よろしくお願いします。
鬱陶しい日が続いています、まあ自分(一人称)も最近までは天気に関係なく鬱陶しい日々を暮らしていたわけですが、やっぱり仕事の存在って大きいですね、1ヵ月間鬱々としていた時間を一気に吹き飛ばしてくれました。今は仕事が楽しくて仕方ない状態、膝の具合もいい感じだしそろそろ自転車にも乗りたいと考えているところですが、それは次に病院に行ってからのこととしておきます、たまに鈍い痛みもあるようなので。
さて、今回私がお送りするのは大和郡山市の環濠集落巡り、と言ってももう何度もお送りしているので、またかよ~、と思われそうですが、ネタに困った時の大和郡山です、しばらくのお付き合いをお願いしたいところです。まずは国道25号線から佐保川沿いの自転車道へと入り北へと進んで行くと、右手側に環濠集落が見えてくる。堤防上の小高い所から見る町の様子は、緑が広がる田園風景の中に立つ要塞かのよう、実際に環濠集落は戦国時代に外部からの攻撃に備えて造られたわけだから一種の要塞みたいなもの。中世の武将、番条氏が治める場所だったが、佐保川の西側にある筒井氏との争いに敗れたことによって、静かで長閑な風景が残されることになったのかも。
佐保川沿いの道を北へと進んで行くと写真1枚目~3枚目にあるように右手側に稗田の環濠集落が見えてくる。一方の佐保川の方は本流から左右に支流が分かれている、そのうちの地図で言えば右側に分かれるのが地蔵院川、その地蔵院川から更に小さな水路が、自転車道からは草の茂みに隠れて見ることはできないが分かれている。その水路は自転車道の下を通り抜けて写真5枚目、6枚目にある場所へと続いている、この辺りは田畑が広く眺め渡せる所で、各所で農業用水路が網の目のように張り巡らされている、それらの水が集まってここから地蔵院川へと注がれて行くことになっている。ここからは田園風景の中を小さな水路に沿って進んで行く、以前に彼岸花が咲く隠れたスポットとしてお伝えしたことがあった所ですが、多分誰も覚えてないだろうな・・・。先へと進んで行くと前方に見えるのが稗田の環濠集落、町の紹介はもう何度もお伝えしているので、今回はその集落を取り巻く文字通り、環濠を巡って行くこととしよう。
稗田環濠集落は大和郡山市の観光スポットとしてよく取り上げられる所、道は広くなり町の様子も整備されて観光客を向かい入れやすい感じになっている。集落を取り巻くように流れる水路も整備されて静かで長閑な雰囲気を漂わせている。その集落の西側を通るのが下ツ道、平城京西一坊大路から始り、西の京を経て大和郡山市へと至り、この地を通ってやがては橿原、飛鳥へと至る道。町は防御のために造られたものだが、それは戦国時代のこと、しかし平城京を望むこの地に城郭を模した集落が造られたと言うことは、やはり古代の文化に対する畏敬の念があったからだろうか。まあそんなことはあくまでも自分(一人称)の想像の範疇でのこととしておいて、ぐるりと囲むようにある水路は下ツ道が通る辺りで他の水路の水を集めて、さっき通った水路を伝って地蔵院川へと水を注いでいく。かつては防御のためにあった水路が今はこの地の暮らしを支えるためにある、歴史の流れの中で人々は水をうまく利用して生きる術を伝えてきていると言ったところか。しかし最近はその水が人の命を脅かす存在となってしまうことも、被害に遭われた方は気の毒としか言いようがないが、なければないでやっぱり困るもの、自然との共生はまだまだ未来への宿題になっている感じです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち
鬱陶しい日が続いています、まあ自分(一人称)も最近までは天気に関係なく鬱陶しい日々を暮らしていたわけですが、やっぱり仕事の存在って大きいですね、1ヵ月間鬱々としていた時間を一気に吹き飛ばしてくれました。今は仕事が楽しくて仕方ない状態、膝の具合もいい感じだしそろそろ自転車にも乗りたいと考えているところですが、それは次に病院に行ってからのこととしておきます、たまに鈍い痛みもあるようなので。
さて、今回私がお送りするのは大和郡山市の環濠集落巡り、と言ってももう何度もお送りしているので、またかよ~、と思われそうですが、ネタに困った時の大和郡山です、しばらくのお付き合いをお願いしたいところです。まずは国道25号線から佐保川沿いの自転車道へと入り北へと進んで行くと、右手側に環濠集落が見えてくる。堤防上の小高い所から見る町の様子は、緑が広がる田園風景の中に立つ要塞かのよう、実際に環濠集落は戦国時代に外部からの攻撃に備えて造られたわけだから一種の要塞みたいなもの。中世の武将、番条氏が治める場所だったが、佐保川の西側にある筒井氏との争いに敗れたことによって、静かで長閑な風景が残されることになったのかも。
佐保川沿いの道を北へと進んで行くと写真1枚目~3枚目にあるように右手側に稗田の環濠集落が見えてくる。一方の佐保川の方は本流から左右に支流が分かれている、そのうちの地図で言えば右側に分かれるのが地蔵院川、その地蔵院川から更に小さな水路が、自転車道からは草の茂みに隠れて見ることはできないが分かれている。その水路は自転車道の下を通り抜けて写真5枚目、6枚目にある場所へと続いている、この辺りは田畑が広く眺め渡せる所で、各所で農業用水路が網の目のように張り巡らされている、それらの水が集まってここから地蔵院川へと注がれて行くことになっている。ここからは田園風景の中を小さな水路に沿って進んで行く、以前に彼岸花が咲く隠れたスポットとしてお伝えしたことがあった所ですが、多分誰も覚えてないだろうな・・・。先へと進んで行くと前方に見えるのが稗田の環濠集落、町の紹介はもう何度もお伝えしているので、今回はその集落を取り巻く文字通り、環濠を巡って行くこととしよう。
稗田環濠集落は大和郡山市の観光スポットとしてよく取り上げられる所、道は広くなり町の様子も整備されて観光客を向かい入れやすい感じになっている。集落を取り巻くように流れる水路も整備されて静かで長閑な雰囲気を漂わせている。その集落の西側を通るのが下ツ道、平城京西一坊大路から始り、西の京を経て大和郡山市へと至り、この地を通ってやがては橿原、飛鳥へと至る道。町は防御のために造られたものだが、それは戦国時代のこと、しかし平城京を望むこの地に城郭を模した集落が造られたと言うことは、やはり古代の文化に対する畏敬の念があったからだろうか。まあそんなことはあくまでも自分(一人称)の想像の範疇でのこととしておいて、ぐるりと囲むようにある水路は下ツ道が通る辺りで他の水路の水を集めて、さっき通った水路を伝って地蔵院川へと水を注いでいく。かつては防御のためにあった水路が今はこの地の暮らしを支えるためにある、歴史の流れの中で人々は水をうまく利用して生きる術を伝えてきていると言ったところか。しかし最近はその水が人の命を脅かす存在となってしまうことも、被害に遭われた方は気の毒としか言いようがないが、なければないでやっぱり困るもの、自然との共生はまだまだ未来への宿題になっている感じです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち
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