私達は、国家という単位の枠内で制度に保障され法律に守られた上で、運命共同体を共にしています。
それが都道府県、区郡市町村などに分化され、小集団若しくは個人単位で戸籍を得て生活しています。
国家を大きな家と例えれば、私達はその中で雨露を凌ぎ日々安心して生活を営んでいることになります。
そしてその国家単位内の法律では、勿論人を殺すことは大罪であり、絶対してはいけないことなのです。
然しそもそもルール(法律)があると言うことは、枠に嵌らない者があり性善説は成立しないからなのです。
人の単位でもそうですが、国家、民族・人種、宗教、経済の為にルールが破られることが紛争なのです。
私達日本人は海に守られた島国だった為、本質的に戦争を含めた紛争を好む傾向になかったはずです。
そして諸外国より流入してくる文化や宗教などを寛容に迎え入れ、独自の様式へと昇華させてきました。
そんな我が国も、世界的策略や侵略紛争に巻込まれ、戦いに臨まざるを得なくなったときもありましたが、
今日の日本が永く栄えてこられたのは、毅然と国という単位を守り通してきたからに他ならないと思います。
人間同士、敵になることも味方になることもあり、同じように国家間でもイデオロギーや主義等の違いから、
また経済的軋轢などの理由により敵になり、或いは互いのそれらが一致すれば味方になったりもします。
そこで問題になってくる集団的自衛権のことですが、ある時国家が、日本の一部が、私達の社会構造が、
話にならない他者からの脅威に曝された時、平和を貫くというスタンスでじっと我慢すべきなのでしょうか。
仮に守ろうとする単位が私の家族であって、それが法律が通用しない、話し合いで解決出来そうにない、
無謀で横車を押してくる相手である場合、脅威が去り平穏生活が戻るまで黙して佇めばよいのでしょうか。