ引いてきたものの
一睡もできずフラフラになりながら神戸出張。
名古屋駅の薬局で抗アレルギー剤を購入し
騙し騙し現地へ向かいました。
取材前に皆さんでお昼ご飯を食べようと
海鮮丼を食べたところ
再度取材中にピキピキと蕁麻疹が全身へ転移。
腕まくりしていたシャツを元に戻して
真っ赤に膨れ上がる皮膚を隠し
痒さに気が遠くなりそうになりながらも
なんとか責務を全うした次第です。
帰りの新幹線で頭部や耳まで広がり
抗アレルギー剤を追い飲みしても快方へ向かわず。
豊橋駅に着いてタクシーで病院へ急ぎ
強いアレルギー剤を打ってもらい
なんとか収束しました。
どうやらお昼の海鮮丼に入っていた何らかにも
アニサキスが付着していたみたいですね。
まさかの追いアニサキス・・・
それが分かったのは
病院でアレルギー検査の結果をもらってからでした。
鯖・イカ・カツオ・牡蠣・エビなど
アレルギー源になりそうなものを調べてもらったところ
それらには全くもって問題なし。
アニサキスの数値だけ振り切っていたのです。
最初の鯖で抗体ができてしまったのでしょう。

その後も鯖で一度激痛を味わい
今に至ります。

うちの父がよく言ってました。
「鮭を生で食うバカがいるか」
「生で食べていいカツオはもちガツオだけだ」と。
昔の人々は鮭をルイベにして食べたり
カツオは必ず炙って食べるなど
経験に基づく処置をして食べていたものです。
しかし物流網と冷蔵技術が発達し
鮮度がよければよし、とする風潮が蔓延し
アニサキスの寄生している魚を安易に刺身で出し
その被害に合う人が増え続けているんでしょう。
魚にアニサキスが寄生する事実は今も昔も変わりません。
変わったのは私たちの考え方だけ。
経験者も未経験者もご注意を。
健康とか不健康とか関係ないですから!


他のことを書こうと思ったのに
時間がなくなったのでこの辺で・・・
アニサキスに終始してしまったわ^^;

母と。

2017年05月02日 | つぶやき
ようやく義母に会うことができました。

ちょっと前に書きましたが
義母(水くさいので以降は母)が大病を患いました。
産みの母に何もできなかったことを省み
たんまり親孝行をさせてもらおうと思いましたが
現実を受け止めきれず落ち込む母の心情を鑑み
自己満足な親孝行は控えていた次第です。


できることが日々少なくなり
食べる量も日々少なくなる母。
何が食べたいか尋ねたところ
「口当たりの良いもの」
という答えが返ってきました。
台所に5分と立っていられなくなった母に代わって
父が三食を支度するわけですが
生まれてこのかた料理をしたことがない父は
ご飯を炊くのがやっとです。
それ以外は宅配食やインスタントに頼っていると知り
華やかさはなくても良いから
滋味溢れる膳を調えようと思いました。
父と母のために作ったのは

・とろろ蕎麦
・茶碗蒸し
・もずく酢
・山東菜のおひたし
・オニオンスライス
・大根のそぼろ煮

とにかく食が細いので
視覚的なプレッシャーを与えないよう
全て小さなポーションで提供。
結果として、
とんでもなく喜んでもらえました。
翌朝にはちゃんと出汁をとってお味噌汁を作ったことろ
父と母から

「久々にお味噌汁をいただいた」

と何度も何度も有難うの言葉を頂戴。
無添加のインスタント味噌汁を食べているようですが
味噌の香りがしないし
どうにも味気ないんだとか。


お昼ご飯には朝とった出汁で蕎麦汁を作り
母には冷やかけ蕎麦
父にはざるそばをを提供しましたら
食欲が減退していた母も
喜んでおかわりをしてくれました。
父もざる二枚分ペロリ^^


今まで色々作らせてもらいましたが
今回、マックスに喜んでもらえたようです。
父と母が口を揃えていうのが出汁の美味しさ。
母も私の母も高度経済成長期に結婚したため
家事を軽減する主婦の味方として
華々しくデビューした「出汁の素」を使うことに
何の疑問を抱かない世代です。
ありがたいことに私は祖母の味で育てられ
真っ当な出汁と素(もと)の違いに敏感でしたが
母世代は頓着ありません。
しかし父も母も宅配食やインスタントに
飽き飽きしている今日この頃。
出汁や伝統的な製法で作った調味料が
しみじみ身に沁みるようです。
喜んでもらえたのは良かったのですが
帰り際に

父「お弁当生活に戻るのは憂鬱だね」
母「惨めになるから考えないようにしましょう」


ため息交じりに交わされる会話を耳にし
胸が抉られるようでした。
そして何気なさを装って母に感謝の言葉を述べ
ハイタッチをする感覚で手を取り合った時
笑い顔と泣き顔が入り混じった母の表情を見て
絶対流さないと決めていた涙が
不覚にも溢れてきてしまいました。
湿っぽさを残したくなかったので
急いでその場を後に…

日々食が細くなっているので
次訪れた時には
今回のような反応はないかもしれません。
でも、近日中に再訪し
出汁の香りや醤油・味噌の香りだけでも
嗅いでもらえたら良いかな、と。


食べることは生きること
生きることは食べること。


理解しているつもりのことが
身にしみてわかりました。


特に勉強ができるわけでもないし
美しいわけでもないし
人を圧倒する特技があるわけでもありません。
そんな私でも
大切な人を幸せな気分にできる技術が一つでもあって
本当に良かったと思えました。



強烈にしんどいはずなのに
ユニークな口調で昔話をしてくれる母は
とてもチャーミングで素敵です。
母に出会えた私は幸せ者。
限られた時間を大切にしなければ・・・


ほろ酔いで書いてますので
誤字脱字はご容赦ください^^;

親と子の宿命

2017年03月21日 | つぶやき
日記的、私書箱的な場として
このブログを利用しておりますが
ひとたびアップしてしまえば
全世界の人々から見ることができる窓。
書こうかどうしようか思い悩みましたが
自分の頭を整理して前に進むために
思いを記すことにいたしました。


義母が末期ガンを宣告されました。


青天の霹靂です。
数日経った今でも信じられませんし
むしろ時を重ねるほどに
「悪趣味な冗談」としか思えません。
本人が一番驚き、
信じられない思いをしていることでしょう。


年末に里帰りした時、
確かに少し痩せていたけれど
糖質制限していると聞き、
なるほどな、と思った程度。
最近疲れやすくて…とも言っておりましたが
70も後半になれば当然のことと受け止めていました。
病魔が体を蝕んでいたとはつゆ知らず…
滅多に愚痴や弱音を吐かない人なので
その時も相当しんどかったんだと思います。


私の家系は長寿か突然死かで両極端。
近親者で余命を言い渡された者はおりません。
だから今何をすべきかさっぱりわからないのです。
もしも経験があったとしても
捉え方は人それぞれなので
経験値が活きることはないし
それを振りかざすのも失礼な話ですけどね。


皆様薄々感じていらっしゃると思いますが
私は既婚者であるのに好き勝手させてもらっており
嫁らしいことは盆暮れにしかいたしません。
何を隠そう、電話が大の苦手で
実の親でさえ
ご機嫌伺いに電話するなんてことができず
寂しい思いをさせてきました。
今も離れて住む義母が
「まだ誰とも話したくない」
と言っていると聞き
心のどこかでホッとしている自分がいます。
なんて臆病で薄情なんでしょう。



とにかく今は
パニック状態から脱しきれませんが
大切な息子を一任された嫁として
何ができるのか真剣に考えています。
幸いパソコンとペンとノートさえあれば
どこでも仕事ができる自由な身なので
東海道新幹線内をオフィス代わりにし
義母、そして義父や義理の妹家族が
心地よく過ごせる環境作りをしたいな、と。


私の母には「ありがとう」さえ伝えることができず
突然のお別れとなってしまいました。

義母にはたくさんの「ありがとう」を伝えます。
人に心配をかけるのが何より嫌いな方なので
極力自然にさりげなく…

人一人につき親は二人。
所帯を持てば四人になります。
親を送り出すのは子の役目。
一番初めに私の母が逝っちゃったけど
いつかは三人にもサヨナラを言わなければなりません。
そう。順番だけは間違えちゃダメですね。
昨日聞いた話だと
「東京オリンピックを見たい」
という欲が湧いてきたらしいので
少しでも長く親孝行させていただきましょう。



そんなこんなですが
豊橋にいるときは
普段通りの生活を続けたいと思います。
お仕事を全うするのはもちろんの事
予定している遊びには極力参加しますよ。
溜まった記憶もブログで綴り続けます。
ここで宣言しておかないと
全てが「誤魔化し」や「フリ」になり
いつもシラけた気分になりそうで。
何卒ご理解ください。


では、次は讃岐紀行の続きでお会いしましょう!

父と梅見

2017年02月21日 | つぶやき
怒涛の日々もピークを超え
心に少しだけゆとりができました。
で、いきなりですが
父の話をさせてください。

先日、父から電話がありました。
お恥ずかしいことですが
またmoneyの無心かと思い
渋々電話に出たところ
「梅祭りに行こう」だと…
は?梅まつり?そんな風流な趣味あったっけ、
と怪訝に思いながらも話を聞くと
昨年そこで出されたお汁粉が超絶美味しかったらしい。
今までなら「勝手に行ってきたら?」
で済ますのですが
なんとなく断れなくて悩んでしまいました。
前日に58人前のパーティ料理を作る予定があったので
その日はヨレヨレに決まってます。
しかもお汁粉がなくなるから
行くのは午前中だと言って聞きません。
自分の体力に自信がありませんでしたが
断ったら後悔する気がし
一緒に行く約束をしました。




梅の花

凛として隙のない花ですね、梅って。
お汁粉には想像を絶する長蛇の列が出来上がっており
残念ながらありつけませんでした。
私はどうでもいいけど(笑)
それにしてもいい天気。
お日様の下で父と二人きりで歩くなんて
生まれてこのかた無かったかも…
物心ついた時から父は放蕩人で
ボウリング、ビリヤード、ゴルフなど
遊びの域をずば抜けて極める人間です。
ゴルフに至ってはハンデ0で
クラブチャンピオンを12年連続獲得。
東海クラシックのアマ枠にも出てました。
とにかく自分の好きなことしかやらない。
やるときは徹底し、家族を顧みない。
飲む、打つ、買いはしないけどちょこちょこ遊ぶ。
おしゃれも徹底していて
色違いでカシミアのセーターを何枚も買う。
冬の下着はアンゴラ。
トランクスにまでアイロンをかけさせる。
ある日突然車が変わっている。
父がまともな時間に家でご飯を食べるのは
大晦日とお正月だけ。
よく何年も一緒に居られたな…母。
しかしこんな父でも腐っても父。
年老いて一人暮らしをしていると思うと
「生きてるかな?」と心配が絶えません。


「俺は紅梅の香りが大好きだ」


と梅の枝が折れんばかりに鼻へと手繰り寄せる父。
やっぱり他人の迷惑を顧みない。



「俺はうまいものしか食わない主義」


お昼ご飯を私に奢らせておいて
全くもって憎たらしいことを言う。


「お前はやっぱり俺の子だな」


何を言い出すかと思いきや
若い頃ゴルフのツアーに参加し(アマのくせに)
遠征先で食べた料理を新聞のコラムに
ちょこちょこ載せていたんだとか。
あと、依頼されて会社案内を作っていたと言います。
マジですか…今の私の仕事とかぶってる。


正直、似ている部分があることは自認しています。
自己中心的で猪突猛進
欲しいものは何がなんでも手に入れる
一度言い出したら聞かないところなど…
私が自己嫌悪して隠し通そうとしてるところを
全く隠そうとせず本能で生きている人。


この話を姉たちへLINEで送ると


「本当に幸せな人だね…」


と、ひとこと。
今更何を言っても変わらないでしょう。
健康的とは真逆な生活をしているので
そんなに長生きしないと思います。
とか言いつつ
ヘビースモーカーなのに肺は健康そのものらしい。
最近は公共のジムに通い始めたとか…鍛えとる。
とにかく、老い先短いには違いないので
後悔しないように付き合っていきたいと思います。
どこまででも調子にのるので本人には言いませんが
遺影写真撮影を兼ねて
姉妹3人と遠出でもしようかしらと思案中。
そう、遺影写真がないんですよ。
父の写真なんて撮った記憶がない…
姉たちも同意見。
まだピンピンしているのに
遺影だなんて不謹慎と思われるかもしれませんが
本人が全く終活のことを考えていないので
私たちがなんとかするしかないのです。
15年前までは
父の存在なんて記憶から抹殺してやる
なんて思ったものですが
やはり親子の縁は切っても切れませんね。
不思議なものです。



そんなことを考えた昼下がりでした。
なんかスッキリしたわ。
つぶやきにお付き合いいただき、
ありがとうございますm(_ _)m

2017年を迎えまして

2017年01月04日 | つぶやき
あけましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

年頭につきまして
本年の抱負を…と言いたいところですが
「抱負ってそもそも何よ」
って疑念が幼い頃からありまして。
語源を辿ると「背負うものを抱く」。
背負う=計画や決意で
転じて「決意を抱くこと」になったそうですが
どうにもピンときません。
そもそも決意を「負う」と捉えること自体
重っくるしいったらありゃしない。
しかも抱くなんて根暗すぎる。
背負って抱くなら心の中だけで完結してくれ…
という思いは心の中に仕舞いまして
やっぱりここは私らしく
ブツブツつぶやかせていただきます。


友人たちに公言していますが
50歳まではバリバリに働こうと思っています。
五十路を歩み始めて第一線で活躍している友人からは
「おばあさん扱いするんじゃない」と言われますが
引退とか隠居とか、そういうことではないので悪しからず。

人生の先輩には様々なタイプがいらっしゃいます。
数年先を見据え、計画的に行動して成功される方。
とにかく出会いを大切にしてなんでもチャレンジし
気づいたら大成功していた方など…
諸先輩方にアドバイスをいただきながら
ここまで歩んでまいりましたが
どうやら私は数年先を見据えているつもりでも
究極のYESウーマン体質が一寸先を変化させ
計画というものが全く成り立たない質のようですね。
人間のタイプを先述の2つに大別するなら
成功は別として後者に属するはず。
以前勤めていた会社を退社した直後に
10カ年計画書を作成しましたが
何一つ完遂できてないことが
無計画人間であることを実証しております(笑)。


ということで、無駄なことはやめました。
一寸先が刻々と変化していく人生なので
とりあえず50歳までは猛ダッシュで走り
それ以降のことはその時になって考えればいいかな、と。
もしかしたら来年は「55歳まで」とか言ってるかもしれません。
あるいは「もう十分」と動きを止めるかもしれません。
遠すぎる景色を背伸びして望んでしまうと
グラグラふらつく足元が気になって
近景さえも愛でられなくなりそうです。
今はいただいたお仕事一つ一つに精魂を込める所存。
感性をフル稼働させまして
大河に揺蕩う一粒の砂金程度でもいいので
キラリと光る文章を…
それでは仕事依頼が無くなりますね^^;
とにかく少しでも心に響く文章を
世の中にお送りしていきたいと思います。
三方よしの仕事ができましたら
幸せの極みですね。


公私共々
どうぞよろしくお願い致します!