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おうちBAR開店

本格的なパーティー料理から手抜きお手軽料理まで、私のキッチンから発信します。毎日の出来事を含めて楽しくご紹介。

2020年よ、こんにちは。

2020年01月05日 | つぶやき
遅ればせながら、
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
11月は料理イベントで燃え尽きまして
12月に入ったら怒涛の取材ラッシュ。
1ヶ月の移動距離…何千キロだった?(笑)
愛知県内をちょこまか移動する日もあれば
西へ東へ大移動もあり
とにかく執筆に割く時間がなく
新年を迎えた今も去年の仕事に追われております。
毎年賀状のやり取りをさせていただいている皆様
年賀状より原稿の締め切り優先しました!
お許しください!
落ち着いたら個別にお便り書きます。


クリスマスイブもクリスマスもムードゼロで終わり
年末感など全くないまま迎えた年の瀬の28日。
思いも寄らない訃報が届きました。
豊橋のアニキ、Aさんがお亡くなりになったと…
豊橋在住時はご近所と呼べる圏内にいながらも
最後にお会いしたのはMiyaさんちのパーティかしら。(その時の模様1その時の模様2MIyaさんのブログより)

3年半前にガンを患い
闘病を経て職場復帰なさり
先日還暦を迎えたばかりのAさん。
大企業の技術職として定年まで勤め上げ
キャリアを買われてその後も継続雇用が決まったので
能天気な私はてっきり完治したものと思い込んでおりました。
しかし、その後も戦いは続いていたと
昨日参列した告別式で知ることになったのです。
SNSでの近況からは
大好きな日本酒やウイスキーを楽しみ
ご友人との旅やお気に入りの蕎麦屋を堪能する様子が伝わってきたので
悠々自適なシニアライフを送っているんだな〜
とうらやましく拝見していた矢先、
「再発しました」との知らせ。
その報告からひと月足らずで逝ってしまいました。
彼の病をよく知る友人から聞いたところ
3年半前に発覚した時点で
5年生存率は25%と告げられていたとか。
そんな現状を理解しつつ
楽しげに振る舞い
泣き言を一ミリも言わなかったAさん
カッコ良すぎますよ。
カッコ良すぎてこっちが泣けてきます。

言い方悪いですけど
黙っていると極め道の人みたいなAさん(笑)。
背が高くてがっしりしていて強面なので
初対面の際は思わず後ずさりをしました。
ところがお話ししてみると
ひょうきんでチャーミングで
真顔と笑顔のギャップがすごい!
28日以来、
「mieちゃん久しぶり」と
相好を崩して話しかけてくるAさんが
頭の中で走馬灯のように駆け巡り
ふとした瞬間に涙が溢れて止まりませんでした。

昨日4日、豊橋の葬儀場でお見送りした際
優しくて人間味溢れるAさんの人となりが
改めてわかりまたまた涙。
回数にしたらそこまで頻繁にお会いできたわけではありませんが
言動や表情全てが心に残る人でした。
あまりにも早すぎる、と悔やまれるばかりですが
自分の身に起きていることを誰よりも理解した上で
最後まで気丈に、そして楽しげに振る舞っていたアニキ
お疲れ様でした!
近日開催する紳士会の新年会では
Aさんの思い出話で盛り上がりますからね〜^^


と大好きな方へ贈る言葉をもって
新年の挨拶とかえさせていただきます。
今年も全力で頑張ります!

2019年の誕生日を迎えまして/ホルモン記念日

2019年10月29日 | つぶやき
ご無沙汰しております、こんにちは!
一週間前、即位の礼正殿儀と同日に誕生日を迎えまして
40代も残すところあとわずかになった年女です。


この一年、色々ありすぎまして
一年前のことを遠い昔に感じます。
私の人生、約12年に一度大きな転機が訪れるのですが
まさにこの一年がその節目となりました。
ちなみに約12年前にはサラリーマン生活に別れを告げ
何の因果かライターという仕事に就き
2nd marriageをしたという・・・激動すぎですよね^^;
今回も負けず劣らず激動でした。

去年の夏頃だったでしょうか?
主人から仕事がしんどいという相談を受けたのです。
実は主人はサラリーマン時代の一年後輩(年はひとつ上)。
某コンビニエンスストア本部にお互い新卒で就職し
私は商品部でバイヤー兼広報を担当したのち
お店の経営アドバイザー職に就いておりました。
主人は現場の生え抜きとして同じく経営アドバイザーに。
経営アドバイザーと一口に言っても
指導内容はオフィシャルな事項から
場合によっては私生活まで多岐にわたります。
新人の頃は本部に協力的で経営状態も良いお店を任されるのですが
ベテランの域になってくると
いろんな意味で難しいお店を任されるようになります。
私も難しいお店を多数任されて
人生諸々に疑問を持って退社に至りました。
しかし彼の担当していたお店に比べれば可愛いもの。
直属の上司さえも恐れおののく問題店を任され
指導中に包丁が飛び出す修羅場もあったとか。
どちらかというと逆境に燃えるタイプで
自分の考えが正しいと言う自信があれば
何が起きても怯みませんし泣き言も言いません。
そのように困難な状況下でも弱音を吐かなかった主人が
辛い心中を吐露。
これは限界だな、と思い


「短い人生だから、好きなように生きたらいいよ」


と私は彼の背中を押し、意に従うことを決意。
気持ちを切り替えたら行動が早い人なので
たちまち新しい就職先を見つけ
住まう場所の下調べを入念にして現在のマンションを契約。
引っ越し屋も引っ越し日もいつの間にか決まっており
私は嵐に飲まれるように体を動かすのみで
気づいたら今いる場所で生活が始まっておりました。
彼は新しい環境で生き生きと働き始めましたが
その後のダメージが大きかったのは、、、私。
豊橋にはしょっちゅう帰っているし
ほんのわずかな時間で名古屋に出ることができ
出れば友達との楽しい時間が待っています。
しかし、住まいの周辺に知り合いが誰もいないというのは
実に心もとないことだと実感しました。
引っ越してから3ヶ月ほどはメンタルやばかったです^^;
しかも、マイナスの感情に体の変化が大きく影響…
そうです、更年期です。
女性として生を受けた以上抗えない体の変化。
思えば30年前、私の実母が今の私と同年齢で
更年期の真っ只中でした。
当時、長姉の結婚を控えており
更年期を迎えた母とマリッジブルーの姉が
激しいバトルを繰り広げていたことを思い出します。
ある朝、姉が結婚式で持つブーケのことで口論になり
穏やかな母が床に茶碗を叩きつけて割った時は心底たまげました(笑)
ということで、私もターニングポイントに差し掛かった様子。
今のところ、ふとした時に心がザワザワする程度で
いきなりカッとすることはありませんし
ホットフラッシュ等もございません。
これから色々な変化があるのでしょうね。


そこでまたまた思い出すのが
ライターとして駆け出しだった頃に行った
ある女性へのインタビュー。
豊橋市出身で早稲田小劇場で活躍した舞台女優さんで
とても素敵な方でした。
当時その方は更年期を終えたばかりで
終えた後の感想を聞かせてくれたのです。


「女である間はホルモンに左右されっぱなしよ。
更年期はその卒業式のようなものね。
むやみに怖がる人もいるけれど
誰にも起こる心身の変化なの。
台風のように到来が分かっていれば対策もできるし、
終わってみれば、スカッとしたもんよ。

女としての役割が終わった今は
老いとうまく付き合うことが課題ね。
耳が遠くなって目が悪くなって…
でもね、ポジティブに考えれば
世の中の雑音を聞かなくていいし
汚いものを見なくて済むのよ。
こうして人間はいろんな機能失って
枯れるように人生を終えるの。
抗ったって仕方ないじゃない、ハッハッハッ」


と舞台女優ならではの腹式呼吸で
豪快に笑い飛ばされたたのを覚えています(笑)
その時は「人生達観したかっこいい人だなぁ」
とボンヤリ思っただけでしたが、
今はお言葉がジワジワきます。
私の人生も季節で言えば秋に差し掛かったのだな、と。
ただ、都合の良いように考えれば
荒れた畑を耕して蒔いた種がちょうど実る頃。
どんなご収穫ができるか楽しみです。


いつものごとく話があっちゃこっちゃに行きましたが
私の人生、気の休まることは無いんだなぁ〜と実感中。
渦巻く感情をコントロールしつつ
美味しくて食べると元気が出る実を探し求め
ぼちぼち歩いていく所存です
こんな私ですが
これからもよろしくお願いいたします!



潮の満ち引きだよ、人生は♪

2019年05月30日 | つぶやき




「浪花節だよ人生は」的なスタートでこんにちは。

ご無沙汰しております。
みなさまいかがおすごしでしょうか?
5月も残すところあと僅かと言う今日この頃
自分がいわゆる「五月病」だったことに気づきました。
引っ越しとフランス渡航で地に足がついていなかった3月、
新生活の礎えを築くために奔走した4月、
そして自分が置かれた環境を冷静に考えられるようになった5月…
いろいろ考えるうちに気が滅入ってしまったようです。


12年前の春もサラリーマン人生に別れを告げ
浦島太郎状態で豊橋に舞い戻り
ずいぶん不安になったことを記憶しています。
家に引きこもりがちになっていて
これではいかんと立ち上がり
職安で見つけた仕事が
ある媒体のウェブクリエイター。
退職後の職業訓練でかじった程度でしたが
誰でもいいからソフトに触れる人が欲しかったらしく
スキルのチェックもなしに採用されました(笑)
そこからなぜか「ライターやって」と言われ
取材した先々で人間関係を築き
ほんの僅かながら実績を積み上げました。
おかげさまでフリーとして独り立ちし
波はあれど、そこそこの忙しさをキープ。
それがこの度、だるま落としみたく
横叩きしてカンカン落ちてしまったような感覚に…


落ち込み始めると底なしで
仕事以外で文字を書くのが嫌になってしまい
今日に至ったと言うわけです。


そんな日々とも別れを告げようとしている今
テーマのひとこと…


「潮の満ち引きだよ、人生は♪」


なんのこっちゃわからんですよね(笑)
実は新しい環境に身を置いて
サーっと潮が引く感覚を覚えました。
あー、全部向こう側へ行っちゃった、と。
しかし少し落ち着いて足元に目を向けると
色々なものが露出していることに気づきます。
足を切るような鋭い貝殻もあれば
鳥貝や赤貝、アサリや平貝など
ラッコに負けず劣らず
貝好きの私にはたまらない海の幸もいっぱい。


何を申し上げたいか…
それは「普段」だと思い込んでいた
満ち潮時には見えなかったものが
引き潮の訪れとともに
見えてきた、と言うことです。


満ち潮に身を揺蕩わせていれば
切るはずもない足から真っ赤な血が流れ
不遇な身の上を憂うこともあります。
一方で引き潮が取り持つお宝との遭遇も…
いじけて座り込んで砂を掘り返していると
人の優しさや真心がザックザク。
家族や友人、クライアント様から寄せられた
温かいメッセージや心遣いに触れ、ハッとしました。
私はなんて独りよがりな人間なのだと。
周りの方に支えられて今があるのに
全てを自分で掴み取ったような気になり
少しでも頓挫すると環境や人のせいにする。
浅はかすぎる自分に呆れかえった途端

「五月病、何それおいしいの?」

って気分になりました。
あー、こうして書いていてもお恥ずかしい。
何に鬱々していたんでしょう。
ということで、無事トンネルを脱したようです。



12年前みたいにまた少しずつ築けばいい。
そして今回のスタートはゼロではない。
歳を憂うにはまだ早いので(諸先輩がたに怒られるw)
自分がしたい&周りに求められる最小公倍数を
地道に積み重ねて最大公約数に近づけたいと思います。
引き潮で触れた人の温かさを決して忘れることなく…


いきなりの落ち込み宣言から
勝手に復活宣言でスミマセンw


これからもこんな感じで
胸の内を曝け出すことがありますが
つぶやき壺としても利用しているので
悪しからず^^;

Brand new day

2019年03月23日 | つぶやき
お久しぶりでございます。
淑女会のご報告を立て続けにしておいて
いきなりのフェイドアウト、失礼をいたしました。
ここ数ヶ月、私めを取り巻く環境が激変し
時間に余裕がない、精神的に余裕がない、と
自らのブログ画面を拝むことなく過ごしてまいりました。
ここにきてようやく少しの余裕ができましたので
チラッと近況についてご報告いたします。


東三河の豊橋市から尾張の岩倉市に引っ越しました!



します、じゃなくて、しました^^;

愛知県最東端の東三河への愛を叫んでいた私めが尾張の女…
私のパートナーである夫が新たな門出を迎えることとなり
そのスタート地点がここ岩倉市。
正直、受け入れ難い転居ではございましたが
彼の決断を尊重するとともに
運命共同体の一員である私の決断でもあると
数ヶ月を費やして心の整理をつけた次第です。

岩倉市…市町村名が記されていない地図を手渡されても
今までなら指で示すことは不可能でした。
一昨日引っ越したばかりなので
右も左もわからず
好きか嫌いかも判断できない土地でございます。
しかし拠点を移した以上
いいところ探しに精を出し
腹をくくって頑張ろうと思います。


後にした故郷に関して思うこと…
故郷という言葉、よそよそしいですね。
豊橋はおそらくいつまでたっても
「行く」ところではなく
「帰る」ところである位置付けです。
豊川水系の産湯につかって
その水で炊いたご飯を食べ
すくすく育ちすぎた私めは
根っからの東三河人でございますから。


何気なく過ごした少女時代を経て
大学時代に過ごした京都の水の不味さに辟易し(今は改善されたでしょう)
その後は11年、名古屋で会社員として過ごしました。
退職後は何の因果か今はなき実家近くに居を構え
ライターという思いも寄らない職業を与えられ…
このブログでも何度もお伝えしますが
選んだというより、
与えられたという表現がぴったりなのです^^;
そんなこんなの偶然と必然が重なり
東三河でライター業をスタートさせました。


ライターという仕事は面白いもので
その肩書が印籠のような働きをしてくれ
副産物である取材というツールが
素敵な方達との出会いをもたらしてくれます。
限りなくゼロに近いところからの人脈の礎を築く
大きなきっかけを与えてくれた写真家の宮城谷好是さん。
肩書が多すぎて表現し難い味岡伸太郎先生は
東三河を深掘りする機会を与えてくださいました。
私の食の知識に一目を置いてくれ
東三河の飲食店をほぼ自由に取材させてくださった
プラネッツの白井収社長にも大いに感謝です。
お世話になった方のお名前を挙げだしたらきりがありません。
全ての方に深く感謝いたします。


黒潮と三河湾の豊饒たる海があり
険しくも実り多き山がある。
そして清らかな河川と
陽光の恩恵を全面的に受ける大地。
当たり前のようでいて
全く当たり前でない風土。
一旦外へ出たからこそ
改めて東三河に魅了されたのかもしれません。
この土地に住む人々の
内弁慶な気質もご愛嬌(笑)
ライターという職務を通じて育んだ東三河愛は
今後一層強まることでしょう。


ということで
岩倉市を拠点にしながら
今後も豊橋を中心とした
東三河の仕事を継続しつつ
細々とライター業に勤しみます。

新居は名鉄岩倉駅から徒歩10分
名鉄特急を使えば名古屋まで10分強。
ますます名古屋出没率が高まりそうです(笑)
キッチンがパワーアップしましたので
お友達の皆様、遊びに来てね♪
東三河、名古屋、尾張の皆様、
今後ともよろしくお願い致します!
引っ越し前にご報告とお礼をお伝えできなかった皆様
これからも豊橋へせっせと通いますので
過去の人にしないでくださいね^^;


〜食べて飲んで旅をして〜
料理・酒・旅探求人
ライター&編集 露久保瑞恵


P.S.
先日フランスに行ってまいりましたので
その模様をボチボチお届けする予定です。
気長にお待ちくださいませ。

誕生日を迎えまして2018

2018年10月27日 | つぶやき
ご無沙汰しております!
ご無沙汰しておりました間に
またひとつ歳を重ねてしまいました。
毎年、当日または翌日に
年頭(?)の挨拶をしていたのに
今年は忙殺されて本日に至る始末。
秋祭りのお神輿が通り過ぎるのを横耳に
カタカタお仕事をしつつの投稿です。
しかし今時のお神輿って、
BGMにJーPOP流すの?
耳障りな大音量がいつまで遠ざからないので
近所のオタクさんが
ボリュームMAXで聞いているのかと思いきや
お神輿のゆっくりとした歩みのBGMらしい。
太鼓や笛や爆竹の音なら風情があるが
金切り声のアイドル合唱は聞くに耐えない。
全くもって仕事の妨げになりましたわ。


さて、昨今の私につきまして。
飲食店様の記事や広告の他
歴史、医療、スポーツの記事を書いたと思ったら
着物を着て割烹仕事。
茶会の菓子作りや自作料理の記事など
「一体全体何屋なんだ」と自問自答する日々です。
究極のイエスウーマン気質が
この状況を生み出しているのですが
実はこれこそ私の生き様なんじゃない?
と悟りの境地に入ってきました。

断ると相手をガッカリさせてしまう、
断ると私の心がザワザワする、
だから断れない、断らない。
安請け合いしたら意外と楽しい。
楽しいからもっと知りたくなるやりたくなる。
結果、抜け出せなくなる…
この思考と行動のサイクルが
今の私を作り上げました。
そうじゃなければライターなんてやっていません。
ライター業も

「ちょっと書いてみてよ」
「えー?私がですか?はい…」

がきっかけでしたから(笑)
自らの力で新たな一歩を踏み出すのには勇気がいりますが
人から頼まれて断らないのは簡単です(笑)
知らない世界に私を誘う魔法の言葉…「YES」。
これからも究極のイエスウーマンであり続けようと思います。

今年もスッカスカな内容ですが
ご精読、ありがとうございました。
ボチボチ更新ですけど
これからもよろしくお願いいたします!


思いに身をまかせる、それが我が人生。

2018年09月07日 | つぶやき
瀬戸内周遊紀行の途中ではありますが
天変地異が頻発する昨今を受けまして
自分の生き方を改めて見つめ直したくなりました。


先週から今週まで怒涛の一週間でございました。
遠方出張に出かける前々日にアニサキスにやられ
未明から七転八倒して中1日で北海道へ渡航。
取材後は兼ねてから行きたかった釧路湿原へ行き
あまりに雄大な景色に息を飲みながら
「所詮人間なんか地球に寄生するノミのようなもの」
と改めて自分のちっささに気づいたりしたものです。

それから一旦豊橋へ帰ってきまして
洗濯と糠味噌をかき混ぜるミッションを済ませ
名古屋の友人たちと「麻辣」な晩餐に興じ
そのまま名古屋に宿泊して翌日は陸奥へ。
岩手の盛岡と宮城の仙台で一泊二日の取材を終えまして
さあ、帰ろうと思ったら台風21号により
東海道新幹線がストップ。
お客様の英断で速やかに東京泊を決めたことから
東京駅で帰宅難民にならずにすみました。
本当に感謝感謝です。
朝イチのひかり号でヨレヨレになりながら帰宅して
遅れを取り戻すために諸業務に勤しみ
バタンと眠って起きたら未明に北海道で大地震発生と…


奇しくも「所詮人間なんか…(以下略)」
と北海道の大地で思い巡らした丁度一週間後。
まさかこんな事態になるとは思っておりませんでした。
幾重にも重なる山肌が削り取られるのを目の当たりにし
人類の無力さを感じずにはいられません。
いつも通りの朝が始まるとは限らないのだと
改めて考えさせられた次第です。
今現在も苦境に立たされている皆様方はさぞかし不安でしょう。
しかしどう転んでも当事者でない私めは
「お察しします」とか「頑張って」とか
軽々に言うことができません。
その様子を見て、自分の人生を見つめ直すと言う
対岸の火事的な振る舞いしかできないのです。


先にも述べましたが
いつも通りの朝が来るとは限りません。
人為的なトラブルに巻き込まれるかもしれませんし
天変地異に翻弄されるかもしれません。
明日、明後日、一年後、十年後…
遠い未来を皮算用しても意味があるのかしら…
もちろん、多くの社員を抱える会社のトップや
幼い子供を持つ家庭の親御さんは
明るい未来を見据えた将来設計が必要でしょう。
しかし、私のような身軽な人間は
明日に備えてコレする、二十年後に備えてアレする
という本当に必要かどうかもわからない
「備え」をする意味があるのかどうか疑問なのです。
曖昧模糊とした未来のための「備え」の有無に憂うよりも
現在抱いた感情に素直に従うことこそが
幸せに生きるすべなのだと改めて感じるワケです。


人は地球の表皮を借りて住まう小さな生物。
地球の新陳代謝には逆らえません。無力です。
せめて生きているうちは
弱小ながらも「個」として生まれた意義を全うしよう。
「悲しみ」よりも少しでいいから「楽しみ」を増やそう。
人を幸せにして自分も幸せになろう。
昨日の朝からからまる一日、
そんなとりとめもないことを考えておりました。


被害に遭われた方が
一日も早く日常を取り戻せますように。

私的アンガーマネジメント

2018年08月17日 | つぶやき
お久しぶりです。
お盆休みが終わってしまった方
今週末まで続く方
そもそも皆無で頑張っている方
それぞれお疲れ様でございます。
私は昨日まで福岡→熊本→佐賀の旅に出ておりまして
本日より通常運転に戻っております。
旅の話はおいおいお伝えするとして
今夜は徒然なる話題にお付き合いくださいませ。


昨日23時ごろに帰宅し
夜食の準備やら片付けをしまして
早朝から仕事をしないと間に合わないため
睡眠時間は4時間ほどでした。
8時間必要な私的には少々辛し。
今日も名古屋で取材があり
心身ともに少々疲れていたんだと思います。
そうは言ってもこの4日間、
ご飯作りを他人様(飲食店様)にお任せし
ラクさせていただいた身ゆえ
今日の夕食ぐらいは自分で作ろうと
取材から帰って座る間も無くご飯作り。
ようやく腰を落ち着けられる!と
食卓に皿を並べて安堵していると
家人が私の蔵書に目を向けるではありませんか。

ん?と思われると思いますので説明します。

我が家のダイニングテーブル横に
天井まで届くほどの本棚がございまして
私が30年間かけて収集してきた料理本が収めてあります。



こんな感じ

写真の中心部のエリアを
家人が凝視しているので
先日同行したビストロに感動し
ビストロ料理ってどんな感じ?と
興味を持ったかと思ってニンマリしていたら
おもむろに抜き取って
メイン料理のお皿の下に敷こうとするではありませんか。



ちょーーーー、ちょちょちょっ!
ちょっと!ちょっと待って!!!!



慌てて阻止する私め。
心拍数が10は上がりました・・・
テーブルの高さがちょっと低めなので
私の大切な本で高さを調節しようと思ったんですと。
電話帳レベルの認識だったとか。


「これは私が大切にしている本なんだよ」
「普段は読まないけど宝物なんだよ」


ふつふつ煮えたぎる怒りを抑え
事実だけを訴えました。
びっくりするわ。
でも、それ以上は言わないよう
まずは沈黙。


ここで私の持論を展開します。
腹が立っても感情に任せて言葉を放ってはいけない。
まずは無条件に30分待て。
30分待っても腹が立ったら
理論立てて相手になぜ腹が立つか説明しよ。
翌日になっても説明がまとまらないなら一生言うな。


以上。
今日も30分待って
下記の結論が見えてきました。


・蔵書がそこまで大事と説明が行き届いていたかどうか私的に自信なし。
・相手には全く悪気はない。
・相手は謝っている。
・私にとって大切なものだと十分に説明したから今後はないだろう。


感情に任せて怒り散らさなくてよかった。


時には怒ることも必要かもしれませんが
私はもう怒り爆発卒業チームでいいかな^^

その辺で怒り狂っている私を目の当たりにし
あの時あんなこと言ってたじゃん!
て言わないでくださいね。
人の気持ちはミズモノですから^^

書くということ

2018年06月18日 | つぶやき
大阪北部を震源にして
関西で大きな地震がありましたね。
被害が最小限に止まることを祈るばかり。
地震列島、日本。
東海地震が起きる起きると言われて久しいですが
地面の下では何が起きているのでしょう?
住まわせてもらっている身の我々には
起きた後どうするかの対策しかできませんね。


テーマのお話に移りますね。
現在7、8軒のクライアント様からお仕事をいただき
ややもすると全てが同時進行になるという
修羅場をくぐり抜けながら何とか生き延びております。
その中の一つに、豊橋を中心に配布されている
フリーペーパーのお仕事がありまして。
毎月テーマを決めて飲食にまつわる特集を組むのですが
テーマ決めも取材先ピックアップも
ほぼ一任されていおります。
2ヶ月前に「豊かな食、豊かな人生」
というテーマで特集を組みました。
特集のコンセプトはこうです。


「豊か」…決して贅沢を意味するわけではありません。
自然のサイクルに生かされている人間は
カラダが欲しがるものを素直に摂ることで
健全な心と健康なカラダが育まれます。
ここでいう「豊か」とはそういうこと。
春は冬のツケが回って不調を感じる季節。
この時期こそ豊かな食について考えてみませんか?




ということで
東三河で食について真剣に考えておられる
飲食関係の7店にお声をかけさせていただきました。
その中の1店があるパン屋さん。
取材時に食パンを頂いたところ
これがとっても香り高くて味わい深い。
国産小麦粉、ホシノの天然酵母、水、塩だけで作ったそれは
米と水だけで炊いた白飯を思わせるような
懐の深さと食べ飽きない素直さを持ち併せていたのです。
オーナーさんの人柄も素晴らしく
受けた印象そのままを文章に表して世に送り出しました。


私の朝食は98%ご飯食なので
訪れるきっかけがなく
ご無沙汰が続いてしまいました。
先日、突然食パンが食べたくなり
思い立ったら吉日と
そのパン屋さんを訪ねたのです。
せっかくだから記事の反響はどうだったかと
お尋ねしましたところ
誠に嬉しいエピソードをうかがいました。
ここからはオーナーさんの言葉で綴ります。


2年間引きこもり続けていた女の子が
記事を見てこのパン屋さんに連れて行って欲しいと
お父さんにせがんだそうです。
普段なら「これ買って来て」と言うだけで
一歩も外へ出ようとしないんですって。
娘さんを連れて来店したお父さんは
一歩を踏み出してくれたことが嬉しくて仕方ないらしく
泣いてらっしゃったんですよ。
記事から彼女に何かが伝わったんでしょうね。

それだけでなく、
乳製品アレルギーのお子様をお持ちのお母さんが
わざわざ豊橋の真反対(※)から来てくださり
子供が喜んで食べたからと
翌日もご来店されました。
きっと乳製品を使っていないパンを
探していたんでしょう。
ご家族と同じパンが食べられて
お子さんも嬉しかったでしょうね。
※お店は海側にあり、お客様は山側にお住まい

中にはmieさんが書いた記事を切り抜いて
お財布に入れて持って来た方もいらっしゃいましたよ。



オーン、オンオン(←鳴き声、じゃなくて泣き声)
これを聞いて思わず涙してしまいました。
自分で選び、綴った言葉で誰かが喜ぶ…
こんな私でも生きている価値があったんだ、
存在意義があったんだ、
人生の免許証みたいなものを与えられたようで
体が熱くなるのを感じました。



食パン美味しかった♪

資格試験も何もないから
正確には「自称ライター」というお仕事。
15年近く続けて来て
自分が書いたものが不特定多数の方に読まれることに
少し鈍感になっていたのかもしれません。
今回の件で改めて言葉の力について考えさせられました。
お金をいただく関係上
ライターという肩書きを名乗っていますが
このブログをはじめとしたSNS等で
国民全員ライターチックなことができる時代。
自分の発した言葉で誰かが喜び
誰かが傷つき、あちこちで争いごとが起きる。
ニュアンス一つで伝わり方も雲泥の差。
意思の伝達手段に文字が使われる時代が続く以上
言葉選びには責任を持たなければなりませんね。
今回のことは大変嬉しい反面
逆パターンもありき、と
気を引き締めるきっかけとなりました。
とにかく、一歩を踏み出した彼女が
もっと美味しいものを食べてみたい
もっと綺麗な景色を見てみたいと
外への欲求が増大していくことを祈ります。


書くということ…人間にだけ与えられた
素晴らしい能力です。
それを仕事にできることを
大変嬉しく、誇りに思います^^


さて、仕事しよ♪




つれづれ散歩

2018年05月26日 | つぶやき
食の記憶と写真が溜まりまくっていて
どこから手をつけたらいいのか分かりません。
ということで散歩の話題に逃げます(笑)


私の仕事は取材や打ち合わせなどの「動」以外
孤独にパソコンと対峙し続ける「静」に支配されます。
始終椅子に座り続けているので
腰に負担がかからないよう
姿勢矯正椅子に座っているのですが
この椅子、スネを当てる部分があるんですよ。
ずーっと座りっぱなしでいて
いきなり立とうとすると
くの字になった膝がすぐには伸びない…
まっすぐにしようとするとバキバキいって
私の体、大丈夫なの?と不安になるばかり。
仕事が不規則なのでジムにも満足に通えず
先日退会してしまいました。
以前、ウォーキングの記事を書いていて
ウォーキングすることのメリットと
ウォーキングしないことのデメリットを知り
このまま歩かない生活をしていると
あらゆる部分にガタが来る、と
一日一度は外に出て歩くことにしたのです。
ただ歩くだけでは時間が勿体無いので
夕飯のお買い物も兼ねて。ただし悪天候日は除く。
重い腰を上げて歩き始めると
今まで気づかなかった景色とそのディテールや
お散歩しているワンコたちと巡り合うことができて
とても楽しいのです。


そして気づいたのは
居住区周辺に川が多いこと。
歩いているとここかしこで川にぶち当たります。



おもちゃのような水鳥がプカプカ



背筋がピン伸びてリンとしたサギ



溺れてんだか泳いでんだかよくわからない亀



流れに逆らい同じ場所に留まろうとする鯉




昨日、川沿いを歩いていたら
「おい」と低い声で呼びかけられ
ビクッとしてあたりを見回しても誰もいません。
よくよく耳をすませたらウシガエルでした(笑)
河川敷には夏草が勢いよく伸び始め
樹々に芽吹いた萌黄色の葉は濃い緑に。
季節が春から夏へと移ろう様子が良く分かります。
川沿いにはサボリーマンさんも多く
社用車の中を覗き込むと
シートを目いっぱい倒して真っ平らにし
英気を養っているご様子。
川はいろんな意味で生命の源ですね(笑)



ピアノの発表会の舞台となった文化会館と大池



鏡の中にウォーリーもどきがいるよ



帰りは行商のおばさん



街の向こうに滑り込む今日の陽



斜陽を受ける我が母校




20年ぶりの動物園でもお散歩



可愛らしい仕草の白い猛獣



子育て中のミーアキャットは外敵を見張り中



歩幅に合わせてゆっくりと過ぎ行く景色。
換気扇から漂う夕ご飯の香り。
ゴーゴーだったりサーサーだったり
流れる場所で音色を変える川のせせらぎ。
目や鼻や耳を刺激されるたびに
とりとめもないことを考えては忘れを繰り返す。
書く目的で思考を巡らすことからしばし離れ
脳みそを自由に使う開放感。
こんなフリーダムな時間が簡単に得られること
なんでもっと早く気づかなかったのでしょう。
飽きっぽいのでいつまで続くか分かりません。
でも、しばらくはお散歩タイムを満喫するつもりです。


さてと…
指と頭のウォーミングアップも完了したので
執筆タイムに入りま〜す。





鰯の糠味噌炊きレクイエム

2018年05月25日 | つぶやき
まだ受け止めきれていないのですが
大切な友人が旅立ちました。
彼女が私たちに教えてくれたことを
書き綴りたい…
綴らなければいけないと思いつつも
なかなか頭の中でまとまらず
1週間以上が経ってしまいました。

彼女との出会いは約3年前。
厳密に言うとすれ違いでした。
名古屋の今池で飲み屋に向かおうとしていたところ
前方からガヤガヤと賑やかな集団がやってきます。
私と同行していた2人は彼女の友達でして
「あれがCちゃんだよ」と教えてくれました。
集団を引き連れてひときわ賑やかに喋り
「ああ!〇〇さん!久しぶり!」
という大声とリアクション、
今でも鮮明に覚えています。
共通の友人が多いので
SNS上では何度も見かけており
「いつもテンションが高くて
そこらじゅうで遊んでる人」
と言うのが客観的な私の印象。
すれ違った時も抱いた印象のまんまでした(笑)
多分深く付き合うことはないな、と思っていたところ
友人の主催で大鹿村の山荘へ行くことになり
そのメンバーにCちゃんがいたのです。
メンバーの選考基準は
平日に自由行動ができる自由人(笑)
そんなこんなで同じ車に乗って現地に向かう間
一気に距離が近づきました。
今池での印象そのまんまなのですが
相手に心の壁があったとしても
コンコン、パコッ、と割って
スルリと懐へ入ってくるような凄ワザの持ち主。
それが無遠慮でなく、とても自然です。
共通の気質「ウッカリ」で大盛り上がりし
いつの間にか「私たちって竹馬の友だよね〜」
ぐらいの近さになっておりました。

年齢は彼女の方が10歳上です。
でも誰からも「Cさん」ではなく
「Cちゃんと」呼ばれる理由がすぐに判明。
年齢や会った回数やお互いの境遇など
我関せずとばかりに
分け隔てなく寄り添ってくれるんです。
もちろん天性の才能もあると思いますが
おそらく人の数十倍気を遣いながら。


それから2回会うことができ
もっと距離を近づけようと思った矢先
体調を崩したとSNS上から姿を消したCちゃん。


風の噂で大病を患ったと聞き
友人たちで心配するも
どうしてあげることもできないまま
2年半の月日が過ぎました。
すると彼女と一番親しい共通の友人から
「暇を持て余しているから
見舞いにきて欲しがっている」
と聞き、友人のYちゃんと早速行くことに。
その時は検査入院しているとのことで
病院食はさぞかし不味かろうと
私は振りかけやら佃煮やらスープ、
Yちゃんは手作りのパンなどを提げ
恐る恐る病室のドアを開くと
例のテンションで賑やかく迎えてくれました。
今までの経緯と快方に向かっているとの報告を受け
私たち2人はホッ。
負担をかけてはいけないから
まあ、せいぜい居ても30分だよね
と事前に打ち合わせしたにも関わらず
話が尽きることはなく2時間近く居座りました^^;
それでも話し足りないので
退院してから彼女の自宅へ行くことになったのです。


それが4月の初旬。
先生からお酒の許可が出たと言うので
Yちゃんはワイン2本、
私は日本酒の一升瓶をお供に訪問。
Cちゃん、そんなに飲まないと思いきや
ところがどっこい、飲む飲む!
私がフランスから帰ってきたばかりで
例の帰国できない事件をお話しすると
「えー!」「ウソー!」と大興奮。
私とYちゃんの二大ウッカリ巨頭が
新着のウッカリ話を披露すると
「ウケる〜っ!」と手を叩いて大笑い。
笑いが何よりの薬だと聞いた2人は
惜しげももなく(惜しむもんじゃないw)
ウッカリ話をお披露目したわけです。
まあ、よく飲んでよく笑いました。


今度は4月半ばにYちゃんがフランス渡航する予定で
帰ってきたらウッカリ紀行お披露目会を催そうと企画。
私がSNSでアップした鰯の糠味噌炊きが食べたいと言うので
お邪魔する日に合わせて5日前から仕込み始めました。
実は日程を決めるときに
ちょっと気になることがあったんです。
会に開催を少し焦っているような…
鰯の糠味噌炊きは完成までまる3日かかります。
当日を控えたその週は仕事が立て込んでおり
もう少し簡単にできるものに変更しようかな?
とも考えましたが
焦りの言葉が脳裏をよぎり
何が何でも作らねばならないとの思いに駆られ
心を込めて仕上げました。
あとは持って行くだけになっていた
3日前になって本人からキャンセルの申し出。
ウィルスに感染して発熱と咳が続き
私たちにうつしてはいけないので
本当に申し訳ないけどドタキャンさせて、と。
3人のグループラインでの報告でした。
鰯の糠味噌炊きを冷凍庫に移し
次の開催日程が決まるまでは
スケジュールに記した予定は消さないようにしようと
彼女からの連絡を心待ちにしていたところ
会う予定だった翌々日に訃報が…
晴天の霹靂とはこのことです。


涙はとめどなく流れるけれど
頭で理解できないままお通夜に参列。
お嬢さん2人のお顔を拝見した時
「あ、そういうことだったのね」と理解。
本人とご家族は長くないことを
もう随分前から悟っていたのだと…
優しいウソであると同時に
彼女は自らの尊厳を守る発言をしていたのです。
病気が判明したばかりの時は
誰とも会いたくなかったそう。
2年半の間に色々と吹っ切れたのでしょう。
自分らしく明るく楽しく生きようと。
お見舞いで再会を果たしてから
彼女は名女優も顔負けの演技力を駆使し
以前と変わらぬ明るさで接してくれました。
Cちゃんの覚悟と演技力に
惜しみない拍手を送りたいと思います。


先にも述べましたけれど
年齢や会った回数や境遇など
全ての壁を取っ払って近づいてきてくれるCちゃん。
それをさも相手がそうしたように思わせるんです。
私の手柄で2人が友達になれたような…
決して自分の手柄だとは言わず思わせず
そこら中で良き人間関係を築きまくる
唯一無二の人でした。
たかだか5回しか会っていないのに
心の奥深くまで浸透して
絶対に忘れられない存在なのです。
今思い返しても笑顔以外の表情が浮かびません。

どんな努力しても背伸びしても
彼女のような素敵な人にはなれないけれど
教えてくれたこと、見せてくれた生き方を
私の教科書にしたいと思います。
実は彼女、学校の先生でした(笑)






告別式にも参列させていただき
鰯の糠味噌炊きと
一緒に飲むはずだった濁り酒を
棺に収めさせていただいたけれど
ちゃんと届いたかな?
本当は3人で楽しみたかった…



Cちゃん、献杯!
本当にありがとう!