まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.901 長岡京は長岡京市でなく向日市にある?

2018-02-12 10:42:59 | まち
おはようございます。


昨日(11日)はまた走りに出ていたわけですが、その途中で斑鳩町を通りました。この日は町内でマラソンが行われるとかで各所で警備員が立っていて物々しい雰囲気、とりあえず走る先々で行けるはどうかの確認を取りながら進んで行ったのですが、斑鳩町役場付近のスタート地点近くの交差点で警備員に勧められた方向へと進むとそこがスタート地点、沿道にはたくさんの人がいてその中を走るのは相当恥ずかしい思いだったが、その先で案の定警備員に止められた。国道25号線まではもう10メートルもない所、しかし先へは行けないと言われた、自分(一人称)は教えられた方を進んできただけだと抗議したが国道へは出させてもらえない、別の警備員が来て駐車場を抜けて国道に出ることができると教えてもらえたが、警備員にはもっと的確な指示をするよう苦言を呈しておいた。普段なら自分(一人称)の落ち度としてここは感謝の意を示して通り過ぎるところを何でこんな悪態をついてしまったかと言うと・・・実はこの約10分前、法輪寺付近で若い警備員が自分(一人称)の前を走っていた車を止めて二言三言話してその車が走り去った後「アホか、のに」と小声で言ったのが聞こえた、「」なんて決して人に言ってはいけない言葉、警備員なら尚更だ。斑鳩町はなんでこんな奴を雇ってるのかと腹立たしい気分で走っているところに今度の案内の不備だ、マラソンの華やかな行事の裏ではこんなレベルの低い警備が行われているとは、同じ奈良県民としても何とも情けないことだ・・・











昨年の秋、映画『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』のロケ地を巡りに京都を走った時の話をしていこうと思います、と言ってもロケ地巡りの話はもう以前に終わらせています(参照・No.866)、そんなわけでこのシリーズではその日走った時の記録をせやなあ~、3回くらいかな~、それくらいの予定でお送りしていこうと思います。
まずは国道24号線~八幡市と経由して淀へと入る、この日は競馬開催日で京阪淀駅はたくさんの人で賑わっていたが、その喧騒を避けるように駅前の商店街を走り抜けて納所交差点へ。いくつもの道が分かれている大きな交差点は警備員がたくさん立っていて物々しい、とりあえず信号はキチンと守って今まで走ったことのない道へと進む。その道は交差点からすぐ上り坂になって桂川を渡る、この橋を渡り終えた所はもう長岡京市、川の向こうの遠いイメージがあった所も渡ることができる橋さえあればすぐに行くことができる。新幹線、名神と越えて市の中心部へと向かう、その途中にあるのが写真1枚目にある勝竜寺、2枚目~4枚目にある勝竜寺公園、JRの駅からは少し離れていてひっそりとしている。その後JR線の下をくぐると見慣れた西国街道との分岐点へ、そこからはJR長岡京駅前を並行に伸びる西国街道をいつもとは逆に北へと進んで行く。













向日市に入って五辻交差点、その一角には上の写真にあるように大きな常夜燈と道標が立っている、交差点名通り5本の道が分かれているがどの道も幅が狭くしかも車が多いので危なくて仕方がない。とりあえず注意を払って横断歩道を渡り東へと入って行く、先の方には阪急電車の踏切があるがそこに行き着くまでにあるのが写真6枚目にある大極殿交差点、「大極殿」と言うと都の中心にあって政治を取り仕切っていた所だが何でこんな所にこの地名?ここを左に曲がってすぐの所に細い道があり、その辺りが公園になっていてそこが長岡京の大極殿があった場所だと言う表示の碑が立っている。長岡京は向日市にあったのか、となると隣の長岡京市は何で「長岡京」と名乗っているの?となるが、それは長岡京の一部が長岡京市域にかかっているからだとか、何かややこしい話です。古代の都があった所と言っても今は町中で住宅地の中に埋もれた感じ、特に観光客を誘致するような姿勢もなさそうで、地元の人たちの憩いの場所と言った感じ、自分(一人称)もこの場所の存在はつい去年まで知りませんでした。平城京から移設された都は平安京に移るまで約10年間ここにあったとのこと、古代は天皇が変わる度に都があちこちへと移されていたわけでそれもほんの数年、藤原京で約15年、その後の平城京が70年、平安京がその後400年近く続くことを考えるとその基礎を整えるための繋ぎの政治の中枢の場所だったのかも知れない。








再び西国街道へと戻り前にも通ったことがある写真1枚目、向日町の道路元標が立つ交差点へとたどり着く。西国街道はこの元標が立つ薬局から右へと坂道を下って行くが、自分(一人称)の走りの方は左側の車が多く走る道へと入って行くことにする。元標が立つ交差点の一角には写真3枚目、旧家のそばに建つ道標があるがそこには江戸期の街道名が記されている、これから走るのはこの向きからして「中 あたごみち」に当たる道、物集女街道とも言われる道である。向日町競輪場の前を通り過ぎ最後の写真にある交差点からは真正面の方へと進んで行く、行先は紅葉真っ盛りの嵐山、観光客がいっぱいなのはもう承知のこと、おやおや、そろそろ時間となったようです、物集女街道ではどんな風景が見ることができるのか、また次回も気楽にお越しくださいませ。         まちみち



No.900 しまなみの旅秋編(7)・・・瀬戸田

2018-02-09 08:49:52 | 瀬戸内
おはようございます。




















前回はしまなみの旅冬編でしたが今回は秋編、天気がふらふら気味の冬編に比べるとこちらは陽光あふれる空の下、10月とは言え半袖でも十分なくらいの陽気にテンションも高く走りは続いています。しかし旅はもう終盤戦、いよいよ帰る時間も心配しなくてはならない頃になり、少し寂しさも・・・でも走りはまだまだ続きます、今回分、早速行ってみることとしましょう。
多々羅大橋を下りて再び生口島へ、サンセットビーチを左手側に見ながら瀬戸田へと向かっています、たくさんのサイクリストがビュンビュンと通り過ぎて行く、快適な走りがしまなみの旅の醍醐味と言う感じだろうが、そんなに急がなくてももっと風景を楽しんだらええのに、と思ってしまう。道は県道から国道317号線へと変わり、道なりに走って行くとやがて前方に瀬戸田の町並が見えてくる、その象徴となっているのが山の上に建つ三重塔と黄色い橋とその向こうにある島、これが見えると瀬戸田に来たな~と言う気分になってくる。まずは瀬戸田港へ、大きな常夜燈の向こうに三原、尾道方面へ向けて運航されている高速船の乗場がある、この高速船は自転車を載せることができるが自分(一人称)はまだ一度も利用したことがない、海の上を行くには高速船よりフェリーの方がいい、もちろん今回もフェリー利用ですがその話はまた次の枠でのお伝えとなります。












さて、フェリー乗場前から伸びている道へと入って行くこととしよう、この道は瀬戸田の中心地へと続く道、旧街道の雰囲気が漂う町並はいつ来ても変わらない表情を見せてくれている。入ってすぐに古い旧家の建物がありその先は商店街の軒並み、地元の人たちが通うと言った感じの商店街だが、この道は瀬戸田港とこの先にある耕三寺とを結んでいる参道でもあるので、狭い道にはたくさんの観光客やサイクリストで賑わっている。先へと進んで行くとさっき山の上に見えた三重塔があるお寺への参道口もある、行ってみようとも思ったがここは時間の都合で断念、日帰りの旅なので我慢しなければ多いことが悔やまれる。








商店街を抜けて交差点を渡ると進行方向右手側には耕三寺があり、山門前にはたくさんの参拝客であふれかえっている、やあ~、自転車で来ている人もやっぱり多いようです。朱が基調になっている見た目が派手な造りの寺院は瀬戸田でもお馴染みの所、でも今回はスルーです、今回はと言うか今回もか、この寺院には前に一度入ったことがあるが入場料は高いし自分的には何か、何かなあ~って感じだった。派手な朱色で彩どった建物には重みがないような感じもするが、昭和の建立とのことで歴史的にも新しく、時代を重ねて行くにつれて重みも増していくことだろう。ただ、寺院の奥の方にある白いオブジェが立つ丘だけはどうもらしくないような感じがして・・・とまあケチばかりつけるような文になってしまって申し訳ないのですが、しまなみ海道の途中にある一大観光スポットには違いないので、走った時にはどうぞ寄ってあげてください。さて、そろそろ島を離れる時間が近づいてきました、たくさんの人であふれかえる参道をゆっくりと走り抜けて国道の横断歩道を渡り沢港へと向けて走る、この交差点から沢港までのひっそりとした道を走っていると切ない気持ちになってくる、ああ~、もう帰らなければならないのか、しまなみ海道とはもうお別れかあ・・・と寂しい気持ちがふつふつと湧き上がってくる。沢港へと走る時はいつもこんな気持ちになってしまう、今回は日帰りなので余計にそう思ってしまうのかも、でも旅はまだまだ続きます、ここは変に未練を引きずらないで残りの旅を楽しんで行くことにしよう。さあ、今回も時間となったようです、次回も気楽にお越しくださいませ。         まちみち



No.899 しまなみの旅冬編(1)・波乱の旅の始まり

2018-02-06 11:18:37 | 瀬戸内
おはようございます。





瀬戸内しまなみの旅秋編は今は大三島から折り返し、いよいよ本州へ戻って旅も終わりに近づいてきているところなのですが、まだまだ終わりそうにないと言うことなので見切発車になってしまいますが今回より、去年の大晦日に走ったしまなみの旅冬編をお送りしていこうと思っています。まあ最近はうちのネットの不具合で更新が滞ってしまっていますが、旅の模様は何とかいつものスタンスでお伝えしていきたいところです。










そんなわけで大晦日に旅をと決めていよいよと心構えるところなのですが、なぜかテンションが上がらない、なぜかと言うと大晦日の天気が週間予報が出た時点からずっと雨マーク、その日だけですよ、他の日は晴れマークがついているのに・・・何で神様はそんな意地悪するんや~。とにかくネットではずっと中国、四国地方の天気予報を気にしていたが雨マークは消えず、降水確率も50%以上、それでも切符は手配済み、行くって決めたんや、こうなりゃ雨天決行や!と言うことで当日を迎えた。家を出る時は雨は降ってなかったが暗いので空模様は分からず、前回の教訓で新幹線はデッキでのお立ち・・・これについては秋編の最後でなぜ教訓にしなければならなくなったのかお伝えする予定です・・・、だんだん明けゆく空を見ていたが、雲は山を覆い尽くすように低く立ち込め、所々では道路がぬれている所も。予報では雨雲は午前中に通り過ぎるとのことだったがもう通り過ぎてくれたんやろか、と甘い期待も持ってしまった、まあこれがドラマもハプニングもいろいろとあったしまなみの旅冬編の始まりです。
今回は尾道はパスなのでその風景は車窓からと言うことで、福山で乗り換えたJR山陽本線は8両編成で車内はガラガラ。尾道駅手前からは車窓の向こうに尾道水道と向島、国道2号線が横を沿う風景となり、線路が大きくカーブしている所では山の風景を車窓右側から見ることができる、電車がガラ空きだったのでここは扉からガラス越しに尾道の風景を写真に撮る。尾道駅を出ると瀬戸内海が広く見渡すことができる車窓、横を沿う国道2号線を走る車と競争だあ~、と子供じみたことを考えていたが現実は今にも滴が落ちてきそうな分厚い雲に覆われた風景、でももうあれやこれやなんやかんや考えていても仕方ない、後は流れにまかせるしかない・・・







旅の始まりはJR糸崎駅から、今回初めて輪行で利用する駅、2か月前にはこの駅の裏側を走って港町の風景を楽しませてもらった。普通電車の多くがこの駅を始発終点としている大きな駅、自分(一人称)が電車を下りると向かいのホームに呉線へと入る電車が停まっていた、これに乗って竹原まで行く手もあったが今回の電車旅はここまで、早速駅前で相棒を立ち上げることに・・・って思ったらポツポツと来ている、ああ~、早速来やがったか~。ただそれほど気になるような雨ではないのでパパパ~ンと立ち上げを済ませ早速走り始めることとする、まずは国道2号線を通って三原港を目指す、天気はこんな感じだがやっぱり走り始めると旅の虫が鳴き始めたかのよう、テンションは上がらずともこの先の旅の楽しみはフツフツと増してくる。












三原港に到着、大晦日と言うことで帰省する人の姿はあるが、さすがに自分(一人称)のように自転車で旅をする人はまるで見かけない、まあ自分(一人称)の行いが非常識みたいなものなのだが。近くのコンビニでパンを買い入れ出向前の港の風景を見ながらの朝食、やっぱり空からのポツポツは気になるところ。因島までの切符を購入していよいよフェリーへと乗り込む、暖房が効いていて暖かそうな船室だが、もちろん自分(一人称)はデッキに立って風景を撮影、寒さも雨も気にならないと言ったら嘘になるが、ここまで来たらやっぱり旅を楽しみたい、もう腹は括った、後は野となれやまとなでしこだ!!さあ、しまなみの旅冬編、今治までの長い長い日帰りの旅が始まりました。どうやら時間となったようです、しばらくはしまなみの旅秋編、冬編と並行でのお伝えとなって分かりにくい部分もあるかも知れませんが、どうぞお付き合いよろしく願います、次回も気楽にお越しくださいませ。          まちみち


No.898 登録有形文化財巡り・岐阜南部~三重北部編

2018-02-06 07:49:25 | 文化財
おはようございます。














登録有形文化財巡りは今年も引き続き行っていくわけですが、ここまででまだお送りしていないのもたくさん残っています。まあ紹介するにしても写真を並べてはそれが何なのかを説明するわけではなく、ただただ関係ない話をうだうだとしているだけなのですが、それも今年も変わらないんじゃないかと思います。さて、今回は去年の春に養老鉄道各駅巡りで走った時と、その後日、三重県内の旧東海道を走った時に巡った登録有形文化財についてお送りしていってみようと思います。
と言うことでまずは岐阜県内、大垣駅付近は旧街道の雰囲気が漂う町並はあるものの、登録有形文化財となるとそのエリアから外れた写真1枚目、2枚目にある種増蔵のみ、文化財と旧街道はリンクしないと言うのはここでも当てはまったようです。下3枚にある船頭平閘門については前にもここでお送りしました、そう言えば『ブラタモリ』で近江さんに「コウモンってご存知ですか?」て質問をしていた意地悪な先生がいました、近江ちゃんに何を言わせたかったんやと思ったが今の若い人には「閘門」を知らない人が多いのも確かなことか・・・












5月の旅では桑名から旧東海道をたどって走りました、写真3枚目~5枚目は七里の渡しから少し走った所にある建物、モダンな造りは元は銀行だったとのことでこれはもう登録有形文化財の定番と言った感じです。定番と言えば下2枚の写真にある建物、今は町の資料館となっているのは元は村役場だった所、建材を横に重ねて組まれた造りはいかにも大正時代と言う感じ。その真ん前にあるのがその上にある2枚、ほとんど同じ場所から撮った写真は小学校の校舎だがその入口の横の柱にはの表示が、この円形型の校舎が登録有形文化財と言うことである。円形校舎って奈良では近鉄学園前駅の前にあったような記憶もあるが、wikiで見てみると昔は数多くあった校舎も今はこの学校の他には数校が残るのみだとか、その中で文化財となっているのはこの学校だけ、昭和の遺産と言う感じだがせっかく文化財の箔をつけているのだからこのまま残していってほしいところです、まあ通学している小学生の皆さんにはこの校舎にそのような箔が付いていることなど関係ないと言ったところだろうけど。
















後は残りを写真でズラッと並べてみました、まあ細かい説明などしようものならまたいろいろとボロが出てしまうのでこんな感じで勘弁願います。写真5枚目~下から2枚目までは旧東海道沿いにある建物、文化財と旧街道はリンクしない自分流の法則はこの区間(四日市宿~庄野宿)では崩れている。最後の写真にあるのはJR亀山駅、登録有形文化財ではないがこのホームの屋根は開業当初からのものだとか、前にも書いたが亀山駅は四方に都市や観光地を結ぶ交通の要所、往時は旅人が行き交う風景も見られたのだろうが、今はローカル線の中の大きな分岐駅と言った感じ、このホームはその栄枯盛衰ぶりを変わらぬ姿で見てきたのだろう。先の円形校舎やホームの屋根のように箔がなければ姿を変えられてしまったかも知れないものをどうやって残していくか、それを周りの人に納得してもらえるか、これも一種の戦いと言ったところでしょうか。そろそろ時間となったようです、次回も気楽にお越しくださいませ。        まちみち




No:897 丹波の旅(5)・・・さんなん街道

2018-02-02 10:20:36 | ふうけい
おはようございます。












前回はセンバツの話をお送りしたのですが今回はまだ夏の大会真っ最中の頃の話、丹波の旅は前回柏原の古い町並を通り過ぎていよいよ山越えへと入って行きます。ここまで走って来た国道176号線を離れてJR線に沿う道へと入る、写真2枚目、3枚目にあるように緑が眩しいのどかな風景、町の喧騒も消え失せ車もほとんど通らない道はちょっと淋しい感じ。広さを持て余し気味の走りやすい道は写真4枚目の所でいよいよ山越えの上り坂へと入って行く、写真で見ると結構きつそうな坂道だが朝にひとつ峠を越えているのでさほど苦にはならない、ここは自分のペースを保ってこの上りに臨んで行くこととしよう。
上りも難なくクリアして今度は下り坂、その向こうには山間の町並が見えてきた。坂を下りてすぐの所にあるのがJR谷川駅、特急が停まる大きな駅だがここから分岐する加古川線はローカル線で本数も少ないので、大きな駅の端っこでホームを間借りしているような感じ。この駅に来るのは3度目だが、前の2度は駅前で相棒を立ち上げたので通り過ぎるのは今回が初めて、以前にも走ったことがある駅前から伸びている道が町へと続いているが、今回はJR福知山線各駅巡りと言うことで線路に沿う方向へと進んで行くことにする。













谷川駅からはJR線に沿って走ることになる、最終目標は篠山口駅と決めた、そしてその前に篠山の町並にも行ってみたい。時間は午後もそろそろ半ばに差し掛かる頃、初めて走る道はどんな所か分からないし山の中を行かなければならない、果たして篠山まで行けるのか正直不安なところだがまずは先へ進んで行くことに。写真3枚目にあるようにこの道は「さんなん街道」とある、この名前には憶えがある、谷川駅から町へと伸びている道で子午線巡りの時に走ったことがあるが、この名前が昔からあった街道名なのかはよく分からない。道は篠山川とJR福知山線に沿って進み車もほとんど通らないので走りやすい、町とは隔絶された感じの旧街道風の町並がまたいい雰囲気、走っていると川の水の流れが聞こえてくる、橋からのぞき込むと結構急速な水の流れである。JR福知山線は特急も多く走る路線とは言ってもこの区間は普通は1時間に1本しか走らないローカルな区間、たどり着いた下滝駅は山間の集落の中にあって割と立派な駅舎に2面2線のホーム、しかしもちろんのこと駅員はおらずお客さんの姿も見かけない。駅周辺も集落はあるがほとんど人の姿は見かけない、見かけるのは恐竜の文字と駅前には恐竜のモニュメント、何でもこの辺りは恐竜の化石が発見された所だとか、その化石が発見された所がこの先にあると言うことで行ってみることとしましょう。











写真2枚目、何かいかにも恐竜と言った感じのモニュメントが見えてきた、ここから街道を外れた所にある公園が恐竜の化石が発見された所らしい。う~ん、恐竜か~、何か、何かなあ・・・公園に入るとその一角でイベントみたいなのがやっていて化石を磨いている人たちがいた、まあ古代に思いを馳せるのはいいことだと思うが、本当にこの辺りに恐竜がいたんかいなあ、何かとってつけたような感じがしてならないんだよなあ・・・なんて書くと地元の人から恨まれそうだが。まあ奈良県でもここがかぐや姫の舞台だとか浦島太郎所縁の地だとか言っている・・・だいたい海もない奈良県で何で浦島太郎?っても思うんだけど、そうやって地元をアピールしている所があるからどうも信ぴょう性となると?なんだよなあ。
さあ、いよいよ最終目的地の篠山へ向けて進んで行くことにしよう、イメージでは山の中を走っているから結構きついアップダウンがあるのだろうと思っていたがここまではほとんど平坦、この先も川に沿っているから左程きつい高低差もなさそうな感じ。やがて最後の写真にあるように篠山市へと突入、でも中心地まではまだまだ遠い感じ、だいたいJRの駅が篠山口なので町と駅が離れているのは分かる、つまりこのまま横を沿って走っているJR福知山線を頼りに走ることはできないと言うことである。このことがこの旅の最後で結構大きな躓きとなってしまうわけなのですが、おやおや、そろそろ時間となったようです、続きは次回と言うことでまた気楽にお越しくださいませ。        まちみち