cheeze_art's blog

The life as the diehard

道義失われし国になるか

2010-11-11 17:39:35 | 虎落り言(Mogari-talk)
...中国という国を好きになれないのに、心惹かれるのはなぜだろう。

それは現在の日本から失われつつある儒教道徳の根本理念である
「仁義礼智忠信考悌」が、中国では生き続けているからかもしれない。

尖閣の問題で、罰せられるべき船長が超法規的処置で英雄扱いされ、
逆に命を賭して国益を守ろうとした武士達は、闇に葬られることとなり、
それを国民に知らしめた保安官は、罪に問われ裁かれようとしている。

彼の行為は正当化できないかもしれないが、やむにやまれぬ思いを、
酌むことができない政府なり国民であるなら、人の道理に悖るのでは...



仁・・・思いやり、慈しみ。...それは金銭で片付くと考えている。
義・・・人道に従う事、道理にかなう事...それよりは法令遵守である。
礼・・・社会生活上の定まった形式、人の踏み行なうべき道に従う事
    ...都市空間ではみんな自己中心的になって挨拶することを忘れた。
智・・・物事を知り、わきまえている事...おざなりな知識とデータの丸写し。
忠・・・心の中に偽りがない事、主君に専心尽くそうとする真心け
    ...忠義という言葉は死語である。
信・・・言葉で嘘を言わない事、相手の言葉をまことと受けて疑わない事
    ...虚言と疑心暗鬼のモンスターがまかり通る社会となっている。
考・・・おもいはかる事、工夫をめぐらす事。親孝行する事
    ...思慮や工夫は利権の為に使い、親孝行は社会福祉が代行する。
悌・・・兄弟仲が良い事...親兄弟は他人より始末が悪い。

今の日本を考えるとき、法令遵守や評価制度が確立され、社会保障も整い、
安全安心保証を得ているはずなのに、熱き思いを語れないのは何故だろう。


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